物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

『四元数の発見』の予告

2014-08-30 17:32:07 | 数学

いま、インターネットで検索していたら、私の本の予告が出ていた。つぎのような要約が出ていた。

この要約はどなたが書かれたのか知らないが、なかなか簡にして要を得ている。以下はそのコピーである。9月19日ころ発売とある。

「近世、虚数が発見され、人類は新たな局面を迎えたが、そこで終わりではなかった。虚数を乗り越える新たな数の体系がハミルトンによって摸索され、三元数が試みられるものの成功せず、四元数に至る!

著者は四元数創造の秘密を本書で追体験し、現代に通用する四元数と回転の関係をも明らかにする」

四元数はベクトルの発見とともに、歴史の水底に沈んでいたが、近年のアニメのフィギュアの回転を簡単に計算できることや物体の回転の際にジンバルロックなどが起こらないことから、四元数による回転の表現が注目を浴びてきた。

それに加えて、ロケット、人工衛星や宇宙ステーションの姿勢制御、またコンピュータで制御する工作機械(NCN)での回転等の運動制御等に、この四元数の応用がある。

高校数学だけの知識で読んで、理解することができる書として期待してほしい。

発行されたら、IT業界で働いている、私の子どもにも1冊送るつもりである。また鋭いコメントをいつもくれる義弟にも感謝を込めて1冊を送ろう。


サブカルチュア

2014-08-30 12:45:07 | テレビ番組

金曜日の夜に最近の数週間サブカルチュアについての放送がある。

2週間ほど前だったかマンガが取り上げられていた。私はあまり読んだことがないのだが、「カムイ伝」を描いた白土三平とかナンセンス漫画「天才バガボン」を描いた赤塚不二夫(?)とかが優れて特徴があったという。

私などは「明日のジョー」とか「ドカベン」くらいしか知らない。お好みのマンガは斎藤隆夫(?)の「ゴルゴ13」である。


一つの流行?

2014-08-29 12:07:51 | 日記・エッセイ・コラム

最近亡くなった方々にいくつかの同じような傾向があるように思われる。

それは亡くなって葬儀等も終わった後で、ようやく死亡通知を出される方が数人おられた。

みんな大学に勤務されたいわゆる研究者の方々である。E大学の学長まで務められたS先生の場合もそうであった。

S先生は眼科が専門の先生であったが、自分の属しておられた医学部の眼科の講座にも葬儀等がすべて終わった後の連絡であったという。

そして、いわゆる香奠等を厳しく辞退されるという申し伝えであったという。

そのときに、教え子たちは少しなんとか先生の恩に報いたいという気持ちもあったという。

私が、いつも診てもらっている眼科の医師はこのS先生の門下生の一人であり、この気持ちのやるせなさを私に話してくれた。

なかなか世の中は難しいものである。

同じことを数学者のA先生の場合にも聞いたし、他の例もある。これは一つの流行なのかしら。


A先生の追憶

2014-08-29 11:53:58 | 日記・エッセイ・コラム

私の存じ上げていた、数学者のA先生が亡くなっていたと数日前にある方から伺った。

A先生はK大学出身の数学者であり、複素解析(関数論)を専門とされていた。80歳は越えておられた思う。

なかなか先入観の強い人で、自分はいつも迫害や攻撃をまわりの人から受けていると思われていた。

このA先生と晩年にはある程度理解しあえるようになった。

そしてこのA先生が考えるほどには先生のまわりの人々は先生を迫害したり、攻撃したりしているわけではないと納得させることに成功した。

若いときの先生のつらい経験が被害妄想的な感覚を倍増させていたのだと思う。

もっとも晩年は先生は数冊の数学のテクストとか数学エッセイ集を著されて、それがかなり売れたので、先生は自信を取り戻されていた。

私もそれらの著書の1冊を先生から頂いたこともある。また、先生の著書『応用関数論』(森北出版)からは分岐点の定義についてようやく納得できる説明を読んだ。

そしてその説明を自著『数学散歩』(国土社)で紹介させてもらった。


数学・物理通信の編集を

2014-08-28 13:33:35 | 数学

そろそろ数学・物理通信4巻5号の編集をはじめなくてはならない。

原稿の数は十分であるのだが、なかなか忙しかったので、この編集にはまったく手を付けられなかった。

9月発行予定分であるので、十分に時間的余裕はあるのだが、9月には徳島科学史研究雑誌のための「四元数の発見」の論文を書く時間が欲しいから早めにはじめておきたい。

共同編集者のNさんにはすでに投稿原稿を送ってあるのだが、編集後記の草稿はまだ送っては来ない。今晩でも催促をしておこうか。


広島の土砂災害

2014-08-27 14:34:18 | 社会・経済

先日起こった、広島の土砂災害はもちろん集中的な局地的な豪雨によるものではあるが、それだけではなく、人災の様相が濃い。

住宅の裏面に山があり、今回のような豪雨が降れば、どこでも大きな土砂災害が起きるのは当然のことのように思えるからである。

広島は私が学生時代の10年を過ごした街であり、安佐北区とか安佐南区とかはそんなに行ったことがあるわけではないにしても、近しい感じのする地域である。

現に友人の一人はこの地域に自宅がある。土砂崩れがあったつぎの日に友人宅に電話をしてみた。幸いなことに友人は無事だった。

同じ地区ではあるが、山を一つ隔てた地域の彼の自宅があったために無事だったという。

ではこういう災害を起こさないためには行政の住宅地としての建築許可を出さないようなという制限が必要であった。

そういう意味では行政の怠慢でもあるが、このような豪雨が降ると言った経験が今までなかった。

だが、今回の経験からすばやく行政は動いて居住制限をすべきであろう。また、そのために移転しなければならない人たちに国とか、県とか市が援助すべきであろう。


友だちの大切さ

2014-08-26 14:04:21 | 日記・エッセイ・コラム

午前中の経験を書く。

素鵞小学校にタダ塾の出張教員として出かけていた。今日は5年生の担当教員の一人として。

2時限目にかけ算のドリルをやっている、女の子を見つけた。傍で見ていて、指導が必要だと判断して、「わからないことは恥ずかしいことではないよ」といったが、自分の計算に自信がないのだろう。計算結果を手で隠している。

それで重ねて「わからないことや間違うことは恥ずかしいことではないよ」と声をかけたがなかなか心を開いてくれない。

そのとき隣にいた友だちが「わからないことがあるからここにきているんじゃないの」と声をかけてくれた。

それでようやく計算を手で隠さなくなった。10のくらい、100のくらい、1000のくらい、0.1のくらい、0.01のくらいといった、「位取りの部屋」みたいなことを話して、大きさの見当をつけるという話をしてから計算にとりかかってもらった。

大分計算結果が合うようになってきたが、それでも縦書きの計算をしなくてはわからないらしい。

縦書きの筆算で数そのものの計算はあまりまちがえないが、ときどき桁どりの間違いをする。

それでもほめて計算をさせているうちに、自分でも自信が出てきたのであろう。進んで計算をするようになった。

休憩時間に元小学校の先生が気分転換の遊びのために皿回しのお皿をもってきていたが、大多数の子どもはあまりうまく皿がまわらない。

ところがこの子が皿を回すとみごと にほとんど揺れないで皿が回る。私は「天才!」と声をかけた。

前に経験があるのかと尋ねたが、どうもやったことがないらしい。他の子ができないことが自分にはできるという経験と自分がかけ算がすこし上手にできるようになったということで、この子の自信になればいいがと思った。

それにしても横に座っていたよくできるお友だちの一言が大いに役に立った。

いい友だちをもった子は幸せである。


ホームステイ

2014-08-25 14:10:56 | 日記・エッセイ・コラム

正式のホームステイではないが、この2日ほどホームステイごときものをしていた。

土曜日にたまたま徳島から高松駅に着いたときにそこのトイレの近くの電気のコンセントから自分のスマホを充電をしている外国人に出会った。

どこから来たのですかと尋ねたのだが、どうも日本語を話せないらしいので、同じことを英語で言ったら、フランスからでパリの出身であることがわかった。

それで電車の中で、松山までの2時間ほどの間をそのフランス人と片言のフランス語で話をした。

30年以上もフランス語を勉強しているのだが、フランス人と話すことはまったくなかった。

大学の3年生のときに話されたフランス語に接するようになったのがはじめであるが、それから考えてもう55年くらいたっている。

NHKラジオのフランス語講座を聞き始めてからでも、30年以上だと思う。だが、なにせ初級の講座を聞くだけでそれも聞いたり聞かなかったりである。

他にフランス語に接する機会はない。それでも30年以上のキャリヤはあるもので片言ながら、この2時間ほどを乗り切った。

もっとも話づめではなく、話題を探しての話だし、それに話題を見つけてもそれを表現する語彙を思いつかない。

それで、その若いフランス人はなにをしているかと聞いたら、学生であることがわかった。

お父さんは建築家であり、パリで仕事をしていることとか、お母さんは先生をしているとか、お姉さんが東京におられて、日本滞在が4年ほどになることもわかった。

そしてお姉さんに会いに日本に来て、3週間の予定で日本国中を旅行していることがわかった。

それで松山で泊まるところは決めているのかと聞いたら、着いてから探すという話であったので、私の仕事場に泊まれるということを話した。

でも私の一存では決められないので妻と相談するから、付いてきなさいと言っておいた。

駅に車で迎えに来ていた妻と相談したら、妻も同意してくれたので、仕事場に泊めてあげることにした。

それが土曜日の夜の10時半過ぎである。大急ぎでベットを設え、シャワーの使い方を教えて私どもは帰宅した。

つぎの日の日曜日の10時前に来てみたら、まだ起きていなくて、石手寺に連れて行くと言ったら、大急ぎでシャワーを浴びて、出てきたので石手寺を一緒に参拝した。

その後、砥部の梅山窯の工房を訪ねたが、ちょうどお昼休みにかかっていたので作業は見ることはできなかった。その後で古い登り窯を見た後で、また私の仕事場まで連れて帰った。

午後は自由に松山城と道後温泉へと行くことを勧めておいた。

今朝は午前中に用事があったので、9時すぎにちょっと会ってから、その用事に出かけた。

1時前に来てみると、もうフランス人は出かけていた。お別れの手紙が残っていた。


彼は彼女に気がある

2014-08-22 15:49:22 | 外国語

「彼は彼女に気がある」と聞いて意味の分からない日本人はいない。

しかし、「気がある」とはどういうことを意味するのかと開き直られると、的確にこたえられる人はどのくらいいるだろうか。

昨日と今日そのことを取り扱ったNHKのラジオのドイツ語入門(応用編)の放送があったが、それによると「気がある」を「関心がある」と訳していた。

たとえば、Er intressiert sich f"ur sie.と言ったふうにである。

なるほど「気がある」とはそういうことだったのかと改めて日本語の意味がわかった。

それとfrischという語の使い方を学んだ。よくドイツで見かける注意にfrisch gestrichenがある。日本語で言えば、「ペンキ塗りたて」であろうが。

「新婚ほやほや」とかいうとfrisch verheiratetという。このfrischは英語ではもちろんfreshである。

英語でも同じようにいうのだろうか。

ところで、大学の1年生のことを英語ではfreshmanというのだった。

大学在職中に技術英語のテクストにfresh waterというのが出て来て、何だろうと思って辞書を引いたことがあった。

これは言うまでもなく、日本語の真水とか淡水を意味する。昨日のNHKのEテレの「ニュースで英会話」でもfresh waterが出ていた。地球上の水の99%は海水seawaterであるという。

ちなみに人類が使える真水のパーセントは地球上の水の 0.01%であるという。日本で降水量が多くて、広島市で大きな土砂災害を起こしたのに、なんと利用できる水の割合の少ないことよ。

技術英語で思い出したが、原油はcrude oilである。


ぼくたちの体は星屑のかけら

2014-08-22 12:32:52 | 科学・技術

「ぼくたちの体は星屑のかけら」とかのタイトルの本がある。

そんなバカなというなかれ。これは真実である。このブログでもそのようなことを何度か書いたことがある。

「土から生まれて土に返る」という類のことわざもあるが、確かにそうである。

中国の首相として名高かった周恩来は亡くなった後の彼の体の遺灰を飛行機で中国の上空から撒いてもらって文字通り中国の土に返ったと、いつか新聞で読んだ。

周恩来はそれほど中国と中国人民を愛していたのかと思うが、その真似はなかなかできない。

先日(2014.8.18)の朝日新聞の記事にマジック・ナンバーのことが出ていた。もっとも新聞の見出しでは「元素の魔法数」とあった。

元素の原子核では原子核中の陽子と中性子の数を加えた核子数が2, 8, 20, 28, 50, 82, 126のときにその原子核は安定であり、その原子核の元素が他の元素比べて、より多く存在するということが知られていた。これらの数をマジック・ナンバーという。

これはMayer-Jensenの原子核の殻模型で説明されている。これによると原子と同様に原子核も殻構造をしている。

ところが中性子数が陽子数よりも過剰の不安定な元素では上のマジック・ナンバーではない別のマジック・ナンバーが存在するということがわかった。

それによれば、6, 16, 32, 34,・・・のときに原子核が安定で、その核子数の存在比が他の元素よりも大きい。

鉄よりも重い元素がどうやってつくられたかは大きな恒星(赤色巨星?)の中でつくられるほか、超新星爆発のときにつくられるという。

特に超新星爆発でつくられるとすれば、私たちの体は星屑からできているというのは単に言葉の上の修辞学ではない。


いづつワイン

2014-08-21 12:38:39 | 食・レシピ

私の最近好んで飲んでいるワインに「いづつワイン」というエコワインがある。

酸化防止剤を含んでいないワインで、この甘口のワインはフルーティーな味がして、後口がとてもいい。

これは有機農業協同組合の「自然派」というところからとっている長野県塩尻の白ワインであり、長らく甘口のモーゼルの白ワインをひいきにしてきたが、最近はこのいづつワインをもっぱら好んで飲んでいる。

モーゼルは日本では辛口のワインだという風に教わったが、現地に行って試飲してみると、甘口のものもあり、私などはモーゼルワインは辛口だと思ったことがない。

このワインは緑色の瓶に入ったもので、これもSp"ateleseとかAusleseとかだととても飲みやすく、さわやかである。

もちろんドイツワインといえば、ラインワインが有名であるが、私はもっぱらモーゼルワインを好んで飲んできたのだが、最近はいづつワインに魅せられている。

今後ワインの輸入関税が下がるかも知れないが、当分値段の点でもこの塩尻産のエコワインにはかなわないであろう。

酸化防止剤が含有していないので、長く置いておくことはできないけれども、そのために飲んだ後に悪い味が残るというようなことがまったくない。

モーゼルでも現地で飲めば、そうなのであろうが、輸出するためにはどうしても酸化防止剤を添加しなくてはならないだろう。

そうすると値段の点だけではなく、飲んだ後のさわやかさも考慮しても、いづつワインの方がいいのではないかなどと思っている。

さる4月に大学の研究室の卒業生の小さな同窓会を松山でしたときに、このワインをもって行って飲もうとしたが、十分に飲物があったので、先輩に進呈をした。

そのときにその方がラベルをじっと見ていたが、後で自分の勤めていたR大学の知り合いの妹さんの婚家がそのいづつワインの生産者だと言われていた。

知り合いの、知り合いのまた知り合いへとつながったという次第である。


今後の科学技術

2014-08-20 12:39:53 | 科学・技術

いまこのブログに表題のブログを書き終わったのであるが、それが保存される前にヘンに終了せざるを得なくなって再度入力である。

ばからしい。NTTコミュニケーションの嫌がらせとしかおもえない。

それはともかく、言いたかったことはこれからの世界の科学技術は広い意味の生物学を中心として進むと思えるという感慨をもったということである。

今朝の朝日新聞のテクノロジーの先端の話として合成生物学という分野の進展で石油代替燃料が人工的に合成されるようになったということを知った。

大量生産に適するようになるのはまだ先らしいが、その試験的なプラントは筑波大学、東北大学、仙台市が合同でつくることを計画または既に実施されているらしい。

物理や数学とか化学を中心にした科学技術が不要になるわけではないが、それを凌駕する分野ができつつあるという話らしい。

私の先生の世代が若かった時代には流体力学が花形の学問であり、世の秀才が流体力学の研究にあこがれてその分野の研究者になったとは年長の先生から伺った話である。

私たちの時代には流体力学にあこがれる人はあまりいなかったと思う。

そういう時代の流れを感じている。

まったく別の話だが、10年後の自動車は衝突を回避する機能をもった車が主流となろう。これが技術的にも可能となって来ている。問題はいかに人々の手に入るくらいの価格の車を製造販売できるようにするかということであろう。

これはもう10年以上も前のことだが、神戸にあったある会社が衝突をしない車をつくる研究をするとか言っていたので、多くの学生がそこに就職したがったのを覚えている。

私はそのときたまたま就職担当だった。


専門家恐るべし

2014-08-19 12:01:35 | 本と雑誌

昨日、出版社から近々発行予定の本の表紙とカバーの装丁が送られて来た。

それを見て、なかなか専門家というものはすごいものだと感じ入った。

私の本は『四元数の発見』というタイトルだが、その表紙のカバーのデザインが私の本を読まないと思いつかないような装丁なのである。

ブックデザイナーを職業とする人がそもそも日本に何人くらいいるか見当もつかない。しかし、理系の本のデザインをする人もなかにはいるのであろう。

そのような本の装丁を考えるときにやはりその本の全体を通読しないまでもある程度は読むのであろう。

『四元数の発見』という書の装丁を私が考えたのではないが、その本の趣旨に即した(またはその本を象徴する)装丁を考えることができるという装丁家は並みの能力ではない。それが特に理系の内容を含む書である場合には。

本の中で私はハミルトンの発想としての第3の元 j の導入について書き、また図にも表したのだが、第4の元 k についてはなかなか図に表すことができないと補注で述べた。そのことを考慮してのデザインだと思われる。

いや、「専門家恐るべし」。別に恐れているわけではなく、畏敬の念を抱いたというのが、正直のところである。

どういう人がこういう数学的な本の装丁をされているのだろうか。

(2017.12.12付記)この話には後の話があって、実は私が感心した表紙のデザインだが、実はインターネットの四元数にこの図がすでに出ているをそのまま流用したものであった。もっともこの図は特許とか商標をとるようなものではなかろうから、デザイナーが使っても文句はいわないであろう。しかし、それにしてもちゃんとそこを見越しての流用なら、いいのかもしれない。


7箱の書籍の送付

2014-08-18 13:32:25 | 日記・エッセイ・コラム

土曜に本の売却としてブログを書いたが、それを今日の午前中に佐川急便の係りの人に渡した。

段ボールの箱を送ってもらったのは5個だったが、それでは収まりきらず2個の余分の段ボール箱を追加して送った。

それでも残っている書籍はまだ半分くらいである。それを何処かに納めなくてはならない。

岩波新書の収める場所は見当をつけたが、残りの3箱くらいの処置は途方にくれている。

これらはまだ売却を決心できないからである。

妻はこのところとみにシビアになって、昨夕ファイルを百円ショップに行って2つ、すなわち6冊買って来たら、今朝言うのにはいつ死ぬかもわからないのだから、なんでも不必要なものを買って来るなという。

だが、昨夕、妻にファイルを買ってきてと言われたから買って来たのではないかとのど元まで出かけたが、ひと悶着が起こりそうなので黙っていた。

私などは70歳半ばではあるが、まだまだ数年は生きられると楽観的である。もっともだからといって不必要なものを買っているつもりはない。


本の売却

2014-08-16 11:55:48 | 日記・エッセイ・コラム

長兄のもっていた蔵書の一部を売却しようとしている。

長兄が亡くなったのはもう約20年前であり、これまで彼の家が残っていたのだが、それを取り壊すとのことで蔵書の一部をもらって帰った。

しかし、私の家にもその蔵書をおく場所がない。それで少なくとも私も持っていた、図書は売却することに決めた。

これは私の家の客間をそれらの本が占拠していて、客間の用をなさないからである。妻から今月末までにそれらを始末しないと別居だと最後通牒を突きつけられた。

それで先日インターネットの古書の買取りサイトを見つけてそこに頼むことにした。

梱包用の箱が8月17日の日曜日の午前中に到着し、つぎの日の8月18日の午前中に宅配業者に引き渡す予定である。

もちろんそれくらいではすべての書籍がかたづくわけではない。

それでもすこし少なくなる。それにこの際に亡父の古書も始末をしようとしている。

昭和の初期の古書なので、引き取ってくれてどこかで誰かが利用してくれるとうれしい。

長兄の書籍は亡父の蔵書よりももっと現代的なものであり、こちらの方は古書として市場に出されるとそれを購入して読んでくれる人はいるだろう。

(注)7,8箱を宅急便で送ったのだが、その送料の費用がかかったせいか結構いい本もあるはずだと思っていたが、全体の評価額は300円くらいでさんざんだった。 それ相応の価格をつけてもらうには自分で宅急便の送料を払うくらいでないとだめなのかもしれない。アンケートがその評価の後で来たが、2度と利用しないと返事をした。できるのはそれくらいだから。

またさらに利用する気が起きない。