物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ゲーテの言葉

2021-09-30 11:53:18 | 外国語
最近知ったゲーテの言葉

  Es ist nichts schwerer im Leben, als nat"urlich zu sein, nat”urlich zu handeln.

  人生において何も、より難しいことはない。自然であること、自然にふるまうことよりも。

ちょっと変な日本語訳だが、ドイツ語の語順にしたがった訳のつもりである。  

昨夜のNHKのEテレ「旅するためのイタリア語」から

2021-09-30 11:20:27 | 本と雑誌
昨夜から新しい講座がはじまった。

はじまりだから、すこし渡辺早織さんも控えめに振る舞って、イタリア語の披露を少なくしていた。いわゆる自重である。

前季の講座は終わりの方でイタリア語での早織節の炸裂であったが。新しくイタリア語を学ぼうとする人の意欲をそいではならないと言われていたのだろう。

さてさて。メモしたイタリア語のフレーズは

   Questo vestito `e bello (elegante). このスーツは美しい(エレガントだ)
 
   Qeusta giacca `e bello (elegante). このジャケットは美しい(エレガント
                 だ)
   Quessti vestiti sono belli (eleganti). このスーツは美しい(エレガントだ)
                  (スーツが複数の場合)
 dolce 甘い picante からい
 formale / informale きちんとした/くだけた

 la fontana  噴水


saveurと

2021-09-29 11:28:49 | 物理学
saveurとは「味と香り」を意味するフランス語である。味と香りとは別物のような気がするが、これが一語であることが不思議である。

今もそうかもしれないが、昔、素粒子の世界では色(color)と香り(flavor)という語が聞かれたころがある。

クォークが素粒子であることが確立していく時代であった。荷電が整数ではない、半端な分数荷電であるクォークを素粒子と認めるという心理的なバリアーをクリアできたのは、いわゆるクォークの閉じ込めの考えが定着してからであった。

要するに、クォークを単独で取り出そうとすると、無限に大きな力が必要で単独では取り出すことができない。その代わりにクォークにきわめて近くに近づくとクォーク間には力が働ない。いわゆる漸近的自由が成り立っている。

そして、そのような場の量子論が成り立っている。いわゆる量子色力学の成立である。これもすでにもう半世紀も前のことになってきた。

新しいNHKのEテレのドイツ語講座

2021-09-28 10:27:47 | 本と雑誌
昨夜の月曜日の夜から、新しいNHKのEテレの「旅するためのドイツ語」がはじまった。これは夏学期の「旅するためのイタリア語」の放送がよかったと私が思ったが、そのスタイルを見倣った感じのする番組であった。

この冬学期も「旅するためのイタリア語」の放送ではゲストで、なかなか好演した渡辺早織さんを再起用するらしい。ドイツ語は鎮西寿々歌さんを起用して、ドイツ語の人気挽回を図る試みに出たと思う。

ただ、3人の出演者がみんな濃い灰色のコスチュームでどうも刑務所の囚人みたいに見えたのが、ちょっと気になったところである。

普通に話される、ドイツ語をふんだんに聞かせる作戦とみた。これはおよそ60年近くこういった講座を見ている私などでも細かいところではついていけないところもあるので、やりがいがありそうである。

ただ、ドイツ語は最初が難しい言語であるので、どういう工夫をされるのか。これはイタリア語になかった工夫がいるかもしれない。

ドイツの政治はどうなるだろうか

2021-09-28 10:13:08 | 本と雑誌
日曜日の9月26日にドイツのBundestag(日本の衆議院にあたる)の選挙があり、SPDが25.7%でわずかにCDU/CSUの24.1%を上回った。大体ドイツは保守的な国でCDU/CSUが優位の国であり、SPDが上位を占めることはほとんどない(注)。

私がドイツ留学をしていた1976年はたまたまSPDが政権をもっていた時代であり、党首のウイリー・ブラントから、シュミットさんに首相が変わっていた。

さてこんどもどういう風な連立相手を選ぶかでCDU/CSUが政権をとるのか、それともSPDが政権をとるのかまだわからない。

どちらにしてもメルケル首相の退陣はヨーロッパの政治に大きな影響をもつことになるらしい。

世界がドイツの政治の行方をかたずをのんで見守っているらしい。

(注)日本の参議院にあたるのはBundesratといわれる。ドイツは日本と同じ2院制である。

作家・片岡義男さん

2021-09-27 11:16:38 | 本と雑誌
朝日新聞にいま作家・片岡義男さんのインタビューが連載されている。この私と同年の作家さんの小説を読んだことはまったくないのだが、以前から私の購読している岩波書店の雑誌『図書』でおなじみではある。

いまは、1ページのコラムを雑誌『図書』に書かれている。タイトルは「CDを積む」だったか。

このブログでも以前に片岡義男さんに触れたことがあると思うが、いつのことだったか覚えていない。

なんでも、片岡さんのお父さんが米軍の施設かどかこに勤めておられて英文のペパーバッグを多量に家に持ち帰られたことが数回あったとかで自然と英文を読むようになったとか以前のエッセイで読んだことがある。

早稲田大学に1959年に入学したとあったから、私の高校時代の友人N君が一年の浪人生活の後にやはり同じ早稲田大学に入学したのと同じ学年ということになる。N君は建築家になったのだが、早稲田の在学中に片岡さんはすでに英文小説の翻訳をはじめて発表していたというから、その早熟度に驚かされる。

もうひとつ、片岡さんで逃してはならないことは彼の音楽愛好のことであろう。間違った記憶かもしれないが、高校時代はバンドを組んでいたとか彼が書いていたのを以前に読んだ記憶があるような、ないような。

それでというわけでもないだろうが、岩波の『図書』ではCDの音楽の話を書かれている。このコラムは鶴見俊輔さんとか、大江健三郎さんとか有名なかたが受け持たれたコラムであり、片岡さんが一流の作家の仲間入りを果たしたことはこれでも証明されたことであろう。

日曜だが、

2021-09-26 11:56:24 | 本と雑誌
日曜だが、仕事場に出てきた。10月1日の論文締め切りに論文を間に合わすために日曜返上である。

こういうことは私には珍しい。祝日は休まないが、日曜は休むことにしているからである。

まあ、論文が締め切りに間に合うか間に合わないかの瀬戸際だから、しかたがない。

とかいいながら、のんびりとブログなんぞ書いているではないかと言われそうだ。あまりのんびりとブログを書いているわけではない。

いやこれは自分の内心だけであって、はたからみれば、のんびりしているのかもしれない。


なかなか論文が書けない

2021-09-25 13:21:21 | 本と雑誌
「なかなか論文が書けない」と書いたが、あまり優れた論文を書こうとしているわけでもないのだが。

「他人から見た武谷三男 7」を書いて徳島科学史雑誌に投稿しようとしているだけだ。

今回はタイトルに数字 7 がついているように7回目の投稿になる。取り扱うテーマは伊藤康彦さんによる『武谷三男の生物学思想』(風媒社)である。

先日も書いたように、この書で武谷三男はほとんど完全に論破されている。
その事実からまずは出発しなくてはいけないのだが、はてさてどう論を進めたものか。この本を読み返しては構想を練ろうとしているのだが、なかなかまとまらない。

10月1日が締め切りなので、締め切りはそこまで来ているのだが、難渋している。



富士山登頂の最高齢者は?

2021-09-24 14:16:35 | 本と雑誌
富士山の登頂の最高齢者は105歳だったか115歳だったかだと昨夜のテレビで知った。

91歳の方が富士山に登って最高齢の記録をつくったかと思ったが、世の中には上には上があるものだ。

5年くらい前だが、ドイツ語検定試験を受けて、2級にようやく合格したのだが、このクラスの一番高年齢かと思ったが、そうでもなかったらしい。このときは70歳半ばであったと思う。私の目指している目標は準1級であるのだが、これにはなかなか届かないだろうと思っている。

2級の上は準1級と1級しか残っていないが、私には多分1級は無理なので、準1級が自分で到達可能な最高のレベルであるだろうと思っている。

これは趣味としてドイツ語学習にあまり多くの時間が割けないからである。

昨夜のNHKのEテレ「旅するためのイタリア語」から

2021-09-23 11:45:26 | 本と雑誌
昨夜は今期の最終日の放送だった。

イタリア語が上手になるための3つの条件を教えてくれた。

(1)avere coraggio 勇気をもつ
(2)non arrenderci mai 決してあきらめない
(3)sorridere sempre いつも笑顔で

だという。イタリアでは「一人でする」Faccio da soloが大事だという。

そして感謝を忘れずにいること
 ‘E stato bello すばらしかったです
 ‘E  stato interessante 興味深かったです
 `E statto divertimente 楽しかったです。
 `E stato un piacere lavorare con voi あなたと一緒に働けてうれしかった
という感謝の気持ちを忘れずに。

 piacere はピアチェーレと発音し、普通は人と初めてあったときに「初めまして」あいさつに使うが、「あなたと会えてうれしい」という意味があるとのことです。




最終日のサッカーの名言

2021-09-22 12:44:58 | 本と雑誌
今週の月曜夜のNHK「旅するためのドイツ語」でのサッカーの名言を忘れていた。

 Die Liebe zum Fussball, die ist so wie mit der Famillie und der Frau.
   Die ist immer da.                           
                                                     Podolski

 サッカーに対する愛は家族や妻に対する愛と同様である。
 いつもそこにある。

(発音のカタカナ表記)
 ディ リーベ ツム フースバル、ディ イスト ゾー ヴィー ミット
 デア ファミリエ ウント フラウ
 ディ イスト インマー ダー

発音のカタカナ表記が拙いことはわかっている。が、するすると文を読めないとそのよさがわからない。それでドイツ語をよく知っている人から、ブーイングがあるのを承知で発音のカナをつけている。

分岐点・再訪

2021-09-21 10:02:47 | 数学
分岐点がわからないなどというと、道が分かれるところ(地点)だろ?とか言われそうだが、そういう意味ではない。

複素解析とか昔は関数論といわれた数学の分野がある。そこで使われる専門用語に分岐点(branch point)というのがある。

そして、その分岐点と関連してリーマン面がある。このリーマン面と関連して分岐点が定義されることが多いのだが、その説明がなんだか持って回ったような定義でよくわからなかった。

すべての複素解析の本を読んでみたわけではないので、一言でわかるような説明をしたテクストもあるのかもしれないが、ほとんどのテクストは伝統的な説明で、そのような説明できちんと分岐点のことがわかる人もおられるのだろうと思うと世の中には頭のいい人がなんと多いのだろうと感心する。

私などは「わからん、わからん」といつも頭を抱えていた。よく出てくる例としてy^{2}=xという関数があるが、これはy=\sqrt{x}とy=-\sqrt{x}にかきかえることもできる。すわなち、ある x の値に対して y の値は2つあるわけである。

こういうときに関数を1価に表すために2枚のリーマン面を考える。そしてそれで関数を1価の形に表すことができる。ところがx=0のところとx=無限大のところはもともと2価ではなくて、x=0とy=0とは1対1になっている。

こういう点を分岐点というのである。一般に多価関数である関数がある特定の点ではその多価性がない、特別な点がある。そういう点を分岐点という。

現在の私の分岐点という専門用語の定義の理解はこのようである。この理解については『数学散歩』『物理数学散歩』(国土社)に書いておいた。

このことは実は私の存じあげていた故安倍斉先生の『応用関数論』(森北出版)から学んだことである。


世襲

2021-09-20 12:17:38 | 本と雑誌
世襲とは親子代々同じ地位を継ぐことをいう。

私の地区のある国会議員さんが引退を表明した。それでその政党が後の議員候補を公募したのだが、引退を表明した議員の子息が公募に応募して候補になるとか新聞で見た。

もし、そうなれば、この一家は少なくとも3代続く国会議員を出す家となる。
これは世襲のわるい例となるのではなかろうか。

候補になる人の人柄を云々しているととられるといけないのだが、そうではない。人柄は多分いいひとなのであろう。

だが、ほぼ世襲であることがいけないというだけである。形式的には公募で後の候補を決めたという体裁をとってはいるが、これは単なる形式であって、実質はちがう。

だから、そういう法律ができるかどうかは知らないが、同じ選挙区からは立候補できないとかそういう制限ができないものだろうか。

もっともこれだと政治の世界における自由を制限することになるので、憲法に違反する法律になるのかもしれないので、なかなか難しいことである。




腰を痛めた

2021-09-18 12:18:56 | 本と雑誌
数日前から腰を痛めている。

そのためにラジオ体操の前屈ができない。月曜日のラジオ体操では前屈はまったくできず上体を折るふりをしただけであったが、少しづつ回復してきている。

今日は手のひらが床につくところまでは行かなかったが、床の近くまでは曲げられた。だが、普通なら、ほぼ床に手のひらがつくくらいにまで曲げられるのに。

中学生のころは前屈して床に手のひらがつくくらいの柔軟性をもっていたが、これはできなくなっていた。

それがラジオ体操をするようになって、若いときの体の柔軟性が復活してきていた。ところがこのところの急の腰痛である。腰を前屈すると痛いので前屈ができなくなっていた。それが徐々に痛みがとれてきたのだが、まだ痛みがなくなったわけではない。

送金

2021-09-17 13:07:05 | 本と雑誌
昨日、ある人に送金する必要があった。

それで口座の番号を調べたのだが、すぐにはわからなかったので以前にもらっていたメールを調べてその口座番号を知った。その番号をメモしてある銀行の支店に向かったのだが、実はカードを入れて、送金と押したら、その人の送金履歴が出てきて、メモは必要がなかった。

なかなか便利にシステムができている。もっともその履歴と共に詐欺ではないかとの警告も出てきた。別に多額の送金でもないし、もちろん詐欺にかかっていたわけでもなかったが。