物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ワールドカップで敗退

2010-06-30 18:10:52 | スポーツ

今日もe-learningの修正で一日が暮れようとしている。

梅雨に入って湿度が高いのでなかなかよく眠れない。昨夜はサッカーを見ようと思っていたが、ウインブルドンのテニスの様子を見てから、夜中の2時に試合が中継があるのかと思ってBSを見たら、試合がすでに終わっていて、0-0で延長戦をやっても点が入らず、PK戦で破れたことを知った。

日本は決勝トナーメントで初戦敗退とはなったが、日本人は納得したのではないかと思う。強化試合では負けが続いていたから、一般の日本人は予選敗退も覚悟をしていたであろう。だが、予想をいい意味で覆して決勝トーナメントに進めたのは幸運だけではなかったろう。

前回のワールドカップ優勝と準優勝のイタリアとかフランスの予選敗退という意外なできごともあった。何が起こるかわからないのがワールドカップである。世界でも一部の国ではオリンピックよりもワールドカップの方が重要視されているとも聞く。

まだ、ワールドカップの戦いは続く。今度の大会は最後はどこの国が優勝するのだろうか。


またコメントをもらった

2010-06-29 15:07:19 | 数学

e-Learningを読んでもらっていた3人目のWさんから、閲読が帰ってきた。彼からもまたたくさんのコメントをもらった。単に演習問題の答えが違っていたという指摘から、この話題は学生には難しいのではという指摘まである。

一生懸命読んでもらったことはわかるが、それだけになかなか重いコメントもある。これでは「読者にお前はダメだと引導を渡すようなものだ」とか。また、進んだ話題ついては読者の自発性に任せるのではなく「分かりやすく説明を書け」とというような要望もある。

それを黙って、やり過ごす(無視する)こともできるが、それは閲読者に失礼であろう。だから、なんらかの対応を考えるべきであろう。

だが、基本的に考えが違っているところもあるのだなと思う。私は単にすべての話題に詳しい説明があるべきだとは思っていない。人にすべての情報を与える必要はないのだ。知的好奇心を刺激し、読者を勇気づけることや広い視野を提供し、もし困難にあったときにはどういう風にすべきかの、おおよその指針を与えればいいのだと思う。

教科書ではどうもすべての内容をマスターすべきだと思ってしまうが、そんなことはもともとできっこない。それでまたいいのだ。あまりかっちりとしたことを考えてはいない。このコンテンツを読む人にはもっとリラックスした気持ちをもってほしいのである。いま自分の理解できることに大きな穴が開いていてもいい。要するになんとか自分でもやれそうだとの感覚を呼び起こし、関心をもたせたいのだ。


式の計算

2010-06-28 12:02:24 | 日記・エッセイ・コラム

大したことをやっているわけではないが、私は文章も書くが紙片に計算をすることも多い。これは別に研究のための計算とかそういった大げさなことではない。初等的な数学の本を読んだときとかまた新聞を読んだりしてあれっと疑問に思ったりしたときに、印刷し損ねたコピー紙の裏側に計算をする。

妻は奇妙な習性と思っているかもしれないが、身についたいつもの習性でしかたがない。ほとんどが何の役にも立たないことである。ではあるが、それはそれで私の生活の一端を示している。もっともその紙片を妻が片付けてしまって、どこかに計算した紙片があるはずだと探すのに時間がかかかったりすることもある。。

もっともはじめに言ったように、大抵は出てこなくても困るような重要なことではないのだが、それでも自分としてはひっかかってしまうことがある。もっともなくなっては困ると思うような計算のメモは気をつけてどこかにしまうようにはしている。

だが、冬ならコタツの上のテーブルで深夜に計算するのが普通であり、そのうちに他のことに注意が向いてしまって、以前の計算結果をそのままコタツの机の上に残しておくこともある。

妻の知り合いの方が訪問してきたときなどにその机の上の文書がすべて階段のところへごっそり移動していたりする。本やその他の書類と一緒に。そしてそれがまたある時間経過すると階段の上り下りの邪魔だというので、二階の子ども部屋だったところへ移動していることも多い。

そうなるとどこに何があるのかわからなくなる。妻の友人や知人の訪問やグループの集まりがあるとわかっているときには、文書の書きかけとか計算のメモとかをわからなくならないように自分で片づけをしておくのだが、それでも私に無断でグループの会合に自宅の居間を使ったするので、油断がならない。夫婦のこういったせめぎあいはきりがない。


e-Learningの修正

2010-06-27 11:43:20 | 数学

技術者であるbreezingさんから頂いたコメントをもとに2箇所だけ直そうとしている。ところがもちろん私とか私が依拠した原子力工学の本の細かな間違いもあるのだが、頂いたコメントをどう活かしたらいいか、悩んでいる。

私の間違いは自分の昔の講義ノートのあわてた引用のためでもあったが、大山彰氏の「原子力工学」(オーム社)の図もある意味では誤解を招くものである。もっともそれは細かなことであって、大したことではないが、コンテンツが正しくないのはよくない。私も「原子力工学」から自分の講義ノートをつくったときに十分には批判的でなかったと思う。

CM系での2体衝突では全運動量=0ということは二つの粒子の運動方向は一直線上にあるということなので、後は符号と大きさを考えればよいと思う。

3次元空間の中での粒子の運動方向を考えるのが正統的な考えであり、これは散乱断面積の散乱角依存性(角分布)を考えるときなどに決定的に重要になってくる。しかし、1回の衝突による、中性子の運動エネルギーの損失を問題にしているから、3次元空間での方向を議論する必要がない。これは中性子の減速という、技術的な問題の一部を連立方程式という初等数学の演習問題にしているのである。

それはともかくとして、このブログで「原子力工学」という言葉を使ったら、それが直ぐにインターネット上でトレースバックされているのには驚いた。もう原子力工学などという語は死語(?)だと思っていたが、地球温暖化とかで、原発が復活しているらしくい。だが、この地球温暖化という言葉に便乗しようとする一派には真摯な自己反省はあるだろうか。なんでも売れて自分たちだけが儲かれば後は「野となれ、山となれ」いいという、さもしい気持ちだけではないのか。


お詫び

2010-06-26 19:26:00 | 数学

以下の文章はまったく私の誤解でした。ここに謹んでお詫びを申しあげます。しかし、これは私の責任なのだろうか。SURE:Shizuoka University REpository (http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/)に5月10日現在でアクセスできなったためです。詳しいことはここに引用したサイトにアクセスしてみてください。

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中学生の「数学散歩」の感想

私の著書「数学散歩」は現在出版社品切れである。絶版になるか再版されるかは出版社次第であるが、静岡大学教育学部の数学の先生の科研費の研究報告書の中で、この先生の調べた中学3年生の生徒が書いた、私の本の感想をインターネットで見つけた。多分、数学教育研究の一環として中学生に私の本を読ませて、感想を書いてもらったのであろう。

以下はそのgoogle検索で出ている部分である。
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[PDF] SURE: Shizuoka University REpository
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
熊倉 著 - 2009
・「数学散歩」をじっくり読んだらおもしろ. くて感心するところがいくつもあって,数学. が得意でない僕でも,たのしく読むことがで ... 数学散歩を読んでみると,しだいに数学は. 一番生活と関わりがあるのではないかと思. いはじめました。(B:中 3) ...
ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/4524/1/18530693seika.pdf

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インターネット上ではこれ以上のことはわからない。たった一人かもしれないが、肯定的な感想をもった生徒がいたということは、いくらか希望がもてることである。

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上の文章は私の早とちりから来たものでした。また、以下の文章を熊倉先生が読まれる確率はほとんどゼロではあろうが、それでもお詫びを以下に書いておこう。

熊倉啓之先生、すませんでした。また、5月12日のブログは削除します。

「中学校数学散歩」という副読本を静岡大学の熊倉先生たちが作成して中学生に読ませたということがわかった。私の本を読ませたわけではなかった。我田引水で自分に都合のいい解釈をしていたとは恥ずかしい。だが、ちょっと紛らわしいかったのは熊倉先生の咎ではないとしても、まあ本の「題名のつけかたが、偶然に一致した」ということもあったのだろうか。


リナックス

2010-06-26 18:15:41 | デジタル・インターネット

リナックスは、有名なコンピュータのOS(Operating System)である。先日NHKの「ITホワイトボックス2」を見ていたら、このリナックスは値段がタダという意味でフリーだという(*下の注意参照)。

また、その開発コードを公開するという原則もあるという。開発コードが公開されていれば、誰にでも使えるし、かつそれを改善することもできる。これはリナックスが普及している大きな原因である。

そういえば、日本の原子力利用の3原則として「民主、自主、公開」というのがあった。ここでも公開が重要なポイントとして上げられている。

リナックスに帰るが、このフリー、開発コードのオープンがリナックスにとって、重要な役割を演じているようで、企業からの参加もあるという。各企業がどこも必要な部分をオープンに共同開発すれば、各企業の強いところを発揮することもできるし、また開発費を低く抑えることもできる。また、思わぬ分野への転用も起こるという副産物もある。

それで、考えたのである。私の開発しているe-Learningのコンテンツもできることなら、無料公開にしたい。そして、いろいろな経験を持つ人々の意見を柔軟に取り入れられるものでありたい。

果たしてそれが可能なのか。私個人の中にはそれを妨げるものはまったくない。

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(注意)東京在住のUさんからつぎのようなコメントを私信としてもらった。転載しておこう。リナックスが無料(タダ)という意味でフリーと書いたがそれに対するコメントである。freeがタダという意味ではないとのことである。(2010.7.2)

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2010-06-26のブログ”リナックス”を拝見しました。私は、本業はIT通信企業ですので、
すこし、コメントを大変恐縮ながら入れさせていただきます。
リナックスは、ライセンス形態がGPL(http://ja.wikipedia.org/wiki /GNU_General_Public_License)ですので
”ただ”という意味でFreeではありません。実際には、有料で配布は可能です。自由かつ公開という意味でFreeです。

著作物をFreeにされるなら、下記のライセンスを適応されれば、可能と思われます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/GNU_Free_Documentation_License
英文のライセンスをお使いください。


日本の勝利

2010-06-25 12:37:48 | スポーツ

デンマークとの日本のワールドカップ戦で勝てるとは思っていなかった。それも3-1とはすごい。運とはすごいものである。強化試合で、負けが続いたときはとても予選を突破してトーナメントに進めるとはとても予想できなかった。

もっともこれらの強化試合で負け続けたことが今回の快勝につながっているとすれば、苦しむことの大切さを教えてくれる。苦しむことによって自分たちのサッカーをもっともっと求めるということが成果を上げたのだと思う。

イングランドとスロベニアのゲームを見たときに思ったのだが、それぞれのチームがほとんどワンタッチで味方にパスをしていた。そして攻め込む形をつくっていることである。もちろん、互いに必死のせめぎあいをしているので、簡単にゴールはできないが、そのワンタッチパスが印象的だった。

ようやく日本のチームもこのワンタッチパスを多用できるようになったが、いままではどうもこのワンタッチパスがうまくいかず相手にボールを奪われすぎていたという風に思う。

アルゼンチンだったかブラジルのチームのワンタッチパスのすばらしさを見てその自由自在のパスに感心した。特にメッシは自分でゴールはできなかったが、チームメイトに自在なパスを送り、その存在感を示した。これはゴールをする人と同じように評価すべきことであろう。

日本のカメルーン戦でも本田にパスを出した松井と本田と重なっていた大久保の存在が本田のゴールを可能にしたと思える。あのゲームに勝ったことが今回のデンマーク戦に活きていると思う。


武谷三男の「業績リストと著作目録」

2010-06-24 10:04:56 | 物理学

昨日、ようやく「武谷三男の業績リスト」と「著作目録」を「素粒子論研究」電子版に投稿した。すでにWeb上に出ているので、誰でもアクセスできるはずである。ところが、このPDF版を見たら、どうも文章の中の文献の数字の間が少し開きすぎていることに気がついた。

修正すべきなのだろうが、別に間違っているわけでもないのでしばらくそのままにしておこう。

原稿を寝かせておいた時間は十分だったはずだが、それでも文の体裁を気にしていなかったと悔やんでいる。そそつかしい私はいつもこういう風である。だから、念には念を入れてと心がけているつもりだが、その生来のそそつかしさは直らない。困ったものである。

中学生のころ塾に通っていたが、連立方程式を解くときなどにそそつかしく計算をよく間違って塾の先生からよく注意をされた。計算のない数学があればいいのにと思ったものである。

私の中学生の頃通っていた塾は、このごろ流行の塾とは違う。このごろの塾はむしろ学校の教室と似ているのが普通だろうが、私の通った塾は普通の家に上がって行って、畳の上に座って先生の説明を聞いたり、自習をしたりした。

この塾はもともと旧制の中学校や女学校に入る受験準備のために武田先生が開かれた白星堂という名の塾であって、武田先生は私の母も教えてもらった方だったという話はこのブログでも書いたことがある。

中学校時代にこの塾に通ったが、高校以降は塾にはもう通わなかった。この塾で初歩の英語についてとてもいい教育を受けた。私がいまでも外国語を学ぶことが好きなのはこのときの教育がよかったためであろう。


ビールパーティ

2010-06-24 09:16:52 | 日記・エッセイ・コラム

道後温泉本館横の道後ビール館でドイツ語のクラスのビアパーティが昨夜あった。先生のR氏は夜の授業のために少し遅れて参加したが、その前の1時間半ほど日本人だけで話をした。

今回のパーティの世話役はYさんであったが、私たちの会全体の世話役のO氏は元牧師で、ドイツ語の翻訳家を目指している。彼は翻訳家養成コースか何かを受けているらしく、もうドイツ語の勉強はしないでいいから、日本語の勉強をしなさいと言われているという。

うらやましい限りだが、日本語の文章が多分硬いのであろう。O氏は翻訳は直訳をよしとするという考えであったようだが、私は絶対意訳すべきだという考えである。それは実際に日本人が翻訳に接するのは原文を読めない人が大部分だと思うからである。

原文を読める人には翻訳など必要がないというのは極論かとは思うが、概ねそういう意見をもっている。それで、O氏本人は認めるかどうかは知らないが、私はO氏に彼のもっていなかった別の意見・考え方を紹介したと思っている。

日本語の書き方についても話になったが、そのときに私自身の行っていることを話した。まず何回も自分で書いた文章を繰り返して読む。それがはじまりである。そして文章がよくなったと思ったら、数日または1週間あるいは1ヶ月文章をそのままおいておく。そしてまた読み返す。これが私がやっていることである。

だから、期限を切られて文章を書く必要があるときにはこの方法は適していない。だが、そういう期限のあるときでも考え方は同じだろうと思う。そういう訓練というか経験を経ないで文章が上手になったりしない。

私も書いた文章が、ときどき「いい文章だ」といわれたりするようにはなったが、それでもまだまだである。修業の道は険しい。もっとも私の場合には文章を書くことは趣味であって修業とは思っていないが。


新しい数学の教科書

2010-06-23 12:58:25 | 数学

昨日、武藤徹著『新しい数学の教科書』I,II(文一総合出版)を購入した。中学校の数学のテキストである。これは朝日新聞の読書欄に紹介が出ていたのだ。

武藤さんは1925年の生まれというからかなりのお年である。高校の先生をされていた方で、NHKの高校数学の初代の講師をされた方と紹介があった。

もっともこの教科書は武藤著となっているのに数人の方が編集員会をつくっている。編集員会の編纂で、この著者の代表が武藤さんなのか、それとも武藤さんの著をこれらの編集委員が編纂したものなのかがわからない。その説明も本を読んだ限りではわからない。

武藤さんは本来数学の思想を研究された方らしい。中学校の数学に限っているが、なかなか興味深い書き方である。数式を文字タイルで表すこともある程度取り入れていて、これは私がつくったe-Learningのコンテンツと一部同じところがある。

ただ、よくは分からないが、(a-b)^{2}を「文字タイル」でどう表しているかはっきりしない。私たちは-b^{2}の文字タイルを影をつけたり、色をつけて表している。そこらあたりがちょっと違うような気がする。そして私たちは(a-b)^{2}は(a+b)^{2}と同じく長方形の形で表すのである。そこがちょっと違うのだろうか。

このごろはこういった種類の数学の教科書(検定外の)がいくつか現れている。ブルーバックスの『新体系・高校数学の教科書』上・下(講談社)もそうだし、また数研出版の数学の教科書もそうである。もっともこの二つはまだ手に入れていない。

私のe-Learningのコンテンツは『科学を志す人のための基礎数学』(アグネ)に啓発されたものである。この書は最近 50 年ぶりに復刻された。

しかし、e-Learningのコンテンツはむしろ愛媛県数学協議会の創始者の一人のYさん(姓は偶然に私と同じ方だが、親戚ではない)の主張を取り入れた書き方をしており、前記の本とは書き方が異なっているつもりである。だからそれなりのオリジナリティをもっている。

また、特徴のあるテキストとして、かなり以前に購入した、『大道を行く高校数学』(現代数学社)3冊本もある。これもかなり本格的な高校の数学教科書である。

ただ、私は高校数学とか中学数学とかに枠がはめられるのを好まない。確かに人生の何年間かは中学生や高校生ではあるのだが、人生の大部分はそれだけではなくそれ以外の人生の方がずっともっと長い。

私も教師であったから、教師としての視点から抜け切れないかもしれないが、やはり人生の大部分は学校とは関係なく人は生きるのである。その観点がなくてはなるまい。

(2012.7.4付記) 上の武藤先生の本は武藤さんの個人的な著作であるらしい。これは先生に尋ねてわかった。編集員会はそれを単に出版するためであったらしい。


ラジウムの半減期

2010-06-22 14:14:12 | 物理学

放射性元素である、ラジウムの半減期をその崩壊定数を与えて計算させる問題をe-Learningのコンテンツの「対数関数と指数関数」の節の演習問題に出しておいた。

その解答を学生につくってもらったのだが、計算が合っていないのかと思ってチェックした。正しい答えは約1609年であるが、解答の書き方をみると16090年が正しそうに見える。

それであわてて自分で計算をしてみた。解答の記述の1.609*10^{4}年が実は10^{3}年であったので、1609年でよかったのだが、びっくりしてしまった。

ところで、この放射性元素の崩壊の半減期とかが岩波の理化学辞典とかその他のハンドブックに載っていない。理科年表が手元になかったので、理科年表には載っているのかもしれないが、理化学辞典にはちょっと探したところでは載っていないようである。

すべての定数を載せることなどできないものではあるが、これは問題ではないのだろうか。仕方なく、以前に私が使っていた原子力工学のテクストを開いて見たら、ウラン系列の中にラジウムが1602年という半減期を見つけてほっとした。

よく研究者の間で問題になることがある。それは数学や物理の公式や物理の定数が欲しいというときになかなかそれにすばやくアクセスすることが意外と難しいのである。

数学公式とか物理の公式とかでも問題になるのはよく虚数単位のiがついていたかだとか、また係数パイがついていたかとかが問題になることが多い。

どうでもいいこともあるが、実際に数値を出すときにはその係数パイがついていたかどうかで数値が異なって来るので、大事なことである。そのことで一日や2日を費やしたことがない人は少ないのではないか。

こういう訳で数学公式集とか物理公式集とか定数表とかは手元にないと科学者や技術者は困る。また、だからそういう書籍が適当な間隔を置いて出版されるのもうなづかれるところであろう。

もっとも、このごろはインターネットで何でもアクセスすることができるようになったので、以前とは様相が基本的に変わっているかもしれない。でも、望みものがいつでもインターネットで見つかるとも限らない。


打ち上げ会の成果

2010-06-21 12:42:34 | 日記・エッセイ・コラム
先週の土曜日に翻訳関係者の打ち上げ会を行った。こういうことを最後までやって仕事がやっと終わった。やれやれ。その会で医師の I さんがなかなか朗らかでかつ穏健でありながら、批判的な考えの方だということを知った。また、月に一度やっている雑談会にも参加をしてくれそうである。

主婦のYさんもなかなか活発な方であり、今回はおにぎりをたくさんつくってきてもらった。I さんも友人のTさんもあまりアルコール類を飲まれない方であるが、結構話ははずんだ。こういう市民の集まりはなかなか得られないものであるが、それぞれの立場に応じた自分の知らない、またはもち得ない見解を聞くことは楽しい。また、善良な市民感覚は大切である。

昨日は土曜からの仕事場泊まりで疲れたが、副産物として「Cauchy-Lagrangeの恒等式再論4」を仕上げた。これは前に原稿は仕上がっていたのだが、再度見直したら、記号に気に入らないところがでたので、修正をしたのである。今日はこれを投稿のために郵送しよう。

先日の大腸がん検診の結果が返ってきたが、消化器のどこかから出血しているということで精密検診が必要ということになった。夕方に内科の受診を予約した。心配なことである。


上士と下士

2010-06-20 08:52:44 | 日記・エッセイ・コラム
NHKの大河ドラマ「龍馬伝」で有名になった上士と下士という言葉であるが、これはいつかドラマの中で山内容堂公にその由来を語らせていた。それによると山内一豊が徳川家に関が原の戦で味方して、家康から土佐の国をもらったが、それ以前の領主であった、長宗我部氏の武士を下士として召抱えたという。もちろん、上士は山内家のもともとの家臣たちであろう。

ところが、この上士と下士の差別を嫌って(または滅ぼされかけて)土佐から逃れて来た一族もいたらしい。ほんの数ヶ月前に愛媛県のI市N町に住んで居られるKさんと知り合いになった。この方は山の中腹に住んで居られ、現在ではいい舗装道路が彼の家の前を通っており、車でももちろん行くことができる。そしてこの方からたけのこや山菜等をたくさんその訪問のときに頂いたのだが、それにしても山の中腹の昔は不便であったと思われるところに今も住んで居られるので、何か理由があるのではないかと思い、伺ってみた。

Kさんの家は16代も続いた旧家だということがわかった。それでさらにどうしてこんなところに住んで居られるのですかとぶしつけな質問をさせてもらったら、そのKさん答えて曰く。私の家は土佐から来たと聞いていますとのこと。多分長宗我部の一族らしいですとのことであった。

私たちは長宗我部と聞いてもそれが現代につながっているとはほとんど考えないのだが、このKさんにとってはその歴史は生きていて今もつながった話だということである。もちろん、いまでは、長宗我部家も山内家も特に差別とかあるいは地位の優位とかはまったく関係がなくなって普通の市民として暮らしている。

龍馬伝の上士と下士の語が単に知識としてだけではなく、その差別も単に支配のためであったことを身近に感じられている今日この頃である。


打ち上げ会2

2010-06-19 16:44:43 | 日記・エッセイ・コラム

打ち上げ会を夕方から行う。これは2月3月にやった翻訳の件についての慰労会である。私も入れて7人が関わった、私たちにしては大事業であった。作業のときは本当に猫の手も借りたいという風であった。

2週間から3週間にわたって私も仕事場に妻と共に籠もった。この翻訳の結果はドイツのX細胞センターの日本語のホームぺージとして反映されている。ホームページ全体にまだ私たちの仕事が十分に反映されているわけではないらしいが、いずれは全面的な反映がされるものと思っている。

もらった翻訳料はユーロ安とかでもちろんいまならもっと深刻な問題になっているだろう。結局は私たちは1ユーロ113円で払ってもらったのだが、3月末か4月はじめならば、1ユーロが118円くらいであったろう。しかし、お金の問題ではないのでまあまあだと思っている。

今日は日本とオランダのサッカーの中継が8時半からあるので、それまでに帰宅をしたいという人もいる。

18時から21時までというのが基本の時間であったが、少し開始を早めて17時30分よりとした。もっとも開業をしている医師の方もいるので18時ちょうどには全員が集まれるというわけでもない。

全員が一同に会することはなかったので、これが最初で最後の一同が一緒に会するチャンスである。

さて、もう一時間もすれば、会を始めることになるが、ほぼ用意はできている。


免許証の更新

2010-06-18 15:45:52 | 日記・エッセイ・コラム
前々から免許証の更新で今日しか時間がとれそうになった。それで午後に免許証の更新に出かけた。勝岡という松山市のはずれの方に免許センターがある。国道196号線を行って、内宮のところで左に曲がってひたすらに道なりに行くと免許センターである。196号線が混んでいたので12時過ぎに出たのだが、間にあうか心配だったが、十分に間にあった。そして30分後には更新された免許証を手に帰宅の途についていた。

これは今回から私が高齢者になったから、高齢者講習を自動車学校(講習所)で受けたために、免許証の更新のときには講習会がなくなったために早く免許証の更新ができるようになったためである。

昨年の事業仕分けでも交通安全協会が無駄とか言われたのだが、そのせいかどうか知らないが民活で講習所に交通安全の講習を任せるというので、免許証の更新の際には手続きが簡単化されたのであろう。

それはよかったのだが、交通安全協会に2千円何がしかを支払いの協力を依頼されて断ることができなかったのは残念である。そこらが、警察署のOBの天下り先だとかいわれている、交通安全協会を利してしまったのだが、なかなか断るのが難しい。