物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ようやくブログを

2023-05-31 18:05:15 | 数学
ようやくブログを書くときがきた。

一日の終わりの方、夕方なのにである。今日もメールを書くのに時間を費やした。このところメールを書く機会が多い。別に書きたいから書いているわけではない。やむに已まれず書いているのである。

それに図を描く準備の座標の計算をしていた。これをしないと図が描けないのでしかたがない。およそ座標の計算ができたので、明日には図を描くことができるかもしれない。これは昨日書いた\sin xと\cos xの図と関係がある。

普通にこれらのグラフを描くだけだったら、なんてこともないのだろうが、あまりふつうには見ない方法で描くのだ。とはいってもそう目新しいことでもないのだが。

こういう図はあまりみたことがないが、いつかはそういう図を描いておきたいと思ってきた。その準備がそろそろできかけている。

近藤康太郎さんの文章読本

2023-05-30 16:57:58 | 本と雑誌
近藤康太郎さんの「文章読本」とかいう本が出ているらしい。

近藤さんは朝日新聞のいま編集委員である。1963年の生まれだというからそろそろ新聞社の定年がくるのかもしれない。

ついさきほどまで九州は長崎の諫早だったかの支局長さんだったが、本社にもどられたのだろうか。今日4回目の文章の書き方みたいな記事がでており、この回で彼の書いた文章についてのエッセイは終わりだったが、文章の書き方などいつまでたってもわかりはしないというのが彼の一応の結論である。はにかみ屋の感じの方でそこがかえって奥ゆかしい。

「アロハで農業しました」「アロハで猟師しました」とかいった著書もあるし、これは朝日新聞で連載されていた。

「人にものを教えるようになったらブンヤはおしまい」とは彼の言葉ではなく、彼の先輩のどなたかの言い草らしいが、彼はそれを守っていきたいという感覚がある。

いつまでたっても万年新人のつもりであるとはその境地がすばらしい。

\cos xのグラフの描き方

2023-05-30 15:56:40 | 数学
なぜだかメールを書くので忙しい。別にメールを書きたいわけではないのだが、どうしてもメールを書かなければならない用が続いた。

それでどうもブログはおろそかになっている。そういうことだと自分の仕事にも支障が出てくる。大したエッセイも書いてはいないが、それでもぜひ完成しておきたいものもある。

一つは昔書いていたe-learnignのコンテンツの完成である。このコンテンツは高校数学のまとめだったが、それにかけていたのが三角関数のコンテンツである。それを以前から書いていたのだが、またそれにかかわっている。

その中まだ書き上げていないことに、三角関数のグラフをどう描くのかのアイディアがある。\sin xの方はあまり頭を使わなくてもいいのだが、問題は\cos xの方である。

考え方は単純だが、それをどうやってTikzで描くのかということである。半径1の円の動径の上方から光をあてて、その動径の射影の大きさなの変化を描けば、それが\cos xのグラフである。

\sin xのグラフは左から光をあてて、同じ円内の動径の射影を描けばよい。\sin xのグラフはそのままで読み取れるが、\cos xのグラフは普通には前のグラフを正の方向に90度回転させたものを描いている。これが普通の\cos xのグラフである。

図の回転をさせるコマンドがTikzにあったように思ってマニュアルにそれを探したのだが、まだ見つけていない。それもその\cos xのグラフは図の一部なのである。

しかたがないから、いまのところは点々を図に書き込んでいくという方式で図を描くしかないのかなと思っている。それは手数はかかるが、できないことはない。

そして、それで\sin xと\cos xのグラフを描く描き方がわかれば、\cos xのグラフは正の方向に90度回転させて見やすくしたものという説明で了解できるだろう。

\cos xのグラフは\sin xのグラフの位相を90度進ませたものだということもわかるだろうか。\cos xのグラフを天下りに与えるのが普通だが、それをひと手間加えて説明したほうがいいのではないかと思っている。

無事に84歳になった

2023-05-29 12:40:28 | 本と雑誌
先週末の土曜日に無事に84歳になった。

昨日の日曜日に朝8時から近所の側溝の掃除にでた。お隣の医師さんである、Yさんから「お元気ですね」と声をかけられたが、左の膝が痛くて階段の上り下りがなかなかままならない。

自宅の二階からの降りるくらいならいいのだが、東京の地下鉄等の乗り降りには苦労した。

すなわち、年相応にはガタが来ているということである。

珍しく妻が誕生日のケーキを買ってくれて、まがりなりにもローソクを点けて消すという儀式も行ったが、ローソクの本数は84本ではなく80本だったが、一息で消すことができた。

綴りの似た言葉

2023-05-26 16:19:20 | 本と雑誌
今日、vestige(遺跡)(ヴェスティージュ)というフランス語を知った。よく似た綴りのフランス語を知っていたことに気がついた。これはvertige(ヴェルティージュ)という語である。

こちらの方がずっと以前から知っている言葉である。こちらの方は「めまい」という意味である。なぜこんな語を知っているのかは覚えていない。

フランスで暮らしたことはないので、残念ながら普通のフランスの生活で出てくるような言葉を知らない。単に初級のフランス語で出てくるようなフランス語の言葉の端々を知っているというに過ぎない。

これが私がラジオのフランス語講座で何年も学んでいるに過ぎないことの欠点が出ているだけだが、いまさらフランスに住むことなど夢のまた夢であり、そういうことは決してあるまい。それにそういう経済的な余裕ももちろんない。

もうすぐ6600件の投稿

2023-05-26 13:08:48 | 本と雑誌
いま6598件の投稿だと記事一覧を調べたときに見た。これは6599件目の投稿だろうか。

これだけ書きも書いたりであろう。あまり面白くもないブログを読む退屈人(失礼、もとい趣味人)もおられるということだろうか。

ベクトルの「ベクトル三重積の記憶法」だとか「波の速度よりも速く動く波源」とかはあまり知られていないが、役立つらしくよく読まれるブログであるらしい。

「波の速度よりも速く動く波源」はこういうエッセイを私自身が書いていてもよさそうであるが、どこにも書いていないと思う。いずれはそういうことも書いておきたいのだが。

また、ブログ開設から3186日だという。これを365でわれば、8.7となるので8.7年と出るが、これはgoo blogに移ってからの年数であろうか。ocnの時代がさらに何年かある。2005年の4月末にブログをはじめたので19年くらいたったということである。

(2023.5. 26 付記) 今日投稿数6600回を記録した。一年にほぼ300回の投稿が可能だとすれば、6600/300=22年ということになるのだが、現実はほぼ19年のブログ生活である。特に最近は短い投稿が多いので、読みやすいのではないかと思っている。

道をあらわすフランス語

2023-05-26 11:56:05 | 外国語
フランス語には道をあらわす語が多い気がする。これははじめてフランス語を大学3年で学んだとき(ほぼ60年くらい前)に感じたことでもあった。ところが最近その道を表す語に新たな1語が加わった。l’ artère (ラルテール)である。この語の意味は「幹線道路」である。この語は母音ではじまっているから、性が分らないが女性名詞である。

学生のときに聞いた言葉で言えば、l'avenue (ラヴニュ)「並木道」とかle boulvard (ル・ブルバール)「環状道路」とかがある。さきほど仏和辞典を引いてみたが、こういう訳はついていないが、それぞれそれらしい説明はあった。boulvardの方は都市の城郭の後につくられたとか、avenueは並木のある道とかである。

もっとも普通に使われる語としてはla rue(ラ・リュ)であろう。これは普通の都市の中の道である。la rue de Jean-Paul Sartreとかである。実際にこういう道路が、例えばパリにあるのかどうかは知らない。勝手に即興で私がつくった道路名である。

他にどういう名の道の名前があるか。「小道」とでも訳すべき道le chemin(ル・シュマン)がある。これは舗装されていない道だそうだ。先ほど辞書で知った語にla route(ラ・リュート)もあった。これは都市と都市を結ぶ道だそうだ。「街道」との訳もあった。

道を表す名詞には女性名詞が多い。cheminとboulvard以外はすべて女性名詞である。なお、boulvardの最後のdは発音しない。大抵フランス語では原則として語尾の子音は発音しない。

だが、いくつかの子音は発音するので、その語はcarefulと覚えればよいと教えられる。c, r, f, lの4つの子音は発音されることが多いからである。

(注)フランス語の後ろのカタカナは私の感覚でつけた発音であるので、フランス語の達者の方は無視してほしい。たとえば、la route(ラ・リュート)と発音をつけたが、これをルートと変えようかとしばし考えたが、ルートでは日本語の音の方が勝ってしまい、なかなか本当の発音に近くはないと判断した。

カナで発音を書くこと自体がご法度なのかもしれないが、言葉は基本的に音なので、音を知らない人に少しくらい間違っていてもどう発音するのかわからないよりはましという考えである。

(2014.4.2付記)
la langue(ラ ラング)は言語という意味ももちろんあるが、いま仏和辞典を調べても見たが、舌という意味の方が先に出ている。

langue de chat(ラング・ド・シャ)というフランスのお菓子もあるが、これは直訳すれば、「猫の舌」である。英語でも母語のことをmother tongueと言ったりするが、これも直訳すれば、「母の舌」となる。

ちなみに私は母国語という言葉は使わないで、母語を使うようにしている。これは言語学者、田中さんの教えに従うようにしたからである。

田中さんのお名前もその著書の岩波新書のタイトルも忘れたが、関心のある方は岩波新書で検索してみてほしい。

元旦が日曜日の年は何年に1回起こるか

2023-05-25 13:44:51 | 数学
朝食後に妻が元旦が日曜日の年がどれくらいの頻度で起こるかということを話し始めた。

彼女としては30年に1回くらいで起こるのではないかと思ったらしい。しかし、そんなにまれなことではなくて、もっと頻繁に起こるらしい。

仮に閏年が存在しないとすれば、1年は365日である。そして、この365日を一週間の7日で割ると1年は52週と1日となるから、毎年元旦の曜日は1日ずつずれるであろう。

(参考)
365=7*52+1
366=7*52+2

だが、実際には4年に1回の閏年が存在しており、この年は1年が366日となる。この年には1年は52週と2日となる。そうすると閏年のつぎの元旦は曜日が2日ずれることになる。

詳しいことはもっと詳細に検討しなければならないが、ほぼ6年か7年ごとにこういう元旦が日曜日の年が現れることになる。

こういうことが予想されるということに私たちの結論はなった。妻は昔の手帳を取り出してきて、その年の元旦が日曜だった年を書き上げた。

妻の書き上げた年をあげてみると

1978, 2012, 2017,2023

があった。それに悪乗りして1978年から2012年までの間の欠けているところを私も昔の手帳から書き出してみた。

それによると

1984, 1989, 1995, 2006

であった。1995年から2006年まで間が空きすぎている。まちがいである可能性もあるが、やはり手元に残っている手帳では元旦が日曜になる可能性のありそうな2000年は元旦は土曜日である。この年は閏年であって次の年2001年の元旦は日曜を通り越して月曜日となっている。それで1995年から2006年までは元旦が日曜日にはならなかったらしい。

もっともこれは私の記録まちがいの可能性もあるが、いまのところこういう調査結果である。

もう一度わかる範囲での結果を順に並べておく。

1978,1984, 1989, 1995, 2006, 2012, 2017,2023

である。

年金者組合

2023-05-24 12:54:58 | 本と雑誌
私は年金者組合という団体の組合員ではないが、妻が組合員である。

そのためか愛媛支部の会報だか文集かに私のブログからいくつかを取って掲載してくださるということで編集者の方が、私の原稿を選定して、かつ、縦書きにして下さった。それは4ページほどのエッセイとなったが、どこかにこのブログ以外で掲載されるということはこれがはじめてである。

それで編集者の Y さんには感謝の気持ちしかない。清書された原稿をeメールでおくってくださったので、今校正をしたところである。

編集者はeメールで送り返されることを期待されているのだが、私はあまりワードで文章を書いたことがないし、ましてやそれをパソコン上で校正するということなどしたことがない。

仕方なく、プリントした紙面に朱筆を入れて修正をした。文章はおおむねいいのだが、少しは手を入れた。文書はいくら見てもなかなかこれでいいということにはならない。

昔、先生というか大学院で研究指導をしてくれた方が「文章を読み直すといくらでも修正したくなるので、どこかで打ち切りにしなくてはならない」といわれていた。学生のころはそんなことはあまり思わなかったが、そういうことを実感するこの頃である。

インフルエンサー

2023-05-23 10:34:53 | 数学
インフルエンサーなどと書くとインフルエンザの書き間違いではないのという読者の声が聞こえそうだ。

インフルエンザとインフルエンサーとはよく似た語である。インフルエンザはもう説明がいる人はいないだろう。

だが、インフルエンサーの方は説明が必要だろう。そういう英語が本当にあるのかどうかはいま辞書にあたる暇はない。それで話を続けよう。

自著の『物理数学散歩』(国土社)がほとんど売れなかった一方で、インターネットではそれの無料PDFが配布されていた。完全に無料なのかいくらか結局は支払うシステムになっていたのかは知らない。

これらの複数(5,6くらいのかなり多く)のサイトはある方の努力でようやくなくなったのだが、いまでもそのシステムがどこかに存在しているかもしれない。それはともかくも私の手元には数百部の『物理数学散歩』の残部が残っている。

それでそれをどうPRして売ることができるかどうかという話を東京にいったときに子どもたちと話し合った。そのときに子ども口からインフルエンサーという語が出てきた。

要するにある本の価値等を判断できてそういうことをどこかで述べてくれる人がいれば、その本の価値がようやくわかるのだという。こういう人は人に影響を与えることのできる人という意味で、インフルエンサーという。

もともと英語のinfluenceは影響という意味の英語だが、fluenceはある種の流れでその中に入ってくるとその流れが乱れるということから、influenceは影響という意味なのだと、これは大学時代に英語の先生から聞いた覚えがある。

ちなみに、He  speaks fluent English (彼は流ちょうに英語を話す)とかのfluentも流れるようにという感じがある。

ちなみに私の別の著書である、『四元数の発見』(海鳴社)であるが、こちらも1年によく売れて70冊くらいだということであったが、ここ数年に比較的よく売れて昨年の11月に第2刷が出た。

これは結城浩さんの『数学ガールの秘密ノート 複素数の広がり』(SB Creative)と松岡学さんの『数の世界』(講談社ブルーバックス)に引用されて、この2書がインフルエンサーとして働いたのではないかと思っている。

これらの本の著者がそれぞれの本を書く大きな動機を私の本が与えたのだとは考えているが、逆に私の本の売れ行きを押し上げた可能性も大きい。






続・私は根気がない

2023-05-22 12:00:14 | 本と雑誌
今回は「続・私は根気がない」だが、この根気というのがかなり限定された普通の意味での根気であるらしい。

今月で136回となる雑談会を8月を除く毎月開催しているし、このブログだって2005年の4月末からだから、およそ18年続いて書いている。

それに2009年末から始めた「数学・物理通信」だって13年は続けている。これは私には根気を使ってしている事柄ではない。

それにラジオのフランス語講座とかドイツ語講座とかもこれはもう45年くらいは続けて聞いている。もっともフランス語もドイツ語も今もってカタコトしか話せないのは才能のなさであろうが。

これらは私には根気とか努力のいることではない。だから私は根気がないというときの根気は何かに関心を持続するための自分の持続心がないという意味である。



5月の子規の俳句

2023-05-20 13:19:04 | 本と雑誌
早くも5月も半ばを過ぎた。私の家族は5月生まれが大半である。妻も私もそれに子供の一人もまた孫も5月生まれである。子規の俳句とは関係ないことを書いてしまった。

 Im wunderschoenen Monat Mai ・・・・ (この美しき5月に・・・)

何が起こるか。世間は昨日今日は広島でのG7のサミットトークの報道でいっぱいである。

さて、子規の俳句は 

 木の末をたわめて藤の下がりけり   子規

その英訳は

 the branches weighted by
   the hanging
   wisteria clusters               Shiki (1896)

wisteriaという語は知らなかった。いま英和辞書を調べたら、藤とあった。こういう日常よく知られた語でも対応した英語を知らないのだと知った。

私は根気がないが、好奇心は強い

2023-05-19 13:08:23 | 数学
「私は根気がない」と昨日書いた。これはまちがいがない。そしてそれは私の欠点の一つである。ではわるい性質ばかりしか私はもっていないか。そういうことはない。

好奇心が強いと思っている。もちろん、ここでいう好奇心は「知的好奇心 ( mental curiosity)」 のつもりである。どこそこのスターやタレントがスキャンダルを引き起こしたというようなことに好奇心が強いという意味ではない。

昔、「自然」という自然科学系の雑誌があったが、その中で物理学者の故朝永振一郎さんがアメリカの大学に留学する学生の推薦状を書くときに、この知的好奇心が強いということが推薦状の項目の一つにあると書かれていた。

およそ半世紀も昔のことで、そのころにはまだ日本では知的好奇心という語もまだあまり使われていなかったと思う。その後、私たちも知的好奇心という語を肯定的な意味で使うようになったと思う。

物わかりが私は悪い(すなわち頭がわるい)ので、自分で納得できるためにはいくつかのちがった方法で理解したいと思うようになった。

その最初の動機は研究において、自分のしている研究がまちがっていないことを確かめるためにできるだけ別のチェックの方法があれば、そのチェックをしておきたい。

そういう風に考えたのが始まりのような気がするが、そのうちにあまり研究などしなくなって、教育上の教材のいろいろの理解の仕方を探したいという風になってきた。ということで現在に及んでいるという次第である。

普通の人なら、三角関数の還元公式についていろいろな導出をあえて考えるなどという人は少ないだろう(注)。

それくらい人は学ぶことに、また、研究に忙しいのである。それがわるいということはない。なぜなら、新しいことを研究する人や思いつく人にはしなくてはいけないことはとても多いからだ。

(注)「三角関数の還元公式」とはひょっとしたらあまりなじみない用語かもしれない。三角関数の余角の公式とか補角の公式とか、または、それに類似の公式のことである。一つ、二つ例を挙げれば

 \sin (\pi -\theta)=\sin \theta
   \cos (\pi -\theta)=-\cos \theta

の補角の公式とか

 \sin (\pi /2 -\theta)=\cos \theta
   \cos (\pi /2-\theta)=\sin \theta

の余角の公式とかがある。

私は根気がない

2023-05-18 12:12:07 | 数学
私は根気がない。

これは自分の性質であるからどうしようもない。それで数学エッセイを230編以上書いてきたが、なかなか体系的なことができないのが、私の欠点である。

いま数学エッセイを230編くらい書いてきたと書いたが、これは前のエッセイの修正版を多く含むから、正味の数はもちろん200編までは行かないだろう。

ともかく、系統的なことができないのは私にとっては大いに痛手である。だが、思い直してみてその点をもう自分で認めたほうがいいのではないかと思うようになった。

初期の数学エッセイは『数学散歩』(国土社)に収めて自費出版したが、これは38編の数学エッセイ集であった。大学を退職する機会に自分の書いた数学エッセイ(物理に関係した記事も少数はあるが)を、周りの人に読んでもらいたいという気持ちからであった。

その後も自分たちで発行する、メール配布の一種の雑誌「数学・物理通信」に毎号ではないが、かなりの数の数学エッセイを書いている。本職は物理の教師であったから、物理のことを書くのが普通だろうが、私は数学ができないので、それをまずはなんとかしたいというのがこういう風になった。

退職後にe-Learningのコンテンツをつくったりしていた後に、友人の数学者 N さんが松山に住むようになり、発行を始めたのが、「数学・物理通信」であった。これは2009年の年末であった。

その前にかかわっていたe-Learningのコンテンツは高校数学のまとめであったが、この中に三角関数の章が書けていないから、不完全である。それで出版するにはなじまなかった。

ということで、いまは三角関数の未完稿をきちんと完成させたいと思っている、今日この頃である。

「仕事を子供に残すな」

2023-05-18 11:18:37 | 本と雑誌
「仕事を子どもに残すな」と妻に言われた。

これは先日の日曜日に東京で子どもに久しぶりに会ったので、もしか私が急病で死ぬようなことがあったなら、お願いということで子どもにお願いごとを話したら、それを聞いていた妻に、後で「仕事を子どもに残してはいけない」と言われた。

私にしても別に自分でできなかったことを子どもに仕事として残すつもりはないのだが、万が一を思ったのだ。しかし、妻はそれが気に入らなかったらしい。

それで自分のしたことのまとめをこれからしなくてはいけない。