物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

試験の答案から

2008-07-31 11:34:30 | 受験・学校

28日に試験を行った。正規の問題を3問出したが、それでは心もとないので3問救済問題を出した。正規の問題に答えられなかったときに1問だけ救済問題から選択をして答えられる。

昨年も同じように出題をした。救済問題は2問は純然たる物理の問題で1問だけ講義を受けて印象に残ったことを述べよという問題である。残念ながら、昨年同様にこの設問を選択したがほとんどであった。

しかし、そのためにある程度授業の評価がわかる。辛口の批評を書いたからといってそれがよくできた評ならば、悪い点を与えたりはしないが、誰もそういう危険を犯す学生はいないようだ。それでこの試験の答案はもちろん大割引で読まなければならないのは承知している。

だが、物理を高校で学んだことがない人でも物理的な考え方を知って楽しくなったとか興味をもったとかいってくれると少しは教師として役に立ったのかなと慰められる。というのは授業の後のアンケートではわからないという学生が3-4割いたと思うからである。

もちろん、授業アンケートでもよくわかったといってくれた学生も3割か4割はいた。中には授業の後でそのアンケート用紙を整頓してくれた学生もいつもではないがいた。

微分積分の初歩を教えてから物理の授業に入ったが、今年はあまりそれに対して反発はなかった。むしろそれが棒暗記をしなくていい方法なのだとその意図を正しく理解をしてくれた学生もいた。

微分積分も数学でやるような教え方ではない。もっと即物的に教えている。物理と数学とは不即不離の関係にはあるが、やはり数学とは違うと思う。

授業プリントの注釈をわさびのようだと評価をして楽しんでくれた学生もいたし、ある演習問題の解答をつけずに参照する書物だけを書いておいたのにそれを探して読んでくれたと思える感想もあった。それは授業で教えたことではないが、その意図を十分に汲んでくれたという点で評価できる。

力のモーメントで回転式のドアの回転軸のところから取っ手のところまでの距離を示すためにチョークで線をドアに書いたが、そういう教え方を評価してくれた人とか机をひょいと持ち上げて斜めに傾けてその斜面上でチョークを転がせて見せたことなどが印象に残っているという学生もいた。

慣性質量の概念を理解させるためにプリントで私のスズキワゴンRを何人かで押してみようとかいてそれを実際にやってみたらいいのですがねといっておいたらそれが面白かったといってくれた学生もいた。

エントロピーも何回も質問の出た事項だったが、最後の試験のときは出席番号順に座席が指定されているので、こういうときはエントロピーは小さいのだなと思ったという感想もあった。

もちろん、これは彼らが単位を取るための一つの方便であって、全部が全部をまともにうけとめるべきではないだろう。しかし、先生というのはいつも暖簾を押しているようなものであるから内心ではうれしくないはずがない。

しかし、彼らの好意的な反応にもかかわらず、試験を通してみた物理の理解度は残念ながらまだまだ低いと思う。でも、彼らの心に物理に対する恐怖心を打ち破る小さなひび入れることができたかなと思う。


夢をみる

2008-07-30 19:13:57 | 日記・エッセイ・コラム

なんだか知らないがときどき夢をみる。先日は妻が東京に行って数日居なかったので、自炊をしていた。とはいっても1回だけ米をたき、2回か3回おかずを作って食べたというそれだけのことである。

そのときにあまりお小遣いをもっていなかったのだが、新聞代を月末ということで取りに来たので3000円ほど払った。そうすると残りが財布に3000円になった。そして、野菜や惣菜を買ったら1000円だけ財布に残った。

その夜のことアルコール飲料をどこかで買った夢を見た。それもミニボトルを買ったのだが値段を気にせずに買ったところ友人が6000円だという。もちろん1000円しかもっていないのでその場で払うことができない。そうすると友人が交渉してくれて1年以内に払えばいいということになった。ところでその約束事を書いた紙片をみたら、1年以内に払えなければその10倍の値段を払わなければならないとあった。

それでどうしたかは夢にはなかったが、夢から覚めて思うのにどうものミニボトルはどうもウイスキーであった。私はワインなら飲むが、ウイスキーはほとんど飲まないのでなぜウイスキーのミニボトルを買ったのかわからない。

先日にワインパーティをしたときに、三越に行ってワインのdemi-boutteilleを2本買った。そのときの1本の値段は2500円くらいであったから、2本でも5000円くらいのものである。

なんで6000円もする飲みもしないウイスキーのミニボトルを買った夢を見たのか不思議である。多分お小遣いをあまりもっていないというのが強迫観念となっていたのだろうか。

ウイスキーを飲まない証拠といってはなんだが、誰かがパーティーのときにもってくれたレミーマルタンが1本戸棚に残っているが、いつまでたってもなくならない。また、いつかパーティのときにでも開けて誰かに飲ませようと思っているが、この頃はレミーマルタンをありがたがるような人はいないと思うとますます腰が重くなる。


灯油の燃焼

2008-07-29 11:04:52 | 物理学

昨日の温度勾配に続いて経験したことを述べてみよう。30年ほど前になるが大学の宿舎に住んでいた。子どもが小さくてまだがさがさ部屋の中を這い回っていたころのことである。当時はまだ灯油のストーブを使っていたが、子どもがそのストーブの燃焼部分を触ってストーブから取り出してしまい、本来円筒形になっているべき部分が楕円形にゆがんでしまった。それでも別に支障は感じずに使っていたのだが、気がつくと部屋が煤でくろんずんで来ていた。

それでやっとおかしいということに気がついたのだが、どうしてだかわからなかった。そのストーブを購入した電気屋さんに聞いてもわからなかった。そのうちに妻がどうも円筒形になっていなくて楕円形にひずんていることを思い出し、電気屋さんに新しい燃焼部分を注文したらやっと煤が出なくなって部屋がくろずむのが止まった。

ちょっとしたゆがみにしか思えなかったが、それは灯油の燃焼にとってはちょっとしたゆがみどころではなかったわけである。どうもそういうところの感覚が私にはまったく欠けている。

それで思い出したのだが、学生の頃帰省していたときに夏になって柱時計が遅れ気味になった。母が私に遅れないように振り子の錘の位置を調整するように頼まれたので、1センチくらい錘の位置を上げたら、これは進みすぎていけなかった。そして母に笑われた。暑さで時計に振り子が伸びたのだから、ほんのわずかしか錘をあげるしかない。それをまったくわかっていなかったという私はお粗末な物理科の学生であった。

要するに生活とか実際とかについて考えることなしに本の上で物理を学んでそれを現実の世界や実生活で適用するということを考えたことないはなはだナンセンスな感覚だったというわけである。いや、昔のことに限らない。いまでも多分そうなのだろう。こういう欠陥は私に一生つきまとっている。


温度勾配

2008-07-28 08:48:13 | 物理学

私の仕事場(オフィス)は東向きである。だから朝日が差し込むので夏は午前中は通りに面した東側のこのパソコンのあるところはとても暑い。この仕事場のなかで西側から東側に動いてくると明らかに温度勾配があるのがわかる。

西側はそれほど暑くはなくて風も通れば、涼しく感じるがちょうど真ん中くらいから熱さを感じてくる。温度計がないので、どれくらいの温度差があるかは定量的にはわからないが、5度くらいの差があるのではないだろうか。

よく熱学で直方体の物体を書いて左端が熱く、右端が冷たいという場面を想定した話を黒板に描いて説明するのだが、ちょっと状況は違うが、部屋の空気の温度勾配がこれほど顕著に感じられるのはめずらしい。

これは体験的な物理の場面としてこれほどのいい例は少なかろう。場所、場所によって室内の温度が変わっているとき、それを温度場という。

温度場はスカラー場の例としてよく引き合いに出されるが、普通あまり室内での温度差がない場合だとスカラー場といわれても部屋全体がほぼ一様の温度となって実感としての温度場という概念がそれほど感じとれないだろう。

因みに場とは場所、場所によって何かある数とかベクトルとかが決まるような場所の関数を物理では場(field)と呼んでいて、これは物理の重要な概念の一つとなっている。

その例としては電場とか磁場とかがある。これはある場所で電場ベクトルとか磁場のベクトルが決まるので、ベクトル場といわれる。


独創性は少数者にあり

2008-07-27 23:30:18 | 学問

昨日、インターネットの理論物理というサイトで湯川秀樹博士の出たテレビの放送の一部が出ていた。それを見ていて直接に湯川博士から聞いたことを思い出した。

「独創性をもったものはあくまで少数者である」という信念は終生、湯川博士のもち続けたものであった。物理学の研究においても流行があるが、その流行を追うことを彼はよしとはしなかった。

自分がよしとしなかったのみならず、若い学者が流行を追うことを快くは思っていなかったと思う。東大の物理の研究者に違和感を持ち続けたのはそのためでもあったろう。

東大ばかりではない。アメリカの物理のその当時の先端をきっていた物理学者のGell-Mannについてもあまり評価は高くなかったと思う。それは一つには道なきところに道をつけたいと思ってひたすら困難に立ち向かっている自分への自負心のせいかもしれない。

将来の評価はわからないが、湯川博士の後半生の仕事は実を結ばなかったし、将来に生きるとも現在のところは考えられていない。しかし、それでも自分の信じるところを貫き通すという気概はすごいものがある。天才といわれる由縁であろう。

(2024.4.8付記)湯川と呼び捨てで書いていたのだが、いくら歴史上の人物とはいえ、ちょっと私自身が偉そうに思われてもいけないので、博士と敬称をつけた。

気持として歴史上の偉大な人物と感じていることはまったく変わらないのだが。

表現法の違い

2008-07-26 11:42:56 | 学問

このテーマについて論じることは学問の分野に入れていいのかどうか迷ったが、一応学問分野に入れた。

これはドイツ語のクラスに出て来られているある大学の哲学の先生Mさんから聞いたのだが、このごろはラジオがなかなかいい番組を放送しているらしい。日常はテレビしか見ないのでラジオがどのような放送をしているか関心がなかった。NHKの深夜というか早朝4時からの番組がいいのだという。M先生はだから、この4時から5時の番組を聴取してからお休みになるとのことである。

それで考えたのだが、ラジオはもう時代遅れと思っていた方にはもう一度考え直す機会が必要だということである。もちろん、スポーツ中継でもラジオよりもテレビの方が情報量が多いことはいうまでもない。

たとえば、大きさを言うときにはラジオでは50センチ位とか言葉に出して言わなければならない。それがテレビだとそれを映しさえすればいい。その違いは決定的である。

それで思ったのだが、たとえば、新聞は以前は白黒の印刷でカラーの写真など印刷できなかった。ところが現在はカラー印刷はふんだんに入るようになった。それで確かに情報量は増えた。花の微細なカラーを味わうことができるようになった。

だが、当然のことだが、動画は新聞には載せることができない。テレビでは動画を写しことができる。それでときどき視聴者の撮影した映像だとかニュース映像を放映している。断然それで情報量が多くなっている。ところが情報量が多すぎると散漫になるという点もある。

たとえば、数学とか物理とかの概念や定理を学ぶのにその教材をつくるということがあるが、そのような教材はテレビやラジオの放送で済むと考える人は少ない。なぜなら、概念をわかるということはなかなか時間がかかることだからである。

コンピュータの関係でも動画は長年難しかったが、このごろはyou tubeとかで動画を見ることもできるようになり、どこかの大学の授業もyou tubeの動画で見ることができる時代になったが、それでは終わりにはならない。そこが面白いところである。


コンビ二

2008-07-25 11:19:59 | 社会・経済

コンビ二は24時間営業のお店である。最近この24時間営業を見直そうとする動きがあるが、経営者とか従業員の勤務条件を考えると深夜営業を見合わせるのは当然という気がする。

ところが、一方こういうお店など薬にしたくともないヨーロッパではそういう便利な24時間営業のお店は驚異の的らしい。このコンビ二も日本文化の一つと考えるべきなのだろうか。

明々と照明が真夜中でもついている店は防犯のための場所だという意見もあれば、そういう場所があるからコンビニ強盗が起きるという意見もある。

そのどちらもうそではないだろうが、やはり24時間営業する必要はないというのが、世間の常識的見解ではないだろうか。

コンビニに依存して生活している若者の意見は違うのかもしれない。


イッセーおがたのつくりかた

2008-07-25 11:07:31 | 芸能ネタ

「イッセーおがたのつくりかた」講座というのが子規記念博物館で開かれている。開催行事オタクの妻が知人のOさんと出席をした。この講座では参加者は若い人が多かったらしいが、「老人を演ずる」というテーマで話が進んだらしい。

妻の知人のOさんは記憶力のいい声の大きなご婦人である。昔のことを思い出そうということで話が進むとこのOさんの抜群の記憶力がものをいったという。昔は水は井戸からとっていたとか、トイレは屋内と屋外にあったとか。自分の住んでいたところには井戸がなく、泉から水を汲んでいたことを思い出した。また嫌な人はいたかといわれて嫌な人はいなかったとか、いい人は自分の亡くなった主人であったとかいわれたという。

そういう風にうまく話が運んできたのでイッセーおがた氏ものりのりになってみんなに喜んでもらえたらしいとは同伴した妻の話である。

イッセー氏はロンドンかベルリンで一人芝居をやったりして、演劇意欲の旺盛な演劇人である。この数日は松山に滞在して子規記念博物館でこういう講座をやっているらしい。

毎日、電車で博物館まで通っていると妻のもらってきたニュースにあった。毎晩こういうはがき大のニュースをホテルに帰ってつくっては出しているのであろう。その努力には頭が下がる。

なんでも一生懸命にやっている人はなんとはなしにそれが伝わってくるものである。関心のある人は参加してみられてはどうでしょうか。


篤姫と脚気

2008-07-24 11:00:02 | 日記・エッセイ・コラム

NHKの大河ドラマ「篤姫」が好評で視聴率が高いという。これは戦いの場面の多い大河ドラマで久しぶりにそういう殺伐としたことが少ないからであろう。また篤姫が強い女性として描かれているいうのも現代のイメージにあっているとのことである。

ところでドラマでは将軍家定も亡くなり、天障院篤姫となったらしいが、そのつぎの将軍家茂も家定と同じ脚気で亡くなるのだという。このことを科学教育が専門の板倉聖宣が脚気の歴史についての講演記録をインターネットで読んだ。

ドラマでそういうことに触れているのかどうかは知らないが、脚気はその当時は恐ろしい病気でいまのガンに罹るよりも恐れられていたのだという。

板倉によれば、脚気は西洋にはない病気であったために西洋医学を修めた医者が手を焼いたばかりではなく、漢方医の治療法をなかなか認めなかったために脚気の治療法の確立が遅れたのだという。

一見合理的思考に基づいていると考えられていた者達が自分に都合の悪いデータや資料を抹殺してしまったらしい。権威主義恐るべしである。


ブログを毎日書くこと

2008-07-23 12:40:35 | 日記・エッセイ・コラム

ブログを毎日書くことは誰にも強制されたわけではないが、書くのが習慣になると書かずにはおれないようになる。とはいっても今日のように書くテーマがまったく浮かんで来ないこともある。

テーマを日々見つけることは日記をつけるよりも難しいのではないだろうか。日記なら、それは自分の生活がなくなるということはないのだからそれを書けばいい。

ところがブログは日記みたいのものではあるが、やはり自分の感心したことや自分にとってなにか目立った(auffallend)ことを書きたいと思う。実はauffallendというドイツ語のほうが思い浮かんだのでそれを日本語に目立つと訳したのである。

私は日ごろの人との会話でおしゃべりの方ではない。むしろ無口の方である。おしゃべりの人は文章を書くのが下手というのが通り相場である。文章を書くのとおしゃべりをして楽しい人とは多分同一ではない。それだけブログを毎日書くことはそんなに容易なことではない。

今日書こうと思っていたのは、しかしそれではなかった。今思い出したのだが、私たちのテニスクラブは特にフォーマルなクラブではないが、1回500円で参加ができる。もっとも紹介者が必要なので誰でも入れるわけではない。

それにあまりに上手な人はご遠慮を願っている。だからかどうかわからないが、ゲームも勝ちぱなしということもないが、負けがずっと続くということも少ない。そして人数が多いので、4ゲーム先取のno advantageを採用している。

それでゲームをしていても3-3でそれもまたdeuceになることが多い。そして結局その最後の一本で勝負が決まることが多いのである。負けた方も勝った方もそれなりの達成感がある。

もちろん、クラブの中には抜群に上手な人が少数はいるのだが、それらの人も上手に私たちにつきあってくれている。上手な人は一日の間で数ゲーム彼ら同士でゲームをして思い切り力を出している。それ以外は忍耐強く初心者に付き合ってボールを返してくれる。それがクラブがうまく行っているおおもとなのであろう。

自分が楽しむためにはまず他人を楽しませなくてはならない。これが私たちのテニスクラブの示した教訓である。


今治西の敗退

2008-07-22 12:16:44 | スポーツ

5期連続甲子園出場をしていた今治西高が準々決勝で敗退した。帝京高校の投手は好投手だったらしい。帝京は気勢が上がっているだろう。

しかし、5期も連続で甲子園出場したことを誉めるべきであって、負けたことをせめるべきではなかろう。どこの高校も甲子園出場をかけていつも猛練習をしている。いつも同じ高校が出場するのは望ましいことではない。

実は私はもう半世紀ほど前の今西の卒業生であるので、卒業生としては常に今西に勝ってほしいという願望がないではない。だが、いつでもそういう不運なり、幸運なり、はたまたドラマがあるのが人生だと思うのである。

そういう点ではどういう結果がでようとそれが精一杯やった結果ならば、いいではないかと思う。愛校心がないようだが、あまり狭い意味の愛校心にとらわれたくない。

愛校心に富んだファンはどの高校にもいるのだから、チャンスを他の高校に今回はあげたのだと思うことにしよう。


マンガアニメとシャワートイレ

2008-07-21 13:47:44 | 日記・エッセイ・コラム

先日の日独協会の講演の後の懇親会で女子学生が言っていたのがシャワートイレのことだった。日本の文化としてマンガがよく読まれているのは全世界共通のことだが、ドイツではマンガカ(漫画家)という新しい職業までもができているらしい。

ところでと、この女子学生は言う。ドイツ人がドイツの日本料理店に行って感激することの一つがシャワートイレだという。あるドイツ人が日本に来たのだが私のところにはシャワートイレがなかったので、あるデパートまで出向いて用を足し、感激していたという。

トートーだとかイナックスだとかのメーカーさん、ご自分たちの販路が洋々と開けていることをご存知なのだろうか。もちろん、ご存知でしょうね。

もっとも日本文化が以前は浮世絵、歌舞伎、能だとか普通の日本人があまり知らないものであったが、カラオケ文化を経て、最近はアニメ・マンガといったものになっている。これは少なくともヨーロッパ全体にいきわたっているらしい。その古い方の文化にも新しい文化にも疎いものとしては少々困惑を感じる。

「そんなものにしか日本文化はなかったの」ともいいたくはなるが、しかしインパクトを与えているのはそういうものだという。トヨタの車だとかホンダの車に乗って、日本のカメラで写真をとり、ソニーのテレビを見るのも一方の現実だろうが、どうもそういうものを越えた時代が来ている。

この間ドイツ語のクラスでドイツ語風にゾーニーと発音したら、ドイツではソーニーで通っていると先生のR氏に言われた。

湯川の中間子論とか朝永の超多時間理論にわくわくしたヨーロッパの若者の存在は半世紀以上の昔のこととなってしまった。


大洲の鵜飼

2008-07-21 13:15:20 | 日記・エッセイ・コラム

生まれて初めて昨夜大洲の鵜飼の見学に家族や友人たちと出かけた。大洲市の観光協会がやっている乗り合い船に乗り込んでの数時間での鵜飼の見学である。

もっとも鵜飼そのものは10分程度であったが、まじかで鵜飼を見ることができた。それで鵜飼のことを紹介すべきなのだろうが、印象に残ったことは直接は鵜飼に関係することではない。

小さな川舟に18時30分頃、乗ってまず食事の弁当を食べた。少し暗くなって明かりをつけると虫が来るからというので早々に弁当を平らげた。

そのときにいくらか上流まで船を上げてから、ゆっくりと流れにまかせて下るのである。それもできるだけ流れの遅いところを進むか進まないかの速さで下る。ちょうど川が曲がっているところは瀬になっているとかでほとんど水が流れてはいないという。

ゆっくりと下るものだから時間がゆっくりと流れているようで日ごろのせわしい日常を忘れさせるようなひとときである。川の水は船端のすぐそこにある。久しく味わったことのない感覚を味わうことができた。

さぎがいるとか、鮎が水面をはねたとか船頭が教えてくれる。川のそばに山があり、その濃い緑がいい。落ち着いた雰囲気で静かである。寿命が延びるという表現があるが、寿命が延びそうな気がする。

今日の新聞によると昨日の日中には大洲市は38.2度の猛暑であったらしいが、夕方は涼しくなっていた。見学が終わって帰宅すれば、10時を過ぎていた。


愛媛日独協会総会

2008-07-20 12:14:13 | 日記・エッセイ・コラム

昨日愛媛日独協会の2008年度総会があった。講演が2つあって、どちらもなかなか興味深いものであった。

一つはフライブルクに一年留学していた学生の報告で写真がたくさんあってどういう交友活動があったかがわかった。どこでもそうだろうが、パーティーで料理が出て飲み物があってということで盛り上がっていたようである。

交友もそこから広がる。特に女子学生は料理も得意であろうから、そういうときに腕をふるって大いに交流を深めたらしい。すばらしいことである。男性ならこうはいかないのではないか。

議論の仕方や意見発表(いわゆるプレゼンテーション)の仕方まで教えてくれる友人ができたという。

もう一つの講演は「ドイツのいま」という感じのもので、なかなかリアルに現在のドイツがどうなっているかの一面を覗かせてくれた。この講演をしたのはドイツ語の先生でインターネットでの情報を仕入れてきて面白おかしく話をしてくれた。こういう講演にもその人の人柄や性格がでてくる。

この講演をしたUさんは私の長年の友人でもあるが、いつもひょうひょうとしていて面白いジョークや皮肉を言っている人であり、また自分で歌をつくってときどきはギターをひいて自前のコンサートをするというタレントでもある。


鏡の中の像はなぜ左右反対か

2008-07-20 00:01:54 | 物理学

標記のことについてあまりごちゃごちゃしたことを言わないで簡単にわかるように説明したものを知らないと先日書いたが、ファインマンについての随筆を書いたサイトがあって、そこに多幡達夫さんという方の説明があり、今度読んだらわかった。

簡単に説明をできることかどうかはわからないが、自分で読んで理解することができたので、物理学者である多幡さんの説明を私も支持をしたい。

「ファインマン」で検索をしてみれば、そのサイトは出てくる。ただ、普通の人が読んでわかるかどうかはわからないので、それをわかりやすく解説をすることは必要だろう。

この話については雪の研究で有名な中谷宇吉郎博士の随筆や数学者の矢野健太郎氏の随筆とか、はたまた物理学者の朝永振一郎氏の随筆とかがあって材料には事欠かない。また、岩波書店から「鏡の中のミステリー」だったかという題で1冊本を書いて出した人までいる。

多幡氏の説明は朝永さんの説明とよく似ているかまたは同じなのではなかろうか。皆さんも一つお考えになってはいかがでしょうか。

私のように左右の区別がわからない人間にはどうでもいい話のようだが、好奇心をそそられる話ではある。この謎を始めて聞いたのはもう50年近い昔で電磁気学を教えてくださったT先生が一年上の学年の人の試験問題に出したのかまたは授業で話題にされたのを一年上の学生から聞いたのだった。

その頃はまだ朝永さんのエッセイは出ていなかったと思う。中谷さんのエッセイは出ていたかもしれないが、私は読んではいなかった。矢野健太郎博士のエッセイも出てはいなかったのではなかろうか。ちょっと書庫の古い本を引っ張り出してくればわかることではあるが、面倒くさい。

鏡の謎を聞いたよりはあとだが、40年前ごろに「私は左右の区別ができないのです」といったら、ある方に小さいときに左利きから右利きに矯正されたからではないかといわれた。多分それはあたっているだろうが、私には意識するような記憶はない。

しかし、普通食事のときのナイフは右で、フォークは左で持つ人が多いだろうが、私には反対にもつことにあまり違和感がなかった。いまではそうではないけれども。