サンクチュアリ

美味しい物・綺麗なもの・楽しい事

無鉄砲再び?その1 ( 大晦日 芭蕉天神宮 再訪  1 )

2014-09-01 07:06:17 | 不思議紀行
 ちょっとした連想から時々、だんなさんと私の話題になる「大晦日の芭蕉天神宮」
日曜日、お天気も良さそうでしたので、ちょこっと行ってみることに・・・。

『   芭蕉天神宮由緒

 祭神 右大臣菅原道真公(903年没)・右大臣久我長道公(1334年没)

この道は由比より甲州街道に至る塩の道です。明治大正時代は参謀本部の通達道路として、清水郡役所と内房役場に結ばれておりました。
時は後醍醐天皇の御代建武の改革を図る記録所を設けて国の政治を行いました。其の時の三役の一人が久我長道公で天皇から重要されました。
天皇は鎌倉幕府の横暴を許さず新田義貞に命じて倒幕に成功を納めました。後醍醐天皇は兼ねてより富士宮浅間大社を深く信仰しており戦勝報告に大納言久我長道公を勅旨として派遣されました。
富士宮浅間大社第二十一代宮司富士時国氏に奉幣式を取り行い富士下島郷の水田を浅間神社神領として奉納されました。1334年旧9月3日と印されています。任務を終えた久我大納言は白馬に跨り帰途につくも大晦日に至り持病の仙痛脱傷の発作を起こしました。付人里人八方に手を配り看護のかいもなく亡くなられました其の時、久我大納言は付人里人に対し「予は菅原天神を敬う此の地に祠を建て余も共に祀ってくれ」と遺言されました。時は旧9月9日でした。
天皇政治の大立者重臣として国中より惜しまれ大社殿が建立され大祭日には国鉄に祭典列車の運行も記録されて居ります。

御神徳 学問成就 神体健全 子孫誕生 家業繁栄

平成十九年二月吉日
                           芭蕉天神宮 名誉総代 望月旭建立』     (案内看板より)

 当時はともかく、現在は、本当のほんとの山の中なのです。


     
     山は台風の影響か? 所々でかなり荒れた様相・・・。前回のこともあり、迷いつつも突き進むだんなさんと私。 


 ここには5年ほど前にも訪れています。その時の様子は、以前のご紹介のページ その1その2その3を見てね。

                                                       つづく