サンクチュアリ

美味しい物・綺麗なもの・楽しい事

新しい家

2015-02-28 07:33:03 | つれづれなるままに
 takaさん(娘のだんなさん)と娘が、お家を買いました。


     
     日当たりのよいリビング

 まだ、お荷物はジュータンだけ、すっきりしている時に写真を撮りました。
takaさんのお勤めをしている会社は、住宅の補助がなく、娘たちは、高いお家賃を払っていくなら、自分たちのお家をと考えたようです。
なにもかもが理想通りとはいかないまでも、戸建て、日当たり、お庭など、自分たちの希望通りの家が手に入ったようです。
私は、一泊でお引越しのお手伝いに行って、久し振りに娘ともゆっくり過ごすことができました。お手伝いと言っても、いつもながら私は、たいして役に立たないので、まあちょっとした賑やかしということです。
自分たちの若い時よりもずっとしっかりしているな~と妙に感心したり、仲良く過ごしていってほしいな~とか私の思いは、あれやこれや・・・。
新しい家、自分たち色に作り上げていけますように・・・。おめでとう~。


一足お先に・・・。 その10( 金沢駅 )

2015-02-27 06:21:52 | 建物紀行
 再度、「城下まち 金沢周遊」のバスになって「金沢駅」に向かいました。


     

     

 おもてなしドームは、圧巻の大きさ、明るい日差しが射しこむ駅前は、着々とたくさんのお客様をお迎えする準備が進められているようです。kaoも私もお土産を買い込み、時間のことも気になったので、お弁当も買いました。
バスに乗ってホテルに戻ると、集合時間までには、なあんとまだ1時間ほど時間がありました。そこで、近くの公園でお弁当を頂くことにしました。

     
     豆餅なども売っていた「すゞめ」というお店のお弁当

 公園の木々には、すずめたちが群れていて、可愛い声を聴きながら美味しく頂きました。ご馳走様でした。
後から、前の日撮った写真の中に、「金沢 能楽美術館」で「刀剣と能 小鍛冶」のポスターを見つけ、時間があったので、この展示を見てくれば良かったと後悔しきり・・・。惜しいことをしました。
雪深い白川郷、墨絵のような風景は、日本の原風景、ただそこに在るだけで、素晴らしいものでした。いろんな楽しみ方ができる金沢、古さと新しさ、どちらも魅力的で、何度でも訪れたい街でした。
 さて、これで、仲良しのkaoと出かけた「雪景色の白川郷・古都金沢」のバス旅行のお話はお終いです。
お付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。お疲れ様でした。
kao、楽しかったですね。色々ありがとう~。またどこかへ出かけましょうね。
                                                   
                                                      おしまい
     

一足お先に・・・。 その9 ( ひがし茶屋街 散策 )

2015-02-26 06:23:45 | 建物紀行
 『   ひがし茶屋街

 卯辰山山麓を流れる浅野川の川岸には、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。五木寛之著「朱鷺の墓」の舞台としても知られています。また、平成13年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、「街並みの文化財」として保存策が進められています。』(金沢旅物語ホームページより)


     
     朝の「ひがし茶屋街」


     
     お荷物のお届けは、「ネコロジー」


     
     風情ある路地を歩きます。


      
     このとうもろこし?のお飾りみたいなものは・・・?

『   観音院の祈祷とうきび 

 仏様には色々なご縁日があり、観音様のご縁日は十八日、地蔵様のご縁日は二十四日とか、古くから云われておりますが、室町末期以降このほかに功徳日が設けられ、この功徳日にお詣りすると百日に向かうとか、千日に向かうとか、同じ功徳にあずかると云われ、いわば特別日として広められてきました。観音様の功徳日で日数の一番多いのが七月九日で、この日にお詣りすると四万六千日分に相当すると云うことで、江戸時代からこの日のお詣りが盛んになってきました。』(観音院ホームページより)

 旧暦の7月9日に観音院で頂いた「祈祷とうきび」を玄関に吊るしておくと無病息災、家内安全、商売繁盛するとか・・・?商売をされている方は、毛(ひげ)の多いものを選ぶとか・・・? 「もうもうと毛がある」と「儲けが有る」をかけているとか・・・?
面白いお話満載の「祈祷とうきび」ですが、なぜ「とうきび」なのかはどこにも書いてなかった・・・???
主計町でも玄関に吊るしてあるのをいくつか見ました。色々な風習があるものですね。


     
     小さな狛犬たちがお守りする芸妓たちの鎮守の神様「菅原神社」
     

     
     この日は、目つきの悪いこの上なく可愛いクロネコが護っていました。


     
     朱色っぽい色合いが素敵な街並み


     
     1820(文政3)年に創立された「お茶屋文化館(旧 中や)」

 ここは、お荷物は、ロッカーに入れ、撮影は禁止なので、残念ながら写真はありません。
2階の客間の壁は、弁柄の朱色、独特な鮮やかさが目に残る群青色で、非日常的な雰囲気が漂っていました。
1階の中庭には、水琴窟があり、清らかな音を響かせていました。金・銀・珊瑚を贅沢に使った簪や櫛、蒔絵のお道具など、どこか懐かしく煌びやかなお品が並んでいました。
この群青色、どこかで見たような・・・?知りたい方は、以前のご紹介のページを見てね。 


     
     昭和な雰囲気 


     
     1909(明治42)年創業のレストラン「自由軒」


 ここには、何年か前の夏にだんなさんと訪れています。夏のひがし茶屋街の様子は、以前のご紹介のページを見てね。


                                                        つづく

一足お先に・・・。 その8 ( 主計町を歩く 2 )

2015-02-25 06:23:52 | 建物紀行
 さて、浅野川沿いの道から一本奥に入ってみることにしました。


     
     尾張町の旦那衆が、人目を忍んでお茶屋さんに足を運んだという「暗がり坂」

 さあ、昔の旦那衆の気分で(朝だけど?)この坂を下ってみることにしましょう。(まずは上がらなきゃ・・・。)


          
          大きなケヤキの木のある「久保一乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)」 この境内を抜けて・・・。

  
      
     「暗がり坂」を下って・・・。


     
     格子の綺麗なお茶屋街に・・・。 

 そして、この「暗がり坂」と並行するように「あかり坂」があります。


      
     作家の五木寛之氏が作品の中で命名したという「あかり坂」  確かにこちらの方が日当たりが良さそうです。


     
     左側、約1200年も前の大昔、弘法大師によって建てられたという伝説のお寺「源法院」 


     
     浅野川大橋から「主計町」を望む。桜の咲くころに訪れてみたい。


 さて、浅野川大橋を渡って、「ひがし茶屋街」に向かいます。


                                                        つづく

一足お先に・・・。 その7 ( 主計町を歩く 1 )

2015-02-24 06:24:37 | 建物紀行
 さて2日目、いつもよりたっぷりの朝食を頂いて、昨日「クロネコほっとステーション」で頂いた「城下町 金沢周遊 時刻表 ルートマップ」を片手にバス停まで歩きます。これさえあれば、金沢の観光地はほぼ行くことができるという優れものなのです。
「広坂・21世紀美術館」のバス停で、始発の「城下まち 金沢周遊 左回りルート」のバスを待ちます。


     
     金沢21世紀美術館の近代的な建物

 「橋場町」のバス停で降りて、いよいよ「主計町(かずえまち)」に向かいます。

     
     1929(昭和4)年築。高岡銀行の後は旧加州相互銀行浅野支店、旧石川銀行橋場支店として使用された「金沢文学館」

 この文学館には、金沢ゆかりの「五木寛之氏」の全著作が保管されているそうです。

    
     
     お城の防衛のために造られた 「金沢城惣構掘跡 東内惣構堀枯木橋詰遺構」


     
     浅野川大橋のたもとから主計町(かずえまち)に入って行きます。


     
     浅野川沿いに並ぶ風情ある街並み


      
     それぞれ違った趣をみせる細い路地


     
     昔は、橋を渡るごとに一文支払ったことから別名「一文橋」とも呼ばれた、白木作りの歩行者専用の「中の橋」

     
     
     お城の防衛のために造られた 「金沢城惣構掘跡 西内緑水苑遺構」

 
 「主計町」は、1869(明治2)年に開かれた茶屋街で、ひがし茶屋街、にし茶屋街とともに大店の旦那衆の社交の場として栄えたそうです。「主計町(かずえまち)」の名は、 藩政中期、後期に小松城代や算用場奉行をつとめた加賀藩士で郷土史家の富田景周(とだかげちか)が著した「越登加三州志」に富田主計重家(とだかずえしげいえ)の上屋敷があったことにちなむと記されていたとのことです。

                                                        つづく

昨日は、すっかり春のような暖かさ。お勤め先で熱心にラジオ体操をした息子。何となく汗ばんでしまい、
「また、熱が出たのかと思って焦った・・・。」
とお目出度いことを言っていました。
 春はそこまで来ていますね。

一足お先に・・・。 その6 ( 夜の兼六園 )

2015-02-23 06:23:06 | 不思議紀行
 食べ放題の夕食で、お腹がいっぱいになった私たちは、ライトアップされているという「兼六園」に歩いて行ってみることにしました。
途中、いかにも金沢らしいお籠を発見。

     
     お気軽で親切な観光案内所兼休憩所「クロネコほっとステーション」

 ここは、19:00までだったようなのですが、ちょうどお片付けをしているお店の方がいらっしゃって、次の日のバスのこととかお聞きすることができました。ホテルの方もそうですが、どの方もとても親切で、有難かったです。
さて兼六園に向かって歩いていくと・・・。

     
     大きなシイノキのシルエット 「しいのき迎賓館」

『   しいのき迎賓館

 長く石川県政の歴史を刻んできた旧県庁をリニューアルした「しいのき迎賓館」。正面は大正13年(1924)建築の格調ある意匠をそのままに、反対面は現代的なガラスの空間に生まれ変わりました。樹齢約300年(推定)の“堂形のシイノキ”をシンボルに、周辺の総合観光案内や、レストラン・カフェ、会議室、ギャラリーなどの憩い・交流の空間を備えた施設として、金沢の都心に新たなランドマークが誕生しました。』(しいのき迎賓館ホームページより)

 この建物には旧帝国ホテルで使われたタイルと同じ「スクラッチタイル」が使われているそうです。静岡県内でもこのタイルが使われている建物があります。旧二俣町役場
後から調べていて知ったのですが、シイノキのあるこちら側は、建てられた当時のまま、反対側(金沢城公園側)は、ガラス張りの建物だそうです。ここもゆっくり見てみたかったかな?
さて、夜の兼六園、二人で歩いてみましょう。(私愛用のカメラは、コンパクトタイプのデジカメなので、暗いのに滅法弱く、もちろん腕もないので、ライトアップの写真は、雰囲気だけ、お楽しみください。すみません。)

『   兼六園

 兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つとして知られ、加賀藩五代藩主・前田綱紀の時代から、およそ180年もの歳月をかけて造られた。
 文政5(1822)年に松平定信が「兼ね備えることが不可能な六勝が共存している」という理由で、兼六園と命名。
六勝とは、広々とした「宏大」、静寂と奥深さが漂う「幽邃(ゆうすい)」、人の手を加えた「人力」、古びた趣の「蒼古(そうこ)」、水を表す「水泉」、眺めのよい「眺望」を指す。』(まっぷる 北陸・金沢より)


     
     「兼六園」入り口 (真弓坂口)


     
     池の中にももう一つの世界が広がる幽玄な風景


     
     黄金色の雪吊りと徽軫(ことじ)灯籠


     
     13代藩主・斉泰(なりやす)が琵琶湖から種を取り寄せて育てた黒松「唐崎松」


     
     見事な枝ぶりの松が黄金色に輝く


     
     盛り上げた土に松を植え、成長後に土を取り除き、根をあらわにしたという「根上松」


 夜の兼六園、暗くて不安だった私たちも、灯りや係りの方に導かれてぐる~っと一周することができました。大きな石の橋を渡る時には、係りの方が足元を照らしてくださって、安心して楽しむことができました。
”雪景色”を期待していたのですが・・・。雪のない、あまり寒くない兼六園もとても素敵でした。
 ホテルに戻って、おしゃべりしながら・・・、金沢の夜は更けてゆきました。

                                                       つづく

一足お先に・・・。 その5 ( 長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策  )

2015-02-22 08:34:47 | 建物紀行
 この日の夕食は、18:00~、私たちがホテルに着いたのは、16:30頃だったので、少し休んで、お出かけすることにしました。
2日目は、朝から13:00までがフリーということなので、(希望者はオプションで、市内観光に連れて行ってくれるそうですが・・・)私は、その半日で、「長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策」という計画を立てていました。
夜、時間があったら「主計町(かずえまち)」と「ひがし茶屋街」の街並みを見てみたいとも思っていましたので、フロントで伺ってみることにしました。
「長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策」は、1時間あれば大丈夫、夜の主計町とひがし茶屋街は、普通の街灯くらいしかなく、お茶屋さん以外のお店は閉まっていること、「兼六園」はライトアップされていて、歩いて行けることなど親切に教えて頂きました。
そこで、計画変更、夕食前に「長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策」に出かけることにしました。


     
     薦(こも)かけされた土塀

『   薦かけ

 薦かけは、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分の表敬津による土の剥がれを防いでおり、毎年12月から翌年3月まで、設置され、”金沢の冬の風物詩”となっています。』(案内看板より)


     
     大野庄用水、石垣、薦かけされた土塀、雪つりなど、”金沢”の風景

『   大野庄用水

 【延長】約10.2km

 【完成年】不明

 【成り立ち】灌漑、物資運搬、防火、防御、融雪などの多目的用水だが、金沢城築城に大きな役割を果たしたと伝えられている。旧宮腰(金石港)から大量の木材を運ぶために造られたことから、御荷川(または鬼川)と呼ばれていた。ちなみに、当時、木倉町には木材集積所や材木蔵があり、ここで資材を荷揚げし貯えていたと思われる。旧戸板村・旧鞍月村・旧大野村・旧金石町を灌漑している。

 【現在】犀川桜橋の上流右岸地点で取水している。長町武家屋敷周辺では土塀沿いを流れ、その流れは今でも屋敷内庭園の曲水に利用され、時折、ホタルも見かけられる。また用水沿いの縁台に鉢植えを飾っている家もあり、その風情は金沢の伝統景観そのものである。』(金沢市ホームページより)

 完成年は、不明とあるが、別の資料によると、
『金沢で最も古い用水で、天正年間(1573~92)に富永佐太郎によって完成したと伝えられています。』とある。なあんと400年以上前に造られていたことになります。現在も悠々と流れる水に豊かさを感じます。


     
     武家屋敷跡 黄昏時  中級武士たちが、今でも住んでいそうな雰囲気。


     
     武家屋敷跡「野村家」 残念ながら16:30までなので、内部は、見学できませんでした。



 このあたりを西に向かい、「鞍月用水」に沿って夕暮れの「せせらぎ通り」を歩きます。

『   鞍月用水

 【延長】約14.6km

 【完成年】正保年間(1644〜48)

 【成り立ち】名前の由来は、鎌倉時代から室町時代に存在した鞍月庄にもとづいている。藩政初期の正保年間(1644〜48)に改修されたという記録が残っているが、いつ頃から流れているのかは定かではない。水力を利用して菜種油を採る目的や灌漑用に造られたらしいが、当初は水量も少なかったため、犀川に堰(油瀬木の名が残る)を設け水量を豊富にしたと伝えられている。その後、一部区間は金沢城の外堀(西外惣構堀)に利用された。明治に入ると、油車町周辺では油絞りに代わり、精米・製粉用の水車が増加。昭和初期までその姿が多数見られたという。また、里見町と柿木畠の境には、用水を利用して軍用の旗や指物を染めていた茜屋があり、橋名の由来となった。さらに明治〜大正期に、中央小学校近辺では、当時全国第二の規模を誇った金沢製糸場の原動力として利用されていた。その後も、撚糸・機業・精錬業など近代工業に不可欠な存在だった。旧戸板村・旧鞍月村・旧弓取村を灌漑している。

 【現在】犀川上菊橋の上流右岸、城南2丁目地点で取水している。平成5年、柿木畠界隈では開きょ化・ポケットパーク整備が完了し、平成11年、香林坊〜高岡町間で、開きょ化・私有橋の整理が行われるなど中心市街地に潤いとにぎわいがよみがえりつつある。』(金沢市ホームページより)


      
     お店に入っていく橋が同じなので、統一感のある景観になっています。


     
     武家屋敷跡に続く道  こちら側が現在、進むと江戸時代にタイムスリップ?


     
     「せせらぎ通り」 ネーミングも素敵ですね。

 大きな交差点(109のビルがありました)まで戻ってきました。


     
     暖かい光に包まれる赤レンガの建物  「石川四高記念文化交流館」     


     
     金沢のメイン通りかな? 香林坊あたり


     
     ホテル近くのお店屋さん 鞍月用水沿いになるのかな?


 「大野庄用水」沿いの武家屋敷跡、「鞍月用水」沿いのせせらぎ通り、過去と現在(少しレトロな雰囲気)、そして109などのビルの立ち並ぶ風景、どの風景もここで暮らす人々の日常です。
武家屋敷の中や尾山神社を見学できなかったこと、せせらぎ通りで是非見てみたかった建物を見ることができなかったことなど、少し心残りでしたが、早めに切り上げてホテルに戻ることにしました。(kaoも私も遅刻が苦手なので・・・。)


                                                         つづく

     

一足お先に・・・。 その4 ( タイトルのこと )

2015-02-21 07:36:43 | つれづれなるままに
 さて、この日のお泊りは、金沢市内のホテルです。


      
      3月14日開業の北陸新幹線 


      
      市役所前の電光掲示板 「新幹線が春を連れて、やってくる」 ついに一ヶ月を切りました。


      
      金沢駅のおもてなしドーム


 開業日当日の一番列車の切符が25秒で売り切れたというニュースを見て、しばらくは、新幹線フィーバーで、たくさんの人が訪れることになるのでしょう。
うふふっ、私たちは、一足お先に金沢の町を闊歩することになりました。
・・・という訳で、今回のタイトルは、思わせぶりな題名でした・・・とさ。
 早めに金沢市内に着いたので、次の日に立ち寄る予定だった「金箔工芸館」(お土産物屋さんだった。)に寄って、ホテルに着きました。

                                                         つづく

一足お先に・・・。 その3 ( 白川郷 )

2015-02-20 06:29:09 | 建物紀行
 私たちが見てみたかった「白川郷」に着いたのは、13:30過ぎ、なあんと富士駅を出発してから、7時間も経っていました。この間、3回ほどの休憩がありましたが、後は、バスの中で、食べて、おしゃべりして・・・、早くもkaoとの旅を満喫?しました。

     
     雪がいっぱい


『   白川郷・荻町集落

霊峰白山から流れ出る白水谷を水源とする大白川が、庄川と合流するとき白く濁ったことが地名の由来といわれる白川郷。その流域に点在する集落の中ほどに位置するのが荻町集落です。庄川の右岸の三日月形をした段丘にあり、世界遺産に登録された3集落の中では戸数152戸の最も大きな集落です。
集落の全域に山麓の林の一部を含む約45.6haが重要伝統的建造物群保存地区として保存され、歴史的景観が維持されています。合掌造り家屋59棟のほか、寺院本堂、庫裏、ハサ小屋、板倉などの伝統的な建物や神社の社叢、水路などが保存すべきものとして特定されています。
ゆるやかな勾配とどっしりとした量感から醸し出される存在感のある様式が特徴で、毎年春先には、集落の人たちが協力して行う茅葺き屋根の葺き替え作業が見られ、季節の風物詩となっています。
今も、昔ながらの生活の息づく、山間の小さな集落です。』(合掌街道より)


     
     吊り橋を渡って「荻町集落」に入って行きます。

  
     
     吊り橋は、凍っていて(その上混んでいて揺れた・・・)かなり怖かったです。


     
     墨絵のよう・・・。

     
     
     吊り橋近くの「秋葉神社」 小さな雪だるまがたくさん奉納されいます。


               
               雪に埋もれた合掌造りの家


     
     道路の除雪は完璧?


     
     雪、すごい!


     
     あちらこちらに雪の山が・・・。


     
     屋根は茅葺き、一階に庇をつけた珍しい「明善寺鐘楼門」 屋根の上は雪でこんもりしています。


      
     防火のための「防火銃」と消火栓


『     合掌造りの家屋を守る放水銃

昭和46年に「荻町集落の自然環境を守る会」が発足し、合掌造りの家屋を「売らない」「貸さない」「壊さない」に基づいて保存運動を推進しています。この運動の一環として、放水銃の設置が進められました。

合掌造りの家屋は、火に非常に弱く、1軒でも出火した場合、飛び火により集落全体が焼失してしまう恐れがあります。そこで、360度回転する放水銃を設置しました。なお、景観を損なうことのないよう収納箱の屋根を合掌造り風に製作しています。

現在65ミリ消火栓放水銃が荻町地区に59基あります。この59基の水源は600トンの貯水槽です。約80メートルの高低差を利用した自然流下式で、高さ30メートル余りまで放水できます。なお、川を挟んだ小呂地区にも16基ありますが、水源は別となっています。合掌造り1軒に1基の放水銃を設置していますが、最大規模の和田家にだけ2基設置してあります。合掌造りの家屋は、茅葺きの中に火が入ると消火するのが困難なため、放水銃は消火するためではなく、主に周辺家屋からの類火を防ぐために使用します。』(白川郷村役場ホームページより)


 随所に工夫が見られる合掌造りの集落でした。この懐かしい風景を、春・夏・秋、季節を変えて見てみたいと思いました。
それにしても、日常の生活を営みながら、このような風景を残したことは、すごいことだと思いました。


  建物紹介   白川郷 合掌造り 荻町集落  岐阜県大野郡白川村荻町
                           ☎ 05769-6-1013(白川郷観光協会)

                                                         つづく
   


  

一足お先に・・・。 その2 ( 雪 )

2015-02-19 06:22:55 | 不思議紀行
 選択肢の少ない中で、申し込んだのは、一泊のバス旅行、それも破格のお値段? でも仲良しのkaoと一緒なら、バスのなかでのおしゃべりも楽しそうなので、えいっと申し込んだのでした。
富士駅6:30出発、途中、静岡駅、掛川駅、浜松駅などに立ち寄り、その日の観光は「白川郷」のみ・・・。
東海北陸自動車道は、トンネルの多い高速道路で、トンネルの入り口には、「出口 雪 注意」の表示があり、トンネルを一つ抜けるごとに、雪が深くなっていきます。あれよあれよという間に、すっかり雪景色。


     
     ひるがの高原SA 大きなかまくらが作られていました。


     
     雪の山 除雪した雪がうずたかく・・・。


     
     一面の銀世界です。

「ひるがの高原」は、ソフトクリームが美味しいとのお話でしたが、なんだかこの雪を見たら、寒そうで・・・。私たちは頂きませんでしたが、ウキウキ!ソフトクリームを片手にバスに帰っていらした方がちらほら・・・。
久し振りに見るたくさんの雪、その迫力に圧倒されるkaoと私でした。


                                                           つづく