サンクチュアリ

美味しい物・綺麗なもの・楽しい事

初めてのドライブ旅行 その11 ( 道の駅 ハピネスふくえ )

2013-11-30 07:27:57 | 美味しいもの
 萩の町から津和野へ抜ける道は、
「今年7月の豪雨の影響で、通れない道があるかもしれないので、旅館で道路状況を確認してください。」
とレンタカー会社の方からアドバイスを受けていたので、萩本陣のフロントで伺ったのですが、どうやら大丈夫そうです。
走り始めてすぐ、「道の駅」を見つけ、早くも一休み?です。


     
     道の駅 ハピネスふくえ 駐車場から大きな木を眺める・・・。(この道の駅の写真は、撮り忘れてしまった。)


     
     「ぶち うまいよ!」と書いてあった「いももち」とお隣のポン菓子も買いました。


     
     素敵な瓶に入ったスカッシュも買いました。


 書いてあった通り「ぶち(とてもって意味かな?)美味かった」です。スカッシュも爽やかなお味でした。飲み終わっても素敵な瓶が捨てられず、持ち帰ってきました。 



  施設紹介   道の駅 ハピネスふくえ  山口県萩市福井下 4014-2
                           ☎ 0838-52-0356


 修学旅行の学生たちで賑わっていた「萩の町」と違って、すれ違う車も少なく、
「道を間違えたかな?」
と二人で、何度か不安になってしまいました。


     


     


     


     


 今回の旅行の移動の中で、一番長い時間の「萩~津和野」(一時間半位)でしたが、kaoとナビのおかげで、無事に迷うことなく津和野に着くことができました。


                                                  つづく


 昨夜遅くに息子が帰ってきました。教授から「モーターショー」のチケットを頂いたので、だんなさん(父)を誘って、出かけるようです。車大好きな息子は、初めて行く「モーターショー」をとても楽しみにしています。
私も一緒に行って、どこかで遊んでいようかと思っていたのですが、仲良しのkaoのお宅に誘われて遊びに行くことにしたので、二人でのお出かけとなりました。


 

初めてのドライブ旅行 その10 ( 伊藤博文 旧宅・別邸 )

2013-11-29 07:17:39 | 建物紀行
 車は、「松陰神社」に停めさせて頂いたまま、徒歩で、「伊藤博文旧宅・別邸」に行くことにしました。


     
     伊藤博文旧宅のお隣には、伊藤博文の像が建てられています。(もしかして萩焼?)
     


          
          木造茅葺き平屋建て、29坪のこじんまりした旧宅


                 
          どんな子供時代を過ごされたのかしら?


          
          お風呂もトイレもお外なのですね。

 旧邸のお隣には、別邸が移築されています。

『別邸は、伊藤博文公が明治40年(1907)に東京に建てたもので、当所へ、玄関、大広間、離れ座敷の三棟を移築しました。』(「城下町 萩を歩く」より)

     
     
     文久3年(1863)ロンドンで撮影された「長州ファイブ」(萩博物館蔵)

 「長州ファイブ」 左から 初代外務大臣 井上馨(29歳で密航)・造幣局長 遠藤謹助(28歳で密航)・鉄道庁長官(鉄道の父)井上勝(21歳で密航)・工部卿(工業の父)山尾庸三(27歳で密航)・初代内閣総理大臣 伊藤博文(23歳で密航)
 
 萩観光協会の方から送って頂いた中に「萩藩英国留学生 長州ファイブ -近代化に挑んだ5人の萩藩士ー」という資料があり、このロンドンで撮られた写真と、立場を得てからの写真が載っていました。どの方も、信念を持った生き方をした良いお顔になっていました。
密航という書き方をされていますが、萩藩としての派遣のようです。
ここ萩では、歴史は教科書の中ではなくて、町そのものに存在している感じでした。


 宮大工 伊藤満作の手による「別邸」の一部(玄関、大広間、離れ座敷の三棟)を移築したとのことですが、東京府下荏原郡大井村(現品川区南部)からこの萩の町まで運んでくるとは・・・? 萩の町の方々は、どれほどの情熱を持っていたのかしら?
・・・とちょこっと違う方向の見方をしながらの見学です。
     

     


     


     


     


     


     


     


     


     
     別邸から旧宅を望む  


     
     鏡天井

『鏡天井
 元々昔は平らで大きい板を鏡板と呼んでいたので、この天井は鏡天井と言われています。
この板は紀伊半島の山中、奈良県の吉野山で発見された「吉野杉」(=Japanese Ceeder)で、稀に見る無節無傷、樹齢約千年の価値ある杉板です。見えている部分の板1枚の実測値は、幅145cm、長さ366cm、厚さは3cmです。
東京品川にあった時にはこの板はつながっていて1枚板だったが、トラックに積めないのでやむを得ず切断したという逸話があります。
なお隠れて見えない部分を含めると元の1枚板は、縦1088cm、横202cmの大きさだったとか。』(説明看板より)
 

  施設紹介   伊藤博文 旧宅・別邸  山口県萩市椿東 1511-1


 さて、まだまだ、見て歩きたい「萩の町」ですが・・・。取りあえずこのあたりで切り上げ、kaoが行ってみたいと希望していた「津和野」に向かうことにしました。
「萩の町」には、いつになるかは未定ですが、まだ一度も訪れたことのないだんなさんと一緒に、再訪するつもりです。
萩八景遊覧船、萩城跡、鍵曲、萩藩御船倉、笠山、明神池、大照院、萩反射炉、等々、ゆっくり、じっくり、歩き廻ってみたいと思います。

                                                   つづく



初めてのドライブ旅行 その9 ( 旧松本村 松下村塾、松陰神社 )

2013-11-28 07:21:03 | 不思議紀行
 東光寺を見学した後、もう一度「萩本陣」前を通り、「松陰神社」「松下村塾」前の駐車場に向かいました。今度は、きちんと停めることができました。


     
     大きな幟旗の奉納された「松陰神社」


『松陰神社は、

松陰神社御祭神   吉田矩方命(よしだのりかたのみこと)

松陰神社の御祭神、吉田矩方命(以下松陰先生)が殉節されてから31年後の明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われました。このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立されました。これが松陰神社の前身であります。』(松陰神社ホームページより抜粋)



     
     吉田松陰が身分や階級にとらわれずに教育を行ったといわれる「松下村塾」


     

『松下村塾

 木造瓦葺き平屋建ての50㎡ほどの小舎で、8畳の講義室・10畳半のひかえの間・1坪の土間部分から成っています。松陰がこの塾で教えた期間はわずか1年に過ぎませんでしたが、身分や階級にとらわれずに門下生として受け入れ、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋、山田顕義、品川弥二郎ら、明治維新の原動力となった多くの逸材を育てました。』(萩観光ガイドより)


     
     吉田松陰 幽囚ノ旧宅 (実家である杉家)


     
     松陰神社 拝殿


      
     逞しい狛犬


     
     松陰神社 本殿


     
     吉田松陰が東北遊歴の際に訪れた「会津藩校日新館」の縁故により、献木された「櫂(かい)の木」



     
     松陰神社北側に鎮座する「松門神社」


『 昭和31年(1956)には、旧社殿を新社殿北隣に移し、松陰先生の塾生、門下生を御祭神とする末社・松門神社が建立されました。平成22年(2010)、松陰先生御生誕180年記念に10柱を追合祀し、現在その御祭神は52柱であります。』(松陰神社ホームページより)


     

    
      
     明治41年(1908)9月 門下生 渡邊蒿蔵 建立の狛犬


     
     松陰神社のおみくじは、こんなに可愛い傘の形でした。


 30年以上前、初めて見た「松下村塾」は、私の目には、”ほったて小屋”にしか見えず・・・、なんとなくがっかりしたことを覚えています。同じ建物を見たはずですが、長い月日は、私の中の何かを変えていたようで、かえって大きな息吹きを感じることができました。
 それにしても、お墓参りをするということと、神社として祀られているのを参拝するということは、ずいぶん違うことのように思うのですが・・・。それだけ、地元では、特別な方なのだと感じました。



  神社紹介   松陰神社  山口県萩市椿東 1537



 住宅メーカーのCMで、「萩の町」が映し出されます。元気な子供たちが手をあげる映像の掲示物には、

『 今日よりぞ幼心(おさなごころ)を打ち捨てて 人と成りにし 道を踏めかし

     (今日から、親に甘えていた気持ちを捨てて、友と交わり自己の道を生きていこう。) 』

と書かれていたような・・・・。吉田松陰が甥っ子の元服の時に送った歌だとか・・・。


                                                  つづく

初めてのドライブ旅行 その8 ( 旧松本村 東光寺 )

2013-11-27 07:17:55 | 不思議紀行
 初めてのドライブ旅行の2日目、この日は、午前中、旧松本村の散策です。旅行社の作ってくださった日程表では、お宿に車を置かせて頂いたまま、徒歩で巡るようになっていたのですが、「萩本陣」は高台にあることもあり、おばさん二人は、急坂を上がるのが嫌で、車で巡ることにしました。まず、松下村塾と松陰神社に行こうと走り出しましたが、駐車場への入り口が分らず、そのまま走ると「東光寺」に行き当たりました。朝の清浄な空気の中、お寺も良いかな?ということで、こちらを先に見学することにしました。

『沿 革

  萩市大字椿東字椎原にあり山号を護国山といい、元禄4年(1691) 萩藩三代藩主 毛利吉就が建立しました。吉就は若くして深く黄檗宗(おおばくしゅう 禅宗の一派)に帰依して、京都府宇治市、本山黄檗山万福寺に範を求めて広壮な堂宇を建立し萩出身の高僧慧極道明禅師を開山に迎えました。
 吉就の没後ここに墓所を営み、毛利氏菩提寺となりました。黄檗三叢林の随一と称され、文化年間の最盛期には全山塔40棟を数えたといいます。』(頂いたパンフレットより)



     
     元禄6年(1693)頃の建立の「総門」


     
     文化9年(1812)建立の「三門」


     
     元禄7年(1694)頃の建立の「鐘楼」


     
     元禄11年(1792)建立の「大雄宝殿」


 中国明時代の末から清時代の初めにかけての黄檗伽藍様式で、伽藍配置は龍の形を表わしたものと伝えられているそうです。


     
     創建当時の鬼瓦(棟を整え、魔除けの意味を持つ) 



 大雄宝殿裏の、「毛利氏廟所」に向かいます。

『毛利家廟所
 
 萩藩主3代吉就、5代吉元、7代重就、9代斉房、11代斉元並びに各夫人10墓の外、枝葉近親者20余墓があり、藩主五公、吉元の嗣子宗元の業績を記した神道石碑6基、華表5基、重臣諸家のより献上した石灯籠約500基が整然と立ち並び、周囲には老杉檜の大樹が生い茂り森厳な霊域であります。』(頂いたパンフレットより)

 秀就以下2代から12代までの偶数代の藩主と夫人及び一族の墓所は、藩士たちが寄贈した600数基の石灯籠とともに、臨済宗南禅寺派の「霊椿山 大照院」にあるそうです。
何故? 菩提寺が二つ、それも宗派が違うお寺なのか???不思議な気がしますが・・・。特別な理由があるのかもしれません。
  

     
     朝日の中、立ち並ぶ石灯籠は、圧巻です。     


      
     神仏習合の名残り? 鳥居があります。

 墓石の大きさ、荘厳な雰囲気から、特別な場所だということを表すための鳥居なのかもしれません。
30年以上前に萩を訪れた時、ここは、強烈な印象を残した場所でした。それは、他のツアーのバスガイドさんの説明の中の、毛利氏が、当時当たり前に行われていた「殉死」を禁じ、代わりに石灯籠を奉納させたというお話でした。まだ若かった私は、「毛利の殿様」、天晴れと感動してしまいました。
 朝日の中で、立ち並ぶ石灯籠は、今回も静かに語りかけてくるような気がしました。

 今回の旅行中、kaoから
「御朱印帳を持たない?」
と誘われました。

『御朱印は本来、参拝者が写経をお寺に納めた際にいただく印でした。
それがいつの頃からか(一説には江戸時代後期ともいわれています)
納経しなくても参拝のあかしとして頂けるようになりました。
これがやがて神社にも広がり、今では多くの寺社で頂けるようになりました。』

 なにぶん、私は、お寺や神社にお参りすることが多すぎるので・・・。
kaoは、ここ東光寺で御朱印帳を買い求めて、初めての「御朱印」を頂きました。とても綺麗な御朱印帳でした。


     
     食事の時間に鳴らすという ものすごく大きな梆(ほう)(魚版ともいうらしい)
     


     
     厄除け絵馬、ストラップは、鬼瓦の絵でした。



  お寺紹介   護国山 東光寺  山口県萩市椿東椎原 
                   ☎ 0838-26-1052

                                                      つづく

パンの焼ける匂い ( あんずの食パン )

2013-11-26 07:08:53 | お気に入り
 仲良しのIちゃんと出かけたバス旅行で、杏(アンズ)好きのだんなさんへのお土産に「杏グラッセ(ラム酒風味)」を買いました。帰ってきてよくみると、お砂糖がまぶしてあってかなり甘そうです。そのまま頂くにはどうかなあ~と思い、食パンを焼くときに入れてみました。


     
     杏(アンズ)のグラッセ ラム酒風味

 キッチン鋏でチョキチョキ切って、バターなどと一緒にパン焼き器へ投入!今回は、もうすぐ賞味期限が切れてしまいそうな(忘れてた!)食パンミックスを使いました。
この冬一番の寒さの朝、階段を満たしていたのは、パンの焼ける良い匂いでした。


     
     綺麗なオレンジ色、ほのかな杏の香り、


 お味の方もほのかな杏味でした。パンの焼ける匂いは、幸せの匂いですね。(単に食いしん坊なだけかな?)


 
     

初めてのドライブ旅行 その7 ( 萩 夕景 )

2013-11-25 07:19:54 | 不思議紀行
 「萩」の町は、見所満載、まだまだ心惹かれるものの、新山口で新幹線を降りてから、慣れない車で、知らない道をずっと一人で運転してくれたkaoのために、この日のお宿「萩本陣」に行くことにしました。
「萩本陣」は、萩の町を一望できる高台にありました。


     
     お部屋に入ると、ちょうどお日様が沈む頃、楽しかった一日に感謝です。


     
     萩  黄昏時


     
     美しさにうっとり・・・。


     
     夕闇が町を覆う


 この夜は、豪華な夕食、お宿の方の素敵な接客に頬が緩みっぱなしの私たちでした。それにしても「生」っぽいものが苦手なkaoは、せっかくの「てっさ(ふぐの刺身)」を「てっちり(お鍋)」に、地元のブランド牛をカタカタの干からびたようなステーキに変身させて、美味しそうに食べていました。
 

     
     この日のお気に入り  「いとこ煮」

 「いとこ煮」???  だれとだれ(どれとどれ)が「いとこ」なの? 栗と小豆???
お宿の方に聞いてみることにしました。
「堅いものから、次々煮ていくことから、つぎつぎでいとこです。萩では、お祝いのお席でだされます。」
とのことでした。煮立てず、ゆっくり、じっくり煮ていくことで、澄んだ汁に仕上がるそうです。ほのかな甘みと干しシイタケの香りのデザートのような感じのものでした。


 萩は、温泉も豊富で、このお宿は、「湯めぐり」も楽しむこともできました。私たちは長くお湯に浸かっていることが苦手なのですが、大きなお風呂や露天風呂、立湯、ミストなど趣向を凝らしたお風呂を堪能しました。
このお宿は、売店も充実していて、旅行初日にして、あれこれ買い込む私たちでした。

 
  お宿紹介   萩本陣  山口県萩市椿東 385-8  
                   ☎ 0838-22-5252


 


                                                    つづく



初めてのドライブ旅行 その6 ( キモノスタイル カフェで一休み )

2013-11-24 08:20:53 | カフェ日和
 呉服町すじ(御成道)から右に入り「江戸屋横丁」を歩きます。
kaoが雑誌で探してくれてあった「キモノスタイルカフェ」で一休みすることにしました。


     
     キモノのレンタルができる「キモノスタイルカフェ」


               
               クラシカルなお店の中で一休み 日もだいぶ傾いてきました。



        
        kaoは、抹茶シフォンとコーヒーを 


        
        私は、夏みかんのチーズケーキと夏みかんジュースを


 それぞれ、萩焼きの器で頂きました。萩と言えば「萩焼」と「夏みかん」、 柑橘系の果物が大好きな私は、とことん「夏みかん」で・・・。萩の町で、萩焼きで頂く夏みかんのケーキもジュースも、とても美味しかったです。ご馳走様でした。
それにしても壁に貼ってあった「ちょんまげビール」というポスター。お酒は、全然飲めないけれど、気になるネーミングでした。
     


  お店紹介   キモノスタイルカフェ  山口県萩市呉服町 2-39
                          ☎ 0838-21-7000

 このお店は、大久保利通、西郷隆盛らと共に、明治維新の三傑と呼ばれた木戸孝允(桂小五郎)が20歳まで過ごした旧宅のお向かいでした。


     
     侘びた風情の「江戸屋横丁」


 萩の町に行ったら、秘かに私が会いたいと思っていた「清麿」、米屋町辺りに住んでいたという記録があるので、この辺りも歩いたのかな? イキイキと闊歩する「清麿」、刀造りに没頭する「清麿」、そんな姿が見えるような町でした。
「清麿」のことは、以前のご紹介のページ  1  、以前のご紹介のページ 2 を見てね。

                          
                                                  つづく

初めてのドライブ旅行 その5 ( 萩城下町 その2 菊屋家住宅 )

2013-11-23 08:23:56 | 建物紀行
 菊屋横丁から呉服町すじ(御成道)に出ると「菊屋家住宅」の入り口があります。

『菊屋家は慶長9年(1604年) 毛利輝元の萩入国に従い山口から萩に移り、城下の町造りに尽力して呉服町に屋敷を拝領しました。また、阿古ヶ浜に藩士や足軽衆のための惣固屋を建てて住まわせたので、阿古ヶ浜を菊ケ浜と称するようになりました。
 その後、代々大年寄格に任命され、藩の御用達を務めて参りました。。屋敷は度々、御上使の本陣を命ぜられ、その他御究場所、恵民録役所等、、しばしば藩の御用宅の借り上げられていました。従って先祖代々”我家は私有であって然様でなし”と常に御用屋敷としての体面整備に配慮して、屋敷建物を大切に維持してきたことから、”全国でも最古に属する町家”として重要文化財の指定をうけています。』(頂いたパンフレットより)


     
     呉服町すじ(御成道)に面し、菊屋横丁と伊勢屋横丁に挟まれて建つ「菊屋家住宅」


     
     玄関近くのお部屋  衣類に香を炊き込めるための用具(格子の櫓みたいなもの)などが置かれています。


  
     
     短刀 一文字吉平(備前) 建長時代(1250年頃) 美しい鞘 (短刀本体は写っていませんでした・・・。)

      
   江戸時代の長州「鍔」 しばし見惚れる・・・。
   


     

     

     

     
     書院の間からよく手入れされたお庭を望む


     
     お庭のお社をお守りしている素朴な狛犬


     
     商売の雰囲気を味わえる 「帳場」 


      
     DENWAの文字が良い感じの「電話室」 懐かしいお道具たち (使い方が分らないものも・・・)


      
     たくさんの槍も置かれていました。   狛犬(獅子)みっけ!


     
     台所に向かう廊下(土間)


     
     かまどが並ぶ「台所」


 この日、普段は公開していない「枯山水」の大庭園も見学することができました。

     

     

     

     

     


     
 大分傾いてきた日差しがお部屋の中に入り込んで、遠い昔に思いを馳せる私たちに、特別な気分を与えてくれました。 



  施設紹介   菊屋家住宅  山口県萩市呉服町 1丁目1番地
                     ☎ 0838-25-8282


                                                    つづく
     
    


     


     

初めてのドライブ旅行 その4 ( 萩城下町 その1 )

2013-11-22 07:29:45 | 不思議紀行
 さて、今日からまた、kaoと出かけた旅行のお話もアップしていく予定です。読みにくいかもしれませんが、タイトルで区別してくださいね。(タイトルも似通ってしまった・・・。すみません。)

 萩市中央公園に併設された駐車場に車を停めて、「萩観光協会」の方に送って頂き、いっぱい印がついた地図やら資料やらを持って、「萩」の街歩きに出発です。(その割には、道を間違えてしまいましたが・・・。)

『萩は四百年前に、毛利輝元のよって作られた三十六万九千石の城下町です。その武家屋敷と商人の住まいが残っています。
通りには、そこに住んでいた人達の職業に由来した道筋の名称があり、江戸時代の地図がそのまま使える街です。』(萩城下町 街歩き之図 其の二十二より)


     
     白い塀の続く野田家


     
     晋作広場に堂々と立つ高杉晋作銅像


     
     萩の街には、羽織袴姿の雄姿がよく似合う (この方はどなただったのでしょうか?)


     
     高杉晋作 誕生地


     
     日本の道・百選に認定の美しい道すじ「菊屋横丁」


     
     第26代総理大臣・田中義一 誕生の地


     
     蔵にも日があたってとても綺麗でした。


 御成道に面して藩の豪商、江戸屋、伊勢屋、菊屋の商家が並んでいたため、横町には、それぞれの名が残されているそうです。


     
     御成道沿いに残る「旧久保田家住宅」


 午後の日差しがなまこ壁にあたって眩しいくらい美しくて、時はぐっと遡り・・・。すっかり「萩マッジック」にかかってしまったようでした。


                                                     つづく

 

初めてなのに二度目? その3 ( ホテルでアイス )

2013-11-21 07:23:23 | 美味しいもの
 この日のホテルは、「JALプライベートリゾートオクマ」です。
海辺のリゾートホテルということですが、着いた時は、もうまっくら、光輝く建物と南国ムード満点の服装のホテルの方々が迎えてくれました。


     
     屋根までピカピカ!


     
     光り輝き おいでおいでをしている売店


     
     プライベート感覚のコテージ


 ホテルのレストランで、沖縄色豊かな遅めの夕食を頂いて、売店の様子を見に立ち寄りました。息子の沖縄旅行のお土産でもらった「ボトル入りの雪塩」を毎日のお料理を頑張って作っている姪っ子akiちゃんと友人用に、お茶好きの友人のために「さんぴん茶」(ジャスミン茶)などを買い込みました。
そして国際通りで気になった「アイス」を見つけたので、買ってみました。


     
     国際通りのお店は、宅配も・・・。お味も色々・・・。


      
     だんなさんは、バニラ、私は、沖縄らしくシークワーサーです。

 バニラは、
「最後にふわっといい味がする。」
とだんなさんが言っていました。シークワーサーは、さっぱり爽やかなお味で、美味しかったです。ご馳走様でした。
バスガイドさんのお薦めは、ソフトクリームだそうです。旅行中、一度は食べてみようと思ったのですが、残念ながら・・・。

     
     
     爽やかなブルーのお部屋で頂きました。


                                                    つづく