だんなさんとちょこっと静岡に行きました。この日は奥の方(いつもは駅前の駐車場に停めるのですが・・・)に用事があったので、伊勢丹の近くに車を停めました。
伊勢丹のレストランでランチをすることに・・・。
窓からイスラムの香りのする建物が見えました。
だんなさんは、
「結婚式場かな?」
などとのんびり話していましたが、この重厚な造り、まあるいドームみたいな部分は、モザイクタイルでしょうか? 本物の風格があります。
・・・などとワクワクしながらお昼ご飯を頂きました。
しかし、私は、すっかり久し振りのデパートに夢中になり、この建物のことは忘れていました。
お昼ご飯の後、(実は、私たちは別行動)レコード屋さんや電気屋さんなどを巡ってきただんなさんは、この建物がどんな建物なのか?ちょこっと見てきてくれました。なあんと現役の「静岡市役所」だそうです。
『静岡市役所 静岡市葵区追手町 5-1
竣工年 1934年(昭和9年)竣工
規模 地上4階、搭屋ドーム付き、延べ床面積 8664㎡(2625坪)
構造 鉄筋コンクリート造
様式 スパニッシュ様式
設計者 中村與資平 主任技師 相坂幸治
施工者 勝呂組 』
1996年12月に国の有形文化財に登録され、現在でも市役所庁舎として使用されているそうです。
『中村與資平(なかむらよしへい) 1880年(明治13年)~1963年(昭和38年)
中村與資平は、日本人として、海外に諸点を置いて活躍した最初期の建築家。
生涯
1880(明治13)年、長上郡天王新田村(現:東区天王町)で誕生。
幼少時代には体が弱く落第していた與資平だったが、勉強が面白くなってからはぐんぐん成績が上がり、東京帝国大学(現: 東京大学)建築学科を卒業後、東京駅設計で知られる
辰野金吾に師事し辰野葛西事務所に入所。
最初の仕事で韓国にわたった與資平は1912(明治45)年自分の事務所を開き、韓国や中国で数多くの建物を設計したが、1920(大正9)年に事務所が火事となり帰国。
1921(大正10)年から一年以上かけて17カ国90以上の都市を視察旅行して建築を研究した。
東京で事務所を開設した與資平は1944(昭和19)年に浜松に帰るまでに数々のすばらしい建物を設計。東京、大阪、韓国、中国にも多くの建築が残っている。
浜松市の浜松銀行協会(現:木下恵介記念館)、遠州銀行本店(現静岡銀行営業部)、静岡市の
静岡市役所本館、静岡県庁本館、静岡三十五銀行本店(現静岡銀行本店)」など、中村與資平の建築は、世界各地の様々な時代の様式を取り入れ、多様な表現が多いのが特徴。』(浜松情報BOOKより)
いつも見るたびに、「パルテノン神殿?」と言ってしまう伊勢丹の奥にそびえる「静岡銀行」の建物も中村氏の設計だったとは・・・。そして、なあんと我が町富士市にも中村氏の設計した建物が・・・。残念なことにもう2回ほど建替えられてしまったけれど、昭和40年代まで静岡銀行吉原支店として存在していたらしいので、私の記憶の中の「星一デパート」の隣りにあった石の建物かもしれないと深い記憶の底を探って思い出しています。
現在、県庁所在地における戦前建築の市庁舎で現存するのは名古屋、静岡、京都、鹿児島の4市のみという貴重な建物です。
横浜に行った時、古い建物を見て、流石横浜だわ~と感激しましたが、県内にもこんな建物が残っていたとは・・・。
しかも現役とは・・・。いずれ内部も見に行きたいと思っています。
南信州の名物? 「ざざ虫」も食せるお店も見つけました・・・。