以前、雑誌でこの「五社堂」の写真を見ました。いつか必ず行ってみたいと思いながらも、静岡からは遥か遠い秋田、男鹿半島の地。
だんなさんが秋田出身の会社の方とお昼ご飯でご一緒することが何度かあり、今年の夏の旅行は「秋田」それも「八郎潟」を見たいと言い出した時、
「え~っ? 遠い! 田んぼが見たいの?」
と不満の声を漏らしつつ、地図を見た途端、ころっと態度を変え、行く気満々になった私でした。車で行くと張り切るだんなさんでしたが、私が調べたところ、静岡から秋田までは、高速道路を使っても9時間半ほどの道程です。運転手は、だんなさん一人ということで、一日目は秋田市内までたどり着くという計画を立てました。
そして2日目、ついに「赤神神社 五社堂」の駐車場に到着しました。
「登山道」の文字と杖の用意されていることに、少し不安な気持ちになる・・・。(行けるのだろうか?)
しかし鳥居から15分の文字もあり、空模様を気にしつつ、歩き始めました。
999段の石段を上がって行くようです。
『 赤神神社 五社堂
鬼が積んだ999段
五社堂への石段には地元では有名な言い伝えがあります。
およそ2000年の昔、漢の武帝が5匹のコウモリを連れて男鹿にやってきました。コウモリは5匹の鬼に変わった。武帝は5匹の鬼たちを家来として使ったが、1年に一度正月を休みにさせました。鬼たちは大喜びして里へ降り、作物や家畜を奪って大暴れし、ついには里の娘までさらっていくようになりました。困った村人たちは、一夜で千段の石段を築くことができれば1年に1人ずつ娘を差しだすが、もしできない時には二度と里に降りてこない、という賭けをしました。鬼たちは精魂を尽くして積み上げあと一段!正に完成寸前、というところで「コケコッコー」と一番鶏の鳴き声。鬼たちはあきらめて、約束どおり山奥へと立ち去ったといわれています。
この鳥の鳴き声は、モノマネの上手な村人が石段完成を阻むために鳴き真似をしたとか、いつも鬼に馬鹿にされている天邪鬼が腹いせに鳴き真似をしたとか言われています。
鬼が来なくなって何か心寂しく感じた村人たちが、年に一度正月15日に鬼の真似をして村中を回り歩く様になったのが、あのナマハゲの始まりだと言われています。
鬼が積み上げた999段の石段を言い伝えを思い浮かべながら歩いてみてはいかがでしょう?
石段を完成させることのできなかった鬼は憤慨して千年杉の大木をひっこ抜き、逆さに立てたといわれています。五社堂の前庭に置かれてあるのが、それであると言われています。
鬼が築き上げたという999段の石段を登ると赤神神社五社堂が見えてきます。祀られているのは5匹のなまはげで、両親と子供3人だといいます。
赤神神社の赤神とは、前述の漢の武帝のことだと言われています。男鹿には赤神や鬼に関する言い伝えや神話が数多くあります。"男鹿の赤神と津軽の黒神のけんか"もその一つ
また、そばには覗いたものの余命をあらわすとされる「姿身の井戸」や「御手洗の池」などの不思議なスポットがあります。』(男鹿ナビより)
歩き始めるとすぐに赤い鳥居が見えてきます。
古そうな「宝篋印塔」
江戸時代初期、狩野派の狩野定信によって描かれた本山門前から五社堂近辺の古地図「男鹿図屏風」の模写
今はもうなくなってしまった多数の堂塔が、山のあちらこちらに描かれており、 往時の山岳信仰の隆盛が偲ばれます。
平成17年7月に復元された「徐福塚」
『 徐福塚
司馬遷によって書き表された中国で最も古い歴史書「史記」に、秦の始皇帝の名を受けた男が、童男童女数千人を乗せた船で海を渡り、不老不死の薬を探しに東方に向けて旅立ったとあります。
今から二千二百年前のことですが、その向かった先が日本であり、その命を受けた男が「徐福」だったと言われています。徐福は神薬(薬草)を求めてさまざま所を旅したためか、日本各地に徐福伝説が残されていますが、そのうちの一つが男鹿でした。
江戸時代の紀行家・菅江真澄は、男鹿の門前を訪ねたときの日記に、徐福塚(墓)を図絵と文章で記録しました。それには、「古、渤海及び鉄利の人一千百余人が吾国を慕い来て、出羽国に置き、衣食を給して還した、と続日本紀にある。その異国人の人たちがこの処に居った頃、武帝の廟或は大保田村の蘇武塚や、この徐福の塚など、その当時祭ったのかもしれぬ」と書かれています。
また、船越御役屋の役人だった鈴木重孝が書き残した男鹿の地誌「絹篩」にも「徐福塚」が記録されています。しかし、その徐福塚は道路工事などで失われてしまったのか、今では探しようもありません。
そこで、門前に伝わる徐福伝説を後世に伝えようと、真澄の図絵を参考に、この地に産する門前石で、徐福塚を復元しました。
門前部落会 徐福塚復元実行委員会』(案内看板より)
菅江真澄の記録に残る「徐福塚」(白丸印)
宝物殿らしいが、赤神神社の参道にありながら仏教の法具のようなマークが入っているので、「長楽寺」のものかもしれません。
緑のトンネルをくぐって鬼の作ったといわれている石段を上がって行きます。
石段脇には石塔がたっています。
不揃いに積み上げられた石段をのんびり上がります。
二つ目の鳥居が見えてきました。
ここには門や御堂があったようです。
覗いた人の余命がわかるといわれている「姿見の井戸」
もちろん私たちも・・・。まずだんなさんが覗いて
「はっきり見えた!」
とニコニコしながら、釣瓶を落として深さをみています・・・。水面はゆらゆら揺れて次に私が覗き込んでも姿は見えません。あ~あ・・・。しばらく待っているとかなり怒った顔の私が見えました。姿が映らなければ3年のうちに死んじゃうかも?って書いてあるのに・・・、ね~。
木々の間に「五社堂」が見えてきました。
左から「十禅師堂」「八王子堂」「赤神権現堂」「客人権現堂」「三の宮堂」
『五棟とも格桁二間、梁間三間一重、正面入母屋造、背面切妻造、妻入、向拝一間、唐破風造、鉄板葺の建造である。』(案内看板より)
中央の「赤神権現堂」だけが少し大きいのは、厨子(仏像などを納めるための棚)がある為らしい。
長床跡 五つの社殿の前に一段下がって長い建物が建っていたのでしょうか?
一段上がって五社堂が立てられています。両脇の階段から上に上がれます。
赤神権現堂内の厨子(室町時代後期)(国指定重要文化財)
ここには、石造狛犬(県指定有形文化財)があるというので会うのを楽しみにしていたのですが、残念ながら見当たらず・・・。別の場所(宝物殿とか拝殿とか)にあるのでしょうか? 残念・・・。
八王子堂には、 木造十一面観音立像、木造聖観音立像(どちらも県指定有形文化財)、客人権現堂には、円空作の木造十一面観音立像(男鹿市指定有形文化財)が奉納されているそうです。(どれも見ることはできませんでした。)
社務所では、参拝記念証を頂けるようになっていました。ガラスの向こうには、鬼が引っこ抜いた「千年杉」
神社紹介 赤神神社 五社堂 秋田県男鹿市船川港門前本山門前字祓川35
駐車場についてから、戻ってくるまで約1時間、雨に降られることなく、無事に戻ってくることができました。1月に山道を下ってくるときに足を怪我してしまい、それ以来、だんなさんも私も妙に慎重になっているので、普通より時間がかかっていると思いますが・・・。
残念ながら、円空の十一面観音立像にも石造りの狛犬にも会うことは叶わなかったけれど、お社が五つ、山の中に並んでいる様子は、壮観でした。なまはげのルーツがここだったとは・・・。
つづく