たんなるエスノグラファーの日記
エスノグラフィーをつうじて、ふたたび、人間探究の森へと分け入るために
 



わたしが、「Aくん、いま、1万円ある?あったら出しておいて」というとき、その後に、「あとで、すぐに返すから」と加えれば、その行為は、Aくんからお金を「借りる」という行為になる。しかし、わたしが、「Aくん、いま、1万円ある?あったら出しておいて」とだけ言って、「あとで、すぐに返すから」という文言を付け加えなければ、たとえ、Aくんに1万円の持ち合わせがあったとしても、その場で、Aくんがお金を出すかどうか分らないだろう。Aくんにとっては、1万円を、たんにわたしに与えることになるかもしれないのだから。そのような場合、Aくんはふつうわたしに聞き返すだろう。「いつ返してくれるの?」と。その返答があって、そのやりとりは「貸し借り」のやりとりとなる。わたしたちにとっては、きわめてあたりまえのことである。

しかし、プナンの人びとのやりとりは、そうしたわたしたちの「貸し借り」のやりとりを無効化するほど、ちがっている。プナン人同士では、上で見たようなかたちでの「貸し借り」のやりとりはなされない。つまり、「あとで、すぐに返すから」というようなことばが、付け加えられるようなことは、ひじょうに少ない。付け加えられなくても、だいたいの場合、持ち合わせがあれば、頼まれたほうは、お金を支払う。場合によっては、
「お金ちょうだい、明日返す(=戻って行く)(akeu manii rigit sagam mulie)」という言い方がなされることがある。
http://blog.goo.ne.jp/katsumiokuno/e/63bec4cffeb9c58ef2c493004870de63


そもそも、プナン語には、基本的には、「借りる」「返す」ということば自体がないのである。マレー語から借用して、「お金を借りたい(mau minjam)」というような言い方をする場合もある。細かいことを言えば、プナン人が置かれている社会環境の変化を背景として、いろいろ厄介なことがあるが、とりあえず、ここで確認しておきたいのは、プナンは、そうした「貸し借り」の概念をもたないということなのである。

いったい「貸し借り」が成立するとは、どういうことなのだろうか。それは、「所有」することに関わる問題である。「貸し借り」が成立するためには、財が、誰かに「所有」されていることが、まずは、前提とされなければならない。でないと、貸したり、借りたりできない。プナン社会では、そういった財の「所有」が、どうやら、前提とはされていないのである。

大庭健は、「所有」について、以下のように整理している。

所有は、原理的に、(1)他者による承認を必要とし、(2)「私」であることと「排他的」であることの関係に関わる、人間的な概念である。のみならず・・・(中略)・・・(3)私たちは、自分が生きている・自分がいるという「存在」の事実を、自分「の」生命・能力等々をもっている、という形で「所有」の事実に回収してしまう思考回路から、いまだ自由ではない(大庭健『所有という神話:市場経済の倫理学』岩波書店、2004年、98ページ)

よく分かる気がする。「所有」とは、要するに、財をめぐる人と人の間の組織のされ方の問題なのである。

大庭の「所有」の観念を手ががりとすれば、プナン社会は、何らかの財を、排他的に、私的に所有するものであるということを、他者および共同体が承認することが、あまりないような社会であるということができるのかもしれない。別の角度から言えば、プナン社会では、そのようにして、財を、排他的に、私的に所有されるものとして、お互いに主張し合いながら、人間関係の組織化がなされていないのである。プナン社会では、財を、排他的に、私の意のままに用益し処分していいという考え方は、育まれてこなかったように思われる。

土地所有権だけではなく、知的所有権にいたるまで、所有者の権益は守らなければならないし、そうした考えをベースに組み立てられている社会のなかで生まれ育ったわたしにとって、プナン人のモノに対する態度は、長らく、驚きや不思議さ以上の、何が何だかわからない、つかみどころがない事柄であった。ことによると、商業的な森林伐採に対するプナン人たちによるジャングルの所有権の主張は、州政府とプナン社会の歴史的・政治的な交渉の場面において、出現したものなのかもしれないとも思う。

いまから思い起こせば、わたしが難渋したことは、フィールドワークをはじめて間もないころ、プナン人たちは、マレー語を用いて、「お金を貸してほしい」とわたしのところにやってきたことである。貸したお金の回収率は、ほとんどゼロに近い。プナン人には、マレー語の「貸す」「借りる」という語を用いても、「返す」という意識がなかったのではないだろうか。

さらに、より丁寧な人たちは、「いまお金がないので、助けてくれないか」とわたしのところにやってきた。このことばには、「貸し借り」の原理が、まったく組み込まれていない。この種の文言は、日常的に、わたしがプナン語で会話をするようになった後でも、プナン人たちはよく使ってくる。つまり、最初から「貸してほしい」ではなくて、「あったら融通してほしい」ということなのである。

さらに、プナン社会の人間関係の網の目のなかに組み込まれていくにしたがって、わたしの所持金、所有物(サンダルや長靴、カバンなど)は、わたしが排他的に私有しているのではどうやらなくて、人びとは、他に使えるものがない場合には、いつのまにか、わたしの所持金、所有物を原則的にはみなで用いているということに、わたしは、しだいに気づくようになった。

プナン人たちは、「所有」に関して、そういった原理・原則をどのようにして持つようになったのかという問いは、わたしたちが、どのように、現代社会における「所有」観を持つようになったのかということを問うのと同じように、重要であると思う。そのことこそが、人類学が問わなければならない問題のひとつであるわたしはと思っている。

「所有」の起源は、いったいどのあたりにあるのか。

ところで、稲葉振一郎・立岩真也の『所有と国家のゆくえ』(NHKブックス、2006年)の「所有論」に決定的に欠けているのは、わたしたちの外部に位置する人びとの「所有」をめぐる行動や考えに思い至ろうとはしないという点にあるように思える。つまり、わたしたちの「所有」を、徹頭徹尾、議論考察の対象としている点にある。

「『ものが落ちている、拾ってラッキー』じゃないんですね。ものが落ちているときに『誰の?』って考えちゃうような主体なんです。そこにあるものを『ラッキー、あった、拾った』ってことが、本当に自明で無前提な議論なのか。そうではないんじゃないか。「なんかあるんだけど、これって誰の?」っていうふうな立て方で議論が進められるんじゃないか」(前掲書、24ページ)というのは、基本的にはそのとおりだと思う。しかし、立岩が、「所有に対して所有のない状態とか、私有に対して私有じゃない共有であるとか、そういうふうに考えなくてもいいんじゃないか」(前掲書、27ページ)と言いながら、「ぼくが批判しているのは、われわれの社会における私有のあり方です」(前掲書、28ページ)と述べるとき、「われわれの社会」以外の「所有」の地平へと向かう想像力の欠如を感じる。

では、いったいどう考えればいいのか。「所有」についても、わたしたちは、またしても、中沢新一の人類学的な想像力に頼ることになる。

農耕以前の狩猟を生業とする社会では、財は、確たるものではなく、不安定なものであった。人間は、自然のなかに生きる動物を偶然に与えられ、生きながらえてきたのである。そのことを踏まえて、中沢はいう。

すべての財産は、物質性をもたない『無』の領域から『有』の世界に贈り物としてやってくる。だから、その出現も、喪失も、神と人とのあいだのデリケートな関係に左右された。すべてが壊れやすく、安定した財産は少ないかわりに、人間には自然にたいする、深い倫理観が成長できた(中沢新一『純粋な自然の贈与』せりか書房、1996年、22ページ)

財は、だれそれの排他的な私有物というのではなくて、自然からの贈り物として、共同体のメンバーが生きながらえるために、共有されたのである。そして、財の不安定性をベースとする、そのような「所有」観が崩れるのは、農業革命以降のことではあるまいか。

狩猟採集社会における「糧」とは、じつに不思議なものである。同時に、ひじょうに不安定なものである。それは、自然に対する働きかけから生まれるのではなく、つまり、「有」が「有」を生み出すのではなく、自然そのものが生きるための糧を生み出すという、「無」が「有」を生み出す仕組みのなかに、立ち現れてくるものである。逆に、農業革命以降のわたしたちの社会では、自然に対する働きかけという「有」が食糧という「有」を生み出すという仕組みをベースにしている。それはまた、貨幣がもつ、「有」が「有」を生み出す仕組みにフィットする。

そういう(=狩猟を生業とする)世界では、地上の富の発生も不安定だし、保存も不安定だ・・・(中略)・・・そこに、農業革命が生まれたのだ。農業は『死への恐れ』を反映している。繊細な倫理の関係によらなければ、気まぐれな贈与の霊は、豊かな富を与えることを拒否するかもしれないし、財産は貯蔵の効くかたちをもっていない。それに恐れをいだく人々のなかから、農業は発達したのだ(前掲書、22ページ)

人類は、『死への恐れ』につきうごかされて、農業をはじめた。財産はたしかなものとなり、所有は堅固な形式をもつようになった。そして、そのかわりに、自然との契約の精神を失いはじめた。農業には『死への恐れ』、所有の喪失の恐れが潜在している(前掲書、23ページ)

ここで、中沢は、「所有」の起源について、じつにクリアーに語っているように思える。狩猟民社会における「所有」の喪失への恐れこそが、農業を生み出した源であり、農業革命をつうじて、安定的に手に入れることができるようになった財を「所有」することによって、「所有」の観念が、その後、しだいに発達を遂げたのではないだろうか。「所有」の淵源は、「所有」を失うことに対する恐れにあったのだ。

残された課題は、現存する狩猟民社会の「所有」のエトースをよりきめ細かく観察した上で、「所有」の起源をめぐるそのような見通しに対して、実証的なデータを積み上げていくことである。

(誰のものでもないヤシの木に実を取りに登るプナン人の男性



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