「PARAMUSHIR~信じ続けた士魂の旗を掲げて」
TEAM NACKS
赤坂ACTシアター
タイトルの「PARAMUSHIR」なんて読むんだろう?
英語?
って思って調べてみたら、「幌筵(パラムシル)」という島の名前だった。
北方領土のもっと先のほう、オホーツク海に浮かぶ島。
終戦時、司令部の合った幌筵島の北東にある占守(しゅむしゅ)島での戦いを描いた、実話に基づく舞台。
開演と同時に爆撃音と悲痛な叫び。
舞台の上には傾いた戦車。
そして、場面はその数日前にさかのぼる。
数日前に、日本は無条件降伏し、兵士たちは撤退の準備を進めていた。
燃料のドラム缶を浜に埋め、武器を捨て、家族のもとに帰ってから未来を考えていた。
なのに・・・。
終戦の3日後、突然ソ連軍が攻めてくる。
皆、戦意を失い、武器も燃料も無いのに、だ。
別々の隊から、何とか生き延びてきた寄せ集めの兵士が、わずかの武器と思いつく限りの知恵と勇気で抗戦し、ソ連軍に大きなダメージを与えて、
実質勝利となるが、たくさんの犠牲者が出てしまう。
彼らはソ連軍が北海道に攻め入り、自分たちの大切な人達や、島から避難した人達を守るために必死で戦った。
けれど、この、北の果ての小さな島での孤独な戦いのことはほとんど知られていない。
テレビなどでは、コミカルなイメージのNACSの皆さんのシリアスなこと。
この、寄せ集めの小隊の指揮官、小宮少尉は森崎博之さん。
優秀な家族の中で、手柄を立てられず、コンプレックスをかかえながらも、思いやりのある上官を優しく演じていた。
薄幸の生い立ちながら、やっと愛する人に巡り合い、子供が生まれた知らせを受けながらも、子供の顔を見ることなく戦死してしまう田中二等兵を戸次重幸さん。
なんだか頼りないけれど、明るく前向きで、みんなに愛される下っ端の兵士の姿が、戦死した時の悲しさをより際立たせる。
南方の戦線で、仲間を死なせて自分だけが生き残ったことに罪悪感を持つちょっとすさんだ矢野整備兵は、音尾琢真さん。
ことあるごとに、死んだ仲間の幻をみて罪の意識にさいなまれるが、皆の励ましでやっと前を見られるようになったと思ったら、銃弾に倒れてしまう。
函館に妻子を残し、やっと会えるのを楽しみに帰郷の準備をしていたのに、戦いに巻き込まれる中間管理職の水島軍曹は大泉洋さん。
日頃のおちゃらけムードはぐっと抑えて、慈愛に満ちた理解ある軍曹を演じている。
時折の掛け合いで笑いを取る間の良さみたいなものはさすが。
家族も戦友もすべて亡くし、自暴自棄になって、いつでも死んでやる、的な行動で皆を困らせる桜庭上等兵を安田顕さん。
暗く陰のある役なのに、メンバーに時々突っ込まれて真面目に振り回される姿がキュート。
一番死んでもいいって言ってたのに、結局彼だけが生き残る。
大きな爆撃音が静まって、舞台は現代へ。
役人と一緒に島に慰霊に訪れた遺族たち。
高飛車で、慰霊の時間を少しでも短くしようと遺族に対して心無い言葉を浴びせる若造が、いかにもいそうで腹立たしい。
ここで桜庭軍曹が亡くなった戦友たちに呼びかける、がこのセリフがちょっと長すぎて、中だるみしたかも。
ああ、これがあの時言ってた子供たちなんだな、って人たちもいて、親の顔を見ることもできなかった理不尽をしみじみと感じる。
彼らの中で、戦争は終わったはずだった。
本土では悲しみに暮れながらも安堵の気持ちが広がっていた中、わずかな人数の兵士たちが人知れず戦っていたことを思うと、胸が苦しくなる。
このことにスポットを当てたこともびっくりだし、ただ悲惨な話では終わらず、兵士たちが終始前を見て、希望を捨てずにいる姿が、
そして絶望的な状況の中でも少しでも明るく生きようとしている様子が、井上ひさしさんの舞台にも通ずるものがある気がして、深く心にしみ込んだ。
上層部は彼らを見捨てた。
現代も、政府は弱いものを簡単に見捨てている気がする。
いつの世も想像力を欠いた人たちが上に立つとろくなことがない。
などと余韻に浸っていると、カーテンコールはいきなり明るい「あいうえお作文」で大爆笑。
お題は、この日にちなんで「まりもの日」
ちょっと出ていた涙がどこかへ行ってしまった。
劇場を出ると、満開の桜がライトアップされて美しい。
何やらきな臭い出来事が多い昨今、想像力の欠落しているえらい人たちにこそ、見てほしい舞台だと心から思った。
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