美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

瓶詰の古本屋(三十四)

2011年05月28日 | 瓶詰の古本屋

   古仙洞は話しながら本の裏表紙を広げ、鉛筆で値段を書き込んでいる。いかにも古本屋らしい字体で数字を書き込んで行く。一冊書き込んでは、横に積み上げた本の山からまた一冊取り上げて、同じ動作を繰り返す。今日できるところまでやって、続きはまた明日といった感じで書き込んで行くのだ。そして、一冊一冊と積み上げて行く。『動物と人と神々』、『自然界における人間の地位』、『興亜風雲譚』、『花のひもとき』、『廿世紀聖書新釋』、『アラビヤンナイト』、『奇問正答』、『コクナ』、『古蘭』、『心性遺伝』などといった古本が場所を移して再び山を造る。
   「お互いこうして商売をやっているから、いかにも世間と昵懇にする必要があるかのように見えるが、あにはからん、古本屋を覗く客は人の交わりよりも本が好きという性癖の人間が少なくない。世間の空気に鈍感で、独りよがりのえらがりのために世間から疎まれてしまい、人格的な部分で受け入れられるということは稀なのだ。自然に世間の風向きからも逸れて行かざるを得ないのだが、それなりの俗情は世間並以上にしぶとく心に蟠っている。砕片の俗情にしっかり囚われている一方で多分にズレているから、世間の持つ底意をうまく理解できなかったりするんだ。おれにとってみれば、まことにありがたいことなのよ。神秘的で訳の分からないものに出遭うなんておそれがまるでないからね。」

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