美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

某夜の果ての

2011年05月24日 | 瓶詰の古本

   某夜、先輩・後輩混成の飲み会の砌、先輩のうちの一人、通俗きわまるセンスから放出される話によって常日頃から酒の席を重く沈着なものにしてくれる先輩の一人が、珍しく呂律の回る舌で誰に向かうでもなく口説くのである。
   「この間の事の経緯を辿れば、所謂専門家という誉の称号は次のような心性によって営々と護持されて来たと言えるであろう、ほんの僅かな例外を除いて。
   大事の真実を仲間内でのみ囁き合い、災厄が次から次と人々に襲いかかる惨を目の当たりにしたとき、素晴らしい知見を事の解決、人の救済のために捧げることを惜しむのか、果断にこれを行わない。逆に火の粉が足下へ及ぶときには、幼少から人に遙か抜きん出た超絶の頭脳と意志とを以て我が身を護り抜く。」と。
   おそらく、ことはそんな簡単で割り切れるものではなかろう。偉大な知性というものは、どちらへ向かうにせよ、われわれの考え及ばぬ軌跡を見えないところで描いており、波間に一瞬現出されたものからは到底窺い知れぬ高次関数に衝き動かされていると思われる。情の通用する次元とは最初から思わない方がいいのかも知れない。その上でなお、専門家に頼るしかないとすれば、あとは、信じる信じないをその人の風貌と声調に賭けるほかないのだろうか。

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