美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

瓶詰の古本屋(三十八)

2011年06月18日 | 瓶詰の古本屋

   気が付いてみれば、こちら側からは須川の横顔しか見えない。古仙洞の方に声を伝えているはずだが、その声は店の隅々まで広がって行く。拡散すると言うより浸透するといった感じか。別にこちらに話しかけている訳ではないだろうに、言葉は相手であるはずの古仙洞には伝わっていないような気がしてならない。須川の横顔を見ているうちに、この人間がいま言葉を発しているとは更に思えなくなって来た。
   「そろそろ帰ります。それから、せっかくだから本を買って行きたいんだけどいいですか。」
   何かを確かめなくてはいられない気持ちから、こう言いながら立ち上がると本棚の前に行った。売り物の古本が列んでいる本棚を眺めて歩く。古本がいっぱいに詰まった棚の空気の、その重みがこちらの気分を落ち付かせてくれる。
   「まったく、どんな本であれ、いやしくも本てものを読もうと思い立つような人間は、なにかに打たれたいという思いに必ずとらわれているんだ。この世のどこかに自分だけのために書かれた書物が隠されていると考えているものだ。自分自身というあやうさや脆さを知っていると思っている人間の心の一端と言えるかも知れないね。今ある自分を螺旋に転回してみたい、あるいはされてみたいという願いを秘していることに救いを感じているんだ。」

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