美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

自分こそが民衆の求める救世主であると呼号する神秘主義者は転生する独裁者のように、いつどこにでも現われる(ケストラー)

2024年07月03日 | 瓶詰の古本

 彼の書いた一つの全く自己暴露的な文はいまだかつて正確に翻訳されたことはない。原文は In der Goresse der Luege liegt immer ein Faktor des Geglaubtwerdens というのである。この文には論理的構造がないので的確な翻訳は困難である。それは神秘家が自分の文法で書いた主張である。最も近い意味はこういうことであろう。「偉大な嘘は常に信じられる要素を含んでいる。」「含む」という動詞は「嘘」にかかるのではなくて「偉大さ」にかかることに注意されたい。「偉大さ」はここでは神秘的な二重の意味をもっている。それは(大うそ)とそれに壮大、尊厳をあらわしている。さて、この壮大な嘘、絶対的不真理の讃美は、人に信じられる要素を含んでいると言われているのである。言いかえれば、その嘘は、信じられるように苦心してつくりあげられるのではなくて、それは直観によって生れ、その偉大さは自動的に崇拝を強制するものである。これはこの奇人の神秘主義を解く鍵の一つである。現実には、それは彼のために権力への扉を開いたものである。明らかに、鍵が変てこなものであったとすれば、錠はさらに変てこなものであったに違いない。
 しかし、錠は歴史家にとっての問題である。われわれはただ鍵を問題にしているだけである。この奇人は不幸な青年時代に多くの扉をたたいたが、いつも拒絶された。彼は画家として腕を試みたこともある。しかし、彼の水彩画の夕陽は売れなかった。彼は建築の現場でも働いたが、彼がビールではなくミルクを飲み、おまけに奇矯な演説をするので仲間の労働者から付き合いを拒絶された。彼は軍隊に入ったが、はじめの一本条(すじ)より上には進まなかった。彼は救世軍の無料宿泊所や、橋の下、浮浪者収容室で暮した。彼は社会の「無人の野」にさ迷う浮浪者、ルンペン・プロレタリアートの群(むれ)に投じた。この時代が七年間続いた。それはやがて政治家となる運命にあるものにとってはたぐいない経験であった。ここで親鍵(マスターキー)がはじめの大体の形をとりはじめたのである。すなわちそれは民衆にたいする至高の軽蔑という形であった。彼は拒絶を実体と取り違えたことはたしかであるが、しかしこの誤りはマイナスよりもプラスになったのである。彼は群衆の心理はそれを構成する個人の心理の総和ではなくて、その最低の公分母であるということ、彼らの努力は接触によって統合されるのではなくて、妨害されることによって困惑される――光りプラス光りは暗黒になるということ、しかし彼らの感情の振動はコイルの中で誘導や自己誘導によって増加するものであることを観破したのであった。社会の最低層に身を沈めることによって、この奇人は生涯の発見をしたのである。すなわち最低の公分母を発見したのである。こうして親鍵(マスターキー)が発見された。

(『偉大な奇人』 アーサー・ケストラー著 大野木哲郎訳)

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