ペルシア戦争ののち,ペルシア軍の再攻にそなえて,諸ポリスは【デロス】同盟を結成したが,盟主【アテネ】が,同盟をてこにほかのポリスを支配するようになった。【スパルタ】は,アテネが急速に勢力をひろげたことに対抗して,みずからを盟主とする【ペロポネソス】同盟を強化した。【前431】年デロス同盟の盟主アテネとペロポネソス同盟の盟主スパルタは,全ギリシアの覇権をかけてたたかった。これを【ペロポネソス】戦争という。
この戦争のあいだにアテネは疫病の流行で【ペリクレス】をうしなってから政治が混乱し,ついにペルシアの支援でスパルタが戦争に勝利した。しかしまもなく前4世紀なかばには,【エパミノンダス】が率いる【テーベ】にとってかわられた。
ペルシアの干渉による有力ポリス間のたえまない争いは,ギリシア社会を荒廃させてしまった。そして【前338】年アテネ・テーベの連合軍は,北部ギリシアの【マケドニア】王国の【フィリッポス2世】に敗れた(【カイロネイアの戦い】)。その結果スパルタをのぞく全ギリシアのポリスはマケドニア王国支配下の【コリント】同盟に集められ支配された。
フィリッポス2世の子の【アレクサンドロス大王】は,前336年に即位した。そして,前334年に大王はギリシアとマケドニアの連合軍をひきいて,アケメネス朝ペルシアを討つため【東方遠征】に出発した。アケメネス朝との3回の戦いによって,大王は【ダレイオス3世】治下のアケメネス朝を【前330】年に滅ぼし,さらにインダス川流域まで侵入したが,部下の反対にあったため兵を引き返した。ここに,西はギリシア・エジプトから東はインドの【インダス】川流域にわたる広大な帝国が建設された。大王は東西文化の融合をはかったが,その実現をみることなく,【前323】年に【バビロン】で急死した。
そののち,大王の部下の将軍たちはそれぞれ【ディアドコイ】(後継者)と称して争いを続けた。その結果、前3世紀前半には帝国は【プトレマイオス】朝エジプト,【セレウコス】朝シリア,【アンティゴノス】朝マケドニアの3国に分裂した。前334年にはじまった大王の東方遠征から【前30】年の【ローマ】による地中海世界統一までの【約300】年間を【ヘレニズム】時代という。分立した3国のなかで最も繁栄をとげたプトレマイオス朝エジプトは,専制国家として強盛を誇り,とくにその首都【アレクサンドリア】は,研究所【ムセイオン】が設置されるなど、経済・文化の中心地としておおいに繁栄した。
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