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塩の専売と黄巣の乱、五代十国時代

2016年03月23日 | 高2用 授業内容をもう一度
 【安史の乱】後、藩鎮の数が続々と増えていくにつれて、唐王朝が支配して税を課すことができる土地は減っていきます。【両税法】は優れた税制でしたが、支配する地域が減少してしまっては、税を確保することができません。藩鎮の多くは唐王朝に税を納めることを拒否していましたから、唐王朝はどうしようもありません。そこで、別の方法で税を集めようとしました。それは、【酒】とか【塩】とか生活需品に税(物品税)を掛ける方法です。中国では塩が場所は限られていたので、そこをしっかりと支配して、塩を高く売る。そうして得た税収は唐の税収の半分を占めるほどでした。
 税がかかる分、とうぜん塩の値段は高くなりますから、安い塩をもとめて塩の闇業者がはびこるようになりました。その中心的人物が【王仙芝】と【黄巣】です。唐王朝としては彼らが売る塩が多くなれば、税収が減ってしまうので、この2人を攻撃します。それに対して2人が起こした反乱が【875】年から約10年間続いた【黄巣の乱】でした。この反乱は、これまでの貧しい農民たちが苦し紛れに起こした農民反乱とは違います。闇商売で大もうけしていた王仙芝と黄巣が起こした反乱です。多くの藩鎮をも味方につけて大反乱に発展しました。
 王仙芝がなくなると黄巣が指導者になりましたが、やがて部下の藩鎮の一人であった【朱温】が唐に寝返ってしまい、彼によって一掃されました。唐王室は朱温に【朱全忠】という名を与えその功績を讃えましたが、【907】年まもなく朱全忠は唐の皇帝を退位させ自ら皇帝として即位。【後梁】を建国しました。
 しかし、朱全忠の後梁が支配していた地域は、唐が支配していた地域とその周辺に限られていました。そのほかの地域には藩鎮がそのまま独立した状態で存続しています。これらの藩鎮は10ヶ国あり、地方を支配しました。中国の中心地域は後梁のあと短命な王朝が後梁む含めて5代続きました。【後梁】・【後唐】・【後晋】・【後漢】・【後周】です。【907】年から【960】年まで10+1で11ヶ国が中国に乱立している時代を【五代十国】時代といいます。
 五代十国時代は、【武人】が盛んに領土を奪い合う戦乱の時代でした。日本の戦国時代のように考えればイメージできます。戦国大名が領国の統治を行なってように、武人が自分の領地を統治しましたから、【武断政治】といいます。この時代に唐のころに繁栄していた【貴族】は消滅し、【佃戸制】が完成しました。

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