古代地中海世界を統一した大帝国が,紀元前1世紀後半すなわち【前27年】,皇帝【アウグストゥス】のもとに誕生しました。その中心となったローマは,イタリア中部にラテン系の人々が建てた都市国家で,伝承によれば,その建設は【前8世紀】の中頃、【ロムスル】と【レムス】という双子の兄弟によるものとされています。
当初ローマは,【】イタリア北部に勢力を張っていた先住民である【エトルリア】人の強い影響を受け,7代にわたってエトルリア人の王に支配されていたものと考えられています。ローマの歴史が明らかになってくるのは,前6世紀末(【前509】年)と伝えられる共和政の開始後のことです。
共和政となったローマでは,【パトリキ】と呼ばれる貴族と【プレブス】と呼ばれる平民の身分差がおおきく,当初は,王の代わりに設置された役職の【コンスル】をはじめとする要職は貴族が独占していました。コンスルは共和制が始まったときに、それまでの国王が持っていた権限を【2】名で分け合うためにおかれた官職です。一人が戦争の指揮を時に内政の安定を図るためにもう一人を必要としていた面もあります。彼らが独裁者になることを防止するために、任期は【1】年としました。古代社会においても独裁者の出現を予防する方策がとられていました。ただし、非常事態が起きたときは、【ディクタトル】(独裁官)が任命されました。この官職は任期を【半】年とし、独裁化を防ごうとしました。
しかし,プレブス(平民)は,【前494】年の聖山事件をきっかけに、貴族の議会である【元老院】やコンスルの決定に対する拒否権をもった【護民官】職の設置に成功し,また,【平民会】の設置も貴族に認めさせました。さらに、【前367】年に制定された【リキニウス・セクスティウス】法により2名の【コンスル】のうち1名は平民から選ばれる体制を実現した。また、貴族の占有地を【500】ユゲラ(現在の【125】haにあたる広さ)に制限しようとしました。
その80年後の【前287】年に制定された【ホルテンシウス】法では,平民会の決議が貴族をも拘束することが決まり、貴族と平民は政治的には同権となったといえます。ただし,それ以後も,貴族の政治的な重要性は長く維持され,初代皇帝となった【オクタヴィアヌス】も【元老院】の権威を尊重しています。
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