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古代オリエント史の問題

2009年04月17日 | 復習用入試問題
次の文章を読み、後の問に答えなさい。

 セム系遊牧民であった【1】人が,メソポタミアに古バビロニア王国(バビロン第一王朝)を建設した頃,この地では同じセム系のカナーン人が定住し,カナーンと呼ばれるようになった。やがてこの地は,古バビロニア王国を滅ぼしたインド=ヨーロッパ系の【2】が,中王国を滅ぼした【3】を追放して成立したエジプトの新王国と覇権を争う場となった。東地中海一帯へのいわゆる「海の民」の侵入がこのバランスを崩し,この地にさまざまの勢力が独自の発展をとげるきっかけとなった。この地には,「海の民」の一派ペリシテ(フィリスティア)人と呼ばれる人々が入植し,製鉄技術や果樹栽培を伝え,パレスティナの地名の由来となった。やがてこの地域の山地方面から海岸平野部に,【4】人と呼ばれる人々(【10】人と自称した)が進出するようになり,ペリシテ人やカナーン人と衝突するようになった。【4】人はやがて王国を成立させ,第2代の王【5】のもとで,ペリシテ人やカナーン人,東方のアンモン人,モアブ人,エドム人,さらに北方のダマスクスの【6】人を征服して版図を拡大し,【7】を首都と定めた。第3代の王【8】は,首都に【9】を奉る(1)神殿を建てた。けれども,第3代の王の死後,王国は,北の【10】王国と,南の【11】王国とに分裂した。
 やがて東方の諸勢力が帝国を形成して強力になるとともに,この地は再び大帝国の抗争の地となった。まずメソポタミアを統一して侵攻してきた【12】が,北の【10】王国を滅ぼした。ついでイラン高原の【13】と同盟を組んで,【12】を滅ぼしてメソポタミアを支配した【14】が,エジプトと組んで対抗していた南の【11】王国を滅ぼした。このとき,首都も神殿も破壊され,王や上層市民は侵略国の首都に連れ去られた。けれども,それから50年足らずの後に,この侵略国は,【13】を滅ぼして勃興してきた新しい帝国【15】によって滅ぼされた。この帝国の支配のもとで,連れ去られた上層市民の帰還が許され,神殿の再建や一定の自治が認められた。【16】の主要部分が編纂され,選民思想やメシア信仰を特色とする【17】教が形成されていったのはこの時期以降のことであろうといわれている。

空欄【1】~【17】にもっとも適当な語を,つぎのa~zのなかから選び,その記号を答えなさい。a.アッシリア b.アケメネス朝ペルシア c.アムル(アモリ) d.アラム e.イェルサレム 
f.イスラエル g.イスラーム h.エジプト i.旧約聖書 j.キリスト k.コーラン(クルアーン) l.ササン朝ペルシア m.新バビロニア(カルデア) n.新約聖書 o.ゾロアスター
p.ソロモン q.ダヴィデ r.パウロ s.ヒクソス t.ヒッタイト u.ヘブライ v.メディアw.リディア x.ヤハウェ y.ユダ z.ユダヤ

正解
(1)c(2)t(3)s(4)u(5)q(6)d(7)e(8)p(9)x(10)f(11)y(12)a(13)v(14)m(15)b(16)i(17)z


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