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中世西欧史 東洋大学

2016年02月24日 | 復習用入試問題

次の文章を読み,後の問い(問1~13)に答えよ。東洋大学

 11世紀後半の西ヨーロッパでは,(1)修道院改革運動の精神を継承し教会改革に熱心なローマ教皇グレゴリウス7世と(2)神聖ローマ帝国皇帝の A との間に鋭い対立が起こった。聖職者叙任権闘争と呼ばれるこの争いは1122年の B による教皇権の拡大につながった。こうした教会と世俗権力との抗争のなかで,ローマ教皇ウルバヌス2世は聖地回復の戦いを起こすことをクレルモン教会会議で決議し,1096年西ヨーロッパの軍隊が突如,西アジアへ侵攻することになった。
 この時期の西アジアはイスラム教徒が支配していた。イスラム教は7世紀の前半,アラビア半島でムハンマドによって創始された宗教であるが,(3)正統カリフ時代を経てその勢力は拡大し, C を首都としたウマイア朝はイベリア半島に進出して D を倒し,さらにピレネー山脈を越えて西ヨーロッパにまで進出した。しかしウマイア朝は,その後アッバース朝の成立によりイベリア半島へ追われた。
 (4)アッバース朝は第2代カリフ E の時,ティグリス川中流域に首都バグダードを建設し,第5代カリフ,ハールーン=アッラシード時代には最盛期を迎えた。しかし,10世紀中葉になると実権はイラン系のブワイフ朝に奪われ,11世紀にはブワイフ朝を倒したトルコ系のセルジューク朝がバグダードに入城し,アッバース朝のカリフからスルタンの称号を受けて世俗の権力を掌握し,さらにアナトリアに進んでビザンツ軍を破った。こうしたセルジューク朝の拡大が十字軍遠征の契機となったのである。
 第1回十字軍は,イェルサレムを占領し(5)イェルサレム王国を初めとするキリスト教徒の封建国家を建設するなど一定の成果をあげたが, F に首都を置いた(6)ファーティマ朝の反撃にあい,さらにアイユーブ朝によってイェルサレムは再びイスラム勢力によって回復された。しかし,これとほぼ同時期にイスラム世界はモンゴルによる東からの侵略に直面し, G に率いられたモンゴル軍の攻撃によってアッバース朝はついに滅亡した。
 一方,十字軍遠征は宗教的情熱だけで行われたわけではなかった。第1回十字軍で建国された封建諸国家に見られるような領土獲得の欲望や,ヴェネツィア商人の要求に従った(7)第4回十字軍などは,経済的利害がこの軍事行動の背景にあったことを示している。ことに北イタリアの諸都市は東地中海の貿易に積極的に関与し,遠隔地商業の発展に寄与した。
問1 上記の文の空欄 A ~ G に入る最も適切なものを一つずつ選べ。
A � コンラート1世 � ハインリヒ4世
� ハインリヒ7世 � フリードリヒ1世
B � アウグスブルク和議 � カノッサの屈辱
� トリエント公会議 � ヴォルムス協約
C � カイロ � グラナダ � コルドバ � ダマスクス
D � 西ゴート王国 � 東ゴート王国
� ヴァンダル王国 � ランゴバルド王国
E � アブー=アルアッバース � アブド=アッラフマーン
� サラーフ=アッディーン � マンスール
F � アレクサンドリア � アレッポ
� カイロ � ダマスクス
G � グユク � バトゥ � フラグ � モンケ
問2 下線部(1)の運動と関係のない修道会はどれか。最も適切なものを一つ選べ。
� イエズス会 � シトー会
� フランチェスコ会 � ドミニコ会
問3 下線部(2)の帝国の起源となった事項は次のどれか。最も適切なものを一つ選べ。
� イスラムのウマイア朝を破ったシュタウフェン家のオットーは,帝冠を授けられた。
� 西フランクのユーグ=カペーが,マジャール人を撃退したことから帝冠を授けられた。
� ザクセン家のオットーはマジャール人を撃退したことなどから,帝冠を授けられた。
� メルセン条約でドイツ王となったザクセン家のカールが帝位についた。
問4 下線部(3)の時代の説明として最も適切なものを一つ選べ。
� イスラムの法律学者が征服地の統治に当り,軍営都市(ミスル)は統治拠点とならなかった。
� 総督(アミール)が征服地統治にあり,イラクのバスラなどの軍営都市が統治の拠点となった。
� ムハンマドの長男アリーの子孫だけがカリフと認められ,征服戦争を指導することができた。
� 東ゴート王国やビザンツ帝国などを滅ぼしたイスラム教徒の征服戦争はジハードと位置付けられた。
問5 下線部(4)の時代の特徴として,最も適切なものを一つ選べ。
� ムスリム(イスラム教徒)は,アラブ人・非アラブ人の区別なくジズヤが免除された。
� ムスリムであっても,アラブ人・非アラブ人の区別が厳格に設けられ,アラブ人にはジズヤが免除された。
� ムスリムの土地所有者はハラージュを免除される一方で,非アラブ人ムスリムも官僚に登用された。
� イラン出身のアッバース家にとって,シーア派の擁護がカリフとしての最も重要な職責であった。
問6 下線部(5)に該当しないものはどれか。最も適切なものを一つ選べ。
� アンティオキア公国 � エデッサ伯国
� トリポリ伯国 � ロンバルド王国
問7 下線部(6)の説明として最も適切なものを一つ選べ。
� 中央アジアのトルコ系の王朝であるファーティマ朝は,スンナ派を基盤としてエジプトを支配した。
� スンナ派を基盤とするファーティマ朝の君主は,ウマイア朝の権威を否定しスルタンを名乗った。
� ファーティマ朝はシーア派にもとづいた王朝で,チュニジアからエジプトヘと勢力を拡大した。
� マムルーク朝の君主を倒してエジプトの支配権を獲得したのがファーティマ朝である。
問8 下線(7)の遠征の結果,建国されたのはどれか,最も適切なものを一つ選べ。
� ラテン帝国 � ニケーア帝国 � キプロス王国 � グルジア王国
問9 イスラムの文化に関する次の文のなかで誤っているものを一つ選べ。
� 『コーラン』の解釈にかかわる神学,法学などイスラム諸学を修めたものはウラマーと称された。
� テュニス生まれのイブン=ハルドゥーンは,『歴史(世界史)序説』において定着民と遊牧民の関係を中心に歴史発展の法則性を論じた。
� ギリシア語文献のアラビア語訳からはじまった「外来の学問」は,アリストテレス哲学の研究ではイブン=シーナーなど優れた学者を輩出した。
� エジプト生まれのイブン=バットゥータの『四大陸周遊記』は10世紀半ばに書かれたものである。
問10 イスラム世界におけるイクター制の説明として,最も適切なものを一つ選べ。
� イクター制は土地の徴税権を軍人に与え,農民や都市民から徴税するものである。
� ブワイフ朝によって導入されたイクター制は,カリフに替わり大アミールが地方の統治をおこなう制度である。
� イクター制はセルジューク朝によって初めて導入されたが,その普及はエジプトのイスラム世界に限定された。
� 後ウマイア朝では,イクター制によって軍人は現金による俸給を保証された。
問11 次のA~Dは,モンゴル勢力の拡大に関する事件である。年代順に適切に並んでいるものを一つ選べ。
A リーグニッツ(ワールシュタット)の戦い B 南宋の滅亡
C 元朝の成立 D アッバース朝の滅亡
� A-B-D-C � A-D-C-B
� B-D-A-C � D-B-A-C
問12 中世から近世にかけてのヨーロッパ都市に関して,次の問に答えよ。
ヨーロッパ中世都市について次の説明のうち,最も適切なものを一つ選べ。
� 11~12世紀以来,北イタリアやドイツでは皇帝や国王から特許状を得て自治都市化した。
� ドイツと異なりイギリスの有力都市は皇帝直属の自由都市として諸侯と同じ地位を得た。
� 南フランスを中心とする諸都市は,リヨンを盟主としてハンザ同盟を結成した。
� 南ドイツ諸都市はハンブルクを盟主としてロンバルディア同盟を結成した。

正解
問1 A � B � C � D �
E � F � G �
問2 � 問3 � 問4 � 問5 � 問6 �
問7 � 問8 � 問9 � 問10 � 問11 �
問12 � 問13 1 � 2 �


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