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名誉革命でオランダの資本がイングランド経済を支えていくことになった

2023年05月30日 | 高3用 授業内容をもう一度

 名誉革命には興味深い点が考えられます。コメントにあった卒業生の大学の授業で扱っているように「経済面」について考えたいと思います。


 名誉革命の本質は、オランダ総督のウェレム(ウィリアム)がイングランドを征服したという点にあります。すなわち、ジェームズ2世を議会勢力が追放したというよりも、オランダから軍隊を率いて上陸したウェレムに対抗できずにジェームズ2世がフランスのルイ14世に助けを求めるためにフランスに亡命した、ということです。その結果は、オランダの商業のノウハウがイングランドに持ち込まれ、イングランドの経済発展に大きく貢献したことと、航海法以来対立を繰り返していたイギリス・オランダ間の関係が改善に向かい、イングランドが発行した国債の購入など、オランダの資本がイギリス(イングランド)の戦争遂行能力を支え続けていったことに大きな意味があります。


 17世紀はオランダの世紀といえますが、彼らは7つの州が別々に政治経済を運営し、最も勢力があったホラント州の代表が一応、オランダ総督として7つの州のとりまとめのようなことをしていました。したがってオランダの弱点は中央集権的に経済政策ができないという点にあります。彼らが活躍したのはバルト海の穀物貿易と木材貿易でした。17世紀の段階では新大陸との貿易により利益はまだまだ少なく、18世紀にならないと新大陸貿易はバルト海貿易を上回りません。


 17世紀のヨーロッパは食糧難の時代でした。北イタリアはコムーネという形態の都市国家だったため、都市は周辺の農村を支配し、穀物貿易にはあまり関心を向けなかったようです。したがって17世紀の食糧難の時期に穀物をポーランドのダンツィヒ市から北イタリアなどヨーロッパ各地に輸送し、その輸送費で大きな利益を上げたのがオランダ商人です。世界史的にはさらに奴隷貿易をオランダが独占したことも考える必要があります。


 名誉革命はこのようにオランダ商人が穀物・木材・奴隷貿易で細かく利益を上げていた時期に発生しました。世界史では英蘭戦争はイギリスの勝利として扱ってしまいますが、実際はオランダが勝利を収めたといえます。その間のイギリス議会とオランダとの和平交渉のなかで、王女アンとホラント州の名門出身のウェレム(ウィリアム)との結婚が実現したわけです。そのウェレムがのちにオランダ総督に就任し、軍隊とともにイギリスに上陸したのが名誉革命でした。


 結果的にオランダがイングランドを征服したともいえます。両者はルイ14世とフランスに亡命したジェームズ2世との連合と対抗するために連帯したともいえます。とくに経済面で両者の提携は進み、先述したような状況になったわけです。


 オランダの貿易独占は18世紀になると崩れていきました。ロシアが啓蒙専制主義をとり、穀物輸出を積極的におこなったことがオランダの独占を崩壊させたわけです。ロシア穀物を扱ったのはイングランド商人でした。さらに新大陸経営が拡大したことも、オランダの経済的覇権を相対的に低下させたといえるでしょう。したがって、オランダ経済は貿易活動からイングランドなどに対する金融活動で利益をあげることがメインになっていったわけです。


 


 


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