03日本大(法)ローマ史
次の文章を読み,問1~問10に答えなさい。答はすべて数字で記入しなさい。
古代ローマ帝国の領土は(1)の統治下で最大となり,地中海沿岸諸地域はもとより,(2)ガリアやブリタニアも含むまでに拡大した。もともとローマはラテン人が半島中部のティベル河畔に建設した小都市国家からおこったものであり,最初は王政がとられていた。だがラテン人たちは,紀元前6世紀末に先住民族の(3)からでた王を追放し,以降数世紀にわたってローマは(4)共和政のもとで強国へと発展していった。しかし,前1世紀になると,同盟都市との戦争,海賊の横行,剣奴の反乱などがあいつぎ,ローマの混乱はその頂点に達し,このため前60年には(5),クラッスス,ポンペイウスによる第1回の三頭政治がはじまったが,これは共和政とはあいいれないものであった。
「ローマの平和」とよばれる(6)ローマ帝国の最盛期は,アウグストゥスから五賢帝にいたるまでのおよそ200年にわたってつづいた。だが2世紀も末になると帝国の政治は乱れはじめ,3世紀には各地の軍隊がかってに皇帝をたてたり,北方からのゲルマン人,東方からの(7)ササン朝の侵入が激しくなるなど,帝国の支配体制は動揺した。3世紀末になってこの混乱を収拾したのはディオクレティアヌス帝であるが,彼はまた(8)キリスト教徒に対する大迫害をおこなったことでも知られている。しかし,コンスタンティヌス帝の時代になると,帝国統一の必要性からキリスト教が公認され,ニカイア(ニケーア)の公会議では,皇帝主導のもとに(9)の教義が正統とされた。コンスタンティヌス帝は,この他にもローマからコンスタンティノープルに遷都するなど,さまざまな改革をおこなうが,これらの努力も帝国の解体を防ぐことはできず,4世紀末に古代ローマ帝国は東西ローマに分割された。そして,東ローマ(ビザンツ帝国)はそれ以後1000年あまり続いたが,(10)西ローマは476年に滅亡した。
問1.空欄(1)に該当する人名を,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.ハドリアヌス 2.ネロ 3.トラヤヌス 4.コンスタンティヌス
問2下線部(2)に関する次の文a・bの正誤を判断して正しいものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
a.ガリアに建設されたローマ風の都市はルテティアとよばれ,のちのパリとして今日まで栄えている。b.ブリタニアに建設されたローマ風の都市はヴィンドポナとよばれ,のちのロンドンとして今日まで栄えている。
1.aのみが正しい 2.bのみが正しい 3,a・bともに正しい 4.a・bともに誤り
問3.空欄(3)に該当するものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.イオニア人 2.ドーリア人 3.イタリア人 4.エトルリア人
問4.下線部(4)のローマの共和政に関する次の1~3の記述のうち,誤りを含むものがあればその番号を,なければ0を記入しなさい。
1.初期の共和政は貴族の手ににぎられており,執政官をはじめとしてあらゆる官職は貴族に独占されていた。
2.平民が重装歩兵として国防をになうようになると,平民出身者を護民官に選ぶ制度がうまれた。
3.前3世紀にはあらゆる官職が平民に解放され,また平民会の決議が元老院の承認なしに国法として認められた。
問5.空欄(5)に該当する人名を,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1. オクタヴィアヌス 2.カエサル 3.アントニウス 4.レピドゥス
問6.下線部(6)に関する次の文a・bの正誤を判断して正しいものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
a.帝国内は一般に平和で,経済活動もさかんであった。
b.ローマの市民権はイタリア半島に住む自由民にだけあたえられた。
1.aのみが正しい 2.bのみが正しい 3.a・bともに正しい 4.a・bともに誤り
問7.下線部(7)のササン朝に関する次の1~3の記述のうち,誤りを含むものがあればその番号を,なければ0を記入しなさい。
1.この王朝をおこしたアルデシール1世は,マニ教を国教に定めた。
2.第2代皇帝シャープール1世はシリアでローマ軍を破り,ローマ皇帝を捕虜にした。
3.この王朝は,アラブ人に征服されて7世紀のなかばにほろびた。
問8.下線部(8)に関連する次の文a・bの正誤を判断して正しいものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
a.ローマヘの宣教に大きな役割をはたした使徒のペテロとパウロはともに,暴君ネロの迫害によって殉教したといわれる。
b.ローマは般に宗教的には寛容であったが,キリスト教徒は皇帝崇拝を認めようとしなかったので迫害された。
1.aのみが正しい 2.bのみが正しい 3.a・bともに正しい 4.a・bともに誤り
問9.空欄(9)に該当するものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.スンナ派 2.ネストリウス派 3.アタナシウス派 4.アリウス派
問10.下線部⑩の西ローマの滅亡にいたる過程に関する次の1~3の記述のうち,誤りを含むものがあればその番号を,なければ0を記入しなさい。
1.本土のイタリアは兵をださず,国境を守るべき属州の軍隊に多数のアラブ人の傭兵が採用されていた。
2.歴代の皇帝が都市に重税をかけたので都市の没落がはじまり,経済や文化も衰えてきた。
3.都市から地方に移った有力者の大所領が,しだいに帝国の行政から独立するようになってきた。
正解
31402 11331
次の文章を読み,問1~問10に答えなさい。答はすべて数字で記入しなさい。
古代ローマ帝国の領土は(1)の統治下で最大となり,地中海沿岸諸地域はもとより,(2)ガリアやブリタニアも含むまでに拡大した。もともとローマはラテン人が半島中部のティベル河畔に建設した小都市国家からおこったものであり,最初は王政がとられていた。だがラテン人たちは,紀元前6世紀末に先住民族の(3)からでた王を追放し,以降数世紀にわたってローマは(4)共和政のもとで強国へと発展していった。しかし,前1世紀になると,同盟都市との戦争,海賊の横行,剣奴の反乱などがあいつぎ,ローマの混乱はその頂点に達し,このため前60年には(5),クラッスス,ポンペイウスによる第1回の三頭政治がはじまったが,これは共和政とはあいいれないものであった。
「ローマの平和」とよばれる(6)ローマ帝国の最盛期は,アウグストゥスから五賢帝にいたるまでのおよそ200年にわたってつづいた。だが2世紀も末になると帝国の政治は乱れはじめ,3世紀には各地の軍隊がかってに皇帝をたてたり,北方からのゲルマン人,東方からの(7)ササン朝の侵入が激しくなるなど,帝国の支配体制は動揺した。3世紀末になってこの混乱を収拾したのはディオクレティアヌス帝であるが,彼はまた(8)キリスト教徒に対する大迫害をおこなったことでも知られている。しかし,コンスタンティヌス帝の時代になると,帝国統一の必要性からキリスト教が公認され,ニカイア(ニケーア)の公会議では,皇帝主導のもとに(9)の教義が正統とされた。コンスタンティヌス帝は,この他にもローマからコンスタンティノープルに遷都するなど,さまざまな改革をおこなうが,これらの努力も帝国の解体を防ぐことはできず,4世紀末に古代ローマ帝国は東西ローマに分割された。そして,東ローマ(ビザンツ帝国)はそれ以後1000年あまり続いたが,(10)西ローマは476年に滅亡した。
問1.空欄(1)に該当する人名を,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.ハドリアヌス 2.ネロ 3.トラヤヌス 4.コンスタンティヌス
問2下線部(2)に関する次の文a・bの正誤を判断して正しいものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
a.ガリアに建設されたローマ風の都市はルテティアとよばれ,のちのパリとして今日まで栄えている。b.ブリタニアに建設されたローマ風の都市はヴィンドポナとよばれ,のちのロンドンとして今日まで栄えている。
1.aのみが正しい 2.bのみが正しい 3,a・bともに正しい 4.a・bともに誤り
問3.空欄(3)に該当するものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.イオニア人 2.ドーリア人 3.イタリア人 4.エトルリア人
問4.下線部(4)のローマの共和政に関する次の1~3の記述のうち,誤りを含むものがあればその番号を,なければ0を記入しなさい。
1.初期の共和政は貴族の手ににぎられており,執政官をはじめとしてあらゆる官職は貴族に独占されていた。
2.平民が重装歩兵として国防をになうようになると,平民出身者を護民官に選ぶ制度がうまれた。
3.前3世紀にはあらゆる官職が平民に解放され,また平民会の決議が元老院の承認なしに国法として認められた。
問5.空欄(5)に該当する人名を,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1. オクタヴィアヌス 2.カエサル 3.アントニウス 4.レピドゥス
問6.下線部(6)に関する次の文a・bの正誤を判断して正しいものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
a.帝国内は一般に平和で,経済活動もさかんであった。
b.ローマの市民権はイタリア半島に住む自由民にだけあたえられた。
1.aのみが正しい 2.bのみが正しい 3.a・bともに正しい 4.a・bともに誤り
問7.下線部(7)のササン朝に関する次の1~3の記述のうち,誤りを含むものがあればその番号を,なければ0を記入しなさい。
1.この王朝をおこしたアルデシール1世は,マニ教を国教に定めた。
2.第2代皇帝シャープール1世はシリアでローマ軍を破り,ローマ皇帝を捕虜にした。
3.この王朝は,アラブ人に征服されて7世紀のなかばにほろびた。
問8.下線部(8)に関連する次の文a・bの正誤を判断して正しいものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
a.ローマヘの宣教に大きな役割をはたした使徒のペテロとパウロはともに,暴君ネロの迫害によって殉教したといわれる。
b.ローマは般に宗教的には寛容であったが,キリスト教徒は皇帝崇拝を認めようとしなかったので迫害された。
1.aのみが正しい 2.bのみが正しい 3.a・bともに正しい 4.a・bともに誤り
問9.空欄(9)に該当するものを,次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.スンナ派 2.ネストリウス派 3.アタナシウス派 4.アリウス派
問10.下線部⑩の西ローマの滅亡にいたる過程に関する次の1~3の記述のうち,誤りを含むものがあればその番号を,なければ0を記入しなさい。
1.本土のイタリアは兵をださず,国境を守るべき属州の軍隊に多数のアラブ人の傭兵が採用されていた。
2.歴代の皇帝が都市に重税をかけたので都市の没落がはじまり,経済や文化も衰えてきた。
3.都市から地方に移った有力者の大所領が,しだいに帝国の行政から独立するようになってきた。
正解
31402 11331