【325】年【ニケーア】公会議で【コンスタンティヌス】帝が公会議を主導し議長を勤めたことは、後世にまで大きな影響を残しました。皇帝がキリスト教会の混乱に関与し、その問題解決を行ったわけです。
キリスト教は【313】年に公認されていましたが、「イエスとは何者であるか?」という根源的な問いに対して、答えを1つに絞りきれずにいたわけです。すなわち、【アタナシウス】は「イエスは【神の子】」であると説き、【アリウス】は「イエスは【人間】である」と主張しました。このほかにも、「イエスを神」であるとする主張や、「イエスは神であり人間である」という主張もありました。ニケーア公会議では【アタナシウス】の主張を正統(カトリック)とし、【アリウス】派は異端として追放されました。
教義内容に皇帝が関与したことは、皇帝がキリスト教を指導する立場であることを意味します。ここで問題になるのは、では皇帝と教皇ではどちらが優位なのか?という点です。もっと言ってしまえば、ヨーロッパの支配者である皇帝と、キリスト教世界の支配者であるはずの教皇との関係はどうなのか?という問題が生じたということです。西欧世界はこの問題を解決するのに1122年まで必要としました。
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