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漢方談話 (埼玉県日高市にあります漢方専門薬局 環のブログです)

フェルデン グループ稽古第三月
個人稽古 第四金
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死との関係  鶏団子と小松菜の甘酢煮

2015-05-18 21:42:52 | 春の肉料理
愛するみなさま こんばんは

お休み中、ご迷惑をおかけいたし、申し訳ございませんでした。

環の営業も本日より通常通りの営業にもどりました。

今日は由紀子先生のフェルデン部の活動日でした
その話題はまたあらたえてレポートさせていただけたらと思います。


週末は、90歳で老衰で亡くなった祖母のお通夜と告別式でした。
訃報の連絡をうけたときに、さあちゃん(妹)に電話をしたら、
コタ君が電話の向こうで、わんわん泣いていて
「ひいばあちゃん 死んだらいやや~~」って言っていました。

5歳にして、初めて体験するはずの身内の死に対する感情があることに驚きました。

死が悲しいもの 

って、何で知っているんだろう?

1)死の悲しみは遺伝子にインプットされているものである

2)さあちゃんの感情に無意識でつながり、連動した

3)コタちゃんが神童だから

やっぱり3)かな?

お・ば・ば・か


さて、金曜日の朝から、なんとまたもや車で向かいました。
今月、二往復目の愛媛。ホテルがどこもいっぱいで一泊しかとれないので
翌日は帰らなくてはならないかもしれませんが、それでも
車を選ぶのは、やはり気が楽だからかもしれません。
朝、4時半に出て、夕方4時すぎに到着。

かつて、おじいちゃんの葬儀の時は、アメイジンググレースを会場に流しました。
おばあちゃんは、その後もずっとアメイジンググレースを聞いていて
私も、その曲を聴くと、泣けてくるくらい、おじいちゃんのテーマソングでした。

おばあちゃんのお通夜が始まってすぐ、ある方の携帯が鳴りました。
なんと、着信がアメイジンググレースではないですか!

おおお!おじいちゃんが来た!
そうまるで、プロレスの選手が入場する音楽のように、アメイジンググレースが会場に流れたのです。
仲良しだった、二人。
おじいちゃんは、ちゃんと迎えにきてくれたのだと思います。

お通夜のご飯の席は盛り上がりました。
みんなでたくさん笑いました。
おばあちゃんが起きちゃうんじゃないかというくらいに。

夜はホテルへ
ホテルはレトロだけれど、お堀が見える、見晴らしがとてもよいビジネスホテルでした

お堀はこんなかんじ


翌日も空いていないか聞くと、やはり満室。
しょうがないね、告別式が終わったら、夜から出ようということになりました。

翌朝、フロントに電話をしたら、なんと
キャンセルがでたというではないですか!
しかも、角部屋のちょっといい部屋!
きっと、おばあちゃんが仕込んでくれたのでしょうね、おばあちゃんありがとう~~!
おまけに夕方、メメちゃんもホテルに泊まりたいというので、
もう1部屋キャンセルがないか聞いたら、ある!というではないですか!
おばあちゃん、やるな~、ありがとう~!

ホテルの朝食を食べに行き、窓からひょっとみた路面電車にこんな俳句が
(松山は正岡子規の街でもあるので、路面電車に俳句箱があったり、壁に俳句がかかれていたりします)



「幽霊は こわいけど
おじいちゃんには会いたいな」

なんて、タイムリー。おばあちゃん、そこにいるのかな?

告別式はお坊さんが、素敵な方で、
お経を読み出したら、ちびっ子たちが一瞬で寝落ち!
私も足先から手の指先まで、ポカポカに。
そして、最後の気合の一声で、おばあちゃんの魂と肉体が
プツリと完全に切れたように感じました。気のせいかもしれないけれど。

そんな告別式も、泣くつもりは全くなかったのです。
だって、おばあちゃんが人生を楽しんでいたことは知っていたし
全てはみんなうまくいっているということも分かっているつもりだし
人はいずれ みんな死ぬものだし、
それは肉体だけの話しで、魂はいくところに行くわけで
おばあちゃんの魂と私の魂は過去世でも会っているので、
また会いたいと思えばいつでも一緒に生まれてくることができるし、
イメージの中では、いつもおばあちゃんに会えるから。
重力や時間など制約のある肉体からの卒業はむしろ
よかったねといいたいことです。

私は孫代表として弔辞を読ませてもらったのですが、
とてもさわやかなお手紙を書いたのに、
最初から、つっかかっちゃって
最後は涙と鼻水でドロドロになってしまった。
おまけに泣くつもりはなかったので、ハンカチがなくて
メメちゃんのハンカチを、マスカラで真っ黒にしてしまった。
(メメちゃん、ごめん。ありがとう!)

覚悟していたおばあちゃんのこと。
祖父母や両親を 多くのケースで見送ることになります。
分かっていても
それでも、こんなにも悲しいのです。

なにが悲しいの?何で泣いているの?と、自分に何度も問いました。

「会えないことが悲しい。」と私は答えました

会ったら、どうした?
「おしゃべりしたい」

じゃあ、イメージの中でおしゃべりしてみたら?
それで、私はおばあちゃんと、たくさんイメージの中でおしゃべりしました。

これが、ヒプノのグリーフセラピーという悲嘆療法の一部ですが
実際に催眠状態でこれを行うと、心がとても癒されます。


そして、思いました。自分より後に生まれた人を突然に見送らなければならないとしたら
きっともっと悲しくて、受け入れるには時間がかかるだろうと思いました。

死という悲しいものがあるなら、
出会いなんていらない という思いもよぎりました。

生まれるということは、出会いなしでは生まれることができないんですよね
人間の場合。
なんで生まれちゃうんだろうと思いました。


お別れの時間、みんなが号泣しているときに

妖精が
「耳たぶさわらなくていいの?」と 私の耳元でささやきました。

え?そんなことしていいの?

妖精
「さわっときなよ、あんなに好きだったんだから!」

じゃ、じゃ、じゃあ、遠慮なく!
大好きだったおばあちゃんの耳たぶを最後に触りました。
冷たいけれど、柔らかさは同じでした。子供の頃から変わらない極上の耳たぶ、
弾力のよい柔らかさと大きさ。
この感触はずっと覚えていると思います。


日曜日の朝
松山の城址公園で太極拳をしました



そして、朝の9時半に出発しました。
松山インターから高速にのって、見る見慣れた風景が

まるで知らない町に思えました。

そう言ったら、妖精が
「いつもここは、みきちゃんが運転してるから、見てないだけでしょ?」

って
そういうことじゃないと思います!

人を通して、場とつながっているのかな?と思いました。
だから、その人が亡くなると?その人とのつながり方が変わると? 
場が変わるのかもしれません。
よく分かりませんが、同じビルなんだけれど、3階から2階に移動したような
同じ場所なんだけれど、少し何かの軸が違うような気がしました。
もう、私には知らない松山になっていました。

住み慣れた家にもどってきても、やはりいつもの街がいつもと違う。
ちょっと、よそよそしく慣れない感じ。
あら?ここも場が変わっている。
今日、環に来てもそうでした、場が変わっている。

たった一人の人間との関係が 魂レベルでは変わらなくても
肉体としての影響し合う関係が変わるだけで、場が変わるように感じたのです。

これは私の頭がおかしいのか?

一体どういうことなんだろう?

このことは、ちょっと調べてみようと思います。
どなたか良い本があれば、教えてください。

******:

「おばあちゃんのうた」

何のために出会うんだろう、
こんな辛い別れがあるのに

何のために生きるんだろう?
いつか死ぬのは分かっているのに


失う体験をすると違う世界に見えてくる

いつもの場所が別世界

ここは一体どこだろう

あなたと私が一つになって見ている世界

********


先週木曜日の夕飯です



鶏団子と小松菜の甘酢煮
なめたけ
かまどなつめごはん
納豆


ショックがあった後なので、ご飯になつめを入れて炊きました。
心を安定する作用があります。
お腹をあたためる鳥団子、胃腸を元気にする小松菜
気の流れを流す、酸味

えのきは、冷蔵庫に残っていたので、使いきりたかったので・・・。