ここ1週間くらいはボビンレースに集中して特に日曜から水曜まではほとんどボビンレースに時間を使っていて
昨日のレッスンで一息。
今日は自由に過ごす日として、台風が近づく中、そろそろ10月の高野山・熊野巡礼の計画もつめなければと思い
今までのメモなどをまとめ始めました。朝一番で最近歯を治療したマンションの下の歯科に行って、チェックと歯石など
を取ってもらい、新宿区の歯科検診も併せて行ってから。
そのあとで久しぶりに時間が取れなかったキャサリン・マンスフィールドを読み、その心の隙間から垣間見れる気持ちの
揺らぎと自然描写にうなってしまいました。言葉の芸術。そしてショート・ストーリーでは特に才能がきらめきます。
完全に理解しあうことはできない男女。
秋の旅行の臨時バスの時刻表がやっと丹生都比売神社のHPに載りました。それを見たら高野山麗世界遺産を巡る
バスにご招待というお知らせが載ったばかりだったので、連絡するとバスチケットを送ってくれることになりました。
ついでにアクセスに九度山から町石道を登るコースが通行止めになっていたので問い合わせると6月の豪雨で通行止め
になり復旧未定となっていて今年中は無理でないかとのこと。出だしからリスケが必要で出鼻をくじかされました。
丹生都比売神社は私も友人も行ってみたい場所だったので高野山に登る前に行っておきたいところでした。
しかたがないので丹生都比売神社まではバスで行き、翌朝高野山までは町石道を歩く計画に変更することにしました。
山と渓谷オンラインより
天野は後から知ったのですが、白洲正子さんが「かくれ里」の中で絶賛した場所で、最初九度山で一泊と思ったのですが
運よく丹生都比売神社の近くの一日一組限定の宿が取れたので、そこに変更していました。白洲さんが桃源郷と言った場所で
ゆっくりできそうです。
かつらぎ町南部、標高約450mの高野山麓に位置する天野の里。四季折々の田園風景が広がる高原の盆地は「にほんの里100選」
にも選ばれています。その中心的存在として鎮座する丹生都比売神社は、1700年前の創建と伝わる古社で全国の丹生都比売大神を祀る
神社の総本社。弘法大師空海がこの神から社領を授かり、高野山を開いたことから真言密教の守護神としてあがめられています。高野山
ゆかりの伝説と史跡が残り、古の文化が薫る歴史の里。随筆家の白洲正子は、著書『かくれ里』の中でこの里についてこう綴っています。
「こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに「天野」の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原で
あった。もしかすると高天原(たかまがはら)も、こういう地形のところをいったのかも知れない」。また、「ずいぶん方々旅をしたが
こんなに閑でうっとりするような山村を私は知らない」「できることならここに隠居したい。桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう」
とも。1971年の上梓からは時代が進みましたが、彼女が見て歩いて感じた里は変わりなく残っています。ゆっくりと彼女の足跡をたどれば
きっと同じ思いを感じるでしょう。 わかやま歴史物語100より
高野山は最初宿坊を予約していたのですが、奥之院近くのゲストハウスに変更して朝6時の生身供と朝のお勤めを見学することにして
いました。その後龍神温泉に行き、熊野古道に抜ける壮大な計画です。今回の熊野古道はこの季節だけ運行する高野山と熊野を結ぶ
バスを利用して、牛馬童子像まで行って近露王子あたりを歩いて高原にバスと歩きで向かう予定です。秋は暮れるのが早いので
明るいうちに高原につかないと明かりも何もないところで道に迷うことはできません。宿泊も6月に取りましたが、すでにいっぱいで
やっと取れた「星空の宿宿」と言う宿です。霧の里高原も熊野古道の中では行きたかった場所の一つです。最終日は熊野古道を歩いて
滝尻に抜け、バスで田辺まで行く計画。サポートしてくれる友人に相談しながら、2日目以降も計画を詰めて行かないと。
台風が来ないでほしいと願っています。
今日はブログで、軽井沢で見て面白かった「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」と一昨日の真夜中に少しだけ見た「プーチンと
ゼレンスキー ロシアとウクライナの100年」がとても興味深い内容で書いておきたかったのだけど、旅行の計画を練り直して
いたら、私のキャパがいっぱいになってしまってできませんでした。映画も「アデルの恋」と「カミーユ・クローデル」、「みつばちの
大地」も残ししておきたいもの。
その代わりに録画していた「初耳学」の堺雅人のモンゴルでの感想が面白かったのでメモを写しておきます。
モンゴルでは道がデコボコで、家もかしいでいる、階段の段差も均一ではない。 日本では道がまっすぐで、平らで、階段も同じ
高さで、体を使っていないことに気がついた。都市が整備され、舗装もちゃんとされ、人間の生き物としての機能が低下している。
モンゴルでは日本と違う体の動きが必要。立っているだけで細かい筋肉が動き出す。
ヨガでは足裏をとても大切にしていました。
堺雅人のことばで義理の80歳を過ぎた姉が道路の端っこの傾斜がついているところがすごく歩きにくいと言って、そのときいた走るのが
趣味の親戚の男の子が走っている時も同じと答えていたのを思い出しました。コロナで家に長くいた時は外を歩くのと家の中とは
全然違うと思ったことを思い出しました。平らなところは体に負荷がかからない。それで自然の中を歩くことは人間にとっても
とても大切なことと思いました。人間は知能も体力も生物として衰えて、そして地球から消えてしまうのだろうか・・
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