3月5日
松竹創業130周年を記念して今年は歌舞伎の三大名作が通し上演で行われることになっていました。
2025年3月、9月、10月、歌舞伎座で、『仮名手本忠臣蔵』、『菅原伝授手習鑑』、『義経千本桜』の3本です。
歌舞伎は吉右衛門亡き後、玉三郎さんだけになってしまいましたが、見たいと思っていました。あとは仁左衛門さんくらい。
今回は歌舞伎の中の歌舞伎である「仮名手本忠臣蔵」は見ておくべきのように思えて、急遽行きたくなってチケットを見たら
もう安い席は完売。そしてなんとか買える2階席も残りがほとんどなく慌てて取りました。それにダブルキャストなので
仁左衛門のプロの方を探して、チケットの残っている日程を調べて行ける日のチケットを取りましたが、目が回りました。
やはりニザさまの方はほとんど売れていていました。
今回2階席になってしまいましたが、いつもの3階より若い人が多かったように思いました。3階席は通の人が来ているように
思い、席の配置も3階の方がなぜか落ち着きますが、今回花道が見れたのが良かったです。
4時半から9時過ぎまでの通しで演じられた忠臣蔵。いつもより和服姿の方も多く、いつもとても参考になります。
いつもとは違う熱い空気が会場にも流れていました。掛け声もいつもよりかかっていたような・・・
舞台装置の色もとてもきれいで、日本の美術の総力を尽くしているように思いました。まるで川瀬巴水や吉田博の版画を
見ているようなきれいなブルー。
仁左衛門を見に行ったのですが、今回も勘九郎の演技に引き込まれました。
おかる勘平は忠臣蔵の中の一つのエピソードですが、見ごたえがありました。
いつも歌舞伎のプログラムがオムニバスのようになっているので、通しだと舞台を見たという見ごたえ
がありました。
今回は2階でもオペラグラスを離せませんでした。心の動きが表れる演技を見たかったから。仁左衛門の由良助が
ときどき覚醒と戯れの間を行き来するのを見ることができました。仁左衛門は風格がありますね。役を生ききっているように
思えました。悪役もいいし、ほんとうにすごい役者です。
松也も歌舞伎を演じているところを初めて見ましたが、声がよく通り、身のこなしも軽く、よく知らない役者さんたちも
多かったのですが、歌舞伎チーム総力をあげての忠臣蔵でした。
通し狂言 仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
五段目 山崎街道鉄砲渡しの場
同 二つ玉の場
六段目 与市兵衛内勘平腹切の場
七段目 祇園一力茶屋の場
十一段目 高家表門討入りの場
同 奥庭泉水の場
同 炭部屋本懐の場
引揚げの場
<五、六段目>
<十一段目> |
早野勘平 勘九郎 仲居おつる 歌女之丞
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雨交じりで和服はあきらめていたのですが、洋服でも忙しくてギリギリに到着。
ロビーに飾ってあった衣装
忠臣蔵は高校時代の卒業生を送るための会でのわがクラスの出し物でした。台本をYさんが書いて、今歌舞伎を見ても
よくまとめてあったと思います。最初おかるはどう?と言われたのですが、とても人前で演じるなんてできない性格です。
すぐ裏方に回りました。そんな思い出がありました。
忠臣蔵で思い出すのはNHKの歴史番組が面白かったこと。
赤穂浪士・最後の49日 - 英雄たちの選択
元禄15年12月14日、吉良邸に討ち入りした赤穂浪士たちは、49日間も、裁定が下されなかった。なぜそんなに時間が
かかったのか?その真相に迫る。 元禄14年の刃傷事件の時、将軍綱吉は、浅野内匠頭に、即日切腹の裁定をくだした。
ところが、赤穂浪士の討ち入り後、綱吉は、迷いに迷って、なかなか裁定を下せなかった。なにが起きていたのだろうか。
このころ、大石内蔵助らを預かった熊本藩の堀内伝右衛門は、直接聞き取った話を覚書としてまとめている。そこには、
大石たちの肉声ともいうべき生々しい証言が盛り込まれていた。裁定の下るまでの49日間をたどる。
徳川綱吉は浅野内匠頭の裁定を誤りと認めることができなかったため、助命したかった浪士に厳しい裁定を悩んだあげた
行ったという説が事実に近いように思います。義より法を重んじて、苦渋の決断だったと思います。綱吉の政治は最近は
評価されてきているという研究結果も多い将軍です。
参考)
新説 忠臣蔵
ますます歌舞伎が面白くなってきました。
仁左衛門のインタビューを読んで、4月も行きたくなってK子さんに緊急連絡。
次回はご一緒できることになりました。
March 5 2025 Ginza