Reflections

時のかけらたち

京都・奈良・広島へ -6 (勝林院からわっぱ堂まで大原歩き) ・・・ trip to Kyoto, Nara & Hiroshima -6

2024-05-13 17:47:15 | wonderland

4月16日

三千院をゆっくり回った後、わっぱ堂のランチの予約時間にはまだ早かったので、勝林院を
見ることにしました。

 

江戸時代に再建された法然上人ゆかりの勝林院の本堂に入ってみることにしました。

 魚山大原寺勝林院は長和2年(1013)に寂源によって声明による念仏修行の道場として創建されました。
約90年のちに来迎院が創建されると、二つの本堂を中心として僧坊が建立され、多くの僧侶が声明の研究研鑽を
する拠点となりました。
こうして勝林院と来迎院を中心とした大原東部の寺院群は、魚山大原寺と総称されるように
なります。
 勝林院は火災や水害のたびに再建されてきました。現在のお堂は安永7年(
1778)に再建されたもの。幅七間
奥行六間の総欅造りで屋根は木の板を重ねて葺いた杮葺です。欄間や蛙股などに彫り込まれた立体的な彫刻は当時の
木彫技術の素晴らしさを今に伝えています。 
                                      魚山大原寺 松林院 HP より

 

お堂の中央に安置されている本尊の阿弥陀如来坐像は「大原問答」の折りに奇瑞を示したことから「証拠の阿弥陀」と
通称されています。
 文治2年(1168)、勝林院住職の顕真が法然をまねいて、延暦寺・金剛峯寺・東大寺などの高僧らとともに念仏の
教えについて問答を交わしました。法然は白熱する論議の中で、念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できると経典を引用しな
がら説きました。すると本尊が光を放ち、法然の主張が正しいと証明したのです。集まっていた多くの聴衆たちは、
どんな人でも等しく極楽往生できることができると知り、大いに喜んで三日三晩絶えることなく念仏を唱え続けたといいます。




見事な彫刻です。












勝林院からは2月に行ったときの道をたどろうかと思ったのですが、記憶が残っていない道を降りてしまい、
そこからが大変でした。途中の地図に呂川、律川と書いてあり、呂川沿いに降りたつもりが、律川に沿って
国道に向かってしまいました。途中服部神社を通り、国道に出ましたが、方向感覚が狂い、バス停よりずっと
下の方に出てしまったと思い、右に進んだらどんどん登り道になり焦ってきました。これはおかしいと思い
スマホの現地情報をオンにした所現在地を認識できず、パニック状態。私がアナログなので娘は全く非協力的。
わっぱ堂に遅れることを連絡したら全然大丈夫との返事。これは間違った方向と思い戻って道を下って行けば
やっと大原のバス停が見えました。

そこからは以前に行ったことのある寂光院方向へ進みました。勝林院からメインの道に戻るルートを失敗してしまい
全く新しい道を通ってしまいました。軌道が元に戻り畑が広がる世界を歩いて行きました。





わっぱ堂にはそれ程遅れないで着くことができました。
とりあえずホッとしましたが、一時はどうなることやら・・・ 国道だと道を聞く人もいません。


入口には、キクイモとか、小さな大根がありました。


 



大原で採れた野菜がたくさん。春の香りでいっぱいでした。お魚につけた味噌もおいしかったです。
きく芋の酢の物みたいなのがシャキシャキしておいしかったです。



炊き立てのご飯に玉子豆腐の入った味噌汁









他の部屋も写真を撮らせてもらいました。




ちょうど行きたかった「来臨(きりん)」が休業日だったので、わっぱ堂にしたのですが、とてもおいしくて、
古民家も面白く、偶然ですが、いいお店に出会いました。

ゆっくり休憩した後に、役場橋に向かって出発しました。


April 16   2024       Ohara, Kyoto

 

 

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