Reflections

時のかけらたち

アメリカの古い映画を見る ・・・ two American old movies

2022-01-28 21:38:17 | movie

右手が使えない今やれることは読書や音楽を聴いたり歌の練習、TVを見ることくらいです。そこで録画して見ないでそのままに
していた映画を先週と今週にかけて見ることができました。普段はなかなか時間が取れないものです。

去年録画していたこの2つの映画は偶然原作者が同じドライサーで、ストリーも女性のために運命が狂ってしまった男の話でした。

 

陽の当たる場所 A Place in the Sun 

この映画は小学生の高学年か中学生の頃TVで見たことは記憶しています。

モンゴメリー・クリフトもマロン・ブランド、ジェームス・ディーンと並んで有望視されていた
スターだったのですね。子供の私はジェームス・ディーンがお気に入りでした。

その後モンゴメリー・クリフトは交通事故で顔面を損傷し整形手術ですっかり変わってしまったことを
覚えています。

今改めてこの映画を見ると重厚な映画だったと思うし、主演の二人の演技も素晴らしいと思いました。
モンゴメリー・クリフトもアクターズ・スタジオの出身だったのですね。野心はあってもおどおどした演技が
とても人間らしかったです。話としては心で犯した罪のために死刑を受け入れていく厳しい役でした。

 

 

 

モンゴメー・クリフトとエリザベス・テイラーが共演し、野心に燃える貧しい青年の恋と転落を描いた人間ドラマ。1931年にも映画化
されたセオドア・ドライサーの
小説「アメリカの悲劇」を原作に、「シェーン」のジョージ・スティーブンス監督がメガホンをとり、
1952年・第24回アカデミー賞で監督賞など5部門を受賞した。

貧しい家庭で育った青年ジョージは、伯父チャールズが経営する水着製造工場で働き始める。やがて彼は同僚のアリスと恋に落ちるが、
社内恋愛は禁止されているため、
周囲の目を盗んで逢瀬を重ねる。そんな中、伯父から昇進を約束されたジョージは、伯父の家の
パーティで出会った富豪令嬢アンジェラと惹かれ合う。

1951年製作/122分/アメリカ
原題:A Place in the Sun
配給:パラマウント日本支社

監督・製作 ジョージ・スティーブンス
原作    セオドア・ドライサー
キャスト  モンゴメリー・クリフト
      エリザベス・テイラー
      シェリー・ウィンタース

ラストのこのセリフが聞き取れませんでした。
「私たちはお別れをするために出会ったのね」と訳されていたところです。

A Place in the Sun (1951) Part 12 (the end)

Seems like we always spend the best part of our time just saying goodbye.

 

 

 

Montgomery Clift video tribute.wmv

 

Montgomery Clift i Elizabeth Taylor... przyjaciele po to są

当時著名な映画監督がそろって使いたがっていたという。「エデンの東」も最初はモンゴメリー・クリフトにオファーがあったのを
断ったという話です。

エリザベス・テイラーとは恋愛関係にあったと言われていますが、バイセクシャルであったとされています。リズとは死ぬまで
友情関係が続いたと言います。
事故以降、アルコールとドラッグの中毒がひどくなり、苦しみの多い人生だったのですが。45歳で心臓発作で亡くなるまで演劇への
情熱だけは捨てなかったと書かれていました。
比較的最近、彼の伝記映画の作成が予定されいるとネットにありましたが、完成したかどうかは確かめられませんでした。
ジェームス・ディーンと言い、痛ましい人生を送った人たちが世に素晴らしい作品を残していったのですね。

 

黄昏 Carrie

 

 

ウィリアム・ワイラーが「探偵物語」に先立って製作・監督した、セオドア・ドライザーの処女小説「シスター・キャリー」の映画化、
1951年の作品である。脚本は「女相続人」のルース及びオーガスタス・ゲーツ夫妻で、原作の一部を集中的に脚色した。撮影は「旅愁」の
ヴィクター・ミルナー、音楽は「悪人と美女」のデイヴィッド・ラクシンが担当。主演は「嵐ヶ丘」以来ワイラーと組んだロウレンス
オリヴィエと「終着駅」のジェニファー・ジョーンズで、以下「女相続人」のミリアム・ホプキンス、「ブラザー・ラット」で舞台から
映画入りした喜劇俳優エディ・アルバート、ベイジル・ルイスディール、レイ・ティールらが助演する。

1951年製作/アメリカ
原題:Carrie
配給:パラマウント
監督:ウィリアム・ワイラー
原作:セオドア・ドライサー シスター・キャリー
キャスト:ローレンス・オリヴィエ ジェニファー・ジョーンズ
音楽:デイヴィッド・ラクシン
撮影:ィクター・ミルナー

 

    

 

黄昏の紹介:1951年アメリカ映画。職を求め、シカゴへやってきた娘キャリーは劣悪な職場環境で怪我を負い、居候先の姉夫婦の家にも居づらく
なってしまう。行き場を失ったキャリーは口説いてきた会社経営者チャールズのもとに身を寄せる一方で、高級レストランのオーナー、ジョージ
にも惹かれていき…。「ローマの休日」の名匠ウィリアム・ワイラーが描く叙情的メロドラマ。イギリスが誇る名俳優ローレンス・オリヴィエが
若き女性との出会いによって人生を破滅させていく初老の紳士役を魅力的に演じています。

とにかく話の展開がすごかったです。まるでイタリア映画を思わせる工場で働く女性たちの映像。陽の当たる場所でも同じような工場が出てきていました。
アメリカもそういう産業の時代だったのですね。チャールズだった決して悪い人ではない。ジェニファー・ジョーンズがたくましく生きていく女性を
演じていました。はじめのうちはノー天気な映画だと思っていたのですが、落ちていく展開がすごくて、ローレンス・オリヴィエがさすがの魅力でした。
プライドを捨てられない男と生きていく強さと柔軟さを持つ女性。ラストシーンで自分のためにホームレスにまでなってしまった彼を助けようとしも
出されたお金の小銭だけをもって街に消えていくラストはなんともわびしいものでした。歌舞伎で吉右衛門が情けをかけられたために切腹をするという
役を演じたと書かれていたことがありましたが・・ 若い彼女の将来を思って身を引いた初老の男性の哀しい話でした。

『アメリカの悲劇』(「陽のあたる場所」の原作)を書いたドライサーの小説『シスター・キャリー』を映画化したもので、ワイラーは、社会派メロドラマ
作家のこの原作の恋愛部分に焦点を絞って、重厚な悲劇を作っている。

 

 

小学生の高学年の頃から結構映画を見だし、おませな映画も見ていたことを思い出します。「地上より永遠に」はどうしてみたいと思ったのかしら?
「うちのママは世界一」のドナ・リードが出ていたからではなさそう。モンゴメリー・クリフトも出ていたのですね。デボラ・カーが出ていたのを
最近再確認したばかり。とにかく連れて行ってくれた母も驚いたことでしょう。私もよくわからなかった映画だったと思います。

 

子供の頃に見た映画


地上より永遠に(ここよりとわに)

新宿武蔵野館

 

 

みゆき座

シベールの日曜日

 

このパンフレット私も買いました。とにかく画像がきれいでした。インドシナでの戦争の
爪跡が残る映画でした。

「エデンの東」も中学生の頃、みゆき座に見に行った記憶があります。

母と中学生の頃最後に見た
サミー南へ行く

父の転勤で中学3年生の頃、家族が九州に引っ越し、私は祖父母の家に預けられて(私の希望でもあった)
家族と別に暮らすことになって、この男の子が一人でアフリカを縦断する話で私を勇気づけてくれたのかも
しれません。

あの頃夢中になったウエスト・サイド・ストーリー 中学生になると友達と渋谷や吉祥寺、日比谷に
映画を見に行くようになりました。今再び分断されたアメリカのためにウエスト・サイド・ストーリーを
作ろうと決めたスピルバーグ。私はE.Tとかは見ましたが、特にスピルバーグは好きな監督ではありません。
でもこの映画は見てみたいと思いました。

中学生の頃は渋谷名画座にAさんとよく見に行きました。I.バーグマン、E.モンタン、A.パーキンスの「さよならを
もう一度」はあのころはやっていたサガンの小説の映画化でブラームスの音楽がすごく合っていた映画でした。
ミュージカルの「南太平洋」もこの映画館だったかな。安く見れて、帰りにジャーマン・ベーカリでチョコレート・パフェ
を食べるのが好きでした。

小学生の頃は家族で映画を見ることもあり、父が黒沢が好きだったので、お付き合いさせられました。
小学校低学年の私には無理でした。赤い風船、道、ベンハー、禁じられた遊び、菩提樹、汚れなき悪戯(マルセリーノの歌)
世界の七不思議(初めて見たシネラマというのだったと思います。)とか小学生の間に両親と見たと思います。

ディズニーのファンタジアは高校生の頃見に行ったかと思います。音楽と映像が一緒になった素晴らしい映画でした。
今思うと曲選びもいいですね。当時のコラムで徳川夢声がこの映画を見て日本が戦争に負けたと思ったと書いて
あったのを覚えています。地球の誕生を「春の祭典」で表したり、スケールの大きな映画でした。

大学生の頃はチャップリンやデビット・リーン、マイク・ニコルズ、シドニー・ポラックなど妹ともよく見に
行きました。イタリアのゼッフェレッリや社会人になってからはヴィスコンティをずいぶん見ました。イタリア語も
少し習ったし。ギリシアのアンドロゲプスやフランスのトリフォーを見たりして、バゾリーニの「王女メディア」では
主役はカラスだったのですね。日本の地唄なども使われいてなんだかものすごい映画だったという記憶が残っています。

 

 

岩波ホールもその歴史を閉じるという・・・残念ですね。今ではミニシアターがたくさんできて他でも
いい映画は見ることができますが。。就職してからはよく帰りに寄りました。ブレッソンの「白夜」とか
ヴィスコンティ、ベルイマン、サタジット・レイ、オルミ、ヴィクトル・エリセ監督などの映画が印象的でした。
カコヤニス監督のエウリピデスのギリシア悲劇「イフゲニア」という心理劇も面白かった。学生時代にアヌイの
アンチゴーヌを読んでいたけど何も覚えていない。
タルコフスキーやニキータ・ミハルコフは六本木のWAVEとかいう映画館で見た記憶が・・・

そのころだったか、アイヴォリー監督の「眺めのいい部屋」で有名なオペラのアリア「私のお父さん」がすごく
効果的に使われていて強く印象に残っています。クンデラの小説の映画化「存在の耐えられない軽さ」も
ダニエル・デイ・ルイスが全く違う役作りで出ていて同じ人かと思うくらい。ジュリエット・ビノシュも初めて
見ましたが心に残る役者さんです。機会があればもう一度見たい映画です。

だんだんハリウッド映画はあま見なくなってきました。ディア・ハンターで知ったメリル・ストリープが出る映画を
見るくらい。イタリア、フランス、スペイン、ソ連の映画などが主流になりました。

結婚してからは主人と暮れとかに三越劇場とかでやっていたオペラの映画をよく見たくらいで映画を見に行くことも
なくなりました。ゼッフェレッリの演出とかで素晴らしかったです。
映画はテレビで放映されるの見たり、図書館から借りたり、年に1度くらいしか見に行っていませんでした。
比較的最近見た中で一番印象に残ってるのがマイケル・ラドフォードとマッシモトロイージの「イル・ポスティーノ」です。

とりとめもなく思い出される映画とそれにまつわる思い出。

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