10月24日
前回の花巡りの記録です。聖蹟桜ヶ丘の駅に集合して、桜ヶ丘公園と旧多摩聖跡記念館を訪れました。先生が一番お話したかったことは満州開拓団のことでした。
多摩丘陵は同じ東京とはいえ、ほとんどなじみのないところでした。明治天皇の足跡があり、明治の歴史が色濃くあるように思いました。満州に行った人たちの慰霊碑のようなものもあり、昭和の戦争に向かって行った歴史を刻む場所でもありました。
川が交差して合流し、先で多摩川の流れとなって行きます。
明治時代にこの辺は別荘があり、当時の太政大臣の三条実美の別邸に明治天皇がお見舞いにいらしたことがあるとのことです。対鷗荘と言って、今でも対鷗台という地名が残っていました。
多摩丘陵いある広い公園です。
この公園の一角に満州に渡った人たちの慰霊碑があります。
先生はこの碑の前で、子どもの頃の思い出を語ってくださいました。
満州開拓団の募集があり、クラスから一人参加する人を出さなければならなくなり、困っていたら志願してくれた生徒がいて、その方が無事日本に帰ってから手記を出されたとのことです。学生でしかも中学生くらいの子供たちも連れて行ったのですね。国を作ったからには労働者もたくさん必要でした。生きた歴史を学ぶことは機会も少なく、とても貴重なお話でした。実際に経験した方のお話を聞くと現実にあったことだと実感ができます。先生がこの碑を案内して下さらなかったら、さっと素通りしてしまったかもしれません。ひっそりと訪れる人も少なそうな、関係者の方たちだけが集まっているような感じです。
その当時の地図をまだ持っていらっしゃいました。日本が韓国や中国にしたことはどういうことだったのか、中国とかに言われなくてももう一度しっかり見るべきことですよね。第二次世界大戦より前から戦争は始まっていたのです。平田オリザさんの講演でもそういう話が出ていたと思いますが、学生時代はそういう本もよく読んでいたのですが、今ではおぼろげです。
日本のお金と、満州で使っていたお金です。満州を支配していたので、貨幣も日本のものです。先生が子供の頃、多摩聖跡記念館に来た時の写真も見せていただきました。遠足や修学旅行もみんな皇室に関係したところだったとのことです。
今回はお弁当の時間に牧野先生との出会いをお伺いしました。先生は師範学校(学芸大)の出身で戦争により学業も何年か中断されましたが、戦後また戻り、中学校の先生になりました。そのころ巡り合った会の人から誘われて、牧野先生の講演会か何かに行かれたのが始まりだそうです。牧野先生を始め植物学者が
恩返しはできないけれど、自分ができることを何か人につないでいってくださいねと話されました。
珍しいキノコ。カニノツメ
当時にしてはかなりモダンな建築です。
お弁当タイム。毎度おなじみのおにぎりで。
今回はお弁当の時間に牧野先生との出会いをお伺いしました。先生は師範学校(学芸大)の出身で戦争により学業も何年か中断されましたが、戦後また戻り、中学校の先生になりました。そのころ巡り合った会の人から誘われて、牧野先生の講演会か何かに行かれたのが始まりだそうです。牧野先生を始め植物学者と知りあわれたそうです。
自分はその方たちに恩返しはできないけれど、皆さんも自分ができることを何か人につないでいってくださいねと話されました。
キバナアキギリ
お花の写真は次回まとめます。
Oct. 24 2020 Seiseki-Sakuragaoka