Reflections

時のかけらたち

べニシアさんのエッセイ(追記あり) ・・・ Venetia's essay rev.

2020-05-10 20:43:00 | people
昨日は家から歩いて明治神宮北参宮ルートで神宮の森を歩くという素晴らしい一日でした。
都会の中に出現する手を入れていない森が守られているのは惠です。
14,286歩、9.1Km でした。

夜中にこの前の新宿中央公園ビオトープまでのウォーキングの印象をさっと載せようかと思っていたら、べニシアさんの
番組の予約録画時間になって、そのままオンタイムで見てしまい、ブログの作業は中断。

スペシャル「雨の中でも踊るのが人生」
京都大原の古民家で、季節に寄り添った手づくり暮らしを楽しむ、イギリス出身のベニシアさん。庭で育てたハーブを
料理や掃除に活用するアイデアや、日本の古き良きものと洋風の調度品を組み合わせる独自のセンスなどにより、豊かな
古民家暮らしを営んできた。今回は、過去12年間の映像とともに、これまでの人生とこれからについて旧友と語り合う、
最新の映像を紹介。ベニシアさんの家族や仲間たちとの日々を見つめる特別編。




ご主人が入れてくれる日本茶がおいしいと幸せな時間を過ごすベニシアさん。

べニシアさんとはほぼ同年代のせいもあり、気持ちがとてもよくわかることがあります。
同じようなことを思っていたことを発見したり・・

猫のしっぽ カエルの手

「蛙手(かえるて)」と呼ばれていた「カエデ」。「キャットテール」という猫じゃらしを赤くしたような花穂は
とてもやわらかく、まさに「猫のしっぽ」。この二つの植物の呼び名からタイトルができました。

画像と共にベニシアさんの言葉が流れました。

生活はアート
生き方、暮らし方は一人一人が創り出す芸術作品です。

日本の自然の素材で作られた工芸品の素晴らしさ。
生活に美しさを添え、やがて地球の土に帰っていく。


長年の陶芸家の友人、中村明久氏に一服のお茶を点ててもらい、素晴らしい一瞬を過ごすベニシアさん。
彼の言葉がとてもよかったです。

お茶 心静かに自分の五感を感じる。
美しいと感じる心は人それぞれ。
掛軸 「夢」 夢のように終わる人生。一時一時を大切に。
二人の気持ちがいっしょになる時間。

ベニシアさんについて
 やさしいオーラのある人。simpleな生活でhappyに。
生きること 
 特別なことでなく、ただ普通に生きているだけで、その人にしかできないことは絶対ある。


苦労は人生を磨く
いいことがあれば悪いこともある
予想できなかったことが起き、愛する人を突然失うこともあるでしょう
ありのままを受け入れる術を ゆっくり身につけて行くのです
 
 


そして運命は偶然ではなく、自ら選びとっているのだと気付くのです
 not chance but choice

その瞬間を一生懸命生きることが、人生を楽しくしてくれる
 
心を静めれば美しい世界に囲まれていることに気づくでしょう
 
幸せは自分の心次第です
Happiness depends on ourselves

早くしようとすると間違えるかもしれないから、ゆっくりするのがいい


ベニシアさんのエッセイから

野の草花

私の目に触れる植物は
どれも独特の美しさと役割をもって
ずっと昔からこの地に自生しています

世界中どこでも 自生する土着の植物が
その土地の野生生物の暮らしを支えています

私たちも 身の回りの植物に
もっと心をとめて大切にできたなら

自然界に存在する命の輪のおかげで
すべての生き物が
仲良く共存できていると気づくでしょう

ふと美しい詩の一節が心に浮かびました。

一粒の砂にも世界が
一輪の野の花にも天国がある
きみの手のひらには無限があり
ひとときのうちに永遠がある

ウィリアム・ブレイク(英国の詩人)

私も学生時代、大好きだったW.ブレイクの詩。

To see a World in a Grain of Sand
And a Heaven in a Wild Flower,
Hold Infinity in the palm of your hand
And Eternity in an hour.
William Blake "Auguries of Innocence"

ワーズワースとかイギリスの詩人も好きでした。


ベニシアさんの生き方はこの日常生活を見直さざるを得ない時期に思い出したかつて親しんでいた
羽仁もとこの提唱する暮らし方をさらに、後押ししてくれることになりました。
中村さんの言葉もいいですね。ああいう風にゆったり年を取りたいものです。中村さんの李朝風の
器も素敵でした。


追記)
番組でベニシアさんが朗読したエッセイを書きとめました。
日本語は字幕スーパーにあったものです。

「Venetia's Essays」 Venetia Stanley-Smith

苦労が人生を磨く

人生は月のように満ち欠けするもの
いいこともあれば悪いこともあります
次に何が待ち受けているかわかりません
予想もしなかったことが起きたり
愛する人を突然失うこともあるでしょう
ありのままを受け入れる術を
ゆっくりと身につけて行くのです
そして運命は偶然ではなく
自ら選びとっているのだと気づくのです
その瞬間を一生懸命生きることが
人生を楽しくしてくれる
心を静めれば美しい世界に囲まれていることに気づくでしょう
幸せは自分の心次第です

Difficulties can make you a jewel

Life is like the moon It waxes and wanes.
We never know, on our journey of life, what lies around the corner.
An unexpected event may happen, or we may suddenly lose someone we dearly love.
Slowly we learn to accept life as it comes.
We realize that it is our choice, not chance, that in the end determines our destiny.
Through perseverance and patience, our life unfolds, and we learn to enjoy each moment.
If our heart is tranquil, we begin to realize that the beauty of this life lies in the simple things.
Happiness depends on ourselves.

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芸術と憲法を考える連続講座第25回 平田オリザ講演 ・・・ Oriza Hirata

2020-01-12 23:55:30 | people
1月10日



東京芸術大学音楽学部学理科主催、自由と平和のための東京藝術大学有志の会共催の「芸術と憲法を考える連続講座」
第25回に行ってきました。イタリア語とベルカントでご一緒のSさんが以前、望月衣塑子さんや元NHKの永田浩三氏の
話を聞いてとても面白かったということで教えていただいた会です。平田オリザさんのお話があるというので是非お聞き
したいと思いました。



もしウィーンに行くとすれば、見ておきたいハプスブルグ展。




夜の上野公園を突っ切って芸大に向かいました。



















残念なことにこの連続講座は第27回で修了するというアナウンスが最後に在りました。芸大主催と言うのが難しく
なってきたのでしょうか・・




タイトルは「憲法と文化政策」



平田氏が世界(ヨーロッパが多い)での仕事を通して、日本の文化政策の遅れを語りました。

最初にイランのことに少し触れて、イランは文化的水準が高く、ヨーロッパの人たちは重要性を知っていて
文化的には結び付いていたいと思っているとのことでした。

各国での活動、上演を通して、得たものはとても興味深かったです。
ハンブルグの公共ホールからオペラの依頼をされて福島を舞台の作品を上演。ドイツ人は舞台には出ていなかった
けれど億単位の費用がかかっている。日本の場合は日本の税金を使えば、どうして日本人を出さないのかと言う
圧力がかかる例がある。

またハンブルグ市はオリンピックの招致を最終的に国民(市民?)投票て否決し、オペラハウスを建てた。
一時的な経済効果でなく、これから本当に必要なことにかける賢明な選択に思わず拍手を送りたくなった。

ヨーロッパでは国を超えて、人類の財産と言う考え方があり、税金を使ったものは商業的に成立しなくてもいい。
フランスからの依頼では宮沢賢治「銀河鉄道の夜」をベースにした「幕が上がる」を上演している最中に3.11があり
パリに戻って上演の時に多くの人たちから被災者への支援が送られたエピソードが紹介された。
また、どんな時でも芸術活動は自粛すべきではない。人を救うものは何かを思います。もちろんパンは必要ですが
パンのみにて生きるに非ずです。あの時海外から送られてきたものに色鉛筆かクレパスかがあったことを
日展の記念講演の時に聞いたことがあります。



日本の文化的な厚みのなさを感じる。
最悪の例は昨年の愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」海外ではもう愛知には出さないという人が多い。何と
タイトル通りになってしまったことが記憶に新しい。

平田氏は大阪で維新・橋下時代にファシズムが育つのを見てきたと話されていました。彼は文楽の予算を切った
ことを始めて知りました。ドナルド・キーンは日本の恥と言ったそうです。



憲法25条は9条と並んで制定当時世界最先端の条項だったとのことです。日本人の手で作られました。
にもかかわらず・・・

日本の文化予算は存続にのみで発展をさせていない。これは緩慢なる文化破壊。
日本の文化予算は先進国の1/4、フランや韓国の1/10だそうです。
日本では文化的な最低限度の生活、権利が保障されていない。チケットの高さ。これでは高収入か、
よっぽど好きな人しか行けない。
健康は健康保険、経済的も何とか保障されているけれど、文化的には遅れている。
30代・40代の死因のトップは自殺で休職者のほとんどは心の病。
心についてお金を使っていない。技術が享受できるように企業がもっと負担する必要がある。
健康、経済、そして心のケアがなければ人間は生きて行けない。




獅子舞が復活したところから、ポジティブな考えで住民がまとまり、より高い場所へ集団で住居を
移していったという。被災地の支援、人間が生きていく上にどれだけ文化が必要なことか・・

芸術の役割
① 芸術そのもの
② コミュニティ形成や維持のための役割

町からコミュニケーションの場がなくなっていく。
東京では教育が壊れて行っている。私立に流れ、地域の交流・多様性が無くなる。
無意識のセーフティ・ネットが無くなってきている。

地方の壊滅
市場原理 - 思想統制

地方では大型店が出店して、その土地の商店や産業を壊して、して退店して荒れている
所が多くみられると。
フランスではアマゾン法と言う法律ができて、地方都市の文化発展のために本屋を守ったとのこと。
本屋は本を売るだけではない。

コミュニティスペースがなくなっていく。経済が発展しても社会が壊れてしまっては意味がない。
青少年の居場所・交流の場が少なくなってきている。
市場原理だけで街を拡大した渋谷では、社会的弱者の居場所がなくなり、反社会的集団を作ってしまった。



図書館のこれからの役割は大きい。
公共的文化施設が居場所として、社会の接点として機能。

ゆるやかなネットワークには文化活動が役に立つ。芸術文化による交流の空間をつくる。
ヨーロッパではホームレスプロジェクトがあり、シャワーを浴びて、音楽やアートの鑑賞ができるように
している。炊き出しだけは本質的な解決にならない。mindの問題。
また失業者割引もある。働く気力が持てるように助けている。他人の笑顔が自分の幸せになる体験。
日本だったら失業中なのに芸術を鑑賞なんてという感覚。
中高年のひきこもりも多いという日本。

余談ですが、オリザと言うお名前は本名でドイツ語で稲と言う意味だそうです。



文化による包摂

日本は最も人間が孤立しやすい国になっている。
社会包摂 social inclusion
人間を孤立させない。
セーフティネット 文化やスポーツ、趣味でつながる新しい共同体。


dialogue

演劇の重要性
dialogue は演劇の言葉と出てくる。話し言葉で成立する演劇。
海外では音楽、美術と並んで演劇が教育に入っているとのことです。







話し言葉、対話
対話と会話 日本では会話がほとんど。ヨーロッパでは異なる文化が隣り合わせで説明が必要で
対話力が身についている。
1919年のパリ講和会議で対話のできない国ドイツ、イタリア、日本がファシズムを生む。
国歌と統一が遅れた3国。

対話はAとBが話しCを作る。

ギリシアで哲学と演劇と民主政治は同時期に発生。民主主義の為には対話が必要。

ネットで調べたら人事労務用語辞典で
「一般に「対話、対談」と訳されますが、人材育成や組織開発の分野で用いられる「ダイアローグ」(dialogue)とは、
たんなる情報のやりとりではなく、話し手と聞き手とが理解を深めながら、互いに共感や意識・行動の変化を引き出し合う
創造的なコミュニケーションのあり方を指します。近年、組織における学びや創造、問題解決、ビジョンの共有などに有効な
アプローチとして注目を集めています。」と出ていました。


最後に最初に紹介した宮沢賢治の言葉で締めました。地方再生。今こそ宮沢賢治が必要。



最初に紹介した賢治の言葉







途中たくさんの拍手もありましたが、平田氏は立候補する気持ちはありませんからと笑っていました。

時間がもう無くなって、司会者が質疑はどうしようと言っているときに平田氏は受け付けましょうと
いくつかの質問に答えていました。

その中でどうして豊岡に住まれているのですかと言うものがあり、
開学予定の演劇大学の準備など「キャリアの集大成」となる事業に取り組むためで、風土も好きそうです。
最後にも演劇の役割を語っていました。演劇は多文化共生して居場所を作りやすい。人との接点を持つ、
他者と接触する、個と個が出会うことの重要性。

私自身も振り返ると居場所のない無職老人となってしまいましたが、文化によるつながり、積極的に続けて
行こうと思いました。居場所の問題は年令を問わず、日本の重要な課題となりました。芸術が人々に居場所を与える。

休憩時間中にオリザさんの本を買いました。
「わかりあえないことから」







Jan.10  2020   Ueno

次回のユン・ドンジュはぜひ行きたいけれど、次々回もこの会が最後となればできるだけ行ってみたいと思っています。
オリザさんの話を聞いて、日本と韓国のことも歴史の真相ってなかなかわからないけれど知らないことが多いと思いました。
歴史を知らないと今起きている問題も語れません。
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中村哲医師と館野泉 ・・・ Tetsu Nakamura & Izumi Tateno

2019-12-08 23:07:15 | people
世界で中村哲氏の死の反響があまりにも大きいので驚いています。若い頃から彼の活動はかなり知られていて
私もTVなどでインタビュー番組があればよくお話を聞いていました。

  


多くの著書もあり、講演活動も日本に帰ったおりに精力的にされていたのですね。
彼の生き方は日本の平和貢献への道を示していました。武器ではなく水で命を守ること。
平和憲法のもと日本の取るべき道はこれだと身を持って主張されていたのです。






                        


今いち体調がすぐれなくて、家で宿題の編み物を追いつかないけれどする日々。
昨日の教室の日も、ベルカントレッスンはやめてできるだけ宿題に近づきたいと思い家で
編んでから自由学園明日館のニット洋室に出かけました。

編み物は結局教室でかなりほどくことになりました。模様が少し飛んで、Deep Forest が 一部 Dark Forest
になってしまいましたが、ほどくとかえって目を拾いそこない、もっとひどい結果になるので、先に進みましたが、
先生から1作目からそれではということで数段ほどいて、目の拾い方とか教わりました。どんなことでもやってみると
勉強になります。目をすべて拾った後に先生が編み針に糸をかける感じでこういう風にして編むのかとわかりました。
もうあまり先を急がないで、とにかく正確に丁寧に編むことにしました。先生がおっしゃるには気持ちが編み方に
出るとか・・ この傲慢でいいかげんな性格なんとかしなくてはと思います。もうすこし先に行くと編んだところにはさみを
入れるという劇的な場面になります。こんな編み物見たことありません。





そんな編み物の日々、館野泉のドキュメンタリーの再放送があり、かけながら編み進めていました。久しぶりに見る館野泉です。
その昔に左手のピアニストとして復活するまでの番組はいくつか見たことがありましたが、これを見たのだったかは
よく覚えていません。

若い頃、好きだった日本の音楽家の一人です。他にはチェリスト安田謙一郎、ピアニスト井上直幸が好きでしたね。
よくコンサートに行きました。

彼のバースデーコンサートに行ってからもだいぶたちます。草笛光子さんも登場して和やかなコンサートでした。
まだフィンランドに行く前だと思いますが、上野の文化会館の精養軒でまだ人が誰もいない時間に食事をしていた
ところに出会ってチケットの裏にサインをしてもらったことがあります。コンサート前に大変失礼なことをしてしまったと
今では思います。若い頃、「音楽の友」に掲載の自叙伝もとてもおもしろかったことを記憶しています。

ハイビジョン特集 左手のピアニスト~舘野泉 再びつかんだ音楽~(初回放送:2005年)
出演者ほか【出演】舘野泉,間宮芳生,ペール・ヘンリック・ノルドグレン,【スタジオキャスター】渡邊あゆみ
フィンランドを拠点に、世界の舞台で活躍していた日本人ピアニスト・舘野泉。70歳を前に脳出血を起こし、右半身に
後遺症が残った。リハビリの結果、日常生活は不自由なく送れるようになったが、ピアニストとしての右手は戻らなかった。
彼が「左手のピアニスト」として復活するまでの執念の日々に密着。


  

左手でも音が出せるようになり、そこには音のうねりが同じようにあることを知った彼は再び、生きる歓び、生きる意味
がつかめたと話していました。

今回のドキュメンタリーではなぜフィンランドに行ったのかが良くわかりました。
ドイツやフランス、イタリアなどの音楽文化の伝統が強いところは避けたということです。日本の感性の中で育った彼は
音楽の歴史の中にどっぷりつかることの危険を感じ、西ヨーロッパ、日本から距離を置くことを考え、北欧にしたとのこと。
自然の中へ行ったということです。シベリウスにはとても魅かれていたようですが。

冬や夜についての言葉もおもしろかったです。冬は命が続いていて、咲き出る準備をしている時間。
冬も夜も再び命を輝かすのに必要なもの。

ブラームスがクララのために書いた左手だけのバッハのシャコンヌ。単なる練習曲と思っていたら
それは片手だけだからこそ表現できるバッハの世界があったとのことです。ヴァイオリン曲をピアノ曲
になかなか移すことができなかったけれど、たまたま右手が使えなくなったクララのために書いた曲が
バッハの世界を見事に表現することができました。ヴァイオリンと違って和音がたくさん表現できないため
シンプルにすることが良かったのです。館野は少ない音の豊かさ、単純でありながら豊かで深い音の世界に
到達することができました。
一音一音にいとおしさを感じて、今も彼の音楽は人の心を動かします。

自然の中で彼の音楽と向き合い、少ない音の中で広がる世界に浸っています。




シベリウス 樅の木 作品75の5(「樹」の組曲(5つのピアノ小品集)より)

なぜか心が締めつけられそうなシベリウスの曲です。

彼は今音楽を続けることができる幸せの中で生きています。
そうならなったらわからなかった世界があると。




昨日のニット教室が終わって




「婦人の友社」前のクリスマスツリー
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恩師との別れ ・・・ good by Mr.Sukemoto

2019-06-27 18:17:15 | people
6月26日

今日高校1年の時の担任で英語教師だった祐本寿男先生の告別式に行ってきました。97歳まで前向きに生きて
こられた先生に元気をもらいました。先生の生き方がわかるようないい告別式でした。



数日前に突然の高校時代の恩師の訃報が友人から届きました。彼は秋の古希の同期会のとりまとめをして
いるので、先生にも(正確には先生のお嬢さん)連絡をしたりしていました。ご高齢でもういらっしゃれ
ないかもしれないけど、連絡だけ入れておいたらとどうかしらと話していたところでした。

年賀状はもうやめられていたのですが、返信不要で私の方は出させていただいていました。
今年の初めに娘さんから何とかやっていると伝えてほしいという先生の言葉をお聞きしていたので、こんなに
急に亡くなられるとは思ってもいませんでした。



97歳と言う年齢で充分の年齢ですが、100歳くらいまで行けそうだったのにと友人と葬儀の後話しました。
先生は一人教えると喜びが何倍にもなって戻ってくると話されえいたそうです。教師が天職の方でした。
体全体を使って英語をなぜ学ばなくてはいけないかと教えてくれました。もうイッセー尾形そっくりで、
同窓生のイッセー尾形が彼のことは知らなかったのはうそのようです。
その後高校でもいろいろと政治的なこともあり、先生は高校教師をやめられて予備校や大学で教えるように
なり、それぞれの場所で全力で向き合われてきたのですね。先生の著書3冊を見るとよくわかります。

葬儀でも先生の生きてこられた様子がモニターに流されて、ちょっと涙をこらえるのが難しくなってきました。
高校の頃、お宅に2回お邪魔させていただいたり、秋川だったかお子さんも一緒に遊びに行ったことも
ありました。

一度青学の短大の先生をされているとき、大学の近くの道路でお会いしたこともありましたが、卒業して
何十年もたってから出版記念会に誘われて途中から参加したことがあり、それから私のクラスのクラス会に
無理にお願いしてゲストで来ていただいたり、家の近くの公園のお花見に誘っていただき、お宅にも
伺い最後までお付き合いが続きました。素敵なかわいい奥さまを2年近く前に失くされて心配していました。

最後はお嬢さんの近くの病院にいて、毎日読書をされていたそうです。一生勉強、一生青春が先生の
生き方だったと息子さんの言葉がありました。
幼少のころ両親を亡くされつらい人生を送られていたと思いますが、素敵な伴侶を得て、家族を大切に
生きてこられた先生です。



棺の中に動物園のタオルが入っていたのは、クラスメートの動物園長になったN君からもらったものとか。
退任の時、会いに来てくださったそうです。彼はオーストラリアにコアラをもらいに行くとき、偶然先生に
あったと話していたことがありました。
先生のお顔は透明感があり、仏様のようにきれいでした。

何か勇気や希望を心にともしてくれる先生でした。その明るさも私たちをこれからも励まして
くれるのでしょうね。

久しぶりにはいたパンプスですっかり足が痛くなりました。
写真を撮るのも忘れた先生の告別式。写真を忘れるなんてめずらしいです。
それで家の近くの紫陽花をスマホで撮って、あとは井の頭の紫陽花を入れてみました。
先生を偲ぶアジサイの花です。



先生の気持ちは確実にみんなに届いていることを確信しました。
先生、ありがとうございました。


June 26  2019
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樹木希林さんの遺したもの (追記あり) ・・・ Kilin style

2019-05-03 23:59:54 | people
4月7日

ときどき”今”を入れながら、のんびり進むブログです。
やっと希林展を見に行った4月7日に来ました。



樹木希林展に最終日に滑り込み。
それも前日まで池袋西武と思い込んでいたところが何とも・・
ぎりぎりで軌道修正。
朝早くに行ったので、程よい混み方でゆっくりと何度も戻りながら見ることができました。





KILIN言葉の道に書かれている言葉の数々が味わい深かったです。
会場に入っていく長い通路を両側に飾ってあるパネルを見ながら展覧会場にゆっくり進みます。
いろいろな展示の前に彼女の言葉を読んでいくのはなかなかいい方法です。
彼女の人生をそのまま受け入れていく姿は、年を重ねていく上で、何か照らしてくれるような
そんな感じがします。まっすぐ心に落ちていく言葉たちです。

帰ってからその時見た言葉を探そうと思ってインターネットでたくさん彼女の言葉を詠みました。

年をとってパワーがなくなる。病気になる。
言葉で言うといやらしいけど、これは神の賜物、贈りものだと思います。
終わりが見えてくるという安心感があります。
(2008年7月)

年を取ったら、みんなもっと楽に生きたらいいんじゃないですか。
求めすぎない。欲なんてきりなくあるんですから。
足るを知るではないけれど、自分の身の丈にあったレベルで、
そのくらいでよしとするのも人生です。
(2008年7月)

自分にとって不都合なもの、邪魔になるものをすべて悪としてしまったら、
病気を悪と決めつけるのと同じで、そこに何も生まれて来なくなる。
ものごとの良い面と悪い面は表裏一体、それをすべて認めることによって、
生き方がすごく柔らかくなるんじゃないか。
(2014年5月)

(出典元:『一切なりゆき』〜樹木希林のことば〜)


がんはありがたい病気。
周囲の相手が自分と真剣に
向き合ってくれますから。

ひょっとしたら、
この人は来年はいない
かもしれないと思ったら、
その人との時間は大事でしょう?
そういう意味で、がんは面白いのよ

この年になると、
がんだけじゃなくて
いろんな病気にかかりますし、
不自由になります。
でもね、それでいいの。
こうやって人間は
自分の不自由さに仕えて
成熟していくんです。

若くても不自由なことは
たくさんあると思います。
それは自分のことだけではなく、
他人だったり、ときには
わが子だったりもします。
でも、その不自由さを
何とかしようとするんじゃなくて、
不自由なまま、おもしろがっていく。
それが大事なんじゃないかと思うんです

病気をしないのが、健康でいることが良いものであるけれども、
悪いものの中に見えてくるものがある。健康であるがゆえに見えないものがある。


おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい。




どうしても見つからないのが、年を取るとちょうどいい具合に欲も少なくなってくるというよいうな
言葉と 一度あっちの世界に身を置いてみると、名誉欲とかどうでもいい欲がどうでもよくなるということを
表した文章。年を取るのも、病気になるのもだんだん消えゆく身には都合がいいというような感じ。


彼女をたどる写真たち。また特に和服姿がいいですね。和服を洋服に変えているのもおもしろい。
自筆の原稿。出演した映画のパネル。何かすぐ通り過ぎることができない、いつまでもいたくなる
展覧会でした。













琵琶奏者だった父親を見たら、最初のご主人 岸田森も、内田裕也も何かわかるような気がしました。





































これはスカパーで見た是枝監督の「海よりもまだ深く」のことだったかしらね。




とにかく昨年は彼女の映画を立て続けに見た年でした。最後にピークを持ってきた見事な生き様でした。
















何必館は京都に行くたびに寄ってみたいのだけどなかなか実現できていない美術館です。希林さんと関係が
深かった美術館だったのですね。






















トロフィーを利用して照明器具を作ってしまうアイデア。











よく構成された企画展で、見ごたえありました。写真OKも助かります。

この後、食事をしてから新宿まで歩くことにしました。まず原宿まで歩いて、明治神宮を抜け、参宮橋のOZONのところまで
行って、シャトルバスを利用しました。さすが家まで歩くのは無理かしらと思いました。





April 7 2019 Shibuya


追記)
たくさんの言葉の中で、老いること、欲に関連する言葉が心に引っかかっていて、本屋さんで見たり、ネットで
見てもみつけることができなかったので、渋谷西武のHPの質問欄から問い合わせをしました。
そうしたら連休中にもかかわらず、丁寧な返事を再三いただいて、最後には参考までにと出典を全部教えてくださいました。
多分、下記の文言が一番ぴったりくるかと思いました。いろいろ丁寧に対応していただき、催事担当の方には
大変お世話になりました。渋谷西武がこれからも心に響く企画を開催してかつての渋谷が文化の発信地で
あったように私たちに届けてくれることを願っています。

「こちらまで身軽になった」
 私は不動産が好きで、家に対しては少なからぬ執着があって。ただ、その執着もル・コルビュジエが、
彼の好きな地中海を望む場所に、自分たち夫婦が住むための小屋をつくったという話を聞いたとき、
すとんと抜けたんです。禅でいう方丈ではないけれど、あれだけの建築家がやりたいことをやり尽くした末に、
最終的にたどり着いたというその小屋を見たとき、こちらまで身軽になったというか……。だから今は自分が
この世につないでいるあれこれの鎖を、欲望も含めて一つずつ外している感じですね。

(家庭画報「きもの好き、映画好き」2‌0‌0‌8年1月)

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花緑さんの余韻とささやかなひな祭り ・・・ Karoku's afterglow & a tiny Hinamatsuri

2019-03-04 23:56:17 | people


2日の花緑さんお講演会の余韻が残っています。
ネットで調べたらあの落語会はやっぱりすごかったみたいです。

加藤たけしさんという落語関係のプロデュースなどしている人のツィッターより

【2019/3/2落語見聞録 水天宮日本橋劇場 人形町花緑亭 第26夜】
②「芝浜」柳家花緑
衝撃!この季節、この構成!でも、新しい工夫、まくらでふった暗示が見事に集約して笑いが多い、
おかみさんがたくましい、新しい演りかたの、名演落語。

③「お節徳三郎(上・下)」柳家花緑
冬から桜の季節の構成にしたいと、仲入前に話していたけど、このボリューム!
笑いの多い『花見小僧』と、人情噺の『刀屋』のコントラストが見事!お客さんは幸せ者だぁ!

私が取材している落語会のなかでは、早くも今年度ナンバーワン落語会の予感。


また、イントロで紹介していた「ぴあ」のことも思い出しました。おもしろそうな連載なので
アプリをインストールしなければなりません。
今販売中の婦人公論にも出てるとか・・同じ病気の方の力になっています。
ちょっとした言葉のはしはしに現代社会への皮肉というか、光るものがあります。

≪アプリ≫『ぴあ』
連載「私のクリエイター人生 “柳家花緑 私の落語人生”」全10回(予定)
※閲覧方法
スマートフォン(Android,iPhone)やタブレット(Android,iPad)で
専用アプリ「ぴあ」をダウンロードしてご覧下さい。
https://lp.p.pia.jp




昨日のささやかなひな祭り






芋真蒸を作りました。海老のそぼろを葛でとろみをつけてかけます。
真薯は大和芋とじゃがいもと海老のすり身。山芋が多く入った生地は 薯蕷饅頭の味です。







数日前に作った里芋大福、これは星岡の鶏まんじゅうに似ています。
手間をもっと簡単にした感じ。そこだけカリッと半分くらいかぶる油で
揚げます。栗原はるみのレシピ。




今日はタラと小松菜のキムチ和え。TVの3分クッキングで紹介していました。




ギャラリーワタリで買ったカード。


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Ryuichi Sakamoto : Coda

2019-01-10 14:17:16 | people


坂本龍一 Ryuichi Sakamoto:Coda




お正月5日の午後、録画しているのをいろいろ見ていたら、Eテレで坂本龍一のドキュメンタリーフィルムを
やっていて(おそらく再放送)、おもしろそうなので見始めたら、これは録画しておかないとと急遽録画を
始めました。その日はきちんと見れていなかったので、翌日再生しました。NHKが協力して作った映画だった
のですね。



Codaというタイトルから人生の最終章であることをはっきり意識しています。彼の社会とのかかわり方、
病気との付き合い方、音楽とのかかわり方を5年間にわたって日本人の母親とアメリカ人の父親を持つ
スティーブン・ノムラ・シブルが撮っています。アーカイブもあり、坂本のこれまでの活動を全体的に
描いていて、淡々と音楽に向かう今が積み重なっていきます。

作られた音、自然の音に耳を傾け、バッハを弾く日々。
solariはまるでバッハでした。



コラールのようなバッハの曲かと思ってしまいそうな曲を聴きながら、涙が出てきました。
イメージは自分が船(=棺)に横たわり永遠の宇宙へと時間の壁を越えていく感じ。それは坂本龍一が
あと何年生きられるかわからなく一瞬一瞬が永遠になるというナレーションの影響かわからないけど。
坂本龍一がmy own choral と番組中で言っていましたね。

私の大好きなバッハのコラールも弾いていましたが、これはタルコフスキーにソラリスで使われたので
「アルバムには入れられない。自分で作るしかない」と語っていました。このコラール《われ汝に呼ばわる、
主イエス・キリストよ》BWV639は私の心に残る曲ですが、ソラリスでの印象はもう遠くに行ってしまって
いて、オルミ監督の「木靴の樹」で淡々と農民の理不尽なその時代では当たり前だった暮らしを描いている
のに使われてそれが忘れられません。

なんだか武満徹*がその後のタルコフスキーの映画音楽を書いていたことがあったかと勘違いしていました。
調べたら、武満はタルコフスキーが好きだったのですね。私も映画ノスタルジアの中の水の音が忘れられません。

*武満徹
スペインの映画監督ヴィクトル・エリセの映画エル・スールを父親の視点から絶賛しているほか、
アンドレイ・タルコフスキーに深く傾倒し、タルコフスキーが1987年に他界すると、その死を悼んで
弦楽合奏曲『ノスタルジア』を作曲している。


話がそれてしまいますが、エリセもオルミもタルコフスキーも大好きな監督たちです。
あの自然の音を使ったノスタルジアは音楽関係の人にも多くの影響を与えていますね。
坂本龍一もそうだし、Scott Walker の最近の曲作りもそうです。


坂本龍一からのメッセージは声を上げ続けれなければならないという姿勢。声は届かなくても
あきらめない。地球を次世代につなぐために。


アルバム「async(同期しない)」に使われた彼が映画音楽を担当したベルトリッチ監督の
「シェルタリング スカイ」から坂本龍一の思いを。

Paul Bowles
Because we don't know when we will die, we get to think of life as
an inexhaustible well. Yet everything happens only a certain number of times,
and a very small number really. How many more times will you remember a certain
afternoon of your childhood, some afternoon that is so deeply a part of your
being that you can't even conceive of your life without it? Perhaps four or five
times more, perhaps not even that.
How many more times will you watch the full moon rise? Perhaps twenty. And yet
it all seems limitless.

我々はいつ果てるかを知らない
だから人生を枯れない井戸のように考える

だが、いかなる事も限られた数しか味わえない
自分の人生に深く影響を与えた幼少期の・・・
とある昼下がりを幾度思い出す事だろう?
4〜5回?
それ程ないのかもしれない

満月の昇る姿をあと何回見るだろう?
例え20回だとしても
全てが無限の如く思えるのだ


参考)
坂本龍一のドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto: CODA」(2017)を観た感想
坂本龍一と「調和しない音楽」 クローズアップ現代 2017年4月21日





坂本龍一のツィッターを見ていたらブライアン・メイの呼びかけをさらにリツィートしていました。

Dr. Brian MayさんがRob Kajiwara ❄️ 🌨️ ☃️ 🎄 🎅🏽をリツイートしました

URGENT !!! URGENT !!! PLEASE SIGN THIS PETITION to save a beautiful coral reef and
irreplaceable eco-system, threatened by USA extending an airbase. Bri


Jan.5-6   2019


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今思い出す人 ジョルジョ・ドン ・・・ Jorge Donn, clown de Dieu

2018-11-07 23:28:25 | people


ブルーが亡くなった時から家計簿が止まっていました。
レシートをエクセルに打ち込むだけですが、4か月分です。
もうおっくうになって、後回しにしっぱなしでした。
仕事をしているときは目を通すこともない、保険や投資や年金についても
確認して、国民健康保険料や介護保険料の高さに改めて驚いたりして
全体像は再確認していたのですが。やたら介護保険とか入ってしまっていたのも
考え方でこれで良かったのかしらと思ってしまいます。
年金で取り崩していくだけの生活になるので、いろいろ見直しも必要かもしれません。

気が付くと足元に来ていたブルーももういないし・・




my one and only love と言う懐かしいメロディーをどこかで聞いてYouTubeで
探して聴きました。結婚したての頃、よく聴いた曲です。あのころはジャニス・イアンも
よく聴いていました。30年も前のこと。





懐かしいジャズを聴いていたらYouTubeにジョルジョ・ドンが上がってきて、ボレロが懐かしくて、
思わず見てしまいました。何回見に行っただろう。バレエ・フェスティバルやベジャールの
20世紀バレエ団。今見ると舞台では遠くだったので手の表情がきれいとかしか思わなかったけれど
体が汗で光ってすごい。あの淡々としたボレロを神にささげる儀式のようにリズムを刻みクライマックスへと
上りつめていく緊張感。
彼はやっぱり天才だったのだと改めて思いました。
ベジャールとのコンビで素晴らしい作品を作っていったのだけど。最後に見たのがニジンスキーを
演じたもの(ニジンスキー、神の道化師)でした。エイズにかかっていたことがわかっていた時だと
後から思ったけれど。


 




フランソワーズ・モレシャンとの対談をみつけて見たら、とても面白かった。
他にも動画で歌舞伎や能の動きを思わせるものもありました。20世紀を代表するダンサーだったのだと
改めて偉大さを思いました。

















今、再びジョルジョ・ドンのことを調べていたら、今までブエノスアイレスからこのダンサーが出たことを
不思議に思っていたけど、彼はロシアからの移民だったことがわかり納得。
1992年11月30日になくなたのでもう18年もたったですね。



この夏に行った世界バレエフェスティバルは佐々木さんの追悼でもあり、今までのバレエフェスティバルのことを
全部振り返っていたけれど、もっとドンのことをフィーチャーしても良かったのではないかと思いました。


ドンの記事をいろいろ探していたら
Love your life, poor as it is.――貧しくとも君の生活を愛せ。(H.D.Thoreau)
という私の学生時代に大好きだった作家ソローの言葉をサブタイトルにしている人がいました。
plain living and high thinking という言葉も思い出しました。これからの指針でもある言葉。




続けて久々にグールドのバッハとか聴きました。グリモーのベートーヴェンもすごくよくて。
グリモーは一度ブラームスを聞きに行ったことがありますが、他にもラフマニノフもモーツァルトも
音が透き通っていていいピアニストがいたのだと気が付きました。


コメント (2)
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EREさんのプロジェクト ・・・ Nobuko Kikuchi's heritage

2018-10-03 23:59:39 | people
職場を去る時にいただいた花のせいか娘のくしゃみが止まらなくなったので、玄関に持っていったり
戻したり、時間とともに色褪せて枯れて行ってしまう花。














仕事をやめて、家にいて片付けをしているとブルーのことを思い出す時間が多いので、泣けてくることが
あって困りました。まだ食器とかそのまま置いてあるで・・

ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった京都大の本庶佑(ほんじょたすく)特別教授(76)が、若手研究者を支援する基金を京大に設立する意向
との朝日新聞デジタルの記事が目に留まった。
私も仕事で科研費にかかわった時に、先生方はずっと基礎研究の大切さを話していました。実用的ですぐ成果が出るものにしか
国が補助しないと嘆いていました。理系の研究者とかかわる仕事だったので、こういうことで少しでも環境が良くなってほしいといつも思う。

基礎研究は、科学者が自身の自由な好奇心や発想に基づいて、新たな自然の原理などを見つけようとする研究だ。
ただ、その成果を短期間で実用化に結びつけにくく、研究費の獲得は難しくなっていると指摘されている。

国から配分され、国立大学が自由に使える「運営費交付金」は、2004年度以降、1400億円以上減った。この間、基礎研究を支える
もう一つの柱「科学研究費助成事業(科研費)」の増額幅は、450億円にとどまった。
16年にノーベル医学生理学賞を受賞した大隅良典・東京工業大栄誉教授も基礎研究の重要性を訴え、東工大が設立した基金に1億円を寄付している


国の考え方が後れを取っている状態。少しでも改善を願う一人です。


              

EREさんの菊地信子コレクションを発信してその世界を広めていきたいとの思いに紫苑さんが答えて、プロジェクトを応援する
サークルができました。今年の初めに沼袋のシルクラブでのコレクションに圧倒されました。形見に欲しかった久米島まで
分けていただき、今回お話があった時に自由時間も増えるし、こんな専門家でもない私でもなにか力になれることがあればと思い
参加させていただくことになりました。

台風が来ていたので、第1回の集まりの予定日2日はどうなるか心配でしたが、台風も去り、とてもいい天気になった一日、ニューオータニの
ほり川で食事をして、お庭を散歩してから、コレクションの保管場所までお邪魔をさせていただきました。なんだか訳もなくすごく楽しくて・・
EREさんのお人柄のせいなんだろうな~。

EREさんは大体方向付けをされているようで、いろいろな人の意見を聞きたいという感じでした。自分らしさを出していきたい
と思っていらして、特に和服にこだわらず、新しい着方とか提案していきたいようです。

彼女の考えをお聞きして、皆でいろいろアイデアを出し合いました。
とにかく、まず整理してデータベースを作るところが始めないと、何も始まらないみたいな感じ。

このコレクションはとにかく残して伝えていかないとという彼女の思いと、新しい表現に期待したいところです。 

おじい様のコレクションのように美術館に預ける方法もありますが、信子夫人の更紗コレクションはもっと身近に見てもらって生かしていきたいという思いがあるようです。








前回は花織のクリーム色やベージュの帯にあわせたけれど、今回はイカットにしてみました。
イカットは紬になら何でも合うような感じがして、以前単独で買ったものです。
帯どめは「池田」の黄水晶だったかしら・・

菊地さんの久米島を着て出かけようと思ったけどうまく着れなくて。今度は半襟が出すぎています。
夏用の長襦袢にファスナーで付けるタイプですが、上の方に行って、首が沈んじゃう感じもして。
しかもグズグズで着くずれしてきてしまいました。これからもっと着て慣れないといけません。




ほり川に飾ってあった篠田桃紅が斬新。







季節感ばっちりの紫苑さんのコーディネイトです。




紫苑さんは着物を着なれていらっしゃるし、着物体型でうらやましいです。モデルさんみたい。
初めてお会いしたのに、挨拶が初対面じゃないのよね。最初から打ち解けてしまい大変失礼しました。ブログの力ってすごいですね。







黄八丈が髪の色にとてもよくお似合いのあるばとろすさん。
帯のドットもかわいくて、いつもvividなコーディネートです。



EREさんは娘のようです。

































ミニクーパーでコレクションを見に。




御主人の入れてくれる2種類のお茶がおいしかったです。













EREさんとおばあさまの着物




























菊地信子さんでつながったご縁です。


Oct.2  2018   Hotel New Ohtani
コメント (6)
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黒沼ユリ子 ・・・ Yuriko Kuronuma

2017-10-08 07:20:42 | people


心の時代のインタヴューの途中で久しぶりに見ました。
心の時代選と言うアンコール番組で終わる前の10分くらいでしたが
すべての言葉が納得です。

楽器も使わないと音が出なくなる。
パガニーニコンクールでの優勝者にパガニーニのヴァイオリンを
弾かせてあげるということを止めるようになった。
博物館に飾っておいては音が出ないので。
楽器も成長する。彼女のヴァイオリンの音が
変わって行った。楽器の隅々まで響くように。

陸前高田の一本松で作ったヴァイオリンを弾くと、亡くなった方、大切な方を
亡くした方の悲しみが伝わってきてショスタコーヴィッチの前奏曲が鎮魂歌のようになり
テンポもゆっくりとなると話されていました。

音楽は言葉以前、感情をそのまま伝えるもの。だからuniversal。
たくさんの人生経験が現れる。
たくさんの嵐をこえて、港に静かに入っていく...今はそんな心境と。


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こころの時代~宗教・人生 選~ アンコール「共にわかちあう日々を」

2017年 10月8日 5:00-6:00

日本、チェコスロバキア、メキシコ、3つの国に暮らし、世界40カ国で演奏活動を続けてきたバイオリニストの黒沼ユリ子さん。
人々と人生をわかちあい深まった音楽とは。.

番組内容

黒沼さんが初めてバイオリンを手にしたのは、敗戦まもない8歳の時。空腹の夜、讃美歌を歌い、レコードを聴いた家族団らんが
音楽への道を開く。18歳で「鉄のカーテン」の向こう、チェコスロバキアに留学。メキシコ人の文化人類学者と結婚し、先住民が
暮らす山間の町にも暮らした。場所や歴史は違っても、音楽を愛し、音楽に生かされる人々との出会いが黒沼さんの音楽を豊かにしてきた。

初回放送:2016年9月11日


出演者
ヴァイオリニスト…黒沼ユリ子,
きき手 山田誠浩

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黒沼ユリ子さんは確か岩波新書でメキシコのことを書いていて、昔読んだことがあります。
音楽も人間性も豊かな方です。



早起きは三文の徳と言うけれど、めったに見ない時事放談で
タイムリーに石破・前原対談をやっていました。一部とはいえ本人からの
生の声が聞けるのはいいですね。好きな番組ですが起きていないこともあり
なかなか見れません。

最近は2時過ぎに寝ることも多くて、音楽も聞かずに眠ってしまうこともありましたが
また、聞くようになって、モーツァルトのクラリネット協奏曲が子守唄です。

昨日は食後片付けをした後眠くなって横になっていたのですが、
友人からの電話で目が覚め、珍しく寝つきが悪くて、早起きもしました。
きっと私にしては充分睡眠を取っていたのでしょうね。


今日はこれから私のカメラの最後のお仕事で、鎌倉にブーツの修理を持って行って
何処か散歩してこようかと思っています。
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