台風が、先週から断続的に続いています。時折、通勤・勤務時間も多少イレギュラーな形になっていますが、しろねこのところはまだまだ穏やかなほうです。
日本の天候は本当に、一体どうなってしまったのだか。
ところで先日、よく勉強している生徒の一人が、「これらの言葉の意味を辞書で引いてもよく分からなかったので、それぞれの読み方と意味を教えてほしい」と、言葉をリスト化した紙切れを持ってきました。見ると漢文の一節や、収録語数が多めの辞書でないと載っていないかも、という語が多くあります。ところがその中に、一つだけしろねこが見てもよく分からない言葉があるではありませんか。
「子紙」って、何だろう……。
「――これ、どんな文の中にあった?」と聞くと、その子が何かの例文を持ってきた、それを見て納得。
彼女は、「鳥の子紙(とりのこがみ)」という言葉をひと纏まりで認識せず、その後半部分「子紙」だけに注目していて、その意味を真剣に探していたのです。
それで、古語辞典の「鳥の子」の項目の説明を、彼女に教えました。本当は実物も見せてあげられたらよかったのですが、そこまではしていません。
思いおこせば、高校で古典を習い始めたころ、おもしろくなってきて辞書を引いて引いて、あとで全集の脚注とつき合わせていた数年間がしろねこにはありましたが、その時のノートを見返すと、当てずっぽうで目星を付けた単語の区切り方がおかしくても、力技で意味調べを成し遂げています。いつかも書きましたが、漢検準1級に一発合格した時の勉強もそう。『漢検漢字辞典 第一版』がギリギリ世に出たかどうかのころで、それは買っていなかったから、部首で引く普通の漢和辞典だと四字熟語なんて本当に力技の意味調べだった。今だとこんなとんちんかんな調べ方はもうできないけれど、大真面目で真剣だったんだよなあ、多分質問に来たあの子も、今そうなんだよなあ、と思いを巡らせました。
そんなしろねこが最近辞典で調べた言葉は、まず「食言」。ある雑誌の紙面で、最近の公人の言動を表現する際に使われていて、三省堂の『大辞林』では次のようにあります。
・「食言(しょくげん)」=〔「書経湯誓」より。一度口から出した言葉を、また、口に入れる意〕前に言ったことと違うことを言うこと。また言ったことを実行しないこと。約束を守らないこと。うそをつくこと。「君子は――せず」
次に、ある小説の中での、「伝法はだ」。こちらも『大辞林』の説明。
・「伝法肌/伝法膚(でんぼうはだ)」=荒っぽい言動を好む性質。勇み肌。主に、女性について言う(本当は、ここで「伝法」の意味から列挙すべきなのでしょうけれど、割愛します)。
そして、また別のある小説の中で見かけた、「霑酔」。こちらは、学研『漢字源』の説明。
・「霑酔(てんすい)」=全身にしみわたるほど酔う。(類)泥酔
……なぜ「泥酔」では味わえないなんともほろりとしたふくよかな印象を、「霑酔」という字面は与えているように感じるのだろう。
「泥酔」も、いかにも酔って、だからこそ酔った肉体が生きている感じがして、なかなか悪くはないけれど、「霑酔」のような、ひたひた、はらはらと全身の感覚がどこかに落ちてゆく感じはない。やはり、雨かんむりはそれほど何かしみじみとロマンチックな風情があるのでしょうかね……。すべてはしろねこの勝手なイメージで、原典を見ればそんなものではないのかもしれません。
1990年代の後半は特に、部屋にいると昼間から閉じ込められたかのように感じてしまう雨が、多かったような気がします。そのままどこか別の世界に、連れ去られてしまうような……。――でも、今の雨は、とてもそういう感じには思えません。あるいは、自分の社会的立場が当時と今とでは違うせい……?
とにかく、早く残暑と野分が去って、穏やかな秋が来てほしいと願うばかりです。
日本の天候は本当に、一体どうなってしまったのだか。
ところで先日、よく勉強している生徒の一人が、「これらの言葉の意味を辞書で引いてもよく分からなかったので、それぞれの読み方と意味を教えてほしい」と、言葉をリスト化した紙切れを持ってきました。見ると漢文の一節や、収録語数が多めの辞書でないと載っていないかも、という語が多くあります。ところがその中に、一つだけしろねこが見てもよく分からない言葉があるではありませんか。
「子紙」って、何だろう……。
「――これ、どんな文の中にあった?」と聞くと、その子が何かの例文を持ってきた、それを見て納得。
彼女は、「鳥の子紙(とりのこがみ)」という言葉をひと纏まりで認識せず、その後半部分「子紙」だけに注目していて、その意味を真剣に探していたのです。
それで、古語辞典の「鳥の子」の項目の説明を、彼女に教えました。本当は実物も見せてあげられたらよかったのですが、そこまではしていません。
思いおこせば、高校で古典を習い始めたころ、おもしろくなってきて辞書を引いて引いて、あとで全集の脚注とつき合わせていた数年間がしろねこにはありましたが、その時のノートを見返すと、当てずっぽうで目星を付けた単語の区切り方がおかしくても、力技で意味調べを成し遂げています。いつかも書きましたが、漢検準1級に一発合格した時の勉強もそう。『漢検漢字辞典 第一版』がギリギリ世に出たかどうかのころで、それは買っていなかったから、部首で引く普通の漢和辞典だと四字熟語なんて本当に力技の意味調べだった。今だとこんなとんちんかんな調べ方はもうできないけれど、大真面目で真剣だったんだよなあ、多分質問に来たあの子も、今そうなんだよなあ、と思いを巡らせました。
そんなしろねこが最近辞典で調べた言葉は、まず「食言」。ある雑誌の紙面で、最近の公人の言動を表現する際に使われていて、三省堂の『大辞林』では次のようにあります。
・「食言(しょくげん)」=〔「書経湯誓」より。一度口から出した言葉を、また、口に入れる意〕前に言ったことと違うことを言うこと。また言ったことを実行しないこと。約束を守らないこと。うそをつくこと。「君子は――せず」
次に、ある小説の中での、「伝法はだ」。こちらも『大辞林』の説明。
・「伝法肌/伝法膚(でんぼうはだ)」=荒っぽい言動を好む性質。勇み肌。主に、女性について言う(本当は、ここで「伝法」の意味から列挙すべきなのでしょうけれど、割愛します)。
そして、また別のある小説の中で見かけた、「霑酔」。こちらは、学研『漢字源』の説明。
・「霑酔(てんすい)」=全身にしみわたるほど酔う。(類)泥酔
……なぜ「泥酔」では味わえないなんともほろりとしたふくよかな印象を、「霑酔」という字面は与えているように感じるのだろう。
「泥酔」も、いかにも酔って、だからこそ酔った肉体が生きている感じがして、なかなか悪くはないけれど、「霑酔」のような、ひたひた、はらはらと全身の感覚がどこかに落ちてゆく感じはない。やはり、雨かんむりはそれほど何かしみじみとロマンチックな風情があるのでしょうかね……。すべてはしろねこの勝手なイメージで、原典を見ればそんなものではないのかもしれません。
1990年代の後半は特に、部屋にいると昼間から閉じ込められたかのように感じてしまう雨が、多かったような気がします。そのままどこか別の世界に、連れ去られてしまうような……。――でも、今の雨は、とてもそういう感じには思えません。あるいは、自分の社会的立場が当時と今とでは違うせい……?
とにかく、早く残暑と野分が去って、穏やかな秋が来てほしいと願うばかりです。
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