“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

30-2 受けてきました

2018-10-14 18:37:04 | 日記
漢検1級30-2を受けてきました。

まず、「びろうげ」が思い出せなくてショックでした。芥川の「地獄変」であんなに記憶に焼き付いていたのに、……ということばかりが頭に渦巻いて、結局帰りの地下鉄の中でビンロウ樹とともに思い出す始末。
その上、「はらむ」の例文が天候に関する内容で、「孕」の字面の雰囲気が合わないんだよな……と書かないで飛ばしていたら、なんと空欄のまま終了。阿呆すぎる。この4点は大きいように思います。
言い訳ですが、来週ある文化祭での出品作や、某大学で小説家を育成する学部のAO入試のための試作、公募作文、弁論原稿、文集作文など、最近生徒や卒業生の創作文を添削する機会がとくに増えていて、来る日も来る日も「平仮名か、漢字か」などと悩むセンサーを働かせ続ける癖も影響したような気がします。
因みに、AOの生徒(正確には卒業生)は無事受かりました。その子は受からないと家族との確執が増えそうだったので、心配事がひとつ減りました。

客観的に見て今回の問題は、対義語類義語のところ以外は、ある程度勉強していれば合格圏に行けた人も多かったのではないかと思います。

で、しろねこはというと、別に舐めてかかっているわけではなく、本当に前日の夕方からやっと仕事を無理矢理遮断して、勉強することができました。これが毎日できたらなあ、ととりあえず今までの勉強の跡を追いました。それまで、8月以降ほぼ暇なし。
今年度は多少は暇かと思いきや、年間行事その他の諸事情で、全然そうじゃなかった。働くのはきらいではないけれど、「どうなんだろう、これ」と思うことも多いです。

今日も、本当は生徒募集行事のため出勤日だったのですが、今年度は役職からほぼ外れているおかげで、当日だけは休みやすくなっています。第3回も同じく出勤日ですが、そちらも今年は立場上、楽に休めそうです。
ただ、それにもかかわらず、日頃の忙しさは変わっていません。場合によっては、例年より忙しいこともあります。

いろいろ書きましたが、最近の傾向で、既に合否を狙うというより一種の健康診断みたいな感覚があるために、次も落ち込まずに受験するつもりです。
どれだけ勉強時間がとれるか分かりませんが、辞典も全体的に眺めていくことを続けながら読書もして、柔軟に漢字を思い出せる脳みそを目指して頑張ります。

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3 コメント

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Unknown (候天)
2018-11-14 20:21:23
質問です。
「向こうに行く」

「向こうへ行く」
の違いを教えてください。
返信する
こんばんは。 (しろねこ)
2018-11-15 02:09:57
>「向こうに行く」
>と
>「向こうへ行く」
>の違い

候天さん、
「に」と「へ」はいずれも格助詞で、その文法的意味はそれぞれに複数ありますが、全部に言及すると煩雑になってしまうので、とりあえず、ご質問の例文に当てはまる文法的意味に範囲を狭めてご説明します。

私が職場を出る間際にご質問のお知らせメールに気がついて、咄嗟にひっ掴んで持ち出した教材『新訂 国文法の基礎』(学宝社)によると、格助詞「に」と「へ」には、次のような意味があるとされています。


「に」
意味:動作の帰着点を示す。
→例文:札幌に着く。

「へ」
文法的意味:動作の帰着点を示す。
→例文:やっと学校へ着いた。
文法的意味:方向を示す。
→例文:前へ進め。


つまり、「に」「へ」どちらにも、「動作の帰着点」という意味があります。一方「へ」には、「に」にはない「方向を示す」という意味もあります。
では、ご質問の例文の格助詞の文法的意味は、それぞれどうでしょうか。

私は、
・「向こうに行く」の「に」→動作の帰着点
・「向こうへ行く」の「へ」→(どちらかと言うと)方向を示す
ではないかと思います。
「へ」を帰着点で取るときは、「着く」「帰り着く」など、そこに帰着したという意味の動詞を伴う例文が一般的です。それに対して、ご質問の例文に使われている動詞は「行く」であり、そちらにこれから向かう、もしくは今現在進行形で向かっている、という意味合いが強いので、方向を示す「へ」の用法だと考えるべきでしょう。さらに、「向こう」という言葉自体も、「札幌」や「学校」のように具体的な場所ではなく、たとえば「あちら」のような指事語的な語であり、多少なりとも離れた距離や方向を意識させる要素が強い言葉である分、余計に方向を示す感が文全体に強いように思われます。
他方、「向こうに行く」は、「へ」のように着くまでの方向を意識するというよりは、「向こう」に着いていること自体をより意識している言い方であると思います。

『新訂 国文法の基礎』のほかにもうひとつ、私がいつも使っている携帯サイト:スーパー大辞林3.0には、それぞれ以下のような説明がありました。(こちらも必要な項目だけの引用にとどめました。)


に(格助)
〔上代から用いられている語で,動作・作用が行われ,また存在する,時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法〕
(4) 帰着点や動作の及ぶ方向を表す。
「家―たどりつく」
「車―乗る」
「危篤―おちいる」


へ(格助)
〔「あたり」の意の名詞「へ(辺)」から〕
(1) 動作・作用の向けられる方向を示す。
「東―進む」
「佐渡―佐渡―と草木もなびく」
「秋風に大和―越ゆる雁がねはいや遠ざかる雲隠りつつ/万2128」
(3) 動作・作用の帰着点を示す。
「東京―着く」
「山頂―たどりつく」
「また仁和寺―帰りて,親しきもの,老いたる母など,枕上によりゐて/徒然53」
〔上代からある語で,(1) すなわち移動性の動作の目標を示すのが原義。ほかは中世以降見られるようになったもの。「へ」は,時代のくだるに従ってその用法を拡大し,現代では同用法の「に」とともに広く用いられるようになった。しかし,「へ」は「に」にくらべて,その方向指示性・移動性をより強く表す語であるといえる〕


――ということで、互いの説明に書かれている原義を見ると、「へ」は「に」に比べて、「向こう」に「行く」動作そのものよりも、「向こう」への方向に「行く」という要素が強い言葉なのだということになります。
(※先の『新訂 国文法の基礎』の表記とは異なり、細かく見れば「に」にも方向を示す用法の例文が、あることはあります。)


私が考えたのは、たとえばご質問の例文と似たような例で、
「あっちに行って!」

「あっちへ行って!」
という文があったとすると、前者のほうが「あっち」というこちらから離れた地点に相手が位置すべきことをより強く表現しており、後者のほうが「あっち」へ離れる移動という行為そのものをより強く指示している表現のように思います。

以上、今夜私が頭の働く範囲でお答えできるのはこのような程度ですが、いかがでしょうか。
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Unknown (候天)
2018-11-15 21:57:52
ありがとうございます。
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