ご無沙汰しています。
6月の漢検は受けて、まだWEB結果サービスで確認したのみです(「あと34点」)。何をしたと振り返れないくらい勉強しませんでした(「できなかった」と言う気になれないくらいしなかった)。
今回は受検後も忙しくて(最早、臆面もなく「忙しくて」と言ってしまう日々)、WEB通知サービスで結果を見てから、辛うじて自己採点してみました。それでもずれていて、実際の結果より3点少なく出ました。
とりあえず紙の結果待ちです。
載せても何の参考にもならないですが、一応自分で無関心なわけではないので自己採点結果を簡単に。
◆2021年度第1回 自己採点
音読み 11/20点
訓読み 8/10点
書き取り 30/40点
語選択書き取り 4/10点
四字熟語書き取り 14/20点
四字熟語意味選択読み 8/10点
熟字訓 8/10点
二字熟語一字訓読み 7/10点
対義語 4/10点
類義語 2/10点
諺 6/20点
文章題書き取り 12/20点
文章題読み 9/10点
計 123/200点
◆2020年度第3回 自己採点(地震の影響で本番受検できず6月受検の直前に解いたもの)
音読み 10/20点
訓読み 5/10点
書き取り 34/40点
語選択書き取り 4/10点
四字熟語書き取り 12/20点
四字熟語意味選択読み 8/10点
熟字訓 5/10点
二字熟語一字訓読み 7/10点
対義語 6/10点
類義語 0/10点
諺 16/20点
文章題書き取り 10/20点
文章題読み 6/10点
計 133/200点
辞典をずっと読んでいません。ノートの開拓も更新もなし。第一の原因はそれです。
数年前あたりから「受けるだけになっているなあ」と思っていたのは、まだ今に比べれば勉強していたのだった、と思います。
一日24時間に対して課していることがもう絶対に多すぎるのですね。しかも、睡眠時間は5時間~5時間半は取らないといけない体になっています。年を感じます。
最近は漢字の勉強が手につかないだけでなく、それとは別に好きな手芸も殆ど作ることがありません。
かといって、元気がないとか無気力というわけでもないのです。ただ、手を付けることがすべて中途半端になっていたり、自分で言うのも何ですが竜頭蛇尾になっているものが増えていたりするようです。
つまり、取り掛かりたいことの数だけ増えて、そのままになっていることもそれに比例して増えているといった感じです。
担任や学年主任をしていた時から比べたら、自分の教科準備に専念できるのは幸せですが、高校に戻ってからやはり生徒からの質問や個別指導も増えて、自分の机を片付けるのもままならない時がよくあります(もともとそんなに机はきれいではないですが。収納すると全部忘れてしまうので、あれこれ出したままにしてしまうタイプ)。
国語科は教材のページ数も多いことが多いので、印刷も含めて多分ものすごい情報量です。高校に戻ってからもう一つの変化は、個人の読書量がどんと減ったことです。
細切れのものには山ほど目を通しているのでしょうが、まとまって本一冊読み終えて、奥付を控えるという行為がほとんどありません。
そしてこのようにできない尽くしなのですが、例えば悲観的になる感情すらなく、ただ自動的に出勤に向かって体が準備しています。それが無心かといえば、それならこんな記事も書いていないでしょうから、多分なにかがおかしいのでしょう笑。
時々、漢検1級を受けたいとか、最近の過去問を解いてみたら30点だったとかしろねこに話しかけてくる生徒や先生もいますが、生徒には「受験のためにはまず英検準1取得が先」と答え、教員に対しては話を聞くことに徹しますがやはり日々の仕事や生活と天秤にかけて、彼らのほうから足踏みしてしまうようです。
ところで、最近それでも通勤時に細切れに読んでいた本で、薄いので先日読み終えた本がありました。2016年に岩波文庫から出された、峠三吉氏の『原爆詩集』です。因みに私が持っているのは2020年に出された第4刷なので、昨年何かの折に購入したものの、読むのに今までかかったということです。青木書店から1952年に出された『原爆詩集』を底本としたものです。
新潮文庫などと異なり筆者の略歴はカバーなどに記されていないので、『原爆詩集』が世に出た翌年に、文学活動により本腰を入れるため、もともと持っていた肺結核の治療に乗り出し手術中にこの世を去ったということを調べて知ったりすると戦慄が走ります。文庫では当時のご本人のあとがきのほか、解説1を大江健三郎氏、解説2をアーサービナード氏が書いているのですが、ビナード氏がそのことに1行触れていて、どう解釈してよいものか、とも思います。
詩集とあとがきを読んでまず感じたのは、当時の人の言葉の力が今の大多数の日本人のそれと比較にならないほど強いという印象であることです。簡単に言って、おそらく言葉に対する本気の度合いというのか、覚悟が違うのだろうな、と思います。
しろねこはこの詩集とほぼ同時に、(漸く)『言葉の海へ』(昭和59年、高田宏、新潮文庫、もとの単行本は昭和53年)で大槻文彦氏のことを読みはじめたところなのですが、そこで戦前の彼らのことを読んでみても、当時の日本人の使命感や思想、命や人生をかけるそのかけ方が、今とはやはり大きく違うと思わざるを得ません。国民がいろいろな意味で、まだ何者かを強く信じる力があった、みんな己の活動の原動力となる信念があったのだ、と思わせられます。若い人にも、きちんと思想があったのだ、と。そもそもこういったことをわざわざ書いている時点で、自分が生ぬるいことを思い知らされ、どの思想にどう踏み込めばどのように行動していることになるのか、その判断がついていない無知な自分なのだということを感じて沈黙してしまいます。また、自分の職業上、たとえば思想をもったり思想に関わるということの重さの意味を個人として考えるだけでなく、教育者としても配慮する必要があるために、余計気持ちが暗くなります。
広島・長崎の原爆投下については、しろねこが育った東北でも勿論ひととおり義務教育で学習はしたものの、どちらかといえば終戦直前の空襲のことのほうが扱われる比重は大きい感があります。ただ、母が東北人より広島・長崎に物理的距離が近い関西人であったこともあり、原爆投下について問題意識を持つよう促される機会は、より多かったかもしれません。かつての教育テレビで番組「日曜美術館」が「原爆の図」を解説しているときなど、母と言葉を交わしながら見ていた記憶はわりと鮮明です。
あとひとつ、被爆体験についてのことで今でも時折思い返すのは、レイモンド・ブリッグズ氏の『風が吹くとき』という絵本です(アニメーションでも出ていますがしろねこは絵本でのみ)。
ブリッグズ氏は、日本では絵本『さむがりやのサンタ』『サンタのたのしいなつやすみ』『スノーマン』が有名で、しろねこはサンタの2冊を、(ほかの夥しい絵本とともに)繰り返し読んで育ちました。それだけその作風に馴染んでいた(つまり、サンタのあまりに人間らしいのどやかな人間的生活の幸せというものを、ブリッグズ氏の描いた絵本の世界から享受していた)あまり、その同じ絵で凄惨な被爆体験を読ませられたときの衝撃。一人の人が一方向の表現活動だけをしているわけではないんだ、人はいくつもの表現方法をもっていて、それを余すところなく表出することがその人の役目であることもあるんだ、ということを小学生の高学年なりに感じました。そして大人になって読み返してみると、また幼少期とは異なった感じ方で恐ろしく思うのでした。
というわけで、日々厳しい受験指導に追われまくっているわけですが(追われるのは生徒であって先生は助けるしかできないことは重々承知ながら)、あらゆる事柄について残されている時間が、それぞれいつ何で断ち切られてもおかしくないという一抹の不安よりも、今できる限りのことを怖がらずにやる、ということに専念して、頑張っていきます。
最後に、最近のお気に入りの音楽はsiaです。「Snowman」(←アニメーションもとっても素敵)と「Bird Set Free」がおすすめです。癒やされ戦う気になれます。
6月の漢検は受けて、まだWEB結果サービスで確認したのみです(「あと34点」)。何をしたと振り返れないくらい勉強しませんでした(「できなかった」と言う気になれないくらいしなかった)。
今回は受検後も忙しくて(最早、臆面もなく「忙しくて」と言ってしまう日々)、WEB通知サービスで結果を見てから、辛うじて自己採点してみました。それでもずれていて、実際の結果より3点少なく出ました。
とりあえず紙の結果待ちです。
載せても何の参考にもならないですが、一応自分で無関心なわけではないので自己採点結果を簡単に。
◆2021年度第1回 自己採点
音読み 11/20点
訓読み 8/10点
書き取り 30/40点
語選択書き取り 4/10点
四字熟語書き取り 14/20点
四字熟語意味選択読み 8/10点
熟字訓 8/10点
二字熟語一字訓読み 7/10点
対義語 4/10点
類義語 2/10点
諺 6/20点
文章題書き取り 12/20点
文章題読み 9/10点
計 123/200点
◆2020年度第3回 自己採点(地震の影響で本番受検できず6月受検の直前に解いたもの)
音読み 10/20点
訓読み 5/10点
書き取り 34/40点
語選択書き取り 4/10点
四字熟語書き取り 12/20点
四字熟語意味選択読み 8/10点
熟字訓 5/10点
二字熟語一字訓読み 7/10点
対義語 6/10点
類義語 0/10点
諺 16/20点
文章題書き取り 10/20点
文章題読み 6/10点
計 133/200点
辞典をずっと読んでいません。ノートの開拓も更新もなし。第一の原因はそれです。
数年前あたりから「受けるだけになっているなあ」と思っていたのは、まだ今に比べれば勉強していたのだった、と思います。
一日24時間に対して課していることがもう絶対に多すぎるのですね。しかも、睡眠時間は5時間~5時間半は取らないといけない体になっています。年を感じます。
最近は漢字の勉強が手につかないだけでなく、それとは別に好きな手芸も殆ど作ることがありません。
かといって、元気がないとか無気力というわけでもないのです。ただ、手を付けることがすべて中途半端になっていたり、自分で言うのも何ですが竜頭蛇尾になっているものが増えていたりするようです。
つまり、取り掛かりたいことの数だけ増えて、そのままになっていることもそれに比例して増えているといった感じです。
担任や学年主任をしていた時から比べたら、自分の教科準備に専念できるのは幸せですが、高校に戻ってからやはり生徒からの質問や個別指導も増えて、自分の机を片付けるのもままならない時がよくあります(もともとそんなに机はきれいではないですが。収納すると全部忘れてしまうので、あれこれ出したままにしてしまうタイプ)。
国語科は教材のページ数も多いことが多いので、印刷も含めて多分ものすごい情報量です。高校に戻ってからもう一つの変化は、個人の読書量がどんと減ったことです。
細切れのものには山ほど目を通しているのでしょうが、まとまって本一冊読み終えて、奥付を控えるという行為がほとんどありません。
そしてこのようにできない尽くしなのですが、例えば悲観的になる感情すらなく、ただ自動的に出勤に向かって体が準備しています。それが無心かといえば、それならこんな記事も書いていないでしょうから、多分なにかがおかしいのでしょう笑。
時々、漢検1級を受けたいとか、最近の過去問を解いてみたら30点だったとかしろねこに話しかけてくる生徒や先生もいますが、生徒には「受験のためにはまず英検準1取得が先」と答え、教員に対しては話を聞くことに徹しますがやはり日々の仕事や生活と天秤にかけて、彼らのほうから足踏みしてしまうようです。
ところで、最近それでも通勤時に細切れに読んでいた本で、薄いので先日読み終えた本がありました。2016年に岩波文庫から出された、峠三吉氏の『原爆詩集』です。因みに私が持っているのは2020年に出された第4刷なので、昨年何かの折に購入したものの、読むのに今までかかったということです。青木書店から1952年に出された『原爆詩集』を底本としたものです。
新潮文庫などと異なり筆者の略歴はカバーなどに記されていないので、『原爆詩集』が世に出た翌年に、文学活動により本腰を入れるため、もともと持っていた肺結核の治療に乗り出し手術中にこの世を去ったということを調べて知ったりすると戦慄が走ります。文庫では当時のご本人のあとがきのほか、解説1を大江健三郎氏、解説2をアーサービナード氏が書いているのですが、ビナード氏がそのことに1行触れていて、どう解釈してよいものか、とも思います。
詩集とあとがきを読んでまず感じたのは、当時の人の言葉の力が今の大多数の日本人のそれと比較にならないほど強いという印象であることです。簡単に言って、おそらく言葉に対する本気の度合いというのか、覚悟が違うのだろうな、と思います。
しろねこはこの詩集とほぼ同時に、(漸く)『言葉の海へ』(昭和59年、高田宏、新潮文庫、もとの単行本は昭和53年)で大槻文彦氏のことを読みはじめたところなのですが、そこで戦前の彼らのことを読んでみても、当時の日本人の使命感や思想、命や人生をかけるそのかけ方が、今とはやはり大きく違うと思わざるを得ません。国民がいろいろな意味で、まだ何者かを強く信じる力があった、みんな己の活動の原動力となる信念があったのだ、と思わせられます。若い人にも、きちんと思想があったのだ、と。そもそもこういったことをわざわざ書いている時点で、自分が生ぬるいことを思い知らされ、どの思想にどう踏み込めばどのように行動していることになるのか、その判断がついていない無知な自分なのだということを感じて沈黙してしまいます。また、自分の職業上、たとえば思想をもったり思想に関わるということの重さの意味を個人として考えるだけでなく、教育者としても配慮する必要があるために、余計気持ちが暗くなります。
広島・長崎の原爆投下については、しろねこが育った東北でも勿論ひととおり義務教育で学習はしたものの、どちらかといえば終戦直前の空襲のことのほうが扱われる比重は大きい感があります。ただ、母が東北人より広島・長崎に物理的距離が近い関西人であったこともあり、原爆投下について問題意識を持つよう促される機会は、より多かったかもしれません。かつての教育テレビで番組「日曜美術館」が「原爆の図」を解説しているときなど、母と言葉を交わしながら見ていた記憶はわりと鮮明です。
あとひとつ、被爆体験についてのことで今でも時折思い返すのは、レイモンド・ブリッグズ氏の『風が吹くとき』という絵本です(アニメーションでも出ていますがしろねこは絵本でのみ)。
ブリッグズ氏は、日本では絵本『さむがりやのサンタ』『サンタのたのしいなつやすみ』『スノーマン』が有名で、しろねこはサンタの2冊を、(ほかの夥しい絵本とともに)繰り返し読んで育ちました。それだけその作風に馴染んでいた(つまり、サンタのあまりに人間らしいのどやかな人間的生活の幸せというものを、ブリッグズ氏の描いた絵本の世界から享受していた)あまり、その同じ絵で凄惨な被爆体験を読ませられたときの衝撃。一人の人が一方向の表現活動だけをしているわけではないんだ、人はいくつもの表現方法をもっていて、それを余すところなく表出することがその人の役目であることもあるんだ、ということを小学生の高学年なりに感じました。そして大人になって読み返してみると、また幼少期とは異なった感じ方で恐ろしく思うのでした。
というわけで、日々厳しい受験指導に追われまくっているわけですが(追われるのは生徒であって先生は助けるしかできないことは重々承知ながら)、あらゆる事柄について残されている時間が、それぞれいつ何で断ち切られてもおかしくないという一抹の不安よりも、今できる限りのことを怖がらずにやる、ということに専念して、頑張っていきます。
最後に、最近のお気に入りの音楽はsiaです。「Snowman」(←アニメーションもとっても素敵)と「Bird Set Free」がおすすめです。癒やされ戦う気になれます。
って、聞いたことがありますが、漢検一級も合格直前はそんな感じだった気がします。
しろねこさんの何処が凄いって、何度合格されても、さらに受け続けるところです。「そこに試験があるから・・・」って感じなのでしょうね。もはや尊敬しかございません。
エスカレータから降りずに、常に抗い続けることの方が遥かに困難であるのだから・・・
今回のしろねこは、そうなりますとほぼ検定当日だけ逆走を試みたことになりますね。それはやはり「応援し甲斐のある無謀」ならぬ「身も蓋もない無謀」というものですね。尊敬にはまったく値せず恥を知らないのです。ただ、一旦こうしてブログを開設して、漢字学習をいい加減に思ってはいない自分の存在を匿名であれ公表した経緯がある以上、「変わらない何か」や「力尽きさせたくない何か」を、己の中に維持しようとする節はあるのでしょうね。客観的に見て己の現状が行き詰まっているからと言って、そのまま諦めて終わらせたくはない何かが漢字学習には確実にあるのです。そういった意味で、「そこに試験があるから…」というのは仰る通りで、自分にとっては自然に漢字学習における勝負に向かっている気持ちなのだと思います。参加することに意義があるのとは決して同じではないのですが、受検しないという道は今の所はずっと基本的に選択肢に入っていません。
今日確認したところ、以下の2問がずれの原因になっていました。
・音読み5「乞巧奠」
標準解答は「きっこうでん」ないし「きこうでん」
しろねこは、問題に書き残したものを見る限り「きっこうてん」ですが加点されていました。
・書き取り5「ホウロウ(引き)」
標準解答は「琺琅」でしろねこは「琺瑯」
これは単に別解を確認しない、いつもの雑な自己採点ゆえです。
今日はたまたま職場の事情で時間が空いたので、例になく届いた翌日に確認できました。
いつもこうだったらいいなあ。