ある爺さんの スナップ写真とボヤキ3

趣味もなく酒も飲めず・・・・・つまらない爺さん生活を、何気ないスナップ写真と、フッと感じたボヤキをアップしています

洋館を見つけた

2011-06-05 | まち歩き

■昨日は根岸台の「フレンドシップデー」に行きましたが、その行きがけで小さな洋館を見つけました。
街歩きしていて「こんなものが・・・・」っていうモノを見つけると、うれしくなります。

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■案内板には「旧柳下邸」とあります。
Img_68541「お三宮」付近の佐藤病院辺りで、海に向かう大岡川は二手に分かれます。その右側を八幡橋を抜け海に出るのが掘割側になります。その左手の丘上が、昨日訪れた「根岸米軍住宅地域」です。ここらは崖になっているのと、フェンスで囲まれた米軍居住区のため、直接、上がれません。この丘の上に上がるため、裾野を根岸駅方向に進み、根岸八幡宮横の巾1mくらいの九十九折(つづらおり)を、私は上りました。この時、根岸八幡宮手前の、丘の中腹にこの洋館を見つけたのでした。「旧柳下邸」は日本家屋と洋館と蔵から出来ていました。 【写真右:洋館右の白い建物が「蔵」、左側が日本式家屋になる。写真下:丘に上がる道沿いに、つゆ草に似た葉を持つ白い可憐な花が群生していた。横浜でありながら緑色濃いのは、米軍がこの地を占有していることが、残念だけど、幸いしていると思う。】

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■山手にある洋館と違い、全体の規模は小さく、また、洋館部分そのものも小さいのですが、丘の中腹にあるため、すぐ判りました。
訪れる人も少なく、落ち着いた佇まいです。明治後期~大正~昭和の埋め立てが始まる前まで、本牧から間門辺りの海岸線は別荘地だったそうですが、この根岸辺り~磯子(横浜プリンスホテルがった)も別荘地なのかもしれません。この洋館は、横浜で金属関係の商人だった人の家だそうです。 【写真下:見学者用格子玄関。内側から外を見ている。ここはおそらく厨房があった場所と思われる。】

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■日本家屋側の西側・内玄関の奥に、見学者用玄関がありました。
屋内に入りますと、日本家屋でありながら、窓の作りは洋風の作りを感じさせます。天井がとても凝っています。廊下を通して日本家屋は、洋館と蔵にもつながっていました。日本家屋の客間に洋式のテーブルセットがああったり、逆に洋館の床には、畳が敷かれていたりしていて、時代が変わって行く過度期を感じさせる趣です。 【写真下:着替えの間。奥が風呂場で、お釜に見えるのが上がり湯用。その左に五右衛門風呂がある。今で言う「タイル敷き」の洗い場で、贅を尽くしている。窓ガラスもお洒落さを感じる。】

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■オルガンの左右両端に蜀台(しょくだい)を備えた足ふみオルガンや、足ふみミシンや、金・銀の重さを量る(私の想像です)天秤があったりもしました。 【写真下:客間。洋風のテーブルコーディネイトが施されていた。】

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■「なつかし茶房」の案内がありました。
数は少ないそうですが、「日本茶と和菓子」「コーヒーと洋菓子」のセットで寛げるようになっているようでした。残念ながら係の人が見当たらず、注文することができませんでした。
■横浜の山手地区には、多くの洋館や外人墓地があります。
そんな観光地から離れた場所に、「旧柳下邸」があったり、保土ヶ谷の丘上に英連邦外人墓地があったりもします。観光地の賑わいもいいですが、静かな佇まいの中にある異国もまた、いいものです。この「旧柳下邸」は山手の洋館と違って、ちょっと生活の臭いを感じさせる洋館でした。