ある爺さんの スナップ写真とボヤキ3

趣味もなく酒も飲めず・・・・・つまらない爺さん生活を、何気ないスナップ写真と、フッと感じたボヤキをアップしています

初「帰宅難民」経験

2011-03-12 | うんちく・小ネタ

■いつ来るか判らない恐れ、生き埋めや津波の飲み込まれる恐怖、身一つでの避難所での気遣い、硬い床での体の痛み、寒さ・・・・・
被災者の方のご苦労には、ご同情申し上げます。また、お亡くなりになった方々には、お悔やみ申し上げます。

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■時間を追って判る情報に、地震の、そして津波の恐ろしさを感じます。
今日になっても、依然、続く余震は特定地域に固まらず各地に散ってさまは、あたかも「日本沈没」を思い起こさせます。
Img_67051 ■私は・・・・と言えば、初めての「帰宅難民」を経験いたしました。
家に帰ったのは、今日の朝9時半過ぎです。もっとも品川から歩いて帰ったのではなく、昨夜は会社に泊まりました。私の職場では、泊まったのは2名。他の6名は会社を出ました。無事、家に帰りつけたのでしょうか?
■ビルメンテナンス会社に勤めています。
主職場のメンバーは地震の対応で、全員がてんやわんやでした。エレベータが止まったり、止めたり、館内放送したり・・・・・。ビルにいた人たちの安全を確保するため、全員が徹夜仕事になったのです(私は寝ていました)。
■傍系の私たちは3時過ぎから、防災センターの指揮下に入り、定時までお手伝いしました。
ヘルメットを被って、B3F、MB3F、B2F、B1Fの各機械室の異常確認のパトロールでした。
今思えば、余震が続く中、結構、危ないことをやっていたのですネ  仮にビルが潰れたとしたら、絶対に助かりませんし、遺体として形が残らないでしょう。
■定時後、TVを見ながら泊まりを半ば決めました。
この段階でコンビニに行ったのですが、館内のナチュラルローソンは、店終い、外のローソンに行くと、行列で通路は一杯で、店内に入れません。次の7&11も行列だらけでした。パンやカップ麺などすぐに食べられるものは、既に棚には残っていませんでした。私と若い先輩の分として、はるさめのカップカーメン2つ、スポーツ飲料1L、何故だかイカのつまみ「よっちゃん」を2つ確保しました。
■はるさめラーメンを食べてから、防災センターに行き、所長に泊まる旨を伝えました。
さすがに、めちゃくちゃ忙しい防災センターや中央監視室には泊まれませんので(ここには寝床があるのです)、自分達の控え室に泊まる旨を伝えました。「必要でしたら、お手伝いします」って、一応、言いましたが、「大丈夫」との旨。カップ麺をくれました。部屋の暖房を、頼み込んで入れてもらったのですが(テナントさんは、夜8時以降は有料)、ドカジャン(防寒作業着)を2枚持ち出し、カラダに巻いて寝ました。上着まで着こんでますが、やっぱ寒くよく寝られません。それでも5時間くらいは寝たでしょうか。
■テナントの社員さんは、各部屋で泊まっていました。
通りががりの人が、ロビーに入り込んでいました。ビル会社は1F、2F、3Fの各ロビーを開放し、ロビーを一晩中、暖房していました。その後、泊まっている人に毛布も提供したようです。
■JRが7時頃に運転再開するとの情報で、8時頃控え室を出ました。
品川駅は人で溢れかえっていました。改札制限で、横断通路は人が詰まっており、京浜急行入口にたどりつくのに一苦労。京急も間引きダイヤで、乗車~乗換えに時間がかかりました。朝の下り電車が帰宅する人で満員・・・・・って初経験です。
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■「帰宅難民」を初経験しました。
品川近辺で、お役所が開放する施設は、情報がなく判りませんでした。
品川プリンスホテルも開放したそうです。帰宅してから娘から聞いたのですが友達が行ったそうです。ふかふかカーペットに暖かな部屋、きれいな毛布、そして暖かな飲み物が提供されたそうです。【3/13 本文最後の1行を削除いたしました】