■今日も暑い日が続いています。
でも天気予報では、午後3時より「雨」マークです。期待はおおいににあるのですが、私が住む横浜南部地域って、どうも雨の降りが少ない気がします。TVで注意報や警報が出ても、大雨の中継が入っても、私の住む横浜南部は大丈夫ってなことが、よくあります。思いっきり降ってもらい、地面やコンクリートの温度を下げてもらいたいものです。
【写真上:ポルトガルの帆船には、大航海時代の帆船にもよく見られる、赤い十字架が横帆にある。写真上小左:フィギアヘッドは男性なのか?帽子をかぶっていた。写真上小右:タイムベル。1962年は「サグレス」がポルトガル海軍の訓練船になった年。】
■昨日は新山下埠頭に、ポルトガルの訓練帆船「サグレス」を見学に行きました。
ずいぶん悩んだ末に、思いっきり出かけてきましたが、良かったようです。まず今日だったら、行かなかった事でしょう。
【写真左:フォアからメインマストには、船室がありその上は上部甲板になっている。両舷には、通路があり、折り返してブレスのビレイピンが置かれてある。写真上右:後部上部甲板からメインマスト付近を眺める。一段低い甲板になっており、結構、広い。】
■昨日、予告していましたので、今日は「サグレス」を写真で紹介したいと思います。
「サグレス」はポルトガル海軍の士官候補生の訓練帆船です。
全長70.4m、全幅12m、総トン数1940トン、3本マストバーク型で、メインマストは5枚横帆です。ちなみに横浜の帆船日本丸は、4本マストバーク型で、メインマストは6枚横帆です。全長97.05m、全幅12.95m、総トン数2280トンですので、横幅はほぼ同じくらいですが、全体には2周り小さいのでしょうか。
【写真上左:艦橋部。以外とシンプル。写真上右:ギャレイ。左側が食堂になっている。以外と狭く、シンプル。】
■「サグレス」は第1次世界大戦後、ドイツ海軍の練習船として建造されましたが、その後の世界情勢により数奇な運命をたどり、現在に至っているようです。
1937年ハンブルグにて建造(日中戦争が起こった年)。広島・長崎に新型爆弾が落とされた2年後の1848年、アメリカ郡に接収されています。その後、破格低金額でブラジル海軍に売却。1962年ポルトガル海軍に売却されています。東京オリンピックの2年前のことになります。単純に計算すれば建造73年になります。この春80周年になり、横浜で引退生活をしています帆船日本丸と、直接比べることはできませんが、息の長い生活をしているようです。
【写真上大:舷門を入ると鉄砲を持った衛兵が警備していた。ここに限らず本船の人たちは、カメラを向けると、人懐っこい笑顔で応えてくれる。写真小下左:後部甲板上にある「3重連」舵輪」。更にその後ろのスパンカーの下にも舵輪(1枚)があった。写真小下右:船体後部の姿。スマートだけど、セクシーさを感じさせない。】
■昨日の船好きのブログを見ますと、一斉に「サグレス」横浜来航をアップしていました。
美しい姿は、これらの人たちにお任せします。接岸後の一般公開しか行かない私は、この人たちと張り合いようがありませんので、見学時のスナップ中心に、アップしてみたいと思います。他の人のブログを見ますと、夜の電飾がとてもきれいなようです。もし時間がありましたら、一見の価値がありますヨ。
【写真上左:後部と中央部境目付近にある小さなファネル(煙突)。傾斜計と舵を切った角度が判るメータが取り付けられていた。写真上中:上部甲板の両舷には、機関砲が各一丁づつ、取り付けられていた。後方はホスト艦の護衛艦「はるゆき」。佐世保から来ていて、横浜、種子島、長崎への日本の旅に寄り添うと思われる。写真上右:前部甲板にワインの樽が4つくくりつけられていた。救命ボートの近くにあるので、遭難時、この樽につかまって救助を待つのかと思えば、本物のワインとの事。】
■一般公開は上部甲板上のみでした。
左舷側に2本のゲートが設けられ、後ろ側から乗船 ~ 甲板上を半時計回りに進みます。
中央甲板は一段低く、その前後にいろいろな部屋があり、その天井上が一段高い甲板になります。船外に備えられた各測定器、操舵輪などには、舷灯の緑・赤色に合わせ、色分けされていました。
【写真上大:船尾には、きれいにニス塗りされたベンチがあった。以前、見学した帆船にもあったが、何か優雅さを感じさせられる。写真小下左:乗船口に置かれた装飾つき救命浮輪。写真小下中:さりげなく置かれたバケツ。バケツと言うより「桶」で、かわいさを感じる。写真小下右:消火栓の放水銃。ガンタイプでした。】
■船上の船員さんらは、全般的にサービス精神旺盛で、写真への協力はにこやかに、気軽に応じている姿が印象的で、好印象を持ちました。