「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

僕のミミガー

2008-09-15 14:54:03 | ペット

ウチのワンコが好きなおもちゃがこれである。ウチではこれをなぜかミミガーと呼ぶ。豚の耳を犬におやつとしてやる家は多いだろう。ところがウチの軟弱ワンコはそれがなかなか噛めない。このコットン製象さんなら柔らかいし噛みやすいだろうと与え、ウチではこれを豚の耳(ミミガー)の代理として「ミミガー」と呼んでいる。

犬のおもちゃにもいろいろあり、素材や大きさや形も違いにより、犬が気に入ったり気に入らなかったりする。その微妙な違いは人間にはなかなかわからない。ウチのワンコはなぜかこの「ミミガー」が大好きで、「僕のミミガーだ」と主張し、よく噛んで遊ぶ。欠点は破壊されてボロボロになってしまうのにあまり日数がかからないことだ。

ホームセンターJマートで買える。一昨日Jマート富士見店でまとめ買いした。
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里程標 in 原村

2008-09-15 12:26:31 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
この3連休に原村(長野県諏訪郡。八ヶ岳西麓)の山荘に遊びに行った。連休直前が西日本に出張で12日(金)の夜遅くに鎌倉に帰り、13日(土)の早朝出発し、15日(月)の朝には鎌倉に戻るという慌しい滞在だった。いつものことだが・・・。

今回は来客もあった。先輩徒然人さんが14日(日)の朝に、なんと!高速バスで原村に到着して我ら夫婦にjoinし、賑やかな滞在になった。我が家のワンコも原村の農場でたっぷり運動して、人間、犬ともに満足な滞在だった。よく飲み、よくしゃべった。徒然人さん、ご訪問有難う!もうひとり、machoheroさんもjoin出来るはずだったが、突然の仕事が決まり、棄権してしまった。machoheroさん、また今度来てね。



さて、原村の中心地はどこか?敢えて挙げれば払沢の交差点だろう。東京で言えば日本橋に相当すると言えようか。払沢の交差点には原村役場、A-Coop原村店、A-Coop経営のガソリン・スタンドが集中する。画像はA-Coopである。ウチは友の会会員だ。いつもお世話になっている。

近年富士見に巨大A-Coopが出来て、原村のこの店はどうも旗色が悪い。小さいので、モノが少ないのだ。でも、私はなるべくここでいろいろ買うようにしている。昨日はここでバターとファブリーズ(詰替用)とのど飴を買った。原村別荘族の皆さん、富士見に行かないで、なるべくこちらで買いましょう!(準郷土愛)



本題に入る。その払沢の交差点は昔から交通の要所だったらしい。あそこのガソリン・スタンドの隅っこでハイオクを入れてもらう人が、給油が終わるのを待つ間、運転席に座って右斜め前方におそらく見たことがあるはずの里程標がこれだ(上の画像)。いつからここにこうして立っているのだろうか。私には「右原山 左甲州」と読める。なんとも大雑把で牧歌的なものだ。距離が書いてないので、これを里程標と呼ぶのは正しくないかもしれない。

何年か前にこの交差点でハンドルを切り損ねたトラックがこれにぶつかった。隣の道祖神は一部破損したが、これは無傷で今に至っている。大事にしたい。昭和のクルマ時代になり交差点を作り直す時に、おそらくこの里程標は位置を少し動かされたのではないか。向きが少し変だから、私はそう思うのだ。この手の検証が好きな方は調べてみて欲しい。



最後の画像は最近設置されたモノだ。原村及び茅野市の高原地帯では、このようなモノが増殖中。無味乾燥といった感じだが、原村では、飲食店、ペンション、商店の立て看板もこれに切り替わりつつある。それらが独自に立てた看板は一定猶予期間の後、撤去される予定だそうな。そうした立て看板の中には、センスの良いものもあるが、ひどいものが散見され、撤去もやむなしか。それによりスッキリすることは確かである。あわせて鉢巻道路沿いにある「八ヶ岳中央高原三井の森」のド派手な色を使う巨大な看板も撤去してくれると有難い。ビジネスとは言え、大きさ、色にも限度がある。
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電柱(3)

2008-09-07 09:21:57 | 環境・土地


道路の上の空はどこもかしこも電線だらけである。しかもその電線から各家庭に電気を引き込むための支線が垂れ下がるようにして各戸の敷地上を走り、住宅の壁に取り付けられる。この支線は量的にはたいしたことないのだが、電線の中では比較的下の方にあり、どうしても視界に入りやすい。

道路上の電線は個人の力ではどうしようもないが、せめてその支線の部分を視界からカットしようという目的で設置されるのがスッキリ・ポール(松下電工社の商品名。上の画像は同社のウェブサイトより)である。我が家でも設置している。他社の類似のものもいくつかある。

家庭設備をつくる日本の大メーカーの商品で感心するものはあまりないが、これは優れている。敷地の中でも最も道路際の所にこれを立てる。電線をこのポールまで少しだけ引いて来て、あとはこのポールから敷地の地中を通して家の中へつなぐ。道路から家の壁までの各戸の敷地上空を電線がだらりと垂れ下がっている光景は、もはやなくなるのである。

このメリットは他にもある。ここに消費電力量の計器をつけてしまうのである。そうすれば、消費電力チェックのために電力会社から委託を受けた人が勝手に敷地内に入って来ることもなくなる。ついでに水道やガスの計器もその周辺につくってしまい道路から使用量をチェック出来るようにしてしまえば、同様な効果が得られて大変都合が良い。なぜかわからないが、この「メーター類をまとめて道路際に設置」という提案をする建築家は少ない。それをリクエストする施主も少ないらしい。



話題を変える。電柱のてっぺんにあるご覧のトンガリ帽子が何であるかを、ご存知だろうか。私は最近この存在を知った。妻に「あのトンガリ帽子があれば、ウチの前の電柱にもトンビがとまれなくなっていいのに」言われて初めて気づいた。そう、鳥がとまることを防止するキャップなのである。現物を間近に見たが、とても大きなもので、樹脂製だった。

ここ七里ガ浜の住宅街にはトンビが多い。電柱のてっぺんにとまって、大量の糞をする。それが家、道路、車、庭に落ちる。糞害に困っている人は多い。私もそうだ。東京電力に連絡して「我が家前の電柱に鳥防止キャップの設置を」と要請したところ、すぐに調査員が来てくれた。我が家の前の電柱にも、まもなくこれがつく予定だ。なんでも言ってみるものだ。
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電柱(2)

2008-09-07 07:28:56 | 環境・土地

画像は私の自宅周辺で撮影したものである。産業廃棄物の様相だ。これを普通の人が公道に放置すれば違法投棄として逮捕されることは確実である。一方、電力会社はこんなモノを日本中の公道に林立させているが、それは合法である。電柱(1)で紹介した英国の挿絵に「醜いもの」として描かれた電柱や電線を「醜さ度レベル1」とすれば、画像の電柱と電線は「レベル10」か。

自宅周辺のあらゆる通りに10mから30mの間隔でこれが立っている。通りによっては直線距離がかなりあるので、こんなものが何本も連続して見えるところがある。これがケヤキ並木なら良いのだが。あまりに近くにある時の電柱は視界からはずれているが、見渡せる場所では無視しようとしても無理である。散歩していても気になって仕方がない。

景観鈍感国日本も、いつまでもこうした景観をたいして抵抗もなく受け入れている必要はないだろう。無意味な公共工事や資金は使うが利用者の少ない赤字運営の巨大施設の建設の代わりに、日本全国で電線の地下埋設工事を行ってはどうだろうか。
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電柱(1)

2008-09-06 08:15:01 | 環境・土地

以前このブログでPrince of Wales(チャールズ皇太子)の書いた「A Vision of Britain」という本を紹介した。概括すると「風景は歴史とともにゆっくり変化せねばならない。建築物は周囲との調和が大事。建築の部材やデザインがいきなり地域性や伝統を失うと、風景は品格を失う。歴史的連続性を失うと、建築物はその魂を失う」とするものだ。

上の画像はその79ページに挿絵として掲載された漫画である。そこでは、かつては美しかったであろう住宅街が描かれている。ところが今は、大木が切り倒されて代わりにデザインが悪くやたら大きい看板や標識が立ち、電柱が立てられ電線が張り巡らされ、遠くには送電線も見えて、建物の高さの範囲内もスカイラインも、そしてその上の空の風景も、かつての美しい調和を失っている。Prince of Walesはこれを景観的に悪い例として掲げられたのであろう。

この絵にみられる風景を醜いとするなら、日本のほとんどの風景は失格である。人間が住む所はどこも電柱と電線とけばけばしい看板だらけだ。我が西武七里ガ浜住宅地も同様である。山を見れば、極太の高圧線とそれを支える鉄塔がいっぱいで、絵を描く人は「どこを見ても描けない」と嘆く。一級の観光地でも同様だ。鶴岡八幡宮の敷地内には電線はないが、お正月になると巨大なスクリーンが登場し、民間企業のCMをどんどん流して参拝者に見せて聞かせる。

このブログでアレックス・カーの書いた「美しき日本の残像」という本を紹介したことがある。カーによれば日本人は見たくないものが見えないふりをする特殊な能力を持つという。住宅街に一定間隔でニョキニョキ生える電柱と空に張り巡らせられた何本もの電線を、自分の視界から除外出来る特殊な能力が、日本人には備わっていると言うのだ。どんなに醜い電線や電柱があろうが、日本ではそれが住宅地としての価値を減じる原因にはならない。つまるところ、日本人の景観に対する美的感覚は劣る、ないしは鈍感だとカーは言うのである。

欧州先進国の都市およびその郊外の多くの部分で、電柱が撤去され始めるのは昔の話である。今の日本よりも、彼らが遥かに経済的には貧しかった頃の話なのだ。

私は外国人が日本の景観をどう感じようが、それを無視して構わないと思う。日本人の感性で「美しい」と判断される景観を日本人が作れば良いと思う。しかし日本人だって電柱や電線を美しいと思うわけはなかろう。その証拠にここぞという所、例えば皇居周辺、丸の内や大手町、大阪の御堂筋、鎌倉だって若宮大路はすでに電柱がない。本当は日本人だって電柱や電線が空の風景を占領することを、少しは醜いと思っているわけである。でもそれを除去することについては、全国的にはほとんど何もアクションがとられていない。新しく開発された住宅街にはドンドン新しい電柱が立っている。

結局、我々日本人が景観的に電柱や電線を醜いと思う心が弱いのではないか。アレックス・カーの指摘のとおりなのだろう。
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