花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

《真珠の耳飾の少女》と《帽子の少年》

2008-08-24 01:56:30 | 西洋絵画
「芸術新潮」9月号はフェルメール特集だ。もちろん、現在開催中の「フェルメール展」に合わせたものだが、内容的にもなかなかに面白く、いや、それにも増してカメラマンがあの小野祐次氏というのが私的ツボにハマッた(^^;;。以前拙ブログでも扱った自然光によるタブロー・シリーズとは違い、今回はタブローに描かれているものに忠実で、さすがプロ!と唸る写真が並んでいる。

さて、内容の詳細は店頭で確認してもらうのが一番と言うことで端折るが(笑)、表紙は《真珠の耳飾の少女》(1665-66)だ。


Johannes Vermeer《Girl with a Pearl Earring》(1665-66)
Mauritshuis, The Hague

実はその表紙を見ながら、「ああ、やはり似ているなぁ…」と、ある一枚の絵を思い出してしまった。去年、ワズワース・アテネウム美術館(ハートフォード)で観たフランドルの画家ミヒール(ミハエル)・スウェールツ(Michael Sweerts 1618-1664)《帽子の少年》(1655-56)である。


Michael Sweerts 《Boy with a Hat》(1655-56)
Wadsworth Atheneum Museum of Arts, Hartford

少年の眼差し、光の宿る目の表現、艶やかな口元…しばし絵の前で魅入ってしまった。質素な帽子と衣類からはこの少年が決して豊かな暮らしではないだろうと推察される。しかし、少年らしい真っ直ぐな視線と強く光る瞳に、その視線の先の未来はきっと明るいものでろう。と..信じ、願わずにはおれなかった。

実は2002年、アムステルダム国立美術館で「ミヒール(ミハエル)・スウェールツ展(Michael Sweerts 1618-1664)」を観ている。この時はゆっくり鑑賞する時間が無く、ざ~っと眺めてしまったので、《帽子の少年》も展示されていただろうけれど残念ながら私の記憶からは飛んでいる(^^;;;

一方、マウリッツハイスの《真珠の耳飾の少女》は物言いたげな視線をこちらに投げかける。瞳に宿る光と濡れたような口元…多分フェルメール作品の中でも一番人気だろうと思える魅力を備えている。暗色を背景に浮かび上がる少女を一層印象的にしているのは考え抜かれた「白」の効果だと思う。

ちなみに、「芸術新潮」によると、マウリッツハイスでは最近音声ガイドのトローニーについての説明が加わったそうだ。小説の影響でフェルメール家の女中を描いた絵だと思っている客が増えたせいかもしれない(朽木ゆり子氏)とのこと(^^;;;

ともあれ、《帽子の少年》は《真珠の耳飾りの少女》に先行する作品である。偶然なのかどうかわからないが、二人の画家が同じように若者特有の澄んで真っ直ぐな瞳に魅せられたことは確かであろう。

※ Michael Sweertsの表記を マイケル・スゥイーツ→ミヒール(ミハエル)・スウェールツに訂正した(toshi館長に感謝)

宮下規久朗氏講演会「知られざる静物画の魅力」(1)

2008-08-17 06:46:50 | 西洋絵画
国立新美術館で開催中のウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」記念講演会、宮下規久朗氏による「知られざる静物画の魅力」を聴講した。展覧会チラシで講演会を知り、楽しみにしていたのだ。

宮下氏は日本におけるカラヴァッジョ研究者として有名であるし、私も氏の著作物・論文等から多くのことを学ばせていただいている。今までご尊顔を拝したことが無いので、どんな先生なのだろう?とミーハー心も含めて会場に赴いた(^^;;

今回の「静物画の秘密展」では静物画としての食材を描いた作品が多く展示されていたので、『食べる西洋美術史』(光文社刊)を書かれた宮下氏にはぴったりの講演テーマだったかもしれない。しかし、私的にはなんてったってカラヴァッジョの静物画にスポットを当てて欲しかった(笑)。

さて、講演内容をサックリと自分用のメモとしてまとめながら(勝手な要約なので文責は花耀亭にある)、ちょっとばかり道草もしてみたい。

■静物画は西洋アカデミズムのヒエラルキーにおいて、歴史画や肖像画などよりも下位に位置していた。すなわち、当時の絵画は「何が描かれているか」が問題であり、「どのように描かれているか」ではなかった。

■静物画の意味と機能
静物画は初め再現描写の誇示から始まったが、そのイリュージョニズムから、描かれる物を使って抽象概念(宗教・道徳)を表わすようになって行く。更にモノは口実になって芸術家の実験舞台になって行き(ピカソやブラックのキュービズムなど)、モノ自体が作品の隠喩になっていく(デュシャン《泉》など)。

■静物画の歴史 
静物画の起源を辿ると古代のモザイク画「クセニア」に遡る。当時、客に土地の名物品(魚とか果物とか)をお土産(クセニア)として渡す習慣があったが、その品物を絵に描いて渡すようになったことから「クセニア」と言うようになったとのこと。

その後、後期ゴシックの写実傾向からフランドルでは細密描写へ進み(ヤン・ファン・エイクの流れだよね)、16世紀にはヤン・ブリューゲルの花卉画がもてはやされる。
一方、イタリアでは風俗画から静物描写だけが切り離された静物画が成立する。


さて、静物画の成立と言えばカラヴァッジョ《果物籠》と確信しているのだが、なんとその前に立ちはだかる作品があったのだ!

1枚はフランドルのハンス・メムリンク(1440-1494)《花の絵》(1490年)


Hans Memling《Flower Still-life》(1490) 29,2 x 22,5 cm
Museo Thyssen-Bornemisza, Madrid

この花の絵はトリプティック(三連祭壇画)左作品《若い男》(寄進者)の裏に描かれている。メムリンクのトリプティックってリバーシブル仕立てが多いのだよね。
この作品がまだまだ宗教色が抜け切れないのは敷物に十字架模様があることで、白百合も聖母の純潔の象徴だし、ある意味純粋な静物画とはまだ言えないかもしれない。でも、確かに静物画である。

そして、カラヴァッジョと同じミラノのジョヴァンニ・アンブロージョ・フィジーノ(1551-1608)《桃図》(1590)。ちなみにフィジーノはカラヴァッジョと同じシモーネ・ペテルツァーノ工房出身らしい。


Giovanni Ambrogio Figino《Still-life with Peaches and Fig-leaves》1590s
Private collection

メトロポリタン美術館「Painters of Reality」展(2004年)でも展示されていたが、この明暗による立体感を重視した表現に、ダ・ヴィンチからの影響とカラヴァッジョのリアリズムに対する直接的影響が示唆されていた。同じミラノのフェーデ・ガリツィア(Fede Galizia 1578-1630)への影響も見逃せない。

桃と葡萄の葉、この明暗表現など観ているとまさしくカラヴァッジョの登場を予告しているように思える。確かに《果物籠》(1597)に先行する独立した静物画だが、印象はかなり違う。

カラヴァッジョ《果物籠》はしっかりとした構成で、白い背景に「堂々とした」(←宮下氏曰く)存在感を放つ。宮下氏は背景が白く…と言っておられたが、実際は明黄褐色のマットな質感だし、私的には中間色効果だと思っている。いずれにせよ、果物籠だけで観る者を唸らせる力量はカラヴァッジョならではのものだと思う。やはりイタリアの静物画成立は《果物籠》だと信じたい(希望?)(^^;;;


CARAVAGGIO《Basket of Fruit》(1597)31 x 47 cm
Pinacoteca Ambrosiana, Milan

この作品はミラノのアンブロジアーナ絵画館に展示されており、隣の部屋にはヤン・ブリューゲルの静物画やら風景画やらが並んでいる。ミラノ大司教フェデリーコ・ボッロメーオ枢機卿は静物画愛好家だったようだ。ちなみに、宮下氏のお話の中でエルミタージュ《リュート奏者》のガラス花瓶の花はヤンの影響を受けているのではないかということだった。


カラヴァッジョ《リュート奏者》(1596) 94 x 119 cm
エルミタージュ美術館(ペテルブルグ)

そう!確かに《リュート奏者》の花々は精緻で美しい。ヤンの影響もあるかもしれない。映画「カラヴァッジョ」ではローマで会う場面も登場していたほどだし(笑)。更にテーブルの上の果物も瑞々しく、カストラートの潤んだ眼差し、濡れた口元とともにこの作品をしっとりと彩っている。メトロポリタン作品よりも断然素敵なのだ。

カラヴァッジョの静物画」については拙サイトで以前扱ったことがある。拙くて酷い内容だけど、読み返すとなんだか懐かしい(^^ゞ


さて、スペインではボデゴン、17世紀はオランダ絵画の黄金時代、静物画も隆盛を極める。それは次回と言うことで…続く?(^^;;;

国立西洋美術館《玉座の聖母子》

2008-08-10 04:10:16 | 美術館
国立西洋美術館で「コロー展」を観たついでに、久々に「常設展」も観てきた。

現在西美は新館設備工事中ということで本館のみの展示となっていた。そのため、普段は使われていないル・コルビジェ設計(?)の階段を利用することができ、いつもと違った展示空間に展示作品という…なんだか新鮮な体験をさせてもらった。それに、初お目見え作品もあったし!

私の目を惹いたのはアードリアン・イーゼンブラント(Adrien Ysenbrandt)帰属《玉座の聖母子》(16世紀前半)だった!!


イーゼンブラント帰属《玉座の聖母子》(16世紀前半) 35.0×35.1cm

日本にこんな緻密なネーデルランド(フランドル)派作品があるなんて思いもよらなかった。玉座を囲むニッチ壁の見事なまでの彫刻模様の描写や、聖母子の足元の下草(菫?)の細やかさ、幼児の手に持つ紅薔薇、聖母の靴の質感と影!まで・・・聖母の衣装襞の硬さがあるところも含めて、ああ、典型的フランドル風だわ~☆ それに聖母の髪の柔らかさやヴェールの透けた繊細さなど、目が吸い付くように眺め回してしまった(笑)。北方ルネサンス作品として質的にも文句のないところだ。

イーゼンブラント(1510-1551年)はブリュージュでヘラルト・ダーフィットに学んだようだ、ということは、ヤン・ファン・エイク~ロヒール・ファン・デル・ウェイデン~ハンス・メムリンクという系譜に連なるわけで、帰属作品とは言え、その繊細緻密な描写表現はとてつもない目の喜びである。観ながら、まるで海外の美術館にいるような気分になってしまったのだから(^^;;;

で、作品横のプレートには「石塚博氏より寄贈」となっていた。おおっ、確かジョルジュ・ド・ラ・トゥール《聖トマス》も石塚氏のコレクションから西美に入ったはず。きっと古典絵画好きの方なんだろうなぁと思う。まさか、カラヴァッジョ(コピー?)《果物を剥く少年》も所蔵なさってたり??なぁんて勘ぐってしまいそう(^^;;;

東京都美術館「フェルメール展」(1)

2008-08-03 17:19:14 | 展覧会
東京都美術館で「フェルメール展」を観てきた。講演会は一足遅れで聴講券完了になり、聴講は叶わなかった。午後1時ジャストで無くなるなんて!ぐぐ…(涙)

今回の展覧会はフェルメール7点にフェルメール周辺のデルフト派作品を散りばめた展示となっていた。カレル・ファブリティウスやピーテル・デ・ホーホなどをデルフト派としての括りで観るのはなかなか新鮮でもあった。

さて、今回来日したフェルメール作品だが…

□《マルタとマリアの家のキリスト》(1655年頃)スコットランド国立美術館(エディンバラ・)
■《ディアナとニンフたち》(1655-1656年頃)マウリッツハイス美術館(ハーグ)
■《小路》(1658-1660年頃)アムステルダム国立美術館(アムステルダム)
□《ワイングラスを持つ女》(1659-1660年頃)アントン・ウルリッヒ美術館(ブラウンシュヴァイク)
■《リュートを調弦する女》(1663-1665年頃)メトロポリタン美術館(NY)
■《手紙を書く婦人と召使》(1670年頃)アイルランド国立美術館(ダブリン)
□《ヴァージナルの前に座る若い女》(1670年頃)個人蔵

既に観ているものが■4点ある。ということで、当然注目は未見の□3点、エジンバラ《マルタとマリアの家のキリスト》、アントン・ウルリッヒ《ワイングラスを持つ女》、ラスベガス個人蔵《ヴァージナルの前に座る若い女》になってしまった。(ちなみに、今回で33枚/36枚+額縁1枚を観たことになる)

まぁ、私はフェルメール追っかけではないし、美術ド素人だし、的はずれ感想もなんのその、いつも通り気軽に勝手にかっ飛ばすつもりだ(笑)。

まず、カラヴァッジョの影響を言及されがちな《マルタとマリアの家のキリスト》は当然私的一番の期待作品である。絵の前に立つとその大きさに驚き、テーマ的にも個人用祭壇画ではないかと思った。


《マルタとマリアの家のキリスト》(1655年頃) 160×142cm

この主題の場合、大抵「マリアとキリスト」と離れた位置にいる「マルタ」という構図作品が多い。マルタが中央に位置する作品は珍しいと思う。パンを用意しながら不満を漏らすマルタに「マリアは良い方を選んだだけだ」と諭すキリスト。


マルタのブラウスとテーブルクロスの白が呼応して光を誘い込んでいる。後年の白の際立つ効果が予測される。キリストの足元には横顔のマリア。左上方から差し込む光がマリアの頭巾や衣装に当たり、その柔らかな風合いと色彩的ニュアンスが好もしい。初期作品故にか、パンは後年の《牛乳を注ぐ女》のような緻密な質感描写には至っていないのも微笑ましい。

この作品、確かにカラヴァッジョの明暗表現を取り入れているが、その筆触と色彩に、むしろヘンドリック・テル・ブリュッヘンやデレク・ファン・バビューレンなどのユトレヒト派からの影響を感じてしまう。特にマリアの髪の毛を包む頭巾などにテル・ブリュッヘン的な匂いが濃厚に漂う。これは「生」だからこそ感じ得た...とでも言えようか(^^;;

しかし、図録によればフェルメールへのレオナールト・ブラーメル(1596-1674)からの影響が指摘されており、確かに当時のデルフトにおいてフェルメールの師である可能性は強い。ブラーメルの画調を見ると、カラヴァッジョ(1571-1610)とアダム・エルスハイマー(1578-1610)の影響を強く受けていることがわかる。ブラーメルはローマでカラヴァッジョ様式を研究しているし、その明暗技法をフェルメールに伝えた可能性は極めて大きいとも思う。が、その作風にはフェルメールとかなり違い、何か異質なもの(エルスハイマー的ということ(^^;;)さえ感じる。

大抵の画家の場合、初期作品にはなにかしら師の影響が見えるものだが、フェルメールの初期作品である《マルタとマリアの家のキリスト》や《ディアナとニンフたち》からはブラーメルよりもユトレヒト派カラヴァッジェスキの強い影響を感じるのは何故なのだろう?

図録ではユトレヒト派は《マルタとマリアの家のキリスト》を描いてはいないと言う。ところが、デルフトではクリスティアーン・ファン・カウェンブルフ(1604-1667)が同主題を先行して描いている(1629年/ナント美術館)。このカウェンベルフが何とユトレヒト派の追随者であるらしい。構図の近似を見ても、これならばユトレヒト派とフェルメールの結びつきが推察され、私的にもかなり納得できたのであった(^^;;;

国立新美術館「静物画の秘密展」

2008-08-02 23:09:26 | 展覧会
今日のTV「美の巨人たち」はベラスケス《薔薇色の衣装のマルガリータ王女》だった。私的にこれはちょっと困ったことで、ブログに載せようと書いていた内容と少しばかり重なっている部分がある。ということで、あわててUPする(焦るよ~(^^;;;)。

☆☆☆

国立新美術館でウィーン美術史美術館所蔵「静物画の秘密展」を観てきた。(いつもながら、チケットを頂いたokiさんい感謝!!)

最近フィレンツェ近郊に世界で初めての「静物画美術館」ができたが、今回のウィーン美術史美術館の特集と言うのも、静物画に新たな関心が寄せられているということなのだろうか?

さて、展示は4つの章から構成されていた。
第1章 市場・台所・虚栄(ヴァニタス)の静物
第2章 狩猟・果実・豪華な品々・花の静物
第3章 宗教・季節・自然と静物
第4章 風俗・肖像と静物

展覧会の解説によると、神話や宗教画の背景に登場する果物や植物などが独立して静物画というジャンルを形成して行ったという。

ものの本によると、静物画の起源とされるのはネーデルランドのピーテル・アールツェン(1507-85)、ヨアヒム・ブーケラール(1535-74)、北イタリアはロンバルディアのヴィンチェンツィオ・カンピ(1536-91)などの台所画からだと言われている。確かに「マルタとマリアの家のキリスト」など前景にマルタと台所が登場したり、市場絵の後方にキリストが女性のために地面に線を引いていたりする作品を何度か観たことがある。

そんな歴史によるものなのか、今回の展示も主にフランドル・ネーデルランド、そしてイタリアの静物画中心だった。同じハプスブルグ系統だというのにスペインのボデゴンが無いのが寂しいけどね(^^;

さて、展示はマルティン・ファン・クレーヴ《解体された雄牛》(1566)から始まった。私的に驚いたのはその解体された肉主題がアンニバレ・カラッチの《肉屋》(1580年ごろ)に先行していることだった。あのレンブラントも同じ主題(1655年)を描いているし、テーマとして実に興味深い。


アンニバレ・カラッチ《肉屋》(1580年ごろ) キンベル美術館

レンブラント《解体された牛》(1655)

続くヤン・バブティスト・サイーフェ(父)の《肉市場》のお肉なんてぷりぷりと新鮮で美味しそうだった!生ハムにして食べたくなった(笑)。大食を戒める説もあるようだけど、この写実的質感描写こそが「静物画」の命なんだなぁと思う。古代ギリシアのアペレスの逸話じゃないけど、本物と見紛うばかりに描くことが当時の画家の力量発揮であったろうしね。

しかし、肉や魚介類、果物や花にしても…結局は腐れて失われていくもの…という宗教的な意味合いを含めたヴァニタス(虚栄)画なのだ。花のブリューゲルことヤン・ブリューゲルの豪華な花卉画でさえも…。

でも、豊かな食材や花々に単に宗教的意味合いを持たせただけでは無いと思う。だって欧州の美術館を巡っていると花や果物などの静物画で溢れた展示室があったりする。それだけ時代を通して人気のあるテーマだということは、私的に思うに、綺麗な花は室内を飾るし、美味しそうな食材は観て豊かな気持ちになれたからなんじゃないか? 会社での昼食時、家庭画報のお料理ページを開きながら良くお弁当を食べていたのだけれど、それがコンビニ弁当であることを忘れてしまったしね(笑)。

さて、今回の展示で一番の収穫だったのはベラスケスの《薔薇色の衣装のマルガリータ王女》(1654)だった。もちろんウィーンでも観ていたが、実はこの作品をしみじみとは観ていなかった(汗)。


ベラスケスの《薔薇色の衣装のマルガリータ王女》(1654)

あらためて観ると幼い王女の顔を描く柔らかで繊細な筆致から、衣装や背景を描く大胆な筆致へと変化する妙と色彩構成の見事さに感動する。王女のドレスの銀灰色から薔薇色への諧調、背景の青色から灰色の諧調、ガラス花瓶に生けられた薔薇色とマーガレットの白。背景の斜め構図の中に王女の顔が愛らしく強調され、画面全体が落ち着いた色調として心地よく調和しているのだ。

そして、今回の「静物画」的な見方をすることにより、ハッキリと気が付いた。画面から青いテーブルクロスの上の花瓶と花々を切り取ったら、そのまんまマネではないか!!マネが真似したのね(^^;;;

☆☆☆

以上、内容的にまだ半端なのだけどブログUPした。何故UPしていなかったかというと、静物画の成立に関してどうしてもカラヴァッジョ《果物籠》に触れたくて、どう絡めようかと迷っていたからだ。もしかしたら「続く」かもしれない(^^;;;