花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

無花果(いちじく)の甘露煮。

2015-09-27 22:54:49 | 食べもの

仙台ではこの季節、スーパーの店頭に完熟前の小ぶり無花果(いちじく)が1kg単位の袋詰めで並ぶ。用途はもちろん「無花果の甘露煮」用だ。 

無花果好きbut料理苦手の私だが、去年初めて「甘露煮」に挑戦した。しかし、なんとしたことか、表皮は固くシワシワで、味も染み込まず、完全に失敗してしまったのだっ!!(>_<) 

敗因:(1)なり口を切り落とさなかった。(2)最初強火で煮込んでしまった。 

反省と伴に去年の敗因を分析し、今年はクックパッド他ネット情報を集約しながら、敗者復活戦ならぬ再挑戦をした。コトコト弱火で煮続け、一晩おいてまたコトコト…。

ほほほ、今年はちゃ~んとできましたよ~♪ ふっくら甘く、飴状の琥珀色も麗しい「無花果の甘露煮」が! 私だってやればできるじゃ~ん )^o^(

朝のトーストのジャム代わりに、ヨーグルトに添えて、食後のお茶うけに…出番は色々ありそうで、あっと言う間に無くなってしまいそう。その代わり、体重(皮下脂肪)はしっかり増えそうだけどね!(^^;;

 


Bunkamura「風景画の誕生」展を観た(2)

2015-09-26 11:23:10 | 展覧会

第1章-第1節の展示作品は、主題の背景の窓から見えていた風景 → 主題の背景に風景 → 風景の中に小さく主題という、風景が主題を凌駕して行く過程を物語ろうとしているのだと思う。

 しかし、ネーデルラント絵画とイタリア絵画、それに時系列的混在もあることから、美術ド素人はなんだか少し戸惑ってしまったのだった(汗)。だが、イタリア絵画に集中して観てみると、イタリアにおける風景画の流れを微妙に示しているのではないかと気が付き、なるほど!と、面白くなってきた。

今回、ヴェネツィア派のティツィアーノ《タンバリンを演奏する子ども》が出展されていた。可愛い子どもの描写には顔をほころばせてしまう。タンバリンを演奏するこの小品から連想するのはパルナッソスやバッカス祭りだ。

ティツィアーノ《タンバリンを演奏する子ども》(1510-15年頃)ウィーン美術史美術館

また、ティツィアーノから影響を受けたフェッラーラ派のドッソ・ドッシ《聖ヒエロニムス》やガロファッロ《ノリメ・タンゲレ》も並ぶ。ドッソ・ドッシ《聖ヒエロニムス》はヴェネツィア派と見紛うような、自然への共感が感じられる作品だった。

ドッソ・ドッシ《聖ヒエロニムス》(1517-19年頃)ウィーン美術史美術館

フェッラーラ派が風景画の流れで語られるとしたら、もしかして(図録もイヤホンガイドも無しの当て推量だが)エステンセ城の「Camerini d'alabastro(大理石の間)」繋がりではないのか?と思った。

ジョヴァンニ・ベッリーニ、ティツィアーノ、ドッソ・ドッシ《神々の饗宴》 (1514-29年 )ワシントン・ナショナル・ギャラリー 

フェッラーラの「エステンセ城」 

更に、スキファノイア宮「Salone dei Mesi(月歴の間)」から第2節の「月歴画」へ繋げるためではないのか…?  まさか、今回のイタリア風景画はヴェネツィアではなくフェッラーラがキモなのか?! などと、美術ド素人は勝手にあれこれ考えてしまった(^^ゞ  

イタリアにおける風景画と言ったら、まずはヴェネツィア派であるし、カラヴァッジョ《イサクの犠牲》《エジプト逃避途中の休息》の背景にもヴェネツィア派の影響がプンプン臭う。私的には《サウロの回心》(オデスカルキ・バルビ・コレクション)にも感じられるほどだ。 

2012年春、ミラノのパラッツォ・レアーレで「ティツィアーノと近代風景画の誕生(Tiziano e la nascita del paesaggio moderno)」展を観たが、解説の中でヴェネツィア派風景画へのドイツとフランドルの影響について言及していたのが印象的だった。 

冒頭を飾ったのはジョヴァンニ・ベッリーニ《磔刑図》。フランドル絵画から影響を受けているが、それ以上に画家自身の自然への感性が素晴らしい!彼の作品には光と大気が満ち溢れているのだ。ジョルジョーネもティツィアーノもベッリーニ工房出身であり、それこそ第二次ヴェネツィア滞在中のデューラーがピルクハイマー宛て私信(1506/02/07)でベッリーニを「彼はたいそう齢をとっていますが、今でも絵画では最高の方です」と褒めているし♪

ジョヴァンニ・ベッリーニ《墓地の磔刑図》(1501-03年)アルベルティ美術館(プラート) 

当時の拙ブログ記事「イタリア美術プチ縦横断旅行」に短いレポートを書いているが、ミラノの展覧会紹介Youtube動画を見つけたのでご興味のある方はご参照あれ。

そのヴェネツィア派から影響を受けたフェッラーラ派、そのヴェネツィア派とフェッラーラ派から影響を受けたボローニャ派のアンニバレ・カラッチ。その影響を受けたフランチェスコ・アルバーニ…。ヴェネツィア派からボローニャ派に至る風景画の流れは、もしかして斯くの如しなのかもしれない。 

ちなみに、今回出展されていたアルバーニ工房《悔悛するマグダラのマリア》を観て、思わず「ボローニャ派だわ!」と口の中で叫んでしまった。

フランチェスコ・アルバーニ工房《悔悛するマグダラのマリア》(1640年頃?)ウィーン美術史美術館

以前、ボローニャ派の「浮揚の系譜」について書いたことがあるが、まるでドメニッキーノやランフランコやグイド・カニャッチのマグダラのマリアが自分の乗るべき雲を天使たちが運んでくるのを待っている場面のように見えるのだ(^^;;;。いや、真面目に書けば、これから「マグダラのマリアの浮揚」が始まる前場面と考えられる。(追記;よく見ると天使が青い服を運び、左上の雲が浮揚場面なのだ!)ボローニャ派が浮揚と風景を結びつけながら描いていたことが良くわかり、アルバーニも浮揚の系譜に連なることが私的に了解され、今回一番興味深い作品となった。

もちろん、イタリア・バロックにおける風景画と言えばアンニバレ・カラッチに言及しなければならないのだけれど、残念ながら今回は作品展示も無く、更にクロード・ロラン作品も無い(彼がフランス人だからか?)!! 「欠落している感」はここにも原因があるように思われる。

ということで、今回、私的に不満はあれこれあるけれど、イタリア絵画における風景画の歴史を改めて勉強する良い機会になったのだった。ちなみに、サルバトール・ローザはあまり好きじゃないので無視してしまったが、ごめんね(^^;;


Bunkamura「風景画の誕生」展を観た(1)

2015-09-21 01:51:04 | 展覧会

Bunkamuraザ・ミュージアム「風景画の誕生」展を観た。衆目を集めるような有名作品は無いものの、久しぶりに見応えのある面白い企画展に巡り合ったような気がする。

私的に「風景画の歴史」を見せる展覧会は色々観てきたが、「風景画の誕生」に焦点を当てた展覧会は珍しく、ハプスブルグ家の歴史を引き継いだウィーン美術史美術館ならではと思われた。しかし、それは逆に美術史美術館所蔵という制約が、どこか欠落感を覚える展開を見せるが、それでもなお「風景画の誕生」に迫る企画側の工夫が功を奏し、観る者を驚かせ眼を楽しませてくれた。特に「時祷書」ファクシミリ版展示には拍手を送りたい。 

展覧会構成は下記の通りである。

第1章 風景画の誕生  

     第1節   聖書および神話を主題とした作品中に現れる風景

     第2節   1年12カ月の月歴中に現れる風景

     第3節   牧歌を主題とした作品中に現れる風景

第2章  風景画の展開

     第1節   自立的な風景画

     第2節   都市景観としての風景画 

展覧会の詳細や見どころ紹介などはBunkamuraの公式サイトが良くできているので、そちらを参照していただきたい。ということで、展覧会で私的に目を惹かれた作品を中心に感想を書いていきたいと思う。美術ド素人なので、誤解や間違い等があったらごお許し&ご教授ください。

さて、宗教主題作品の中に背景として現れる風景の例として展示されていたホーホストラーテンの画家《聖母子と聖カタリナと聖バルバラ》は、初期フランドル絵画らしく緻密で繊細な描写が美しい作品である。

ホーホストラーテンの画家《聖母子と聖カタリナと聖バルバラ》(1510年頃)美術史美術館

聖母と聖女たちの背景に描かれた柱の間から風景が見える構図は、ファン・エイク《ロランの聖母》やウェイデン《聖母を描く聖ルカ》の構図を継承したものと思われる。初期フランドル絵画ならではの細部まで描き込む緻密な描写は背景の優れた風景描写だけでなく、聖女たちの細く輝く金髪、聖カタリナの纏う紅い金糸織物、床の木目まで描き込み、聖カテリナの持物である剣の落す影が北方の光を誘う。

ヤン・ファン・エイク《ロランの聖母》(1435年)ルーヴル美術館

宗教場面の背景の窓から見える風景とは違い、ヨアヒム・パティニール(Joachim Patinir , 1480頃–1524)は風景の中に宗教場面を描く。今回の展示作品《聖カタリナの車輪の奇跡》もパノラマ風景の右方に奇跡場面が描かれ、遠景は空気遠近法的に青色に霞んでいる

ヨアヒム・パティニール《聖カタリナの車輪の奇跡》(1515年以前)美術史美術館

パティニールを「初めて風景画家と呼ばれた男」と、デューラーの『ネーデルラント旅日記』を引用し紹介するところなど、まるでファン・マンデル『画家の書』の「北方画家列伝」論法をなぞるようで思わず微笑してしまったが、確かにデューラーはパティニール親方を「良き風景画家」と書いている。

デューラーが描いたパティニールの肖像画(1521年)ワイマール美術館

だとしたら、今回不在のドナウ派のアルブレヒト・アルトドルファー(Albrecht Altdorfer, 1480頃‐1538)の存在を美術ド素人はどう考えれば良いのだろうか??

アルブレヒト・アルトドルファー《磔刑図》(1512年)カッセル美術館


東京で展覧会&チラシ集め?

2015-09-20 22:31:08 | 展覧会

芸術の秋ということで、観たい展覧会が集中しているこの時期に合わせて東京に行ってきた。

観た展覧会は…

・「国宝 曜変天目茶碗と日本の美」サントリー美術館

・「風景画の誕生」Bunkamuraザ・ミュージアム

・「モネ展」東京都美術館

「風景画の誕生」については感想文を書く予定である。 (オオカミ少年にならないようにしたい)

併せて開催予定の展覧会チラシも色々入手した。もちろん上野に行ったからには「カラヴァッジョ展」チラシもGetしましたよ♪ ( けど、あの惹句は気恥ずかしい…(^^; )

さて、チラシの中でも気になった展覧会は…

・「英国の夢 ラファエル前派展」Bunkamuraザ・ミュージアム 2015/12/22-2016/03/06

・「フェルメールとレンブラント」森アーツセンターギャラリー 2016/01/14-2016/03/31

・「ボッティチェリ展」東京都美術館 2016/01/16-2016/04/03

・「メアリー・カサット展」横浜美術館 2016/06/25-2016/09/11

来年も色々な展覧会が楽しめそうですなぁ♪


Windows10...(^^;

2015-09-11 22:53:53 | 使うもの

去年の11月、外出用のPCをWindows8から8.1にバージョンアップしようとして失敗した(涙)。動かないので放置状態だったのだが、ちょっとばかり必要に迫られ、ヤマダ電機に「何とかして下さ~い!」と持ち込んだ。「一旦消してWindows10にするしかないですね」と言われ、もうお任せモード。なにしろ私は機械音痴(^^;;

  ヤマダ・ヴァージョンの初期画面はWindows7仕様で、なんだかほっとするも、これじゃ何が変わったのかわからない。Windows10って何か便利になったんでしょうかね?(^^;


サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂

2015-09-04 02:31:00 | 西洋絵画

フィレンツェのサンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂には、2013年・2014年と続けて通ったのにかかわらず、観るべきところをしっかり見ていなかったことが悔やまれる。 

サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂(フィレンツェ)

訪れた目的は入口回廊に描かれたマニエリスム画家たちのフレスコ画だったのだが、残念ながら修復作業中(二年連続!)で、足場の覆いからチラ見しかできなかった。せっかく来たのに…と、気持ち的にがっかりしてしまい、教会内部はサクっとしか見なかった。

 先月、某所でお勉強させていただいたら、聖堂内にあるフレスコ画《受胎告知(聖ルカの聖母)》は何とアケイロポイエトス(人の手によらない)像として有名なことを知った! ミケロッツォ設計のテンピエット(小神殿)が豪華すぎて、(柵もあるし)その奥の《受胎告知》のマリア様なんてよく見えなかったのだ(>_<)

 

作者不詳《受胎告知》14世紀半ば(1340年?) かすかに右端にマリア様が確認できる。

フレスコ画の前に見える柱はテンピエットの屋根を支える柱だ。ちなみに、このテンピエットはタベルナクルム(聖櫃)になるのだそうだ。テンピエット全体の写真を撮らなかったのが残念! 

タベルナクルムと言えばローマの「da Guercino a Caravaggio(グエルチーノからカラヴァッジョまで)」展レポート(感想文)で紹介したグエルチーノ作品《ロザリオの15の謎と花輪を支える二人の有翼のプット》も絵画タベルナクルムということになるのだろうね(^^;

グエルチーノ《ロザリオの15の謎と花輪を支える二人の有翼のプット》・サン・ジョルジョ教区教会(チェント) 

美術ド素人だから無知であることは仕方がないのだけれど、無知であることは凄く損なことだとつくづく実感する。目の前にあるお宝に気が付かず素通りしているようなもので、後の祭り的後悔すること多々…。だったら、お勉強しなくちゃね!>自分(溜息&自戒!) 

ちなみに、サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂にはルネサンスの昔からエクス・ヴォート(奉納像)としての蝋人形(部分も)が多数吊るされていたらしい。まるでオシラサマ信仰の吊るしモノや絵馬みたいだ。

もしかして、この回廊に庶民の蝋製エクス・ヴォートが多数鈴なり状態で吊り下げられていたことになるのかな??

で、さすがに18世紀ごろには撤去されたようだが、仕事を失った蝋人形作りの職人たちが「ラ・スペーコラ」の人体解剖模型作りにその特殊技能を生かし生活の糧を見出していったという話に、なんだかフィレンツェ職人のディープな歴史を覗き見たような気がした(^^;