東京都美術館で「フェルメール展」を観てきた。講演会は一足遅れで聴講券完了になり、聴講は叶わなかった。午後1時ジャストで無くなるなんて!ぐぐ…(涙)
今回の展覧会はフェルメール7点にフェルメール周辺のデルフト派作品を散りばめた展示となっていた。カレル・ファブリティウスやピーテル・デ・ホーホなどをデルフト派としての括りで観るのはなかなか新鮮でもあった。
さて、今回来日したフェルメール作品だが…
□《マルタとマリアの家のキリスト》(1655年頃)スコットランド国立美術館(エディンバラ・)
■《ディアナとニンフたち》(1655-1656年頃)マウリッツハイス美術館(ハーグ)
■《小路》(1658-1660年頃)アムステルダム国立美術館(アムステルダム)
□《ワイングラスを持つ女》(1659-1660年頃)アントン・ウルリッヒ美術館(ブラウンシュヴァイク)
■《リュートを調弦する女》(1663-1665年頃)メトロポリタン美術館(NY)
■《手紙を書く婦人と召使》(1670年頃)アイルランド国立美術館(ダブリン)
□《ヴァージナルの前に座る若い女》(1670年頃)個人蔵
既に観ているものが■4点ある。ということで、当然注目は未見の□3点、エジンバラ《マルタとマリアの家のキリスト》、アントン・ウルリッヒ《ワイングラスを持つ女》、ラスベガス個人蔵《ヴァージナルの前に座る若い女》になってしまった。(ちなみに、今回で33枚/36枚+額縁1枚を観たことになる)
まぁ、私はフェルメール追っかけではないし、美術ド素人だし、的はずれ感想もなんのその、いつも通り気軽に勝手にかっ飛ばすつもりだ(笑)。
まず、カラヴァッジョの影響を言及されがちな《マルタとマリアの家のキリスト》は当然私的一番の期待作品である。絵の前に立つとその大きさに驚き、テーマ的にも個人用祭壇画ではないかと思った。
《マルタとマリアの家のキリスト》(1655年頃) 160×142cm
この主題の場合、大抵「マリアとキリスト」と離れた位置にいる「マルタ」という構図作品が多い。マルタが中央に位置する作品は珍しいと思う。パンを用意しながら不満を漏らすマルタに「マリアは良い方を選んだだけだ」と諭すキリスト。
マルタのブラウスとテーブルクロスの白が呼応して光を誘い込んでいる。後年の白の際立つ効果が予測される。キリストの足元には横顔のマリア。左上方から差し込む光がマリアの頭巾や衣装に当たり、その柔らかな風合いと色彩的ニュアンスが好もしい。初期作品故にか、パンは後年の《牛乳を注ぐ女》のような緻密な質感描写には至っていないのも微笑ましい。
この作品、確かにカラヴァッジョの明暗表現を取り入れているが、その筆触と色彩に、むしろヘンドリック・テル・ブリュッヘンやデレク・ファン・バビューレンなどのユトレヒト派からの影響を感じてしまう。特にマリアの髪の毛を包む頭巾などにテル・ブリュッヘン的な匂いが濃厚に漂う。これは「生」だからこそ感じ得た...とでも言えようか(^^;;
しかし、図録によればフェルメールへのレオナールト・ブラーメル(1596-1674)からの影響が指摘されており、確かに当時のデルフトにおいてフェルメールの師である可能性は強い。ブラーメルの画調を見ると、カラヴァッジョ(1571-1610)とアダム・エルスハイマー(1578-1610)の影響を強く受けていることがわかる。ブラーメルはローマでカラヴァッジョ様式を研究しているし、その明暗技法をフェルメールに伝えた可能性は極めて大きいとも思う。が、その作風にはフェルメールとかなり違い、何か異質なもの(エルスハイマー的ということ(^^;;)さえ感じる。
大抵の画家の場合、初期作品にはなにかしら師の影響が見えるものだが、フェルメールの初期作品である《マルタとマリアの家のキリスト》や《ディアナとニンフたち》からはブラーメルよりもユトレヒト派カラヴァッジェスキの強い影響を感じるのは何故なのだろう?
図録ではユトレヒト派は《マルタとマリアの家のキリスト》を描いてはいないと言う。ところが、デルフトではクリスティアーン・ファン・カウェンブルフ(1604-1667)が同主題を先行して描いている(1629年/ナント美術館)。このカウェンベルフが何とユトレヒト派の追随者であるらしい。構図の近似を見ても、これならばユトレヒト派とフェルメールの結びつきが推察され、私的にもかなり納得できたのであった(^^;;;
今回の展覧会はフェルメール7点にフェルメール周辺のデルフト派作品を散りばめた展示となっていた。カレル・ファブリティウスやピーテル・デ・ホーホなどをデルフト派としての括りで観るのはなかなか新鮮でもあった。
さて、今回来日したフェルメール作品だが…
□《マルタとマリアの家のキリスト》(1655年頃)スコットランド国立美術館(エディンバラ・)
■《ディアナとニンフたち》(1655-1656年頃)マウリッツハイス美術館(ハーグ)
■《小路》(1658-1660年頃)アムステルダム国立美術館(アムステルダム)
□《ワイングラスを持つ女》(1659-1660年頃)アントン・ウルリッヒ美術館(ブラウンシュヴァイク)
■《リュートを調弦する女》(1663-1665年頃)メトロポリタン美術館(NY)
■《手紙を書く婦人と召使》(1670年頃)アイルランド国立美術館(ダブリン)
□《ヴァージナルの前に座る若い女》(1670年頃)個人蔵
既に観ているものが■4点ある。ということで、当然注目は未見の□3点、エジンバラ《マルタとマリアの家のキリスト》、アントン・ウルリッヒ《ワイングラスを持つ女》、ラスベガス個人蔵《ヴァージナルの前に座る若い女》になってしまった。(ちなみに、今回で33枚/36枚+額縁1枚を観たことになる)
まぁ、私はフェルメール追っかけではないし、美術ド素人だし、的はずれ感想もなんのその、いつも通り気軽に勝手にかっ飛ばすつもりだ(笑)。
まず、カラヴァッジョの影響を言及されがちな《マルタとマリアの家のキリスト》は当然私的一番の期待作品である。絵の前に立つとその大きさに驚き、テーマ的にも個人用祭壇画ではないかと思った。
《マルタとマリアの家のキリスト》(1655年頃) 160×142cm
この主題の場合、大抵「マリアとキリスト」と離れた位置にいる「マルタ」という構図作品が多い。マルタが中央に位置する作品は珍しいと思う。パンを用意しながら不満を漏らすマルタに「マリアは良い方を選んだだけだ」と諭すキリスト。
マルタのブラウスとテーブルクロスの白が呼応して光を誘い込んでいる。後年の白の際立つ効果が予測される。キリストの足元には横顔のマリア。左上方から差し込む光がマリアの頭巾や衣装に当たり、その柔らかな風合いと色彩的ニュアンスが好もしい。初期作品故にか、パンは後年の《牛乳を注ぐ女》のような緻密な質感描写には至っていないのも微笑ましい。
この作品、確かにカラヴァッジョの明暗表現を取り入れているが、その筆触と色彩に、むしろヘンドリック・テル・ブリュッヘンやデレク・ファン・バビューレンなどのユトレヒト派からの影響を感じてしまう。特にマリアの髪の毛を包む頭巾などにテル・ブリュッヘン的な匂いが濃厚に漂う。これは「生」だからこそ感じ得た...とでも言えようか(^^;;
しかし、図録によればフェルメールへのレオナールト・ブラーメル(1596-1674)からの影響が指摘されており、確かに当時のデルフトにおいてフェルメールの師である可能性は強い。ブラーメルの画調を見ると、カラヴァッジョ(1571-1610)とアダム・エルスハイマー(1578-1610)の影響を強く受けていることがわかる。ブラーメルはローマでカラヴァッジョ様式を研究しているし、その明暗技法をフェルメールに伝えた可能性は極めて大きいとも思う。が、その作風にはフェルメールとかなり違い、何か異質なもの(エルスハイマー的ということ(^^;;)さえ感じる。
大抵の画家の場合、初期作品にはなにかしら師の影響が見えるものだが、フェルメールの初期作品である《マルタとマリアの家のキリスト》や《ディアナとニンフたち》からはブラーメルよりもユトレヒト派カラヴァッジェスキの強い影響を感じるのは何故なのだろう?
図録ではユトレヒト派は《マルタとマリアの家のキリスト》を描いてはいないと言う。ところが、デルフトではクリスティアーン・ファン・カウェンブルフ(1604-1667)が同主題を先行して描いている(1629年/ナント美術館)。このカウェンベルフが何とユトレヒト派の追随者であるらしい。構図の近似を見ても、これならばユトレヒト派とフェルメールの結びつきが推察され、私的にもかなり納得できたのであった(^^;;;