花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

「アンリ・カルティエ=ブレッソン ― 知られざる全貌」展

2007-07-29 00:18:17 | 展覧会
先日、NHKでマヤ文明の神殿ピラミッドを紹介している番組を見た。位置が東西南北の軸からややずれて築かれており、春分の日になると太陽の光と影により、神殿の階段に蛇(雨乞いの神様?)の長いギザギザの姿が映し現れるのだ。春分の日になると人々は光と影のショーが始まるのを待ち構える。

多分、写真家であるアンリ・カルティエ・ブレッソン(Henri Cartier-Bresson,1908~2004)も同じように光と影による構図の妙を、一瞬のシャッターチャンスの中に捉えようと、カメラのファンダーを覗いていたに違いないと思った。

東京国立近代美術館で「アンリ・カルティエ=ブレッソン ― 知られざる全貌」展を観た。

若い頃画家を志していたというだけあって、その作品に写し取られた世界は、背景の構図と対象物(人)の一瞬の結合を捉えて、意外な世界(可笑しみをさえ感じさえる)を見せてくれる。例えば、有名な雨上がりのサンラザール駅。例えば、スペインの破壊された壁に空いた丸い空間に遊ぶ子供たち…等々…。静と動、多数と個、線と曲線、反復と相似…際立つ構図を一瞬に収める「決定的瞬間」!HCBの持つ造形的センスには脱帽するしかない。




会場の壁に面白いコメントが記されていた。不確かな記憶だが、造形芸術家が(固有に)持つ幾何学は作家にとっての文法と同じ…というような内容だったと思う。HCBの作品はどれを観ても造形の鋭い幾何学的センスをフレームの中に構築している。私的には文法ではなくHCBの文体ではないかと思う。

また、報道写真家集団「マグナム・フォト」の設立メンバーでもあるHCBは、報道写真家としても素晴らしい仕事をしている。インドでのガンジー暗殺との遭遇、中国での国民党と共産党の交代劇との出会い…等々。

中国での作品の中に、とても興味深い1対(2枚)の写真があった。1枚は、中国本土から台湾へと撤退する国民党軍は軍服をきちんと着用し、どことなく悠然としている。一方、もう1枚は、長征を経た共産党軍はホコリまみれで鍋釜をぶら下げて入城する。敗者と勝者の何という対比!その当時の国/共のあり様がまざまざと映し出されているのだ!HCBの報道写真家としての鋭い時代センスに感嘆する。

この展覧会にはHCB自身が現像した写真や、生い立ち写真、自筆のスケッチ・油彩なども展示され、作品だけでなく、その知られざる全貌を知ることができた。レオーノール・フィニやマンディアルグと付き合っていた頃の一コマも伺える。しかし、なかでも私的に驚いたのは、ジャン・ルノワール監督「ピクニック」の助監督だけでなく出演までしていたこと!(笑)

三の丸尚蔵館「京焼多彩なり-明治から昭和へ」

2007-07-24 01:39:34 | 展覧会
梅雨空のせいか体調があまり良くない日々が続いていたのだが、この前の土日は久々に調子良く美術館巡りをすることができた。

まずは三の丸尚蔵館「京焼多彩なり-明治から昭和へ」。

江戸時代前期から中期に全盛を誇った京焼の伝統を引き継ぐ明治から昭和の名工たちの作品が展示されており、名品のなかに京の美意識というものが変らずに流れていることをしみじみと見たような気がする。

展示は初代乾山伝七《草花文花瓶》から始まった。金彩を施した大きく華やかな花瓶だが、四季の花鳥をうっとりするような繊細な色使いで全面に散りばめた雅さは、やはり京焼ならではの趣だなぁと眺めてしまう。


初代乾山伝七《草花文花瓶》


で、実は今回の展示作品で私の目を惹いた作品は仁清の遺伝子を継いでいるものが多かった。初代伊東陶山《蝶尽卵形合子》なんて、見たとたん、仁清みたい!と思ったほど。卵形の合子は極小さな蝶が全面に描かれ、まるで文様のように見える。傍らに合子を開けた内部のカラー写真が置かれていたのだが、クリーム色の地に薩摩風に草花が品良く描かれていて、これなら家に置いてもいいなぁ、などと思ってしまった(^^ゞ

仁清と言えば、楠部彌弌《色絵丸文白椿茶碗》は黒地の丸く円を抜き、その中に椿を描いている。これって、確か仁清の茶碗にあったデザイン!仁清のは文様が描かれていたよね。この楠部彌弌って初めて知った作家だけど、《青華甜瓜文菱口花瓶》も《白磁彩埏飛翔花瓶》も、轆轤使いの名手だった仁清を髣髴するようなエレガントな造形に、瀟洒な絵付けを施し、多分、仁清を凄く意識していた作家だったに違いないと思う。今回の展覧会でこの楠部彌弌を知ったことは大収穫だった。

まさに仁清写しの作品もあった。五代清水六兵衞《仁清写藤花図茶壺》は熱海AMO作品を写したもの。藤の花の銀彩の筆致なども見事に写して、やはり画家だけでなく陶工作家たちも先人たちの作品から多くを学んでいることを知った。

六代清水六兵衞《古稀彩春魁花瓶》《古稀彩秋叢花瓶》は琳派を現代風にアレンジした意欲作と見た。雅趣もあって面白い。春の梅、秋の萩の大胆な装飾技法。琳派の意匠は今でも京都に脈々と流れているのだろうなぁと思う。実は、その後に東京国立近代美術館に行ったのだが、嬉しくも加山又造《春秋波濤》を漸く観ることができた。そこでも、京都生まれの加山の中に流れる琳派の伝統をヒシと感じでしまったのだった。

    
六代清水六兵衞 《古稀彩春魁花瓶》       《古稀彩秋叢花瓶》 


ぐるっと作品を観て、さて、会場中央…陳列ケースに収まり目を奪ったのは三代清風與平《旭彩山桜花瓶》。白く彫り込まれた山桜が花曇のように淡い桜色の諧調の地色から浮き上がる。春のおぼろげな夢のような世界に誘う素敵な作品だ。中国や朝鮮の古陶磁を意識したものなのだろうか??私の記憶もおぼろげなのだが、前に東博でも観たことがあるような??すべては桜色の春霞のようだ(笑)


三代清風與平《旭彩山桜花瓶》


古陶磁と言えば、青磁作品も何点か展示されていた。が、私的にどうしても納得できるものが無かった。人の好みというのはそれぞれであるし、私自身にも青磁のイメージがある。たっぷりと釉薬のかかった砧青磁が好きので、今回の青磁には欲求不満が残ってしまった。そのため、翌日は静嘉堂文庫に行ってしまうというオマケもついた展覧会でもあった(^^;;;
しかし、言うまでも無く、ここ(尚蔵館)に展示されていた作品は超一級の作品ばかりだし、後期も今からわくわくしながら楽しみにしている。

「パルマ展」(1) コレッジョとアンニバレ・カラッチ

2007-07-18 04:29:05 | 展覧会
東京国立西洋美術館で「パルマ展」を観た。

イタリア・ルネサンスと言えばフィレンツェだけれど、16世紀になるとミラノに程近いパルマでもコレッジョやパルミジャニーノを始めとする素晴らしい画家たちを輩出する。「ペルジーノ展」ではウンブリア派の画家たちを知ったが、「パルマ展」もパルマ派の優れた画家たちを知る得がたい機会となった。観ていても、主催側のパルマ派の全容を伝えたいという熱気が伝わって来て、久々に興奮を覚えてしまった(^^ゞ

展示構成は、Ⅰ)15世紀から16世紀のパルマ Ⅱ)コレッジョとパルミジャニーノの季節 Ⅲ)ファルネーゼ家の公爵たち Ⅳ)聖と俗の絵画―「マニエーラ」の勝利 Ⅴ)バロックへ Ⅵ)素描および版画

オープニングは写本やマヨリカ焼きのタイルから始まり、15世紀から16世紀にかけてのパルマ芸術の動向を窺う。パルミジャニーノの父フィリッポ・マッツォーラ作品などもあり、当時のパルマではヴェネツィア派の影響を多く受けていることがわかる。

中でもチーマ・ダ・コネリアーノ《眠れるエンデュミオン》は小品ながら魅力的だ。ディアーナを象徴する三日月が天上からエンデュミオンの元へと降りてくる表現など、なにやら牧歌的でもあり微笑ましい。それに背景の緻密な描写がフランドル風で、チーマがジョヴァンニ・ベッリーニに学んだことが了解される。私的にはちょっとジョルジョーネ風な味付けも感じられたのだが…。


さて、実は今回の「パルマ展」に対して注目していたこと(勉強したかったこと)が3点あった。①コレッジョとアンニバレ・カラッチ、②コレッジョとパルミジャニーノ、③ファルネーゼ・コレクションとカポディモンテ美術館。ところが、展覧会を観て、更にバロック期のパルマにおけるCARAVAGGIOの影響の大きさも知ることになった。できたら4回に分けて感想を書きたいと思っているのだが…果たして書けるだろうか?(^^;;;;;

ということで、さっそく①から始める(^^ゞ

ミラノからローマに向かう列車に乗ると、パルマ、ボローニャ、フィレンツェへと下って行く。

実は、去年ボローニャで「アンニバレ・カラッチ展」を観て以来、アンニバレ・カラッチ(1560~1609)がかなり気になる存在になった。有名なローマのファルネーゼ宮の天井画は未見なので別として、初期の荒削りではあるが、ありのままの人間を描こうとする自然主義的な描写に強く惹かれたのだ。それはCARAVAGGIOに通じる世界である。「カラッチ展」を観ながら、この二人がバロックを切り開いて行く共通項と言うべきものに触れた思いがし、なんだか身震いするほどの感動をもらってしまった。

 
《豆を食べる男》(1580~90)コロンナ美術館(ローマ)   《飲む少年》(チューリッヒ・Galerie Nathan)

しかし、アンニバレの作風は段々と洗練された古典主義に傾いて行く。



ボローニャの展覧会でも展示されており、今回ロンドンのクイーンズ・ギャラリーで再会した《真実と時の寓意》(1584~85)。結構気に入っている(^^ゞ

「アンニバレ・カラッチ展」によればコレッジョの影響を受けたとのことだった。ところが、美術ド素人の私はコレッジョについて多くを知らない。欧州の美術館巡りで確かに作品を散見しているのだが、神話画と宗教画では印象が全然違って全体像が見えていなかった。今回の「パルマ展」はコレッジョ勉強をするとともに、カラッチ一族、特にアンニバレ・カラッチとの影響関係を探る上で願ってもない機会となった。


さて、このパルマ派を代表するコレッジョ(1489頃~1534)だが、本名はアントーニオ・アッレーグリ。パルマに程近いレッジョ・エミリア近郊の小村コレッジョ出身であることから「コレッジョ」と呼ばれる。初期時代はマンテーニャやロレンツォ・コスタ、ラファエッロやレオナルド、ジョルジョーネやロットの影響を受けているようだ。ある意味で、フィレンツェ・ルネサンスの果実を受け取り、ロンバルディアの自然主義と光、ヴェネツェア派の色彩を取り込み、今回の展示にも観られた優美さと情愛に満ちた作品を描いて行った…と言えるかもしれないね。

今回の展覧会で特にうっとりと眺めたのは《幼児キリストを礼拝する聖母》(1525~26)。



前景の幼子から発する光が礼拝する聖母を照らし出し、柱に映る。聖母の愛らしく優しげな表情と祝福を与える幼子のちっちゃな手、母と子のお互いの手の表現が呼応しているかのようだ。この静かで親密な場面は観る者を惹きこむ魅力に満ちている。
しみじみ観ると、場面を包む光の効果が大きいことがわかる。幼子の光に呼応するように、光景の薄明るい空の光が奥行きを与えながら更に場面を包み込んでいるように思える。斜め構図の多いコレッジョにしてはかなり練った構図なのではないだろうか?


ロンドンのクイーンズ・ギャラリーで観たばかりのアンニバレ・カラッチ《聖母と眠るキリストと洗礼者聖ヨハネ》(1599~1600)



幼子に興味津々の洗礼者ヨハネが足に指を触れ、聖母に「し~っ、」と言われる(笑)。思わず微笑んでしまう三人の親密な情愛が伝わってくる作品だ。小さな洗礼者の巻き毛も可愛らしく、まさしくこれはコレッジョの影響じゃないかと思う。眠る幼子はどことなくラファエッロ風だけどね。


今回の「パルマ展」にはコレッジョの初期作品《東方三博士の礼拝》(1516~17)が展示されているが、はっきり言って凡庸な印象を否めない(すみません(^^;;;)。
しかし、1518年ごろにローマ滞在したと推測され、1519年のパルマ聖パオロ女子修道院(ベネディクト会)院長居室の天井画で衆目を集めることになる。



ヴァティカンでラファエッロやミケランジェロのフレスコ画を観たのだろう、突如、作風にグランマニエラ(壮大様式)を獲得する。

まぁ、いくらなんでも天井画を日本に持ってくるなんてできない話だし、パルマ大聖堂や聖ジョヴァンニ・エバンジェリスタ聖堂天井画とともに、その成果はパルマに行って自分の眼で確かめるしか無いのだけれど(^^;;


ところで、実は展覧会を観た後で、西美主催の甲斐教行氏による講演会「コレッジョの世界―優美の規範」を聴講した(若桑みどり氏の講演会にはハズレてしまった!/ 号泣 )。
講演会の中で、甲斐氏はパルマ滞在中(1580年)のアンニバレ・カラッチが従兄のルドヴィーコに送ったとされる書簡二通を紹介された。アンニバレは手紙のなかでコレッジョを賛美している。

「ヴェネツィアにティツィアーノの作品を見に行かないうちは、私はまだ満足して死ねません。(中略)しかし私は〔コレッジョの純粋性を〕混淆できないし、そうしたくもないのです。私はこの純正さが、この清らかさが好きです。それは真実らしいのではなく真実そのものであり、人工的なところや無理強いされたところがない、自然なものです」(C.C.Malvasia, op. cit. I, p269)。

カラッチのコレッジョに惹かれた核となるものが「自然なもの」であることが私的にとっても腑に落ちた。

今回の「パルマ展」で展示されていたアンニバレ《キリストとカナンの女》(1594~95)もバロック的な明暗表現を感じるが、コレッジョの影響も見逃せない。


アンニバレ・カラッチ《キリストとカナンの女》(1594~95)


コレッジョ《ノリメタンゲレ》(1525)プラド美術館


更に、コレッジョ《キリスト哀悼》(1525)にもアンニバレへの影響を発見!なにしろ観ながら、あれっ?!と思ってしまったのだ。ロンドンのナショナル・ギャラリーで観たばかりのアンニバレ・カラッチ《キリスト哀悼》(1606)に構図なんかそっくり!要するにアンニバレがコレッジョの構図を翻案したのだね(^^;;;


コレッジョ《キリスト哀悼》(1525)


アンニバレ・カラッチ《キリスト哀悼》(1606)

図録によればコレッジョ《キリスト哀悼》に注ぐ光は「ロンバルディア的な光の表現」であるとし、ローマに向かうCARAVAGGIOがパルマに寄った可能性を示唆しているのだが….さて、果たしてどうだったのだろう? 確かにコレッジョの光はドレスデンで観た《キリストの降誕》でも実に印象的なのだ…。

と、今回もCARAVAGGIOがらみで締めることになったけど…一応、まだ続く予定である(^^;;;