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花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

(2023年)秋の北イタリア旅行(13)フェッラーラ

2025-05-18 14:23:12 | 海外旅行

翌日の朝、パドヴァ駅の待合室でフェッラーラ行の列車を待っていると、なんと背中に「HITACHI」のロゴジャケットを着たイタリア人男女4人ぐらいのグループを発見。日本企業名になんだか嬉しくなってしまった。 確か、日立はフレッチャロッサの車両製造してたりするよね

さて、フェッラーラ駅ではボローニャのFさんと待ち合わせていた。コロナ禍後初めてだったこの旅行はFさんご夫妻のフォロー無しでは無事に終えることはできなかった。私的アクシデントも多発し、もう毎日のようにFさんにWatsAppで相談&お願い攻めにしていたのだ💦。(改めて多謝多謝です!!>Fさんご夫妻)

さて、今回のフェッラーラの目的はスキファノイア宮とエステンセ城再訪であるが、前回よく見れていなかった箇所の重点チェックが主である。ちなみに、2カ所ともFさんに予約をして頂いたのだが、コロナ禍以降は事前のWeb予約が必要になったので要注意である。イタリアでは以前にも増して列車も美術館も予約がデフォルトになっていた

ということで、まずはパラッツォ・スキファノイアから。十数年前に訪れた時の暗~いパラッツォとは異なり、すっかり現代的な展示システムになっていて、映像パネルで「月暦画」の壁からの再発見についての話はもちろん、エステ家の歴史やボルソ・デステ(1413-1471年)についてなどの解説動画はとても勉強になった(勿論Fさんの解説付き)。

ということで、「月暦画」装飾で有名なフレスコ画壁面である。

以前、拙ブログ「フランチェスコ・デル・コッサ(1)」でも言及したが、《月暦4月/ヴィーナスの勝利》には三美神が描かれている。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/badad89b61923d61c634c2dc6b69ad9e

前回スキファノイアを訪れた時に「月暦画」を観ていたはずなのに、なぜ「三美神」に気付かなかったのだろう?という疑問があり、今回の再訪で確認しようと思っていたのだ。

フランチェスコ・デル・コッサ「月暦画」《4月》(1468-70年)

そして、今回、私的に了解できた!!「三美神」は、まさに天井近くの最上部にあり、肉眼では小さすぎて見え難く、それで気が付かなかったのだ...と

《4月》部分の拡大写真

スキファノイアではボルソ・デステの嗜好やフランチェスコ・デル・コッサやエルコレ・デ・ロベルティ等のフェッラーラ派の活躍を再確認できたような気がした。ちなみに、コスメ・トゥーラが参加しているのか疑問説もあるようだ。

で、次に向かったのはエステンセ城である。エステンセ城は前にも見学していたのだが、当時は見ていなかった展示室があった。多分その後に改修公開されたのではないかと思う。

「カステッロ・エステンセ(エステンセ城)」

ということで、とにかく目指したのは「カメリーニ・ダラヴァストロ(Camelini d'alavastro)」、その中でもアルフォンソ1世・デステ(1476-1534年/ ルクレツィア・ボルジアの3度目の夫)のストゥディオーロ(書斎)が見たかった!!

https://it.wikipedia.org/wiki/Camerini_d%27alabastro

当時は多分美しく装飾されていただろう室内は、現在はまことに素っ気ない木造再現になっており、壁面を飾っていたヴェネツィア派&フェッラーラ派巨匠作品は、当時の様子を偲ぶための写真パネルとして飾られていた。

(モノクロ写真のドッソ・ドッシ作品(未見)はインドのムンバイにある美術館所蔵

ジョヴァンニ・ベッリーニはイザベラ・デステの注文には煮え切らなかったけれど、アルフォンソ・デステの注文には素直に応えているし、弟子のティツィアーノはしっかり描き、ドッソ・ドッシは巨匠たちの事後もコーディネート(?)しているし、当時はきっと見事なストゥディオーロだったのだろうと想像できた。

で、確かに偲ぶことはできた。あの作品はここにあったのか、こう並んでいたのか....と。でもね、散逸した実物作品はそれぞれの美術館で観ていたけれど、この部屋の写真パネルを見たら、やはりもう一度お口直しで実物を観たくなるじゃあありませんか?!

だったらマドリード...。そう、カラヴァッジョ(?)ついでのプラド再訪の構想の始まりはフェッラーラからだった

ということで、この後は マントヴァ へと移動することになっていた。フェッラーラからマントヴァへの列車の接続が悪く、Fさんんご夫妻にお願いして車でマントヴァまで送っていただけるよう、図々しくもお願いしてしまったのだった💦。(Grazie mille!!>Mさん)

前回マントヴァを訪れた時、パラッツォ・ドゥカーレの「夫婦の間」の窓からマンテーニャ《聖母の死》と同じ風景を見ることができた。今回は反対に、車で対岸からパラッツォ・ドゥカーレのカステッロ・サン・ジョルジョ(「夫婦の間」がある)方向に向かう。

アンドレア・マンテーニャ《聖母の死》(1462-64年)プラド美術館

※追記:上記↑の写真はカステッロ・サン・ジョルジョの下から撮ったものである。下記↓は撮影順の勘違いによる誤記💦。

マントヴァ中心部に向かう車窓の風景。ミンチョ川(左インフェリオーレ湖、右にメッツォ湖)に架かるサン・ジョルジョ橋の先にカステッロ・サン・ジョルジョが見えた。



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