花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

伊東豊雄 講演会「メディアテークは、なにを目指していたか」を聴講。

2020-01-29 22:30:11 | 講演会

2021年に開館20年を迎える「せんだいメディアテーク」(2001年開館)のプレイベントとして、同館設計者の伊東豊雄氏による講演会が126日にあった。講演テーマは「メディアテークは、なにを目指していたか」。1階の会場は聴講する多数の市民で埋まり、7階ホールにも聴講者を入れ同時中継するほどの大盛況だった。

 

 

「せんだいメディアテーク」は、インスタレーションも可能なギャラリー、市民図書館、視聴覚障害者用設備を併せ持つ、7階建ての複合文化施設である。

https://www.smt.jp/

 

 

建設当時、職場が近かったので、なんだか不思議な建物ができるようだと、遠目に眺めていた。残念ながら、当時の私はCARAVAGGIOのHP作りに夢中になっていた頃で、恥ずかしくもあまり関心を持つことはなかった。しかし、メディアテーク完成後に市民図書館を初利用した時、その設計の斬新さに驚いてしまった。チューブ状の柱が床を突き抜け、壁が無い!!

 

今回の講演会で私的に理解したところでは(誤解があったらスミマセン)

伊東氏が目指したのは・・・

Barrier free(壁をなくす---機能別の箱の集合ではない)

・Creativity(自らできるこをやる---遊園地のような遊具を与えられるのではない)

Community(大きな家族)

どうやら「みんなの広場」「みんなの家」であるようだ。

 

樹木のような13本のチューブの構造体で空間を構成するメディアテークは公園のような建物であり、樹木の間に色々な場所があり、どこで何をしても良い。

 

ちなみに、モダニズム建築は周囲の環境を一旦遮断し各室の機能の最適な組み合わせを考えるが、メディアテークはモダニズム建築思想に反した建物であるらしい。

 

 (会場での伊藤豊雄氏)

 

いつも利用している「せんだいメディアテーク」の成り立ちと、その設計意図にも触れることができ、とても勉強になった。なにしろ、伊東豊雄氏の代表作のひとつとして「せんだいメディアテーク」の名が挙がると、私的にも何やら誇らしいものがあるだ

 

ところで、今回の講演会では興味深いお話も色々とあった。

例えば、当時の仙台市は政治的空白期にあり、設計コンペ審査に役人を入れず(!)、磯崎新を審査委員長として公開コンペが行なわれたことは画期的だったこと。(役人がいたら無理だった?!)

海中で揺れている藻のような(チューブ状の柱)イメージは、空港に向かう成田エクスプレスの車中で思いついたこと。等々

 

ということで、とても有意義な講演会聴講であった


「びじゅチューン!制作の舞台裏」講座を聴講。

2017-09-11 23:44:06 | 講演会

某文化センター(仙台)でNHK-Eテレ「びじゅチューン!」の作者である井上涼さんの講座があった。井上涼さんの大ファンであるゲストのmomoさんが都合が悪くて行けないとこのことで、レポーター代わり(?)に受講してきた。

会場は意外に子供が多くて、ファン層の幅広さが了解される。ちなみに、井上さんのお話だと、一番多いのは30代OL層だそうだ。ご自分で「癒し系だから?」とおっしゃっていた(笑)。講座は井上さんと番組プロデューサーの倉森さんの漫才のような楽しい掛け合いで進行し、客席も笑いが絶えなかった。本当に井上さんってテレビのイメージそのままで、あのユニークな語り口や律儀なフットワークの軽さに嬉しくなってしまう。なんと、後半では自分から客席を握手して回ってくれたのだから。 

さて、講座は参加者の事前アンケートの質問に答える形で進行された。実は私もmomoさんから質問を募って送っており、その中の一つが採用されたのでちょっと嬉しかった。 

で、制作する時はストーリーが先か?美術作品が先か?という質問では…先ずは美術作品を選ぶのが先とのことだった。参考にしているのは画集や図録だそうで、教科書に出てくるような有名作品を主体に、絵画・彫刻・建築物などを満遍なく網羅するようにしているそうだ。作品を決め、研究を深めながらストーリーに落とし込んでいくらしい。 

ちなみに、初期作品の「あしゅらコーラス」や「ファッショニスタ大仏」に対して、どうやらクレームがついたようで(事前に寺側から了承を得ていたのに(^^;)。う~ん、お寺さんって結構難しいのね。 

今回の講座では、新作「審判はフリーダ」を例に、制作過程を詳細に紹介してくれた。

興味深かったのは、まず作品から受けたイメージからストーリーを展開すること。今回のフリーダは、彼女の緊張感のある怖そうな眼差しから審判員を連想したそうで、毎回作品コンセプト込みのラフスケッチを作成するようだ。やはり元広告会社勤務らしい(^^; 

面白かったのは、「審判はフリーダ」に「白鷺城と初デート」の谷君が登場。言及されなかったけど「1500年のオーディション」のデューラーも鉢巻きして登場しているのだよ!! 井上さん曰く、登場人物(キャラ)を考えるのが面倒なので他作品の人物を使うそうだ(^^; 。きっと「ツタンカーmail」と「ポロポーズはラスコー洞窟で」のカップルもね(^_-)-☆

ちなみに、動画制作は動きを良くするために作画も単純化し色数も少なくする必要があるようで、フリーダも実物作品からどんどん省略していった様子も紹介された。音楽もデジタルソフトで作っているそうで、初めにサビ部分ができて、ラフ音像を持って倉森さんと相談し、意外に短時間で作っているようだ(井上さんの高校部活はブラスバンド部だった!)。 あの楽しいコーラス編曲は吉岡さん。

なんだか端折ってしまったが、今回の講座で井上さんの創作過程を知ることにより、ますます「びじゅチューン!」を見るのが楽しくなった。井上さんのお人柄にも触れることができたし、握手も二度したし(笑)。また仙台で講座をぜひ開催していただきたいものだと思う。(詳細はまた後日にね(^_-)-☆>momoさん)


チーマ無視って...(-_-;)

2017-01-26 00:55:22 | 講演会

今回の「ティツィアーノとヴェネツィア派展」の監修者であり、私的に講演会を聴講したジョヴァンニ.C.F.ヴィッラ(Giovanni C.F. Villa)氏は、スクデリエ・デル・クイリナーレ等でヴェネツィア派関連の展覧会に携わっている。 

2006年 ・Antonello da Messina, mostra a cura di Mauro Lucco con il coordinamento scientifico di Giovanni C.F. Villa (Roma, Scuderie del Quirinale 18 marzo- 25 giugno 2006)

2008年 ・Giovanni Bellini, mostra a cura di Mauro Lucco e Giovanni C.F. Villa (Roma, Scuderie del Quirinale, 30 settembre 2008- 11 gennaio 2009)

2010年 ・Cima da Conegliano poeta del paesaggio, mostra a cura di Giovanni C.F. Villa (Conegliano, Palazzo Sarcinelli 26 febbraio- 20 giugno 2010) 

2011年 ・Maîtres vénitiens et flamands. Bellini, Titien, Canaletto, Van Eyck, Metsys, Jordaens… Chefsd’oeuvre e l’Accademia Carrara de Bergame et du Musée Royal des Beaux-arts d’Anvers, mostra a cura di Giovanni C.F. Villa (Bruxelles, Palais des Beaux-Arts 11 febbraio 2011 – 8 maggio 2011)  ・Lorenzo Lotto, mostra a cura di Giovanni C.F. Villa (Roma, Scuderie del Quirinale 2 marzo- 12 giugno 2011) 

2012年 ・Tintoretto, mostra a cura di Vittorio Sgarbi con il coordinamento scientifico di Giovanni C.F. Villa (Roma, Scuderie del Quirinale 24 febbraio- giugno 2012)  ・Cima da Conegliano, mostra a cura di Giovanni C.F. Villa (Parigi, Musée du Luxembourg 5 aprile- 15 luglio 2012) 

なのに、今回の展覧会では、講演会でも、チーマは無視されている。図録では1行だけ、名前が触れられていた程度。若者風に言えば、ひどぐね?(^^;;

 


学術シンポジウム「17世紀オランダ美術と<アジア>」が...。

2017-01-20 20:54:57 | 講演会

明日、1月21日(土)、国立西洋美術館で学術シンポジウム「17世紀オランダ美術と<アジア>」が開催されるようです。→ チラシPDF

・日時:2017年1月21日(土)10:00~18:00 ※同時通訳付き

・会場:国立西洋美術館講堂(地下2階)

興味津々のシンポジウムなのですが、私的に聴講できないのが残念です。でも、少しだけわかったのですが、面白そうですよ!♪


国立西洋美術館でニコラ・プッサン講演会。

2016-08-11 21:29:22 | 講演会

前回触れたピエール・ローザンベール(Pierre Rosenberg)氏だが、ニコラ・プッサン本(カタログ・レゾネ)も著しているプッサン専門家だ。故サー・デニス・マーンもプッサン研究していたし、やはり欧州はプッサン好きが多いのだろうなぁ。 

私的には嫌いじゃないけど、追っかけるほど好きとは言えない。同じ古典主義絵画ならばアンニバレ・カラッチの方が身近に感じる。パラッツォ・ファルネーゼの天井画を観てしまった後では、どうもプッサンはアンニバレ・カラッチの影響を受けたんじゃないかと思うほどだし。と言っても、プッサンについてはあまり良く知らないのだが(^^;;; 

で、「メッケネムとドイツ初期銅版画展」をやっているハズの国立西洋美術館でプッサン関連の講演会があるようだ。国立西洋美術館HPによると.. 

★講演会「歴史のなかのニコラ・プッサンの芸術」(国立西洋美術館) 

 ・講 師:ヘンリ・キーゾル教授(ハイデルベルク大学ヨーロッパ美術史研究所)

 ・日 時:2016年9月3日(土)14:00~15:30

  ※ドイツ語による講演(同時通訳付き) 

「17世紀フランスの画家ニコラ・プッサンは、今でこそ美術史上の「巨匠」の座を確立していますが、1960年のルーヴル美術館における大回顧展に至るまでは「時代遅れ」として敬して遠ざけられ、忘れ去られていました。 本講演では、フランシス・ベーコンやピカソらの芸術家や歴代のプッサン研究者による二十世紀におけるプッサンの再発見の歴史を振り返り、プッサン芸術の特質を多面的に明らかにします。」(国立西洋美術館HPより) 

プッサン勉強できるチャンスなのに、残念ながら聴講することができない。どのような内容なのだろうか?? 東京に住んでいたらなぁ…(>_<)


福島「フェルメールとレンブラント」展・小林先生講演会

2016-05-06 00:22:27 | 講演会

フェルメールとレンブラント-17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」展は、感想文は書いていないが、既に森アーツセンターギャラリーで観ているので、福島の特別講演会の聴講だけさせていただいている(^^;; 

先の宮下先生の講演会に続き、先週、福島A・O・Zで小林頼子先生の講演会を聴講した。今回、初めて小林先生のご尊顔を拝したのだが、着物姿が良くお似合いで、とても素敵でしたわ~♪  

講演会テーマは「澄みわたる窓辺-フェルメールの女のいる空間-」で、今回出展されている《(窓辺で)水差しを持つ女》を中心とした内容だった。 

フェルメール《窓辺で水差しを持つ女》(1662-65年)メトロポリタン美術館

特に興味深かったのは…

・当時の居住空間は多機能で、「プライバシー」という概念が無かった。

・男女の仕事の棲み分けが奨励された(例:ヤーコブ・カッツ『乙女の書』)。

・オランダ社会の豊かさに連れ、個別機能としての「個室」が求められるようになる。

フェルメールの描く「窓際にひっそりと佇む女」はプライバシーが守れる設定になっており、フェルメールは「プライバシー」という当時の新しくビビッドな感覚を絵画の中に導入している。(超省略&誤解があったらスミマセン(^^ゞ) 

この他にも大変勉強になるお話が盛りだくさんで、もっと絵画を丹念に観なければいけないなぁと反省する事多々だった。なにしろ小林先生の細部観察が凄い!! 私もせっかく買った単眼鏡を活用しなくちゃね(^^;; 

で、フェルメール《水差しを持つ女》は先に描いた椅子や背景を塗りつぶしたり、地図を移動したりしているのだが、小林先生はその変更過程の画像も併せて紹介してくれた。その画像を見ながら、某先生のお話が凄く合点され、私的に一番の収穫だったかもしれない。


宮下先生の追っかけ??

2016-04-11 00:57:02 | 講演会

意図してではないのですが(?)、結果的に宮下規久朗先生の追っかけをしてしまいました(^^;; 

4月2日の「カラヴァッジョ展特別講演会」抽選に落ちた人たち用の「受け皿企画」(?!)朝日カルチャーセンター特別講座「もっと知りたいカラヴァッジョ」が4月9日(土)にあり、当然!聴講してきました(^^;

で、翌10日(日)、コラッセ福島で「レンブラントとフェルメール展」特別講演会があり、仙台から近いので、当然!聴講しました。

ということで、仙台⇔東京、仙台⇔福島、連日の日帰り移動で、私的にお疲れモードです(^^;;。なので、講演内容は時間がある時にサックリと書きたいと思っています。もちろん、裏話は書きません(笑)。

あ、表話をひとつ。宮下先生の本が岩波書店から2点刊行予定です。

・『闇の美術史-カラヴァッジョの水脈』5月24日(火)刊行予定。

・『ヴァネツィア 美の都の一千年』(岩波新書)6月刊行予定。(「アカデミア美術館展」も始まりますものねぇ(^^;)


「ボローニャ派とグエルチーノ」講演会レポート(2)

2015-03-23 03:48:21 | 講演会
アンニバレの基底にはマニエリスム的なもの(封建的なもの)に対する怒りがあり、また、反宗教改革という時代の要請として、民衆教化のために宗教画自体の変化も求められていた。(トレント宗教会議でね)

例えば、ガブリエーレ・パレオッティ『聖俗画像論』では「説教師としての絵画」が求められ、トンマーゾ・ラウレーティ(Tommaso Laureti ,1530 - 1602)の《聖スザンナの殉教》のようなリアリティのある祭壇画も描かれた。


トンマーゾ・ラウレーティ《聖スザンナの殉教》(1595-96年)サンタ・スザンナ聖堂(ローマ)
ちなみに、カラヴァッジョ《聖ルチアの埋葬》に影響を与えたようだ。

目の前の鑑賞者との対話ができるよう、わかりやすく伝えることが宗教画の目標になる。


アンニバレ・カラッチ作《聖ロクスの施し》(1595年)ドレスデン・アルテ・マイスター絵画館

歴史・神話画は空間芸術であり時間芸術である。アンニバレのInvenzioneによりモデル・鑑賞者にも開かれたものになっている。

蛇足だが(^^ゞ、ドメニキーノがアンニバレを手本として描いたのが《聖女チェチリアの施し》だ。


ドメニキーノ《聖女チェチリアの施し》(1612-15年)サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂ポレ礼拝堂
ご存じの通り、コンタレッリ礼拝堂にはカラヴァッジョがある。

ということで、まだ続く(^^;; (全然サクッとじゃなくてすみません~)

「ボローニャ派とグエルチーノ」講演会レポート(1)

2015-03-19 01:42:08 | 講演会
片頭痛でブログご無沙汰してしまったが、土曜日に国立西洋美術館で高橋健一(和歌山大学准教授)講演会 「ボローニャ派とグエルチーノ」を聴講した。

高橋先生も聴講者が多いのに驚いておられたが、私もグエルチーノが日本でこんなに受けるなんて意外でもあった。聴講券入手の列中でカラヴァッジョの名前がちらほら聴こえたので、イタリア・バロックへの興味が広がって来ているのだろうなぁとも思われた。それに、日本における美術文化の成熟を示すものだったら、この勢いでホセ(ジュゼッペ)・デ・リベーラ展なんかもできるんじゃないだろうか?>西美さま

さて、今回の講演では色々と興味深いお話やら勉強になること多々だった。グエルチーノの周辺からグエルチーノを明らかにするというテーマは、まさに当時のカラッチ派を知ることでもあったのだから。でも、先生が早口になるほど(^^;ぎっしりと詰まった内容だったのだが、私のメモ書きに意味不明なところがあり、レポートの方はサクッと飛ばしていきたい(^^;;。間違った勝手な翻訳や寄り道も多々あろうが、文責は花耀亭にある。

講演の内容は、高橋先生のボローニャ派との出会いからグエルチーノ登場前夜のボローニャ派(カラッチ派)の動向に及んだ。

私的に一番面白かったのは、カラッチのアカデミーはモデルのデッサンに基づく自然主義であり、アンニバレはヴァザーリのディッセーニョ批判を行っていること。要するにマニエリスム批判と言うことだね。『美術家列伝』の序文にも書いてあるが、ヴァザーリのディッセーニョとは単なる素描ではなく、観念的なもの、アイデアの造形と言って良いものだ。アンニバレはマニエリスムの造形された人体プロポーションが自然に即したものではないことを批判しているのだ。本に「ヴァザーリの馬鹿!」なんて書き込みしたりしてカワイイ(笑)。

アンニバレは現実を観察し、写し取ることを重視する。この現実重視の指向から風俗画的主題を多く描いている。例えばコロンナ美術館《豆を食べる男》やキンベル美術館《肉屋》など。ヴィンチェンツィオ・カンピ《リコッタチーズを食べる人々》(1580年)の人を見下したような表現とは違い、アンニバレ作品には描かれた対象への共感が見られる。


アンニバレ・カラッチ《豆を食べる男》(1580~90)コロンナ美術館


アンニバレ・カラッチ《肉屋》(1580年ごろ) キンベル美術館


ヴィンチェンツィオ・カンピ《リコッタチーズを食べる人々》(1580年)リヨン美術館

ちなみに、カンピ一族もカラッチ一族も元々はクレモナ出身だし、表現されたものは違っていても、ヴィンチェンツィオの下絵素描(ドレスデン)を見る限り、アンニバレと同じような現実への眼差しが感じられるのだよね。
あ、そう言えば『食べる西洋美術史』を書かれた宮下先生が講演会にご臨席されてましたね。


閑話閉題(あだしごとはさておき)、レポートに戻ろう。カラッチ派はその自然主義を風俗画だけでなく神話画や宗教画の高位ジャンルへと応用して行く。例えばルドヴィコの《受胎告知》、アンニバレの《十字架上のキリストと聖人たち》(1583年)。


ルドヴィコ・カラッチ《受胎告知》(1584)ボローニャ国立絵画館


アンニバレ・カラッチ《十字架上のキリストと聖人たち》(1583年)サンタ・マリア・デッラ・カリタ

ああ、やはり長くなってしまった(^^;;。ということで次回に続くが、展覧会感想文の続きも書きたいし、う~む、悩んでしまうなぁ。

「ボルゲーゼ美術館」講演会で支倉常長

2010-02-11 14:42:36 | 講演会
本当は「ボルゲーゼ美術館展」と「マッキアイオーリ展」の感想を書きたいのだが、先に石鍋真澄氏の東京都美術館「ボルゲーゼ美術館展」講演会の感想を書こうと思う。理由は、閑散とした「サン・ファン館」の紹介でジモティ魂が目覚めてしまったから(笑)

宮城県民なら学校で支倉常長の慶長遣欧使節について教えられるのだが、多分、全国的にはメジャーじゃないのだろう。今回の「ボルゲーゼ美術館展」に《支倉常長像》が出展され、初めて知る方たちも多かったようだ。ちなみに、あの肖像を描いたのはクロード・デリュエではなく、アルキータ・リッチであるという資料が最近発見されたそうだ。


アルキータ・リッチ《支倉常長像》(1615年)

さて、石鍋氏の講演テーマは「ボルゲーゼ美術館 ラファエロ・カラヴァッジョ・ベルニーニ」ということで、主にボルゲーゼ美術館のコレクション形成過程に関わるお話が中心だった。拙ブログでも扱ったが、そのコレクションはローマ教皇パウルス5世の甥で大の美術愛好家であったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の収集が基になっている。


ボルゲーゼ美術館(ローマ)

彼はピンチアーナ門外に広大な土地を所有し、1612年から1615年にかけて、芸術コレクションを収め展示する館としてヴィッラを建設した。この白亜の館は、教皇庁の迎賓館としても使われ、完成直後の1615年には日本の支倉常長率いる慶長遣欧使節団がここを訪れて歓待されている。今回展示されている支倉の肖像画もシピオーネが描かせたものだ。

と言うことは、支倉が館内に飾られたカラヴァッジョ作品を目にした可能性は極めて高く、石鍋氏のお話にも出たが、以前から私もカラヴァッジョ作品を観た最初の日本人は支倉常長ではないかと思っている(^^;;;

また、石鍋氏は今回の展覧会でパネル展示されている仙台市博物館所蔵の《支倉常長像》の「一条ロザリオ」についても研究をされていて、通常「環状のロザリオ」が多いが、当時の絵画から「一条ロザリオ」も使用されていたことを画像で説明してくれた。

ところが、だ。ネットで調べていたら、興味深い話が出てきた。

「仙台市博物館が所蔵する国宝の肖像画「支倉常長像」をめぐり、真贋(しんがん)論争が起きている。青森中央学院大(青森市)の大泉光一教授(日欧交渉史)が「博物館の現存画は模写」と偽物説を打ち出し、博物館の浜田直嗣前館長が「現存画が本物なのは史実的に明らか」と反論。学界を巻き込んだ議論に発展している。」とのこと(・.・;)


捏造された慶長遣欧使節記―間違いだらけの「支倉常長」論考」(大泉光一・著/雄山閣・発行/2008年)

どうやら論争は、古写真と現在展示作品が異なっている点が多いことから来ているようだ。その争点の一つに挙げられているのが「一条のロザリオ」である。古写真は「環状のロザリオ」なのだ。

この論争についてネットで調べた大泉氏側に同調する意見。その1その2
その中で論拠として紹介されている信憑性が高いという古写真。伊勢斎助・大内大円編『支倉六右衛門常長斎帰品宝物写真』帳(昭和三年発行)から。

実は、何故か私も「伊達政宗 欧南遣使考全書」(伊勢斎助・輯/東京書肆裳華房・発行/昭和3年)という本を持っている(^^;;。確かに仙台市博物館で展示されている「支倉常長像」と、そこに掲載されている《支倉常長油絵の肖像》の写真とは異なっている。「宝物写真」を若干修整している写真のようで、私的にはやや荒っぽい絵と感じられる(汗)。そして、写真のロザリオは環状である。

 
「支倉常長油絵の肖像」(仏国名画師・モンスー・クラウヂョ筆?)  (仙台市博物館所蔵)

更に、同書に掲載されている「パウルス5世の肖像」写真は現在博物館に展示されている絵と同じに見える。だとしたら、何故支倉像だけが違うのか??

 
「パウルス5世の肖像」(仏国名画師・モンスー・クラウヂョ筆?)     (仙台市博物館所蔵)

多分、石鍋先生のお話は大泉氏の指摘する「一条のロザリオ」に関しての反証をされたのだと思う。私は大泉氏の本も、それに対する仙台市博物館側の反論も読んでいないので、何とも言えないが、肖像画自体に関しての謎は依然として残るような気もするのだ。仙台に帰省することがあったらもっと調べてみたいと思う。

今回の感想文は講演会感想と言うより、なんだか美術ド素人の興味本位な感想文になってしまったようでお許しあれ(^^;;;