国立西洋美術「西洋絵画、どこから見るか?」展も終盤にさしかかっているのに、まだ感想(2)を書いていないなぁと(汗)、公式サイトを眺めたら...「DOKOMIRU?感想コーナー」があった...。
https://art.nikkei.com/dokomiru/kokomiru/#voice
展覧会を観た時に、感想コーナーのポストイットに思わず一言書いたのが、なんだか出ておりました。あな、恥ずかしや。
まぁ、多分、どれだかわからないだろうと思いますがね。
国立西洋美術「西洋絵画、どこから見るか?」展も終盤にさしかかっているのに、まだ感想(2)を書いていないなぁと(汗)、公式サイトを眺めたら...「DOKOMIRU?感想コーナー」があった...。
https://art.nikkei.com/dokomiru/kokomiru/#voice
展覧会を観た時に、感想コーナーのポストイットに思わず一言書いたのが、なんだか出ておりました。あな、恥ずかしや。
まぁ、多分、どれだかわからないだろうと思いますがね。
大阪行きの旅行計画を立てたのは3月末、大阪万博のイタリア館が目的だった。しかし、2カ月前抽選受付の締切は過ぎており、7日前抽選に賭けるしかない。当たる可能性だってあるかもと楽観的に、航空券もホテルも予約してしまった(早割あるし)。
しかるに、開会後の万博ニュースではイタリア館は大絶賛の大人気。抽選に外れた場合、予約無しの年寄が炎天下で行列待ちするなんて到底無理でしょ
。さすがに私も不安が増してきた
。
そこで噂のイタリア館アプリ予約。初動が遅れたため、旅行予定の5月は全て予約済み。6月は私が無理だし、7月8月の夏休み時期は外したいし、ということで9月に予約が無事取れた(ほっ)。出展美術作品は殆ど既に観ているので急がないし、カラヴァッジョ偏愛的には再度の大阪行きも致し方ない。
さて、申込んでいた7日前のイタリア館の抽選結果は...案の定!ハズレだった
ということで、それでもめげずに行ってきました、大阪&奈良旅行に。仙台を昼過ぎに飛び立ち、大阪には午後2時半ごろ到着した。
(仙台空港にて)
伊丹空港に到着するや、早速向かった先は...中之島にある「大阪市立東洋陶磁器美術館」である。
(大阪市立東洋陶磁器美術館)
いやぁ、市立美術館とは思えないほどの上質な展示空間と展示作品である。美術館スタッフの作品愛が展示照明にも現れていて、東京出張展示では見たことないほどの美しい作品の風情を楽しむことができた(感涙)。
《油滴天目》建窯(南宋 12-13世紀)
例えば《油滴天目》。見込みの中に散乱する銀河の煌めきだけでなく、胴部分の油滴の煌めきをも併せて映し出す仕掛けは、所蔵する美術館ならではだと、その心意気に深く瞠目した。
中之島の美術館を出た後はホテルに向かい、チェックイン。翌日は奈良に行きくことに。本当は万博用に当てた1日だったんだけどね。
奈良へは近鉄奈良線を利用、学園前で降りて向かったのは「大和文華館」である。
(大和文華館)
特別展「没後50年 矢代幸雄と大和文華館 ―芸術を愛する喜び―」が開催されていた。
https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/yamato/exhibition/yashiroyukio.html
初代館長の矢代幸雄はボッティチェッリ研究者としても有名である。ロンドンで出版された大版本(オリジナル)も展示されていた。写真の一番左は師バーナード・ベレンソンが愛用した文鎮。
大和文華館の美しいお庭も拝見し、再び近鉄に乗り向かった先は「奈良国立博物館」である。
現在、奈良国立博物館では「超 国宝」展を開催中!
いやぁ、奈良に集まった国宝の数々からは、実に歴史の深みを感じることができた。
特に、初めて観た宝菩院願徳寺(京都)の《菩薩半跏像(伝 如意輪観音)》が凄かった!!
《菩薩半跏像》(伝 如意輪観音)(8~9世紀)宝菩院願徳寺(京都)(画像はWkipediaから)
纏う天衣の流れが渦巻くように絡まり落ちながら、ふと溜まり溢れるようにまた流れ行く...。なんという超絶技巧!!思わず、うゎ~!と声が出てしまった。この菩薩像だけでも奈良に来た甲斐があったと思う。
奈良博を出たら雨降りになっていて、近鉄線で再び大阪へ戻った。
ということで、翌日(最終日)は大阪市立美術館「日本国宝展」を観る。
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kokuhou2025/index.html
ここで目を惹かれたのは、道明寺(藤井寺市)《十一面観音菩薩立像》だった。
《十一面観音菩薩立像》( 8~9世紀)道明寺 (藤井寺市)
平安初期とされる檀像であり、仏像ド素人目にすこぶる調和のとれた「過度期」(勝手にすみません)の仏像ではないかと思われたのだ。天衣の流れが極めて美しいのに、背後から見ると天衣の先が飛鳥仏風に硬く翻っていて、先の奈良で観た《菩薩半跏像》への道が見えるような気がしたのだ。
いやぁ、国宝級ともなると、仏像門外漢の私でも本当に魅了されてしまった。今回の大阪&奈良の旅では怒涛のように国宝の数々を観ることができたのは幸運だったと思う。それ以上に、関西圏の歴史と文化の厚み、あわせて懐の大きさ(明治以前は経済の中心地だったし)も肌感覚で感じられたのが一番の収穫だったかもしれない。
ということで、ホテルで預けていた荷物をピックアップし、伊丹空港から仙台へと帰ったのだった。
翌日の朝、パドヴァ駅の待合室でフェッラーラ行の列車を待っていると、なんと背中に「HITACHI」のロゴジャケットを着たイタリア人男女4人ぐらいのグループを発見。日本企業名になんだか嬉しくなってしまった。 確か、日立はフレッチャロッサの車両製造してたりするよね
?
さて、フェッラーラ駅ではボローニャのFさんと待ち合わせていた。コロナ禍後初めてだったこの旅行はFさんご夫妻のフォロー無しでは無事に終えることはできなかった。私的アクシデントも多発し、もう毎日のようにFさんにWatsAppで相談&お願い攻めにしていたのだ💦。(改めて多謝多謝です!!>Fさんご夫妻)
さて、今回のフェッラーラの目的はスキファノイア宮とエステンセ城再訪であるが、前回よく見れていなかった箇所の重点チェックが主である。ちなみに、2カ所ともFさんに予約をして頂いたのだが、コロナ禍以降は事前のWeb予約が必要になったので要注意である。イタリアでは以前にも増して列車も美術館も予約がデフォルトになっていた。
ということで、まずはパラッツォ・スキファノイアから。十数年前に訪れた時の暗~いパラッツォとは異なり、すっかり現代的な展示システムになっていて、映像パネルで「月暦画」の壁からの再発見についての話はもちろん、エステ家の歴史やボルソ・デステ(1413-1471年)についてなどの解説動画はとても勉強になった(勿論Fさんの解説付き)。
ということで、「月暦画」装飾で有名なフレスコ画壁面である。
以前、拙ブログ「フランチェスコ・デル・コッサ(1)」でも言及したが、《月暦4月/ヴィーナスの勝利》には三美神が描かれている。
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/badad89b61923d61c634c2dc6b69ad9e
前回スキファノイアを訪れた時に「月暦画」を観ていたはずなのに、なぜ「三美神」に気付かなかったのだろう?という疑問があり、今回の再訪で確認しようと思っていたのだ。
フランチェスコ・デル・コッサ「月暦画」《4月》(1468-70年)
そして、今回、私的に了解できた!!「三美神」は、まさに天井近くの最上部にあり、肉眼では小さすぎて見え難く、それで気が付かなかったのだ...と。
《4月》部分の拡大写真
スキファノイアではボルソ・デステの嗜好やフランチェスコ・デル・コッサやエルコレ・デ・ロベルティ等のフェッラーラ派の活躍を再確認できたような気がした。ちなみに、コスメ・トゥーラが参加しているのか疑問説もあるようだ。
で、次に向かったのはエステンセ城である。エステンセ城は前にも見学していたのだが、当時は見ていなかった展示室があった。多分その後に改修公開されたのではないかと思う。
「カステッロ・エステンセ(エステンセ城)」
ということで、とにかく目指したのは「カメリーニ・ダラヴァストロ(Camelini d'alavastro)」、その中でもアルフォンソ1世・デステ(1476-1534年/ ルクレツィア・ボルジアの3度目の夫)のストゥディオーロ(書斎)が見たかった!!
https://it.wikipedia.org/wiki/Camerini_d%27alabastro
当時は多分美しく装飾されていただろう室内は、現在はまことに素っ気ない木造再現になっており、壁面を飾っていたヴェネツィア派&フェッラーラ派巨匠作品は、当時の様子を偲ぶための写真パネルとして飾られていた。
(モノクロ写真のドッソ・ドッシ作品(未見)はインドのムンバイにある美術館所蔵)
ジョヴァンニ・ベッリーニはイザベラ・デステの注文には煮え切らなかったけれど、アルフォンソ・デステの注文には素直に応えているし、弟子のティツィアーノはしっかり描き、ドッソ・ドッシは巨匠たちの事後もコーディネート(?)しているし、当時はきっと見事なストゥディオーロだったのだろうと想像できた。
で、確かに偲ぶことはできた。あの作品はここにあったのか、こう並んでいたのか....と。でもね、散逸した実物作品はそれぞれの美術館で観ていたけれど、この部屋の写真パネルを見たら、やはりもう一度お口直しで実物を観たくなるじゃあありませんか?!
だったらマドリード...。そう、カラヴァッジョ(?)ついでのプラド再訪の構想の始まりはフェッラーラからだった
。
ということで、この後は マントヴァ へと移動することになっていた。フェッラーラからマントヴァへの列車の接続が悪く、Fさんんご夫妻にお願いして車でマントヴァまで送っていただけるよう、図々しくもお願いしてしまったのだった💦。(Grazie mille!!>Mさん)
前回マントヴァを訪れた時、パラッツォ・ドゥカーレの「夫婦の間」の窓からマンテーニャ《聖母の死》と同じ風景を見ることができた。今回は反対に、車で対岸からパラッツォ・ドゥカーレのカステッロ・サン・ジョルジョ(「夫婦の間」がある)方向に向かう。
アンドレア・マンテーニャ《聖母の死》(1462-64年)プラド美術館
※追記:上記↑の写真はカステッロ・サン・ジョルジョの下から撮ったものである。下記↓は撮影順の勘違いによる誤記💦。
マントヴァ中心部に向かう車窓の風景。ミンチョ川(左インフェリオーレ湖、右にメッツォ湖)に架かるサン・ジョルジョ橋の先にカステッロ・サン・ジョルジョが見えた。
2025年「冬のローマ&マドリード」旅行記のローマ編が一段落し、マドリード編に入る前に、途切れたままの「(2023年)秋の北イタリア旅行」続きをサクッと記しておきたい。ヴィチェンツァの続きを含め、各都市ごとにまとめながら、全4~5回ぐらいで終わらせたいと思っている。
※ご参考:秋の北イタリア旅行(11)ヴィチェンツァ①
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/dc38196a6c0238b810fc2c3234cc21be
ということで、まずはヴィチェンツァ編の続きを急ごう。
◆「キエリカーティ絵画館」
ヴィチェンツァはヴェネツィア共和国のテッラ・フェルマだから、やはりヴェネツィア派絵画が並ぶ。早速、ヴェネツィア派の創始者パオロ・ヴェネツイアーノの三連祭壇画から。
パオロ・ヴェネツィアーノ《聖母の死と聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニウス》(1333年頃)
当然ヴェネツィア派である地元のバルトロメオ・モンターニャはもちろんだが、チーマ・ダ・コネリアーノ作品などもあった。
(デジカメ写真がボケてました!!
)
チーマ・ダ・コネリアーノ《聖ヨハネと聖ヒエロニムスのいる聖母子像》(1489年)
その中にあって、意外やメムリンクなどの初期フランドル絵画もあり、ヴェネツィアとフランドルの交流も推察された。
ハンス・メムリンク《ヤン・クラッベ祭壇画(中央部分)》(1470年頃)
ちなみに、メムリンク《ヤン・クラッベ三連祭壇画》はブルッヘで完成されたが、その後解体散逸を経て、現在は両脇翼部分をグルーニング美術館とピアモント・モーガン・ライブラリーが所蔵している。
※追記:ブルッヘにあるのは外側の受胎告知で、内側の両翼はモルガンです。(ご指摘に感謝です!!>山科さん)
ハンス・メムリンク《ヤン・クラッベ三連祭壇画》(1465-70年頃)
◆「サンタ・コローナ教会」
2008年ローマで観た「ジョヴァンニ・ベッリーニ展」は今思い出しても凄かったなぁと思う。出展されていた《キリストの洗礼》を、ぜひ所蔵元の教会(ガルザドーリ祭壇)で観たかった。やはり私はベッリーニ好き。
モニュメンタルな威容の「ガルザドーリ祭壇」。1487年からの教会拡張建設のため礼拝堂設置は無理で祭壇のみとなったようだ。
ジョヴァンニ・ベッリーニ《キリストの洗礼》(1501-03年)
◆「パラッツォ・レオーニ・モンタナーリ美術館」
古いイコンやヴェネツィア派絵画が展示されていた。
◆「パッラーディオ博物館」(「パラッツォ・バルバラーノ」)
パッラーディオ博物館の入っているパラッツォ・バルバラーノもパッラーディオの設計によるものだ。
「パラッツォ・バルバラーノ」外観 中庭のロッジアにイオニア式オーダーが映える。
パッラーディオ博物館にはパッラーディオ設計の建築物の模型が数多く展示されていた。
<翌日>
◆「ラ・ロトンダ(Villa Almerico-Capra)」
パッラーディオの名作。しかし、なんと!休館日で泣いた
!!でも、写真だけは撮ったのだった
。
やはり美しい佇まいのヴィッラである。
◆「ヴィッラ・ヴァルマナーラ・アイ・ナーニ」
ラ・ロトンダへの道を右に折れる先にある、同じくパッラーディオ設計のヴィッラだ。ナーニ(nani)は「小人たち」のことで、塀の上に小人像が並んでいるのに因む。室内の壁はティエポロの絵で装飾され、アンティークな家具調度もヴィッラでの生活を偲ばせる。
◆「パラッツォ・ティエネ」
元々1490年に建てられたゴシック様式のパラッツォであるが1542年に改修が始まった。当初ジュリオ・ロマーノが改修計画を担当し、その後パッラーディオが引継ぎ、変更を加えて進められたようだ。
ゴシック様式に(天井にはリヴボールトが見えた)、ジュリオ・ロマーノのパラッツォ・テを想起させるマニエリスム的なものとパッラーディオの古典的要素が入り混じったような、建築ド素人眼にもなかなかに複雑で見応えあるパラッツォだった。
右の奇妙な暖炉はアレッサンドロ・ヴィットーリアによるもので、ハデスの口を表現したものらしいが、まさにマニエリスム的と言えるかも。
ということで、ヴィチェンツァ後編を超サクッと飛ばしたが、この後は列車ですぐ近くのパドヴァに向かった。パドヴァは以前訪れたことがあり、今回は移動のための宿泊だけという、ちょっともったいない滞在となった。なにしろ駅近くのホテルからスクロヴェーニ礼拝堂は近かったのだし、再訪したかったなぁ...(溜息)。
周知のニュースだとは思うが、大阪・関西万博のイタリアパビリオンに追加としてミケランジェロの彫刻(と言い切って良いのか?)「復活のキリスト」が5月18日から展示されるらしい。
https://www.yomiuri.co.jp/expo2025/20250508-OYT1T50183/
バッサーノ・ロマーノのキリスト像はサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂のキリスト像の第一ヴァージョンで、ミケランジェロが制作途中で放棄したものを、17世紀の彫刻家が完成させたものである。近年では2017年に三菱一号館美術館「レオナルド×ミケランジェロ展」にも出展されている。
今回の出展は有難いことではあるが、あまり時を置かずしての再来日はちょっと謎ではある。私的には2月に《ミネルヴァのキリスト》を観たばかりなので、もしできるならば(イタリア館予約抽選に当たれば
)比較参照のため再見したいものだ。
※ご参考:拙ブログ「三菱一号館美術館「レオナルド×ミケランジェロ展」彫刻拝見サクッと感想。」
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/ca7db4c0f9643c4832b50e389e60cf0a
ミケランジェロ(手は入っている)《十字架を持つキリスト(ジュスティニアーニのキリスト)》(1514/16年~17世紀)
※ご参考:拙ブログ「冬のローマ&マドリード(9)サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂」
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/19d914ab40d3ded566d7a2f316011c76
ミケランジェロ《ミネルヴァのキリスト》(1519-20年)サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂
バッサーノ作品とミネルヴァ作品については、ゲストのむろさんさんからタイムリーにも貴重な論考のご紹介をいただいている。(むろさんさんに感謝です!!)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bigaku/62/2/62_KJ00008127800/_pdf/-char/ja
https://researchmap.jp/s_niikura/published_papers/16707931/attachment_file.pdf
大阪万博イタリアパビリオンに見に行かれる方は上記の論考は大変参考になると思う。
映画「教皇選挙(コンクラーベ)」の感想でも書いたが、システィーナ礼拝堂でのコンクラーベの前に枢機卿たちはパオリーナ礼拝堂に集まる。
下記↓画像は今回のコンクラーベ開始直前のパオリーナ礼拝堂に集った枢機卿たちである。左右の壁にミケランジェロの《サウロの回心》(左)と《聖ペテロの磔刑》(右)が見える。
(AP経由のバチカンメディア)
ちなみに、下記画像は↓ パオリーナ礼拝堂のヴァーチャル画像である。
https://www.vatican.va/various/cappelle/paolina_vr/
カラヴァッジョ偏愛の私的に、切に!一般公開を願っている。
先ず、ご逝去されたフランシスコ教皇のご冥福を心よりお祈りいたします。(合掌)
「バチカン・ニュース」によると...「コンクラーベ」のスケジュールは...
https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2025-04/la-sesta-congregazione-generale-dei-cardinali.html
「2025年5月7日(水)午前10時、聖ペトロ大聖堂で「ローマ教皇選挙のためのミサが、枢機卿団主席、ジョヴァンニ・バッティスタ・レ枢機卿によってとり行われる。
同日16時30分、コンクラーベへの入場と、ローマ教皇選挙のための宣誓が行われる。有権枢機卿らは、パオリーナ礼拝堂から、諸聖人の連祷と共に、行列を作りながらシスティーナ礼拝堂へと向かう。「ヴェニ・クレアトール」が歌われた後、規定の宣誓を行う。」(抜粋)
ご参考:「Veni, creator Spiritus」動画
https://www.youtube.com/watch?v=IKtXhfxEgpg
ちなみに、私的に一般公開を切に願っていた「パオリーナ礼拝堂」(ミケランジェロ《サウルの回心》《聖ペテロの磔刑》がある)が、コンクラーベで使われることを初めて知った。システィーナ礼拝堂が一般公開されているのだから、パオリーナ礼拝堂もぜひ公開して欲しいのだよ。
さて、前振りが長くなってしまったが、映画「コンクラーベ(CONCLAVE)」を見た感想をサクッと書きたい。
公式サイト:https://cclv-movie.jp/
「ローマ教皇が死去し、悲しみに暮れる暇もなく、ローレンス枢機卿は新教皇を決める教皇選挙<コンクラーベ>を執り仕切ることに。世界各国から100人を超える候補者たちが集まり、投票が始まった。票が割れるなか、水面下で蠢く陰謀、差別、スキャンダルの数々にローレンスの苦悩は深まっていく。そして新教皇誕生を目前に、厳戒態勢下のバチカンを揺るがす大事件が勃発するのだった……。」
ルネサンスの昔から「教皇選挙/コンクラーベ」に関わる駆け引きの類はよく知られているし、映画がフィクションであろうとも、現代でも枢機卿たちの思惑も色々あるだろなぁと、実際のコンクラーベが間近に迫っている中で見る映画は一層生々しく感じられた。
映画では誰が最終的にコンクラーベで選ばれるのか?...実は私が予想した枢機卿が選ばれたので、なんだかちょっとありきたり感があったかも。しかし、それでも最終的に意外性はあったし、エンターティメントとしてはスリル感も満載で面白い映画だったと思う。
ローレンス枢機卿を演じたレイフ・ファインズも良かったし、有力枢機卿たちが皆個性的で上手かったし、映画の重厚感を盛り上げていた。イザベラ・ロッセリーニもやはり存在感が凄いよね。
映画の半分ぐらいはイタリア語だったので、ascoltareの勉強にもなった。テデスコ枢機卿はイタリア人枢機卿なのだが、テデスコ(Tedesco)ってイタリア語でドイツ人のことだから、なんだか枢機卿の保守派ぶりを語る場面では、かつての某教皇を暗に仄めかしているのかなぁ、なんて邪推してしまった💦
コンクラーベ(コンクラーヴェ)に関わる映画では、ナンニ・モレッティ監督の「ローマ法王の休日(Habemus Papam)」が思い出される。
こちらは多少皮肉交じりではあるが(ナンニ・モレッティだから)、ハートフルな面白い映画だった。特に、コンクラーヴェ中に(撮影年が2010年)枢機卿たちがローマ市内に「カラヴァッジョ展」を見に行くというシーンがあって、私的に大いに受けてしまったのだよ
。
ということで、映画「コンクラーベ(CONCLAVE)」の次は、現実のコンクラーヴェが待ち構えているのだが、さて、次期教皇にはどなたが選ばれるのだろうか?