花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

NHK仙台放送局「ドラマ『岸辺露伴は動かない』展」を観た(^^;

2021-12-27 01:59:52 | 展覧会

NHK仙台放送局で「ドラマ『岸辺露伴は動かない』展を観た感想をサクッと

https://www.nhk.or.jp/sendai-blog/info/458107.html

ドラマ岸辺露伴は動かないの新作が12月27日~29日、3夜連続で放送される。去年放送された3作を私的にも面白く見たので、今回の新作放送も楽しみである。

「原作者・荒木飛呂彦さんの出身地である仙台からドラマを盛り上げるべく、NHK仙台放送局でドラマ『岸辺露伴は動かない』展を開催しています!」(NHKサイト)

この展覧会は仙台だけの特別展なので貴重かも。なにしろ、杜王町だし、NHK仙台放送局も定禅寺通りにあるし...(笑)。

(仙台メディアテーク「ジョジョ展」(2017年)貸切バス停留所

今回の展覧会では番組台本や、岸辺露伴を演じた高橋一生さんや共演者の皆さんが着用した衣装(デザイン画も)や小道具などが展示され、興味深く見てしまった。

岸辺露伴の衣装だが、中に着ているシャツが凄~く手が込んでいて、なかなかに洒落ていた♪

露伴のヘアバンドってこーなっていたのね(笑)

本にされた顔。泉京香ちゃんが可愛い♪

今回の展示の中で一番面白かったのは、新作で使用した露伴の描いた漫画「ピンクダークの少年」と集明社の袋(笑)。編集者の泉京香ちゃんが持って来るらしい。

露伴先生の単行本シリーズも凝った造りでビックリ!!😲 天を見たら、中身も印刷されているようだったので、多分、荒木さんの本に表紙を付けたのかも??

展覧会詳細は上記URL(HNK仙台放送局のサイト)にも出ているので、興味のある方はご参照あれ。

ということで、いよいよ今日12月27日(月)から新作の放送が始まるので楽しみだ

https://www.nhk.jp/p/ts/YM69Q8456J/?cid=orjp-dramab-210815-0135

[NHK総合]

第4話 2021年12月27日(月) よる10時~10時49分

第5話 2021年12月28日(火) よる10時~10時49分

第6話 2021年12月29日(水) よる10時~10時49分

展覧会感想ついでに、なんだか、番宣までしちゃったわね(;'∀')


クリスマス・スイーツ(^^;

2021-12-25 18:07:00 | 食べもの

クリスマスにはケーキがつきものだけど、🍓苺ショートはいつでも食べられるし...

ということで、去年は「シュトーレン」を買ってみた。

上掛けの粉砂糖がボロボロ落ちるし、甘いし...私的には苦手だった。

ということで、今年は試しに話題の(?)「ベラヴェッカ」(アルザス地方のお菓子)を購入。

でもね、これが砂糖&果糖&蜂蜜が一緒に攻め来るような、めちゃくちゃ甘過ぎるシロモノで、まるでイタリアのドルチェみたい!!

ということで、やはり次回からは、甘さ控えめイタガキの苺ショートにしよう!と心に誓ったのだった。お粗末


2022年に観たい展覧会メモ。

2021-12-15 16:46:55 | 展覧会

コロナ感染がようやく下火になったと思ったら、新たにオミクロン株が発生...。2022年が果たしてどうなるのかわからないが、ワクチンの3回目接種が終わったら、観たい展覧会(コロナ次第だけど)を自分用にメモしておきたい。

「ポンペイ」展 東京国立博物館

2022年1月14日(金) ~ 2022年4月3日(日)

https://pompeii2022.jp/

・「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」 東京都美術館

2022年1月22日(土)~ 2022年4月3日(日)

https://www.dresden-vermeer.jp/

・「メトロポリタン美術館展」 国立新美術館

2022年2月9日(水)~ 2022年5月30日(月)

https://met.exhn.jp/

カラヴァッジョ《合奏》(1597年)メトロポリタン美術館

・「スコットランド国立美術館展」 東京都美術館

2022年4月22日(金)~ 2022年7月3日(日)

https://greats2022.jp/

ベラスケス《卵を料理する老婆》(1618年)スコットランド国立美術館

・「琉球」展 東京国立博物館

2022年5月3日(火) ~ 2022年6月26日(日)

https://tsumugu.yomiuri.co.jp/ryukyu2022/

2020年の春以降、東京へはすっかりご無沙汰している。地方から東京に行くことは、東京から地方(感染者少)へ行くのとは違い、怖さもあるし周囲に気も遣う。果たして2022年は東京に展覧会を観に行けるようになるのだろうか??


ルーベンス《シャルル・ル・テメレールの肖像》(2)

2021-12-13 21:09:45 | 西洋絵画

さて、先に書いた ルーベンス《シャルル・ル・テメレールの肖像》(1)の続きを...

(2)ルーベンスはシャルルの顔を、どの先行作品を参考として描いたのか?

ピーテル・パウル・ルーベンス《シャル・ル・テメレールの肖像》(1618年頃)ウィーン美術史美術館

https://www.khm.at/objektdb/detail/1627

シャルル(Charles le Téméraire,1433 - 1477年)の肖像は、先に紹介した《エノー年代記》の少年時代や「アラス・コレクション」模写等も含め、意外に色々あるようだ。

で、ルーベンスがどの先行作品を参考したのか?と考える時、やはり観る人に「この肖像はシャルル・ル・テメレーだ」と容易にわかってもらえることが大切なポイントだったと想像する。ならば、各地に模写作品も残っているブルゴーニュ公家の公式ポートレート(?)が一番参考になると思うし、実際に見る機会も得やすいと思うのだ。

先ずは、一番有名な青年時代のシャルル像。この頃はまだ若々しいシャロレー伯。模写作品も各種あるようだ。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(工房?)《シャルル・ル・テメレールの肖像》(1454年頃)ベルリン国立絵画館 

ちなみに、ドイツ版Wikipediaによると、この作品はネーデルラント総督マルガレーテ(フィリップ・ル・ボーの妹)が所持していたものらしい。おじいちゃんの肖像画ね

そして、ディジョン博物館に残っているはオッサン壮年時代のシャルル。甲冑姿に「テメレール」らしさが出ているような気もするし、甲冑姿ということで参考になったかも

Unknown《シャルル・ル・テメレールの肖像》(オリジナルは1474年、16世紀半ばのコピー)ディジョン美術館

フランス版Wikipediaによると「1474年のオリジナル(?)の後の16世紀半ばのコピー。この肖像画は、亡くなった両親の遺体をディジョンのシャンモール修道院に葬送した1474年の日付を冠しており、当時、シャルル・ル・テメレールは素晴らしい鎧に身を包み、ディジョン入市式を行った。彼の入市式は盛大な祝祭として執り行われ、公爵(シャルル)は王になりたいという彼の願望を表明するスピーチをした。この機会に肖像画が作られたのかもしれない。このパネルの年代測定研究によると16世紀半ば以降のコピーと考えられる。」(少々意訳しました

これら2作品だけでなく、残存するシャルルの肖像画に共通するのはクリンとした天パーっぽいクセ毛頭髪で、短い前髪があっちこっち向いているのがルーベンス作品にも踏襲されており、描かれた顔つきもなんとなく似せているような気がする。特に鎧姿のシャルルはアイデア段階で参考になったような気がするのだけど、どうなのだろう??

もちろん、ルーベンスは精悍で堂々とした騎士シャルルを描いており、「私は王になりたい!!」というその願望を絵にしたような、堂々とした王者の風格を持って描いているところが興味深いし上手いなぁと思う。

実際のシャルルはトリーア会議(1473年)で神聖ローマ皇帝フリードリッヒ3世に「私をローマ王にしろ!」と詰め寄った挙句、皇帝に逃げられたのだけどね。で、皇帝はこっそりトリーアから逃げだしたけど、父と一緒に会見したマクシミリアン1世(当時は14歳の少年)は、煌びやかな騎士姿のシャルルに魅了され憧れたようだ。

ルーベンス描くこの威風堂々騎士姿のシャルル像なら少年マクシミリアンが憧れるのも了解できるのだけどね


カラヴァッジョ偏愛の独り言(^^;

2021-12-11 21:46:39 | 西洋絵画

カラヴァッジョ偏愛&美術ド素人の独り言をば...

山田五郎さんのYoutube「オトナの教養講座」は時々面白く拝見しているのだけれど、今回の「【暴れん坊・カラヴァッジョ】生首が自画像ってなんで?!【犯罪・逮捕遍歴】」を見て...

https://www.youtube.com/watch?v=HxqT5gBkpNY

ちょっと老婆心がでてしまったもので(本当はスルーすべきなんだろうけど)独り言を言わせてね

冒頭に《聖マタイの召命》のについての画像紹介と言及があった。で、山田さんは聖マタイ論争について、「マタイは徴税人でお金を数えている人...今はコレでファイナルアンサーですね」と。

私は美術ド素人だから聖マタイ論争が決着したなんて知らなかったが(いつ決着したのだろうか??)、動画を見ている何万人もの人々が「マタイはお金を数えている若者」と疑問も持たず信じてしまうだろうことに、なんだか怖さを覚えてしまった。

以上、カラヴァッジョ偏愛&美術ド素人の独り言でした


ルーベンス《フィリップ・ル・ボーの肖像》。

2021-12-10 01:41:57 | 西洋絵画

ウィーン美術史美術館で撮ったルーベンス《シャルル・ル・テメレールの肖像》と《マクシミリアン1世の肖像》をチェックしていたら...

なんと2018年「ブリューゲル展」を観た当時の解説には《マクシミリアン1世の肖像》となっていたものが、現在、美術館サイトでは《フィリップ・ル・ボーの肖像》になっているではありませんかっ 多分、この変更は最近の研究結果によるものだろう。

ピーテル・パウル・ルーベンス《フィリップ・ル・ボーの肖像》(1618年頃)ウィーン美術史美術館

https://www.khm.at/objektdb/detail/1628/

通称フィリップ・ル・ボー(フィリップ美公:Philippe le Beau, 1478-1506年;ブルゴーニュ公フィリップ4世、カスティーリア王フェリペ1世)は、ブルゴーニュ公シャルル・ル・テメレールの一人娘マリーとハプスブルグ家マクシミリアン1世の長男であり、カール5世(カルロス1世)の父である。

フィリップの鎧の腰飾りに百合の紋章が見えるが、ヴァロア朝ブルゴーニュ公家だよなぁ、と思い出させてくれるところがちょっと嬉しい。ちなみに、顔は父のマクシミリアン1世(肖像画多々あり)を参考にして描いているようだ。だって、研究者達もずーっとマクシミリアン1世だと思っていたんだし

アルブレヒト・デューラー《マクシミリアン1世の肖像》(1519年)ウィーン美術史美術館

ちなみに、フィリップの生きていた当時の肖像画は....

ファン・デ・フランデス《フィリップ・ル・ボーの肖像》(1500年頃館)ウィーン美術史美術館

ルーベンスがほぼ同時期に、ブルゴーニュ公としての祖父シャルルと孫フィリップを描いたということは、やはりフランドル統治者夫妻の宮廷画家であることと、フランドルの栄光の歴史をブルゴーニュ公に見ていた査証なのではないかとド素人的に思うのだけど、どうなんだろう??

そして、もしかして、この二つのルーベンス作品は「肖像画」ではなく、フランドルの「歴史画」として描かれたのかもしれないとも思ってしまったのだ。


ルーベンス《シャルル・ル・テメレールの肖像》(1)(^^;

2021-12-08 12:30:19 | 西洋絵画

ウィーン美術史美術館にルーベンス描く《シャルル・ル・テメレールの肖像》がある。

ピーテル・パウル・ルーベンス《シャル・ル・テメレールの肖像》(1618年頃)ウィーン美術史美術館

https://www.khm.at/objektdb/detail/1627

ヴァロワ朝フランス王国の分家であるブルゴーニュ公国のシャルル(Charles de Valois-Bourgogne, 1433 - 1477年)、すなわち通称シャルル・ル・テメレール(Charles le Téméraire:突進公・むこうみず)は、ブルゴーニュ公国の領域拡大と王国化を図りながらも、その突進的無鉄砲さをもってナンシーの戦場で亡くなる。

フランス王国とも互角以上に渡り合うほどの栄華を誇ったブルゴーニュ公国は彼の死とともに崩壊したしたが、ブルゴーニュ公の称号そのものは一人娘のマリーと婿ハプスブルグ家マクシミリアン1世を通じ、息子フィリップ・ル・ボー、そして、曾祖父シャルルの名を継ぐカール5世(カルロス1世)へと続く。

さて、このルーベンス《シャルル・ル・テメレール肖像》だが、来歴を見ると、「おそらくルーベンスの財産から」とあるので、多分、受注ではなくルーベンス自身が自発的に描いた作品だと思われる。

私的に興味深い点(素朴な疑問)が二つある。

(1)ルーベンスが何故シャルル・ル・テメレール(140年前に死去)を描いた,のか?

(2)ルーベンスはシャルルの顔を、どの先行作品を参考として描いたのか?

と言うことで、まずは(1)から妄想推理してみたい

1608年、ルーベンスは母親の病気の報に、イタリアからアントウェルペンに向けて旅立つが、母は到着する前に亡くなる。彼の帰還は、スペインからのオランダ独立戦争中の「アントウェルペン条約」(1609年)による12年間の休戦が始まる都市の繁栄の時期と一致した。1609年9月、ルーベンスは、ネーデルラントの統治者であるオーストリア大公アルブレヒト7世とスペイン王女イザベラ・クララ・ユージニアにより、宮廷画家に任命される。

アルブレヒト7世はルドルフ2世の弟であり、イザベルはフェリペ2世の娘である。要するにハプスブルグ家の両者はシャルル・ル・テメレールの末裔なのだよね。それに、アントウェルペンはブルゴーニュ公国の栄華の記憶を残しているフランドルの土地柄だし、妄想するに、ルーベンスのアントウェルペン市民としてのアイデンティティの発露と、二人に対する忖度(?)も多分に働いたんじゃないかと想像するのだけど、どうなのだろう??

いずれにしろ、ルーベンスがシャルルを凛々しい騎士姿で描いたことが私的に意外であり、フランドルにおけるブルゴーニュ公国の記憶が決して悪いものではなかったと思えるのがなんだか嬉しい。(ヘントやイープルなんてどうなんだろうね?