花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

お盆の帰省

2010-08-22 04:12:27 | Weblog
先週、お盆の帰省をしてきた。金曜からの2泊3日という短いものだったか、久しぶりに食と読書を楽しむことができた。(いつもは粗食だし、最近は読書する暇もなし(^^;;)

■食
友人のるふなさんと食事をした「うめ治」の限定ランチが感動もの!女性が喜びそうな少しずつ何種類もあるお料理・デザートがテーブル上に運ばれた時は目が喜んでしまった(笑)。特に竹筒入りの茶碗蒸しはタピオカが入っているのか、プチプチ食感が面白く山椒の薬味も効いて美味しい♪それに食後の紅茶付きで1,050円(税込)だなんてリーズナブル過ぎ(感涙)。るふなさんの話だと、通常はマダム客が多くあっと間に売切れてしまうそうで、お盆中ということでラッキーだったかも。(るふなさんに感謝!)

 

さて、帰省の楽しみのひとつは「ホヤ」を食べること。ホヤは東北から北海道で食されているようで、東京ではなかなかお目にかかれない。それに東京では新鮮なホヤに当たったことがない(高級店に行けないし)。ということで、今年も我が家行きつけの和食店でホヤのお造り(ホヤ酢)を食べて大満足♪
で、翌日はフレンチということで、鮮魚苦手の義姉もニコニコと出かけたら、何とオードブルにホヤが登場! ホヤとグレープフルーツを合えたもので、私的にはこの意外な組み合わせは美味しかったのだが、義姉はもちろんダメ(^^;;。おかげで2人分を胃に収めることができた♪


ホヤとグレープフルーツのオードブル

■読書
塩野七生さんのマルコ・ダンドロを主人公にした殺人事件シリーズは単行本になった時点で既に読んでいたのだが、あまりに昔なのでストーリーがすっかり記憶から飛んでしまっていた(^^;;。ということで、兄の本棚からごそごそと埃を被った3冊を探し出し読み始めた。もちろん、目的は『法王庁殺人事件』(朝日新聞社・刊)の再読。パウルス3世の息子であるピエル・ルイージ・ファルネーゼとその長男アレッサンドロ枢機卿が登場だもの。

塩野さんの小説ではアレッサンドロは利発で性格の良い少年として描かれている。ところが、「カポディモンテ美術館展」がらみで再読したロベルト・ザッペリ著『ティツィアーノ【パウルス3世とその孫たち】』(三元社・刊)では逆に嫉妬深さが強調されており、なかなかに興味深いのだ。


『法王庁殺人事件』             『ティツィアーノ【パウルス3世とその孫たち】』

それに、ザッペリは以下のように述べる。
「ニーチェが彼の著書『アンチ・クリスト』で、ブルクハルトの影響で判断を誤り、挑発的にも「教皇としてのチェーザレ・ボルジア」を、決して到達しえなかったルネサンスの頂点として描き出した時、彼は思いちがいをしていた。「あらゆる価値の価値転換」という命題は、まさにパウルス3世が自ら設定したあの目標(ファルネーゼ家のパルマ・ピアチェンツァ公国設立)に他ならず、アレクサンデル6世の息子であるあの惨めで向こう見ずな男チェーザレ・ボルジアのものではない、ということにニーチェは気づいてなかった」

いやはや、挑発的だこと(笑)。塩野七生さんとロベルト・ザッペリの視点はかなり違っているようで、これもまた読書の面白さと言えるのかもしれない。

Bunkamura「ブリューゲル版画の世界」

2010-08-16 01:20:15 | 展覧会
Bunkamura「ブリューゲル版画の世界」を観た。(okiさんチケットに感謝!)
渋い版画展覧会だから空いているだろう、などという甘い予想は見事に外れ、会場は老若男女で混み合っていた。なるほど、日本におけるブリューゲル人気はかなりのものだったのね…不覚(^^;;
と言うのも、公式サイトの解説によれば…

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16世紀ネーデルラントの巨匠ピーテル・ブリューゲル(1525/30-69)は日本人にもっとも愛されている画家の一人です。ブリューゲルの作品は諺、子供の遊び、庶民の祭りやスポーツとともに、人間のさまざまな弱点や愚行を諷刺とユーモア精神で寓意的に表現しています。またブリューゲルの描いた世界にはヨーロッパの庶民文化の“ルーツ”が見られ、わたしたちは彼の作品から知られざるヨーロッパの心の故郷に接し、親しむことができるでしょう。
本展覧会は、ベルギー王立図書館の全面的な協力のもと、ブリューゲルだけでなく、同時代の版画も合わせて約150点を展示し、「ブリューゲル新・再発見」を楽しんでいただける構成となっています。
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ちなみに、この公式サイトはスグレもので、「みどころと展覧会構成」の紹介画像は虫眼鏡拡大でき、ブリューゲル版画の持つ緻密さを充分に楽しむことができる。

さて、展示構成は
第1章  雄大なアルプス山脈の賛美と近郊の田園風景への親近感
第2章 聖書の主題や宗教的な寓意を描く
第3章 武装帆船やガレー船の驚くべき表現力
第4章 人間観察と道徳教訓の世界
第5章 諺を通じて知る人間の「青いマント」の世界
第6章 民衆文化や民話への共感
第7章 四季や月暦表現で綴る市民の祝祭や農民の労働

細部まで緻密な版画作品なので150点(内、ブリューゲル版画は70点)を丹念に観るのに体力・気力を要し、年寄りには少々辛かった(^^;。だが、今までブリューゲルは油彩画中心にしか観てこなかったものだから、油彩画の構図の基になったもの、油彩画との相互関連など、勉強になることが非常に多く、そして何よりもブリューゲルの描く世界が面白かった。ちなみに、初期のブリューゲルが版画中心に描き、油彩画を多く描くのは画業の後半になってからだったのね(^^;;

第1章で展示されている「大風景版画」シリーズからはブリューゲルの風景画の原点が見て取れた。風景画の俯瞰構図はウィーンの《雪中の狩人》に通じるし、アルプスの雄大な山岳風景は《サウロの回心》が何故山道で起るのかが了解される。


「大風景版画シリーズ」


《雪中の狩人》(ウィーン美術史美術館)

また、第3章の帆船シリーズ描写はドーリア・パンフィーリ《ナポリ湾の海戦》(1558-62)に通じるし、第7章での《夏》(1570年)はNYメトの《穀物の収穫》(1565年)のまるでリメイク版である。


「帆船シリーズ」


《ナポリ湾の海戦》(ドーリア・パンフィーリ美術館)


《夏》


《穀物の収穫》(メトロポリタン美術館)

第2章の宗教的寓意におけるヒエロニムス・ボスの影響は語るまでもない。しかし、奇妙な怪獣たちはボスの持つ悪夢的な要素をユーモアでまぶし、口当たりが良くなっている。ここがブリューゲルを、皮肉屋ではあるが常識人なのだろうなぁ、と思わせる所以なのだけど…(汗)
では、ボスは?と考えると、異形の造形になにかしら偏執的なものを感じる。しかし、奇怪でありながら目を離せなくなるのは、これでもかと繰り出される豊穣なイメージの氾濫に飲み込まれるからかもしれない。もしかしてギーガー的恐いもの見たさもあるかも(^^;;

ところで、今回の展覧会の中で一番感激したのは、この第2章の版画群の中に、さり気に(下絵)素描作品も展示されていたこと!! ブリューゲルの肉筆の機微ともいうべき繊細で緻密な線や点は、画面から柔らかな暖かみを画面から立ち上らせている。この柔らかさは隣接展示されていた版画作品では再現不可能なことが了解できた。それに下絵と版画は左右が反転し、やはり素描の持つオリジナルの魅力には勝てないことも痛いほどわかるのだった。この《邪淫》(1557年)と《正義》(1559年)の2枚の素描作品を観られたことだけでも、十二分に価値のある展覧会だったと思う。

また、今回のブリューゲル版画展を観ながら、画家の視点の変遷を辿ることができたのも大収穫だった。山岳風景画からの俯瞰視線は田園風景になると少し下りてくる。庶民の生活を描くと、視点は多様化し、自在に視点を移動させている。という独自の世界感を持った偉大な画家の成り立ちから、油彩画と版画が相互に関連しており、まさに「ブリューゲル新・再発見」を楽しんだと言える。

それにしても、今まで油彩画ばかりに注目していた自分の不明に恥じ入るばかりだ。なにしろ、映画「カラヴァッジョ」の感想に、ヤン・ブリューゲルとの会見シーンにおける会話から、果たしてカラヴァッジョはブリューゲル(父)の作品を観たであろうか?という疑問を発してしまったが、版画という作品・メディアは欧州で幅広く流通していたし、油彩画も充分に観た可能性はあるのだと納得できたのだ。

ということで、次回は「私的カポディモンテ美術館(2)」として、ブリューゲル作品を扱いたい。またもや予告編倒れになるのだろうか?(^^;;;