ジョット(Giotto di Bondone、1267 -1337年)のスクロヴェーニ礼拝堂フレスコ画の一枚《ヨアキムと羊飼いたち》の画像を眺めながら、「ん?もしかして??」と思うところがあったので、美術ど素人的私説(珍説)として、少しばかり妄想してみた(^^;;
ヨアキムは聖母マリアの父で、新約聖書外典によれば、ヨアキムとアンナは信心深い夫婦であったが、二人には老齢になる迄子供が出来なかった。二人は毎年エルサレム神殿への参拝を欠かさなかったが、ある年、彼らの子供の無いことを讒言された祭司が、子孫を残す神への義務を怠っているとし、ヨアキムの捧げ物を拒否した。
ジョットは、神殿から追い返されたヨアキムの姿を、知り合いの羊飼いたちと出会ったシーンとして描いている。
(牧羊犬がかわいいのよ♪)
ジョット《ヨアキムと羊飼いたち》(1305年頃)スクロヴェーニ礼拝堂
辛い心情で俯きながらトボトボ歩くヨアキムに出会った顔見知りの羊飼いたちが「こんにちは、ヨアキムさん」と声をかけ、ヨアキムに懐いている牧羊犬も嬉しそうに近寄るが、傷心のヨアキムは気が付かない。羊飼いたちは「なんか、様子が変だぜ。どうしたんだろう?」と目配せし合う。
と言った感じで、私たちも登場人物の状況と心理(気持ち)を想像し感情移入できるように描かれている。ジョットは欧州絵画で初めて観者が絵の中に入り込めるように描いた画家とされる。(お勉強しましたです)
さて、話は変わるが、随分前にこのブログでクールベ《こんにちは、クールベさん》について私的考察をしたことがある。
https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/2956f91202e5567ecbc9175f356f9421
今読み返すとかなり恥ずかしいが、この作品に妙に感情移入した?自分が面白くもある。美術ド素人で観る側でしかない自分と、描く側のゲストの方達との視点の違いにより、ブログコメント欄で地味に盛り上がったのも楽しかったなぁ。
(ブリュイアスの犬(忠誠犬?)も可愛い♪)
ギュスターヴ・クールベ《こんにちは、クールベさん》(1868年)ファーブル美術館
クールベ(Gustave Courbet, 1819 - 1877年)は当時のフランス・アカデミー画壇からその革新的な写実主義を非難されていたが、ようやく画家を理解し支持するパトロンにめぐり会うことができた。そのパトロンのブリュイアスをモンペリエに訪ねた時の情景を描いたのがこの作品だ。
ということで、以下は美術ど素人の妄想的私説(珍説)ごめんなさいっ!!で展開するのだが、許してね(^^;;
クールベはジョットのスクロヴェーニ礼拝堂フレスコ画を知っていたかどうか?? 画家を目指す者ならジョットぐらい知らないとモグリだぜ、と思う私は美術ど素人なのかもしれない。しかし、2作品を見比べると、ジョットの画面構成を反転させ、うつむくヨアキムと顔を上げるクールベ、という対比もなにかしら意図的なもののように思えるのだ。第一、当時のクールベはアカデミーから非難され(強気の画家ではあるが心痛はあったと思う)、ようやくプリュイアスに希望を見た時期だ。その画家としての自負心がヨアキムの傷心の図を逆手に取ったとは考えられないだろうか??
もちろん、美術史的には《さまよえるユダヤ人に語りかける町のブルジョワジー》という民衆版画の構図を下敷きにしているとのことで、多分、きっと、そうだよね。「ここには、文明化された社会の中で一野蛮人として生き、民衆に語りそこから知恵を引き出し、放浪と独立の生活を送ろうとする画家の考えがこめられている」とのことらしい。
民衆木版画《さまよえるユダヤ人に語りかける町のブルジョワジー》
民衆版画《さまよえるユダヤ人》19 世紀後半
1774 年ブラバン州ブリュッセルで目撃されたさまよえるユダヤ人の真実の肖像
(Popular prints True portrait of the Wandering Jew, as he was seen at Brussels in Brabant in 1774.)
でもね、クールベはオルナンでカトリック系の学校に通っており、信仰心は別として、聖書や外典についての知識は持っていた可能性はあると思うのだ。ヨアキムもユダヤ人だし、可愛い犬も登場するし、少しはジョット絵画を想起したって罰は当たらないと思うのだよね(^^;;
ということで、お粗末な妄想、お許しあれかし。
※追記:もちろん、ジョット「スクロヴェーニ礼拝堂」もクールベ《こんにちは、クールベさん》も、両方とも実物は観ている。その遠い記憶が何かで(今回の場合はジョット画像で)シンクロするのって面白いのだわ。