花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

映画『レンブラントは誰の手に』が公開。

2021-02-25 16:44:48 | 映画

映画『レンブラントは誰の手に』が明日(2月26日)から公開されるようだ。あの『みんなのアムステルダム国立美術館へ』のウケ・ホーヘンダイク監督の最新作である。

http://rembrandt-movie.com/

「バロック絵画を代表し、没後350年以上経った今でも絶大なる人気を誇るオランダの巨匠画家、レンブラント。彼の作品を画商は見出し、貴族は愛し、コレクターは買い求め、美術館は競い合う。…(中略)…レンブラントをめぐる人間喜劇であり、芸術についての根源的な問いを私たちに投げかける。美しい絵画を巡って、アートに惚れ込んだ人間たちの愛と欲がエキサイティングに交錯するドラマティック・ドキュメンタリー。」(公式サイトより)

仙台でも「チネ・ラヴィータ」で3月26日から公開予定のようで、楽しみだ

ちなみに、予告編に「フェルメールと並びオランダを代表する画家」と字幕が出ているが、それってレンブラントに対し失礼じゃないかと思う。例えば、ラファエッロ映画の予告編に「カラヴァッジョと並ぶイタリアを代表する画家」なんて誰が言う?? カラヴァッジョ偏愛の私だって絶対に言えない。この配給会社の感覚って、なんか変っ!!!


3月18日「フリック・マディソン(Frick Madison)」オープン。

2021-02-21 01:19:10 | 美術館

ニューヨークの「フリック・コレクション」は現在改装中であるが、2021年3月18日に一時的な(2年間の予定)移転先である「フリック・マディソン」を開館すると発表した。有名作品の殆どは「フリック・マディソン」に引っ越し展示されるようだ。

https://www.frick.org/press/frick_madison_open_march_18_2021

https://www.frick.org/madison

読書室も予約利用できるようで良かったね。って、このコロナ禍では行けないけど

上の写真は「フリック・コレクション」本館。N.Y....ご無沙汰してるなぁ...。


NHK-BS「アナザー・ストーリーズ - 唐十郎」を見た。

2021-02-18 21:37:00 | Weblog

3月16日(火)、NHK-BS3「アナーザー・ストーリーズ」の「唐十郎」特集を見た。

https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/trailer.html?i=27916

ずっと昔(十代の頃!)、兄が「紅テントを観たんだけど、凄く面白かった!」とチラシをくれた。高畠華宵「馬賊の唄」挿絵に「吸血姫」の文字が…。それ以来、私的には憧れの紅テントとなったが、実際に観ることができたのは翌年(1972年)、「二都物語」仙台公演だった。

(ちなみに、ポスターはボス《愚者の石の除去》の模様枠を引用しているのがご愛嬌。ん?背景の風景も見覚えがあるような??)

その舞台は異様に魅力的で、紅テント(状況劇場)は異空間に人を誘う人さらい集団(?)だと思った。李礼仙の迫力のある存在感、唐十郎のぬめぬめとした眼(まなこ)、大久保鷹のわけのわからぬ可愛らしさ(笑)等、テント内の演者と客の密な空間が醸し出す熱気も凄く、めちゃくちゃ面白かった。

その後にも、東京(池袋 びっくりガード下)で「ユニコーン物語 台東区篇」を観ている。根津甚八、小林薫の活躍も懐かしい。

多分、その頃に買ったのだと思う本「唐組」(パルコ出版)がまだ本棚に残っている。

表紙をめくると、唐十郎と李礼仙のサインが。(その後、お二人は離婚した)

それだけではなく、LPレコードまで買ってしまったのだから、かなりミーハーかも

でも、「四角いジャングルで唄う」は録音が雑で(すみません)1回ぐらいしか聴いていない(汗)。

さて、一方、1975年には「68/71黒色テント」が「キネマと怪人」(喜劇昭和の世界2)を引っ提げて仙台公演を行った。もちろん、観に行きましたとも!! 最後にテントの舞台奥が開らき、夜の公園に炎の光が幻想的に灯り、新井純さん(多分)の「ロマンチックな目で見ないで」というセリフが耳に残っている。

私的な感想を言えば、演劇内容は紅テントよりも洗練され、音楽的にも皆さんお上手で、特に斉藤晴彦さんの「歌うチゴイネルワイゼン」は絶品だった!! 清水紘治さん歌った「BACK AND GO」の「燃える金魚よ~、不眠のお前よ~♪」なんて隠れた名曲だと思う。だって、その勢いでLPも買っちゃったのだもの

(清水紘治さんがサインをしてくださった♪)

あの、テントの下で繰り広げられた熱い演劇の世界が、形を変えながら現在まで続いているのだなぁと、NHKの番組で80代になった唐十郎を見て思ったのだった。


ジョットとクールベの出会い妄想「こんにちは」(^^;;

2021-02-16 20:21:51 | 西洋絵画

ジョット(Giotto di Bondone、1267 -1337年)のスクロヴェーニ礼拝堂フレスコ画の一枚《ヨアキムと羊飼いたち》の画像を眺めながら、「ん?もしかして??」と思うところがあったので、美術ど素人的私説(珍説)として、少しばかり妄想してみた(^^;;

ヨアキムは聖母マリアの父で、新約聖書外典によれば、ヨアキムとアンナは信心深い夫婦であったが、二人には老齢になる迄子供が出来なかった。二人は毎年エルサレム神殿への参拝を欠かさなかったが、ある年、彼らの子供の無いことを讒言された祭司が、子孫を残す神への義務を怠っているとし、ヨアキムの捧げ物を拒否した。

ジョットは、神殿から追い返されたヨアキムの姿を、知り合いの羊飼いたちと出会ったシーンとして描いている。

 (牧羊犬がかわいいのよ♪)

ジョット《ヨアキムと羊飼いたち》(1305年頃)スクロヴェーニ礼拝堂

辛い心情で俯きながらトボトボ歩くヨアキムに出会った顔見知りの羊飼いたちが「こんにちは、ヨアキムさん」と声をかけ、ヨアキムに懐いている牧羊犬も嬉しそうに近寄るが、傷心のヨアキムは気が付かない。羊飼いたちは「なんか、様子が変だぜ。どうしたんだろう?」と目配せし合う。

と言った感じで、私たちも登場人物の状況と心理(気持ち)を想像し感情移入できるように描かれている。ジョットは欧州絵画で初めて観者が絵の中に入り込めるように描いた画家とされる。(お勉強しましたです

さて、話は変わるが、随分前にこのブログでクールベ《こんにちは、クールベさん》について私的考察をしたことがある。

https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/2956f91202e5567ecbc9175f356f9421

今読み返すとかなり恥ずかしいが、この作品に妙に感情移入した?自分が面白くもある。美術ド素人で観る側でしかない自分と、描く側のゲストの方達との視点の違いにより、ブログコメント欄で地味に盛り上がったのも楽しかったなぁ

 (ブリュイアスの犬(忠誠犬?)も可愛い♪)

ギュスターヴ・クールベ《こんにちは、クールベさん》(1868年)ファーブル美術館

クールベ(Gustave Courbet, 1819 - 1877年)は当時のフランス・アカデミー画壇からその革新的な写実主義を非難されていたが、ようやく画家を理解し支持するパトロンにめぐり会うことができた。そのパトロンのブリュイアスをモンペリエに訪ねた時の情景を描いたのがこの作品だ。

ということで、以下は美術ど素人の妄想的私説(珍説)ごめんなさいっ!!で展開するのだが、許してね(^^;;

クールベはジョットのスクロヴェーニ礼拝堂フレスコ画を知っていたかどうか?? 画家を目指す者ならジョットぐらい知らないとモグリだぜ、と思う私は美術ど素人なのかもしれない。しかし、2作品を見比べると、ジョットの画面構成を反転させ、うつむくヨアキムと顔を上げるクールベ、という対比もなにかしら意図的なもののように思えるのだ。第一、当時のクールベはアカデミーから非難され(強気の画家ではあるが心痛はあったと思う)、ようやくプリュイアスに希望を見た時期だ。その画家としての自負心がヨアキムの傷心の図を逆手に取ったとは考えられないだろうか??

もちろん、美術史的には《さまよえるユダヤ人に語りかける町のブルジョワジー》という民衆版画の構図を下敷きにしているとのことで、多分、きっと、そうだよね。「ここには、文明化された社会の中で一野蛮人として生き、民衆に語りそこから知恵を引き出し、放浪と独立の生活を送ろうとする画家の考えがこめられている」とのことらしい。

民衆木版画《さまよえるユダヤ人に語りかける町のブルジョワジー》

民衆版画《さまよえるユダヤ人》19 世紀後半 
1774 年ブラバン州ブリュッセルで目撃されたさまよえるユダヤ人の真実の肖像
(Popular prints True portrait of the Wandering Jew, as he was seen at Brussels in Brabant in 1774.)

でもね、クールベはオルナンでカトリック系の学校に通っており、信仰心は別として、聖書や外典についての知識は持っていた可能性はあると思うのだ。ヨアキムもユダヤ人だし、可愛い犬も登場するし、少しはジョット絵画を想起したって罰は当たらないと思うのだよね(^^;;

ということで、お粗末な妄想、お許しあれかし

※追記:もちろん、ジョット「スクロヴェーニ礼拝堂」もクールベ《こんにちは、クールベさん》も、両方とも実物は観ている。その遠い記憶が何かで(今回の場合はジョット画像で)シンクロするのって面白いのだわ


地震。

2021-02-15 22:35:29 | Weblog

13日夜の地震は大揺れで怖かったですが、私的には大した被害も無く大丈夫でした。被害の大きかった地域の皆様には、心からお見舞い申し上げます。

土曜日の夜、突然激しく揺れ始め、スマホの警報音はその後を追い、かなり長い間揺れていたような気がします。なかなか収まらないので、テーブルの下に潜ったら、頭をぶつけて痛かったです

私的被害は食器棚の中のグラスが1個割れていたことと、乱雑に詰め込んだ本棚から本やCDが落ちてしまったことぐらいですが、詰め直し(乱雑に)は10分ぐらいで済んだので、ほっとしました。

今日、某講座の受講日だったのですが、先生のお話では、川内の大学研究室の殆どは室内の本や書類が散らかり大変な状況のようです。整理のために学生を集めたくても、コロナ禍で密になる危険性があるし...と、お困りの様でした。

10年前と違い今回は津波が無くて不幸中の幸いでしたが、余震も続いているし、やはり地震は怖いものですね。


国立新美術館「佐藤可士和展」チラシ(^^;

2021-02-10 22:10:50 | 展覧会

ご存知寄りSさんご夫妻が国立新美術館「佐藤可士和展」を観たとのこと

https://kashiwasato2020.com/

東京都現代美術館「石岡瑛子展」の時もそうだが、「佐藤可士和展」も観ることのできない私を憐れんで、今回は展覧会チラシを送ってくれた。(多謝!!>Sさんご夫妻)

私的にも、野球を観るなら「楽天」だし、家では「ユニクロ」着てるし、タオルは白い「今治タオル」を使っているし、ツタヤで「Tポイントカード」使うし、箱ティッシュは「セブンプレミアム」だし ...凄いよね、佐藤可士和さん

で、もちろん!「国立新美術館」では展覧会をよく観ていたし...(コロナで過去形)。

やはり、デザインの持つ力は大きいなぁと思う。

Se andassi a visitare la mostra di Caravaggio al centro nazionale dell'arte,Tokyo , vedrei anche questa mostra.


2016年プラド美術館「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展(Georges de La Tour. 1593 - 1652)」サクッと感想(2)

2021-02-09 20:38:35 | 展覧会

フォートワースのキンベル美術館は多くの珠玉作品を所蔵展示しているが、その中でも圧巻は、左にカラヴァッジョ《いかさま師》、中央にフランス・ハルス《ロンメルポット奏者》、右にジョルジュ・ド・ラ・トゥール《クラブのエースを持ついかさま師》が並ぶ一面の壁だと思う。

カラヴァッジョ《いかさま師》(1595年頃)キンベル美術館

https://www.kimbellart.org/collection/ap-198706

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《クラブのエースを持ついかさま師》97.8×156.2cm(1630-34年頃)キンベル美術館 

https://www.kimbellart.org/collection/ap-198106

プラド美術館の展覧会にはこのキンベル《クラブのエースを持ついかさま師》と共に、ルーヴル美術館《ダイヤのエースを持ついかさま師》も展示されていた

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《ダイヤのエースを持ついかさま師》106×146cm(1635-38年頃)ルーヴル美術館

https://www.louvre.fr/en/oeuvre-notices/cheat-ace-diamond

カラヴァッジョ《いかさま師》を起源するこの2作品だが、私的に今まで別々に観ていたものの、キンベル作品とルーヴル作品を同時に見比べることのできる初めての体験だった。それに、この展示室(コーナー)に入るやメトロポリタン美術館《女占い師》が目に飛び込んでくるし、これら色鮮やかな「昼の絵」3枚が同じ空間に並ぶ様は、否が応でも興奮してしまうじゃぁありませんかっ!!

ということで、先ずは登場人物たちの意味深な目配せが実に面白い《いかさま師》2枚を子細に観察してみる。持つ絵札の違いだけでなく全体的な色調、すなわち各登場人物たちの衣装の色構成や細部が異なるのがとても興味深い。キンベル作品は衣装が赤系の鮮やかな彩色ではあるが、ややラフな表現描写が目立つ。一方、ルーヴル作品ではオレンジ茶系の衣装と女中の青緑のシックな色調となり、更に練られた細部描写も見られる。私的に特に注目したのは鴨?少年の瀟洒な衣装であり、上着の絹の光沢表現、襟の刺繍や袖口の襞部分の描写等、ルーヴル作品の方がより丹念に描かれ、完成度はより高いように思われた。

ところで、カタログに興味深い記述があった。(意訳・誤訳はお許しあれ)

「《クラブのエースを持ついかさま師》の独特なパレットは非常に派手で多様であり、色の明るさと滑らかな明るい肌のトーンを引き出す白の配色がある。 それは、1620年代後半のヘンドリック・テル・ブルッヘンによる特定の絵画を想起させる。例えば、1626〜27年頃のゲッティ美術館《バッカント》、1627年のロンドン・ナショナル・ギャラリー《合奏》などだ。後者には、いかさま師のポーズに似た人物も含まれている。 私たちに背を向けているが、鑑賞者を前方に導いているのだ。一方ダイヤのエースを持ついかさま師》は「夜の絵」に近い、より暗いパレットを持っている。」

近年、テル・ブルッヘンを追いかけ、ラ・トゥールやフェルメールへの影響を見る私としては、確かに!と頷いてしまう。ヘンドリック・テル・ブルッヘン(Hendrick Jansz ter brugghen, 1588 -1629年)はユトレヒト(オランダ)からローマに赴き、カラヴァッジョ作品から影響を受けたユトレヒト・カラヴァッジェスキを代表する一人である。

ヘンドリック・テル・ブルッヘン《猿のいるバッカント》(1627年)J.P.ゲッティ美術館

https://www.getty.edu/art/collection/objects/726/hendrick-ter-brugghen-bacchante-with-an-ape-dutch-1627/

ヘンドリック・テル・ブルッヘン《合奏》(1626年頃)ロンドン・ナショナル・ギャラリー

https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/hendrick-ter-brugghen-the-concert

年代測定において、 アンソニー・ブラント(Anthony Blunt:ソ連のスパイとして有名)は「仮説としてネーデルラント連邦共和国(オランダ)への2回の訪問を想定し、1616年から25年頃の間に年代を測定することを提案した。」(カタログ解説より)

ラ・トゥールが絵画修行のために、ロレーヌからアルプスを越えイタリア(ローマ)に行くよりも、ネーデルラントのユトレヒトに行く方が確かに地理的にも現実味はある。もしそうならば、テル・ブルッヘンや「夜のゲラルド」として知られるヘリット・ファン・ホントホルスト(Gerrit van Honthorst ,1592- 1656年)からの影響が色濃く見えるのも了解できる。しかし、私的にも年代的な疑問は残る

2作品の科学的分析によれば、ルーヴル作品がキンベル作品より遅いことを示唆しており、現在、両美術館の年代表記では、キンベル作品が1630-34年頃、ルーヴル作品が1635-38年頃、となっている。そうすると、キンベル作品よりルーヴル作品の完成度の高さが了解できるし、ラ・トゥールの「昼の絵」から「夜の絵」への移行期間作品としても捉えることができるようだ。

ということで、次回に続く


2016年プラド美術館「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展(Georges de La Tour. 1593 - 1652)」サクッと感想(1)

2021-02-02 23:15:35 | 展覧会

超遅ればせながら、2016年プラド美術館「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展(Georges de La Tour. 1593 - 1652)」を観た感想をサクッと書きたい

https://www.museodelprado.es/en/whats-on/exhibition/georges-de-la-tour-1593---1652/c5c86bb6-04fa-4bd5-9847-912ba0081d8b

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour, 1593 - 1652年)は、仏ロレーヌ地方で17世紀前半に活動した画家である。初期の作風は貧民などを描いた写実的傾向の強い風俗画(昼の絵)が多いが、1630年代にロレーヌ地方を襲ったペストやルイ13世のロレーヌ侵攻後作風が変化し、明暗の対比の強い宗教的作品(夜の絵)が多くなり「夜の画家」とも言われる。

ラ・トゥールはカラヴァッジョと同じように一時期忘れられた画家であり、現存する作品も少ない。現在真作と見なされているのは40点余り、失われたオリジナルのコピー作品も28点ほどで、併せても70数点である。その中で真作とされる作品(研究者によって異なるだろうが)を世界各地から31点も集めたのがこの展覧会だった。尽力したキュレーターたち:Andrés Úbeda(プラド美術館)とDimitri Salmon(ルーヴル美術館)は素晴らしい仕事をしたし、展覧会場には彼らの情熱が静かに満ちていた。

最初の展示室には、正面に《金(税)の支払い》、左の壁には聖人たち、右の壁には《豆を食べる人々》などの貧しい人々を描いた初期作品が並んでいた。ちなみに、ラ・トゥールの描く聖人たちはカラヴァッジョの流れを汲んで身近な庶民をモデルにし、それでいて非常に個性的でもある。

※ご参考:プラド美術館 Youtube画像

https://www.youtube.com/watch?v=1m8yGyh6ioI&feature=emb_logo

聖人像作品の中には初見の2つの《手紙を読む聖ヒエロニムス》が展示されていた。プラド作品はラ・トゥール作品らしさに満ちており、緋色の衣装と手紙の白のコントラストの美しさと陰影が素晴らしかった。で、ロイヤル・コレクション作品は光を通す手紙の透け具合が印象的だった。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《手紙を読む聖ヒエロニムス》(1627-29年頃)プラド美術館

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《手紙を読む聖ヒエロニムス》(1621-23年頃)英国ロイヤル・コレクション

しかし、フランス版Wikipediaをチェックしたら、なんと!ロイヤル・コレクション作品をスルバランに帰属する研究者もいる??or 帰属されていた??。もしもスルバラン作品だとしたら、それはそれで非常に興味深いのだが(スルバランとの関連性に於いて)、最新の研究ではどうなっているのだろう?? カタログ読んでもコピー作品が多そうだということは了解できるのだけど

で、久々に再会したベルリンの《豆を食べる人々》は、なんだか旧知の友に会ったような懐かしさを覚えた。当時の貧しい人々の食べるという営みが、昼の陽光の中でリアルに描写されているのだよ。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《豆を食べる人々》ベルリン国立絵画館

一方、貧しい盲目の辻音楽師は音楽家仲間と争っている(いぢめられてる?)。それも、またひとつの現実なのだ。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール《辻音楽家の喧嘩》(1625-30年頃)J.P.ゲッティ美術館

貧しく悲哀が漂うハーディガーディ弾きを描いた一連の作品群もだが、初期の作品は当時の風俗とともに、人々の貧しさと生きる困難さをリアルに垣間見せてくれる。画面からラ・トゥールの透徹した眼差しが伝わって来るようだ。