私が山形に観に行ったのは展覧会が始まってすぐの週であり、早めに行って良かった!!と(感染拡大中の今)つくづく思う。
「国立西洋美術館コレクションによる山形で考える西洋美術 ──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」
http://www.yamagata-art-museum.or.jp/exhibition/4157.html
第2章のテーマは「自分たちのものではない記憶のコレクション-日本に「西洋美術館」があるということ」。
ちなみにお断りしておくけど、図録も見ていないので、美術ド素人の勝手な感想(暴走)になるので悪しからず
さて、松方コレクションの返還に伴う所蔵先としての「西洋美術館」設立の経緯は知っていたが、その後のコレクション拡大という方針転換の経緯が興味深い。その新コレクション最初期の一点がクラーナハ(父)《ゲッセマネの祈り》だったとは。だから展示説が出ていたのね。
https://collection.nmwa.go.jp/P.1968-0001.html
聞くところによると、今回出展されなかったのは板絵なので破損が危ぶまれたかららしい。
でもね、それにしても出展作品に油彩は少なく、版画が多めであり、閉館中なのに「ケチ臭いこと!」と思ってしまったのだよ。海外に貸し出すんじゃなくて国内なのに。海外美術館からの借り出しに苦労しているだろうに、国内の地方美術館相手だとタカビーになるのかしらねぇ??
で、この章の展示作品の中に、私的に特に目を惹かれた興味深い一連の作品があった。グイド・レーニの油彩画から版画作品へと続く流れだ。なかなかに面白かったのだよ。
■グイド・レーニ《ルクレティア》(1636-38年頃)油彩
https://collection.nmwa.go.jp/P.2001-0001.html
■グイド・レーニ(原画)、バルトロメオ・コリオラーノ(制作)《ユピテルの雷電に押し潰される巨人族》(1647年)キアロスクーロ木版
https://collection.nmwa.go.jp/G.2006-0008.html
※ご参考:グイド・レーニ《巨人族の崩落》(1635年頃)ペーザロ市立美術館
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Guido_reni,_caduta_dei_giganti,_1635-37.JPG
■ヘンドリク・ホルツィウス《嬰児虐殺》(1585年頃)エイングレーヴィング
https://collection.nmwa.go.jp/G.2011-0002.html
■ペーテル・パウル・ルーベンス(原画)、パウルス・ポンティウス(制作)《ベツレヘムの嬰児虐殺》エングレーヴィング
https://collection.nmwa.go.jp/G.1992-0064.html
※ご参考:ルーベンス《ベツレヘムの嬰児虐殺》(1638年頃)アルテ・ピナコテーク
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Massacre_of_the_Innocents_by_Rubens_(1638)_-_Alte_Pinakothek_-_Munich_-_Germany_2017.jpg
先ず、私的に思ったのは、コリオラーノ(レーニ原画)《ユピテルの雷電に押し潰される巨人族》とホルツィウス《嬰児虐殺》の間に、レーニ《嬰児虐殺》(ボローニャ国立絵画館)があったなら、ストーリー的にずっと面白く引き締まって観ることができただろうに!!と。それに、同じバロックでもルーベンスとの違いも鮮明に見えてくるような気がするしね。
グイド・レーニ《嬰児虐殺》(1611-12年頃)ボローニャ国立絵画館
そして、この版画作品の流れの上流には、マントヴァのパラッツォ・デル・テのジュリオ・ロマーノ《巨人の間》の存在が強く感じられたのだ。恐るべしジュリオ・ロマーノ(笑)。
ジュリオ・ロマーノ《巨人族の崩落》(1532年頃)パラッツォ・デル・テ
※ご参考:「巨人の間」パラッツォ・デル・テ
https://en.wikipedia.org/wiki/Fall_of_the_Giants_(Romano)#/media/File:Giulio-romano-fall-of-the-giants-resco-in-the-sala-dei-giganti-palazzo-del-te-1530-1532.jpg
マントヴァのパラッツォ・デル・テでは「プシケの間」天井画を観ながら右に折れると「巨人の間」が目に飛び込んでくる。なんじゃこれ~!!と、思わずのけぞってしまう仕掛けは楽しい(笑)。グイド・レーニだけではなく、マントヴァ公に仕えていたルーベンスも、半ば唖然としながらも、この混沌とした躍動感を強い関心を持って眺めていたはずだ。そして、カラヴァッジョもこの「巨人の間」に立ったはずである。