花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

ベルニーニ「バルダッキーノ」

2008-12-07 04:49:25 | 海外旅行
先に触れたエドガー・ヴィント著「シンボルの修辞学」でルネサンス人は掛け言葉が好きなことを知ったが、もしかしてバロック人も好きだったのではないか?とゆーような話を偶然仕入れてしまった(^^;;;

たまたま図書館で手に取った「美術史」(165号)で「ベルニーニの《バルダッキーノ》-リンチェイ・アカデミーの「アピアリウム」とバルベリーニ家のミツバチをめぐって」(佐藤仁・著)を読んだ。【参考


バルダッキーノ(奥にはカテドラ・ペトリ)

ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂バルダッキーノ(聖ペテロの墓上の主祭壇を覆う天蓋)はベルニーニによるバロックの象徴的作品だ。そのねじれた柱はエルサレムのソロモン神殿からもたらされたと言われる大理石の柱を模して制作されたものである。(大理石の柱はヴァティカン宝物館の入り口に展示してあった)


天蓋を支える柱

反宗教改革の勝利の誇示を意図したもののようであるが、造形的にはコンスタンティヌス帝の旧大聖堂の景観復活や初期キリスト教の伝統を誇示する意図も込められているようだ。

でも、何よりもこれを作らせたウルバヌス8世(マッフェオ・バルベリーニ)自身のプロパガンダ的色合いが濃厚である。このバルダッキーノにはバルベリーニ家の紋章であるハチがブンブン施されているのだから(笑)


ベルニーニ「ウルバヌス8世像」(カピトリーニ美術館)

柱を支える大理石土台には大きくハチの紋章が彫られ、本来柱にからみつくはずの葡萄はバルベリーニ家の好んだ月桂樹になり、天蓋部分を飾るたれ幕にもハチの紋章、頂上の十字架の下の太陽もバルベリーニ家の象徴らしい。


ブロンズ製柱の下の大理石台座。ちなみに、バルダッキーノ大理石台座の彫刻制作にはボッロミーニも参加しているらしいが、どの部分かは不明。

さて、佐藤氏の論文に戻るが、当時ガリレオが発明した顕微鏡によるミツバチの精密な観察図の載った「アピアリウム」(1625年)がウルバヌス8世に献上されたが、そのハチ図がベルニーニのバルダキーノに採用した紋章のハチの造形に影響を与えたのではないか?ということだった。

確かにパラッツォ・バルベリーニのハチよりもバルダッキーノのハチの方がずっと具象的なのだ。今回ローマで撮ったデジカメ画像から紹介すると...


パラッツォ・バルベリーニ(バルベリーニ国立古典絵画館)の扉。奥に見えるのはボッロミーニの階段。

 
パラッツォ・バルベリーニのハチ       バルダッキーノのハチ

見難い比較画像ですみませんねぇ...(^^ゞ

そして、佐藤氏はハチの持つ寓意的意味を考察し、パルダッキーノの天蓋部のハチは頂上(APICE)の十字架を教皇=ハチ(APIS)が掲げるという、「救済」の教義を視覚化したものではないか、「アピス」の賭け言葉遊びがあったのではないか?とのことだった!

ルネサンス時代だけでなく、バロック時代においても賭け言葉遊びが美術に引用されているとしたら、これはなかなか愉快な話だと思いません?(^^;;;

※参考 : 「美術史」165号・平成20年10月(美術史学会)
       「ベルニーニ ― バロック美術の巨星」(石鍋真澄・著/吉川弘文館・刊)

国立新美術館「巨匠ピカソ-愛と創造の軌跡」展

2008-12-01 03:11:30 | 展覧会
国立新美術館で「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展を観てきた。(いつもながらokiさんに感謝です!)

ピカソ作品をこんなにまとめて観たのは初めてで、画風の変遷が時系列的に辿れるのがとても興味深かった。今回の展示ではとりわけキュービズムへの移行期が内容的に充実しており、デッサンを重ねながら線を確定していく過程も面白く、見応えのある展覧会だった。

例えば、エジプトのヒエログリフのように今までなんだか判別できなかったバイオリン・グラス・新聞などが画面の中にちゃんと見えるようになったのだから!女性の表現も抽象化された乳房がキモなのだとわかったし、泣くという表情も記号のようである。時系列で観て行くとピカソの分解方法と構成の仕方が見えてくる。

しかし、その線が的確に捉えるのは造形だけでなく、量感であり、動きであり、そのものの本質なのだ。オルガとの結婚時期に描かれた《三人の踊り子》の足には本当に見惚れてしまった。バレリーナ三人それぞれのポーズ...大きな手の動きも勿論だが、やはり足のポジションに目が行く。筋肉質のたくましい足がリズミカルな動きを孕み、躍動感さえ感じる。

思うに、ピカソの描く人物たちは異常に手足が大きいが、それは太古から大地を踏みしめる人間の足であり、ものを作り出す人間の手であると、まるでおおらかに人間賛歌を歌っているかのようだ。

それにしてもピカソの画風の大きな転換期には必ず愛する女性の存在があるようで、これまたピカソの精力旺盛ぶりにニヤリとしたり、この甚大なパワーこそが飽くなき画風革新への追求に走らせたのだろうなぁと感心したり…副題「愛と創造の軌跡」に大納得(^^;;


ピカソ《ドラ・マールの肖像》(ピカソ美術館)

さて、展覧会は青の時代から始まり薔薇色の時代、ブラックとの出会いによるキュービズム、オルガの新古典的画風、そしてシュルレアリスム…作品が並んでいた。更に《ゲルニカ》や朝鮮戦争の悲劇、微笑ましい子供たちの姿まで…実に多彩で、それはピカソという人間の大きさなのかもしれない。ある意味、ティツィアーノと同じで長生きだったからかも(^^;;;

今回の展覧会はパリのピカソ美術館改修に伴う引越し企画のようだが、実はこの展覧会に欠けている時代作品こそが私の一番好きなピカソなのだ。

モンセラート美術館(Museu de Montserrat)所蔵の《老いた漁師》は5、6年前にBunkamuraの「ミレー三大名画展」でも出展されていたが、その後にモンセラートにカラヴァッジョ《瞑想する聖ヒエロニムス》を観に行って再会した。


モンセラート美術館


ピカソ《老いた漁師》(モンセラート美術館)

確かピカソが十代の頃に描いた作品であり、老いた猟師の経てきた年輪が画面から伝わってくるようで、しみじみ凄い絵だなぁと絵の前で見入ってしまった。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールに似ていると思うのは私だけだろうか??
こんな絵を描いてしまったら、後は崩して行くしかしかたがなかったのだろうね。

え~っと、ついでにカラヴァッジョ作品もご紹介(^^ゞ


カラヴァッジョ《瞑想する聖ヒエロニムス》(モンセラート美術館)

ちなみに(蛇足ながら(^^;;;)、モンセラート修道院は奇岩の岩山に建てられている。



この奇岩がガウディのサクラダファミリア教会の造形に影響を与えたという説もある。



モンセラートはバルセロナから電車で40分ぐらい。そこからケーブルカーで深い谷を見下ろしながら奇岩の岩山へと向かう。このにょっきり岩山をガウディが見た可能性は大いにあるが、果たして...??